182話 失われし呪文
「多分この呪文で終わると思うけど、かけさせる気ある?」
俺は、激痛に軋む身体でなんとか床を踏み締め、影に向けてそう言い放った。
「そんなに自信があるのか? 俺を亡ぼせるような?」
「俺が持っている呪文で、深淵の知識以外では多分最強だ! お前が望んだ深淵の呪文を使用してもいいけど、制御失敗したらこの世界が滅ぶ可能性があるぜ! それはお前も望んでないだろう?」
「ほお」
影が短く応じた。
奴も何か興味を引かれたのか、俺たちへの追撃をやめにしたみたいだ。
ぴりついた沈黙が広間に降りる。
「俺も多少は魔術には詳しいぞ。たしか攻撃系最強呪文は星崩の流星群のはずだ。そして直接攻撃以外だとすると、ヴァルカス伯爵に使用した無窮の檻か?」
「あの系列は、通用しないのはわかっているよ」
俺はきっぱりと言い切った。
当然だ。奴に次元を渡る能力があるんだったら、次元に閉じ込める呪文なんて効くはずが無い。
「なら時間止めか?」
影が探るように問いを重ねてくる。
「それでもないさ。使用した事がねえから、どれだけ止められるかわからないけど、最低でも10秒って所か? その10秒でお前を倒せるとは思えん」
俺たちの緊迫したやり取りの最中、隣で錫杖を握るエレナが悲痛な声を絞り出した。
「シビさん……わたくしも彼を倒せる呪文を持っておりますわ」
影はぴくっと眉を動かし、興味深そうにエレナのことを見つめていた。
「却下! 神降ろしの呪文なんて許可なんて出来ねえよ! 最高位の僧侶は自らの命を差し出すことで神を降ろす事が出来る。同じように魔術師や僧侶の異界の門もだめだ。こいつを倒せたあと、どのような災厄が起きるかわからねえからな!」
そんなものは切り札とは言えねえだろう。
なんでエレナの命を引き換えにするような禁忌の術を作戦に入れるような真似をするわけがない。
「それでは、現存する術ではあの人を倒すことは不可能ですわ。実力差がありすぎです」
エレナは悲痛な顔でこちらを見ながらそう言ってきた。
そう、今の世に伝えられている魔法ではこいつを倒すことが出来ない。
その残酷な事実を、彼女の瞳が物語っていた。
神が俺に与えた特典の一つ、魔術師系の魔法の知識をすべて貰ったから俺は知っていた。
だけど、それは知識だけがあって、今までは実際に使用することは出来なかった。
もっとも、俺自身は最初から使用可能なつもりのお願いだったんだけどな。
多分神は、最初から全部使用できる状態だと、俺がこの世界を旅する楽しみが減ると思ったんだろう?
あいつはこうも言っていた
『言い忘れてた、格闘と魔法の勉強はしておくのじゃ。あくまでもわしがおぬしに渡すのは知識と素質じゃ。最低限の技術はあるかもしれないが、全てが何でもできる事ではないぞ。わしが手を貸せるのはここまでじゃからの。今度こそ幸せになり、人生を楽しむがよい』
本当にありがた迷惑な話だけど、この世界を楽しむために、たくさんの秘術や技を自分の足で探索してほしいのかもしれない。
――いや、実際は人間がこれほどの強大な術をそのまま持っていると、ろくなことにならないから、手元に発動体として残らない仕組みなんだろうと思っている。
確かに、『戦士の技術、魔法使いなどの技術、盗賊などの才能をくれ』と言ったから使用させろとは言ってないんだよな。
そのお陰で、今の時代では、失われた呪文が、この世界のどこかにあることだけは知っていた。
ただし、その手がかりは三つに分かれていた。
ミスリルソードがあったあの遺跡、アヴァリス大公国でそれを見つけた。
そして、まさかレティの館に最後の一冊があるなんて、この場所に来るまで思いもよらなかった。
失われた呪文の一つ。
幸いにも三つのうち二つはすでに知っていたから、それを深淵の知識で補完して、いざとなれば未完成のまま無理やり使う予定だった。
だけど、おかげさまで、レティの館にあった最後の一片を得たことで、今は完全版として使用できる状態にある。
この呪文なら、あいつを倒せるはずだ。
リスクが大きすぎてテストなんて出来なかったけど。
そして、多分俺自身も生きて戻れるはずだ。
唯一の懸念事項は、今の俺の実力で、この規格外の術を本当に扱いきれるかどうかだけどな。
目の前の男を見据えて口を開いた。
「安心しろ、俺は、この世にある魔法の知識をすべて得ている」
「なら、何でそれを今まで使わなかったのか?」
影は俺の言葉を単なるハッタリだと思ったのかもしれない、冷淡な瞳のままそう聞き返してきた。
「シビさん……っ」
隣で、エレナが凄く心配そうな顔で俺の方を見てくる。
「まぁ、エレナが心配するのも仕方ない。最上位の魔法になれば、媒体やリスクは必ず存在する。もちろん、こいつを倒すための呪文だ、相応のリスクはあるさ」
俺は、彼女の不安を和らげるように小さく笑ってみせ、右手にはめたザハクの指輪へと意識を集中させた。
「人間如きが、何を使用しても俺に効くとは思えない。確かにお前は人にしては、すごい。貴様ほど魔法を使いこなせる人間は知らない。たとえザハクからもらったその指輪とミスリルソードの魔力増強を使用しても俺の勘だが、俺を倒すのは無理だろう」
影は冷淡な紫の瞳を細め、こちらの戦力を冷静に値踏みしながらそう吐き捨てた。
これを使ったら、あの少年は倒せないんだよな。
俺は上空を意識しながら内心で小さく歯噛みした。
今もどこかで見ているはずのあいつは、俺がこの切り札を一度でも使えば、その性質をすべて知って即座に対策するだろう。
だけど、楽しめているうちは敵にはならないといった、あいつとのあの約束を今は信じるとするか。
「は? 本気で俺を倒せるとでも思っているのか? この自意識過剰な奴め」
影が鼻で笑った瞬間、奴の手のひらから猛烈な炎が激しく吹き出した。
「エレナっ!」
俺は、攻撃してこないと思った直後の隙を突かれたことに悪態をつきながら、隣にいたエレナの身体を強引に担ぎ上げて真横へと大きく跳んだ。
凄まじい熱風がさっきまでいた床を焼き焦がす。
話し合いに応じる姿勢を見せながらも、戦いながら次の術を使う隙を探してくるんだから、本当に厄介極まりない相手だよな。
俺は着地すると同時に、担いでいたエレナの細い身体をそっと下ろし、懐から一本の小瓶を取り出した。
「エレナ、先に一本、魔力回復のポーションを渡しておくな。」
「今、これを飲めと言うのですか?」
差し出された小瓶の中身を見て、エレナは凄く嫌そうな顔をしてこちらを睨んできた。
……いや、それ、めちゃくちゃ不味いからなぁ。
「うん。そして、俺がこの呪文を唱え終えるまで、防御をお願いしてもいい?」
俺の言葉に、エレナはあからさまに嫌そうな表情を浮かべながらも、小瓶に入った禍々しい緑色の薬液を一気に喉へと流し込み、猛烈に不味そうな顔をした。
彼女のこんな顔をこれほど間近で見たのは、間違いなく世界中で俺ぐらいだよな。
そう思ったら、張り詰めていた緊張が少しだけ解けて、気が楽になってきた。
「なかなか面白い話だった。俺もこれで終わりにさせてもらうとするぞ」
影が再び手のひらに魔力を収束させ、冷酷にそう告げた、まさにその刹那だった。
「それは僕も見させてほしいですよね」
上空から突如として、聞き覚えのある声が遮るように聞こえてきた。
驚いて見上げれば、あの少年が空高くにポツンと浮かんでいた。
「そう言って、漁夫の利を得ようと?」
「あくまで僕は観察ですよ。何も手は出しませんから」
少年は空中を浮遊したまま、他人事のように肩をすくめてみせた。
「お前ら二人とも、まとめて倒せるんだけどな」
俺は、ミスリルソードを構え直して一応の牽制を言っておいた。
もしもこいつら二人に同時に攻められたら、いかにエレナの強固な神の護りであっても、容易に破壊される恐れがあるからな。
「それは無理でしょう」
少年はクスッとこちらの牽制をあざ笑う。
「なぜそう思う?」
「何をするのかはわかりませんが、貴方の魔力では無理だと思うんですよね。そこまでの現象を変えるほどの意志力をお持ちだとは思えません。……まぁ、約束しますよ。ここまでその人と対等に張り合ってきた、褒美としてね」
少年は、いつもより凄く機嫌のいい笑顔で、こちらのハッタリを見透かすようにそう言ってきた。
「貴様、なんのつもりだ!」
影が、裏切りを察知したように上空へ向かって怒号を浴びせる。
「何がですか?」
「なぜ俺の手伝いをしない!」
「まぁ、確かにあなたの軍門には入りましたけど、命令を聞くとは言ってないじゃないですか。それとも、僕とここで戦って、力づくで言うことを聞かせますか?」
少年の挑発的な態度に、影の周囲の魔力が激しく逆巻いた。
「……この戦いが終わった後でな」
「怖いですねぇ。というわけでアヤさん。僕は面倒な戦いはしたくないので、後はよろしくお願いしますね」
少年は楽しそうに笑いながら、完全にこちらへ丸投げしてきた。
「それこそ知るか!」
俺は吐き捨てるように叫び、不味い薬を飲み干して神聖な魔力を回復させたエレナと視線を交わした。
心配そうにこちらを見つめているエレナの身体を、俺はゆっくりと両腕で抱きしめた。
エレナがひどく驚いて俺の方を見てきた。
神々しい金色の髪に、慈愛に満ちた優しい目。
この世界に来てから、俺は一体何度、この女性に助けられたのだろう。
本音を言えば、これからもずっと、一緒に暮らしていきたかったな。
これから放つ術の代償を思い、胸の奥が締め付けられる。
だけど、多分生きてはいるはずだ。
確かに、使用した代償として「記憶が無くなる」とは書かれていた。
だけどどれほどの記憶が無くなるかは書いてはいなかった。
だけど、三つの断片を繋ぎ合わせて完成させたあの書物は、確かにここに存在しているんだ。
なら大幅な実力低下ぐらいだろうと予測はしている。
だったらどうにかなるだろう。
じっと俺を見つめている、エレナの綺麗なサファイアブルーの瞳に吸い込まれるように、俺は静かに彼女に口づけをした。
エレナは、驚いてその丸い目を大きく開いた。だけど、すぐにすべてを察したように俺の背中にその細い腕を回してぎゅっと抱きしめてくれて、静かに目を閉じてくれた。
その無防備な俺たちの隙を突き、奴が今すぐにでも攻撃を仕掛けようと身構える。だけど、上空の少年がそれを許さず、牽制のように鋭い視線で見張ってくれていた。
「さすがにそれは無粋でしょう。まぁ、受けると言っておいて、無防備な二人を攻撃するなんて、まさかしませんよね? 貴女が言ったように所詮人間ですよ。お別れのキスぐらいさせてあげてもいいじゃないですか」
少年の冷ややかな言葉が上空から降り注ぐのが聞こえる。
「チィ……っ!」
忌々し気に、影は、激しく舌打ちしていた。攻撃がこないと思うと、動きを止めざるを得なかったのだろう。
俺は名残惜しそうに、エレナの唇と身体からそっと離れた。
「シビさん……っ」
「ごめんな。これで、俺の覚悟は決まった」
「死にませんよね」
エレナが、すがるような目をして俺の顔を覗き込んでくる。
「使用者が死ぬんだったら、そもそもそんな魔法の書物なんてこの世に遺ってねえよ。それに、エレナには命を代償にする呪文を禁止させておいて、自分は使うって言うのは公平じゃないだろ?」
「……あと、今、キスした理由をお聞きしても?」
エレナは、微かに赤くなった指先で自分自身の唇にそっと触れながら、少し戸惑ったようにそう聞いてきた。
「これが終わったらな……」
「約束ですよ」
「あぁ。約束だ」
俺たちが固い誓いを交わしていると、上空から楽しげな拍手の音が響いた。
「クライマックスにふさわしくなりましたねぇ! それじゃ、僕は、ここで高みの見物をさせてもらいますよ」
少年がそう言ったまさにその瞬間、影が激昂したように、今までとは比べ物にならない異常な密度の魔エネルギーの塊をこちらへ向けて一気にぶつけてきた。
ドガガガガァァァンッ!!!
凄まじい衝撃波が襲いかかる。
だが、それは間一髪で展開されたエレナの黄金の防御呪文によって、完璧に正面から防ぎ止められていた。
いつも思うんだけど、エレナのこの防御呪文は、一体どれだけ固いんだ。本当に頼りになるよな。
実際エレナのお陰で詠唱が長い呪文を使用できるんだからな。
「炎帝ザハクの縁に従い我は望み従え、世界の理をもち更なる魔力を与えよ!」
俺は、本日二回目となる指輪の魔力を、魂を削るようにして全力で引き出した。
ルビーの放つ禍々しい魔力が、赤くきらめきながら、俺の身体の芯へとドクドクと入ってくる明確な感触がした。
俺はその圧倒的な魔力を身にまとったまま、愛刀のミスリルソードを、俺の目の前の硬い地面に向けて全力で突き刺した。
ガキィィンッ!!
床に突き刺さった刃から、美しいミスリル光が淡く眩しく放たれ出し、刀身に蓄えられていた膨大な魔力が、逆流するように俺の中へとさらに流れ込んでいく。
目の前では、影による爪や魔力の鋭い猛攻が、絶え間なく凄まじい嵐のように行われている。
だけど、俺を信じて前を見据えるエレナの、黄金に輝く絶対の防御障壁が、そのすべての破壊を受け止めて耐え続けていた。
すべての意識を集中して力ある世界の理の呪文を唱え始めた。
「無限の虚空に輝く万華の鏡よ!
すべての可能性を映し出し、
運命の理をねじ曲げ、
我がうちなる願いを此の世に解き放て——
虚空万華!」
その瞬間、世界が、完全に変わったのが肌で分かった。
上空の至る所に、無数の万華鏡の鏡が現れだした。
圧倒的な虹色の輝きがこの周辺のすべてを包み込み、俺の周囲を幻想的な光の濁流で満たしていく。
浮かび上がった鏡の表面には、俺の地球での過去、今の現在、そして今の未来の姿――無数の「俺」の生きてきた軌跡が、次々と鮮明に映し出されていった。
そして。前世の古い記憶が映った鏡から順番に、次々とひび割れ始めた。
パリン……パリン……パリン……!
乾いた硬い音が広間に連続して鳴り響き、記憶の鏡が一斉に美しく砕け散っていく。
キラキラと七色に輝く無数の破片が、まるで雪のように、雨のように、俺たちの周辺に静かに降り注いだ。
「……あ……っ……!」
砕けた破片が俺の肌に触れた瞬間、頭の中で脳細胞が激しく砕け散るような、強烈な衝撃が走った。
自分を縛っていた古い鎖がガチリと引きちぎられ、脳内を覆っていた重い霧が一瞬で晴れていくような感覚。
――そして。それと同時に、自分の中の何か大切なものが、永遠に失われて消えていくような、凄まじい痛みと圧倒的な解放感を同時に感じていた。
身体が芯から熱くなり、視界のすべてが白く染まっていく。
『目の前にいる奴の……』
いや、この世界に存在するすべての魔族の消滅を、俺はそう願おうとした。
だがその瞬間、俺自身の中から「それでも不可能だ」という絶対的な理が、はっきりと理解できてしまった。
子の代償と自分の今の実力では無理だというのが理解できた。
だから、俺は最初の目標のままでいくことを決めた。
「奴とその行おうとした事への消滅を……そして、この剣を俺が、必要と感じる時まで封印を――!!」
白い世界の中で、俺は魂の底からそう願った。
破片の雨が完全に止んだとき、俺は、ゆっくりと目を開けた。
俺の頭をかすめて風になびく美しい銀の髪が、広間の冷たい空気の中で静かに揺れている。
愛した女性の顔を焼き付けながら……。
「転生したら美少女冒険者に! ~おっさんの心が旅立つ異世界冒険記~」をお楽しみいただけましたか?
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