181話 圧倒的力の差
――完全に、俺の最悪な予想の遥か上を行っている。
奴の底知れない実力差をはっきりと思い知らされた。
だけど、ここで諦めて戦いをやめるわけにはいかないよな。
俺はミスリルソードで突きを放つとそう見せかけて、強烈な踏み込みとともに一気に腰を落とし、その勢いのまま地を薙ぐようなしゃがみ回転蹴りを繰り出した。
だが、影は重力を無視したかのように軽々と跳び上がり、その攻撃を難なくかわす。
奴は宙に浮いたままの体勢で、こちらへ向けて容赦なく手のひらを突き出してきやがった。
次の瞬間、その手のひらから空気を爆裂させて凄まじい衝撃波が放たれた。
俺は、とっさに左手を地面へと叩きつけ、その凄まじい反動を利用して力任せに体を跳ね上げる。
襲い来る衝撃波を間一髪でかわしながら、その勢いのまま、空中の影へ向けて鋭い蹴りを放った。
しかし影は、俺の蹴り上げた足裏を、あざ笑うかのように踏み台にすると、その反動を利用して後方へ大きく跳び退いていた。
その影の着地を狙い、エレナがすかさず鈴の音と共に何かの魔法を放っていた。
だが影は左手を軽くかざしただけで、その魔法をあっさりと、最初から何もなかったかのように打ち消したように思えた。
「嘘ですよね……っ」
「精神面からの攻撃か。少しだけ頭痛がするぐらいか?」
直後、奴はかなりの距離を隔てたまま、エレナに向けて容赦なく足を振り抜いた。
鼓膜を突く風切り音と同時に、地を這う一閃の衝撃波の刃が広場の地面を滑るようにして一直線にエレナへ襲いかかった。
「聖なる障壁!」
エレナの叫びと同時に眩い光の壁が立ち上がり、地を這う衝撃波を激しい火花とともに弾き返した。
その隙を逃さず、俺は影に向けて力ある言葉を紡ぐ。
「天より落ちる紫の罰よ……稲妻を集め、槍を成せ……貫け、魂まで焼き尽くせ……! 紫電穿槍!」
言い切ると同時に、俺の手から放たれた紫電の槍が影へ向かって一直線に飛んだ。
命中する――そう確信した刹那、捉えたはずの影が幻のように掻き消え、紫電の槍は誰もいない空間を虚しくブチ抜いた。
「なっ――」
直後、背中に内臓を押し潰すような凄まじい衝撃が突き抜けた。
「うぐっ!」
息の根を止められそうな痛みに視界が一瞬白く染まり、俺の身体は宙へ弾き飛ばされ、広場の床を二転、三転と転がってようやく止まった。
「この限られた空間では、俺に分がありすぎるか」
奴が不敵に指を鳴らした瞬間、影の身体から放たれた眩い閃光が視界のすべてを真っ白に染め上げる。
次の瞬間、肌を刺す広間の空気は消え去り、俺達は、ヴァルさんと戦ったあの山頂付近の冷たい風の中に転送されていた。
「この場所なら、先ほどまで使えなかった呪文も使えるだろう」
俺は激痛が走る背中を耐えながら、そう呟いた。
「サービスってわけ?」
「あとで文句を言われても仕方ないからな」
確かに、あの狭い空間では巨大な破壊呪文は使いづらい。
ヴァルさんとの戦いで使った隕石を落とす呪文など使えるわけがないし、火炎流のような呪文も思うようには使えない。
だが、だからといって、それだけが苦戦していた理由ではないことも分かっていた。
「エレナは無事?」
「それはわたくしが言うセリフですわよ」
俺は身体についた土を払い、ゆっくりと立ち上がった。
「さっき驚いていたけど、何の呪文だったんだ?」
「『虚鳴』ですわ。まさか、何事もなかったかのように防がれるとは思いませんでした」
聞いたことがある。
確か神聖魔法の一つで、精神世界へ直接干渉する攻撃呪文だったはずだ。
達人級の術者が放てば、一撃で精神を崩壊させるほどの威力があると聞いている。
それを軽い頭痛程度だと言ってのけるとは。
影は冷淡な紫の瞳を細め、こちらの戦意をあざ笑うように声を響かせてきた。
「もっと俺を楽しませてもらえないか。それとも、それが本気だったのなら申し訳ない。俺が君たちを過大評価していただけかな?」
俺は少し後ろへ跳び、エレナの隣に立つと、影に悟られないように小声で尋ねた。
「光で視界を潰すことってできるか?」
「おそらく、もっても少しだと思いますわ」
エレナは黄金律の鈴音を低く構えたまま、まっすぐ前を見据えて鋭く囁き返してくれた。
「それでいい」
「わかりました」
俺はそのまま地面を強く踏みしめ、『影走り』を発動した。
超高速で床を駆けながら一気に間合いを詰め、前傾姿勢の勢いをすべて乗せてミスリルソードを振り抜く。
「裂華!」
息を呑む間もなく、最速の四連斬りを影へと浴びせた。
盗賊技能を織り交ぜた連撃だったというのに、奴は表情一つ変えなかった。
首をほんの少し傾け、上体をわずかにひねる。
それだけで、俺の四つの剣筋すべてを、服の薄皮一枚の隙間でかわしていた。
「シビさん!」
その息ぴったりの合図とともに、俺は全ての筋力を爆発させて真上へとしなやかに跳び上がった。
「神光!」
俺の身体が宙に浮いた瞬間、真後ろから強烈な白い光が放たれ、広間の闇を隅々まで照らし出した。
眩い光に照らし出された視界の先で、いつも冷淡なあの影が、今は完全に顔をしかめて紫の目を強く閉じているのが見えた。
今だ、この瞬間しかねえ……っ!
「炎帝ザハクの縁に従い我は望み従え、世界の理をもち更なる魔力を与えよ!」
空中から着地すると同時に、右手にはめた赤いルビーの指輪が、呼応するように深紅の輝きを放つ。
身体の奥底から今までにない凄まじい魔力がどっと溢れ出した。
両手の人差し指と親指を合わせて円環を作り、その中心へ、溢れ出た青白い魔力を一気に収束させていく。
そのまま影走りと加速の呪文を同時に発動する。
一瞬で奴の懐へ飛び込み、収束させていた青白い魔力を一気に解き放った。
「焔竜吼!」
俺の両手で作った円環から、目の眩むような青白い魔力の奔流が、猛烈な咆哮を上げるように迸った。
視界のすべてを青白い光が埋め尽くし、目を閉じている影の身体を容赦なく飲み込んでいく。
ザハクの力を借りた、俺の切り札の一つ。
破壊力だけで言えば、現存する攻撃呪文の中でも間違いなく最強クラスの威力を誇る。
さすがに魔術師の奥義の一つでもあるだけはある。以前使った『星崩の流星群』の全弾命中には流石に及ばないかもしれないが、少なくともあの隕石一発分を遥かに上回る威力はあるはずだ。
しかも、今回はほぼ密着した状態からの一撃だ。
どれだけ格上の魔族であっても、これをまともに喰らって無事で済むとは到底思えない。
――確実に仕留めた。
そう確信した、まさにその瞬間だった。
腹に何かが触れた。
いや、触れたと思った時には、すでに遅かった。
「がはっ!」
凄まじい衝撃が腹部を深く貫き、身体がふわりと宙へ浮かび上がった。
次の瞬間、そのまま地面へ叩きつけられ、背中から激しく衝突する。
骨が軋む音が響き、肺の中の空気が一気に吐き出された。
視界が大きく揺れ、全身を重く鈍い痛みが波のように駆け抜け、喉の奥に血の味が広がっていった。
「アヤさ~ん!」
遠くでエレナの悲鳴が響いた。
……何をされたんだ今?
意識が戻った瞬間、全身を突き刺すような激痛が脊髄を焼き切る勢いで駆け巡った。
「ああああああああああああああああああああああああ!!」
痛みに声が裏返り、喉が裂けそうになる。
身体が言うことをまったく聞かず、俺は地面を何度も転がりながら土を必死に掻きむしることしかできなかった。
口の中に苦い土の味が広がり、指先が土を深く抉る。
息をするのも苦しくて、肺が焼けるような痛みが続いた。
霞む視界の中で、俺の周囲に黄金色の光の柱が幾重にも立ち昇っているのがぼんやりと見えた。
「流石の防御力だな。アウリスの加護か」
「シビさん、大丈夫ですか?」
優しい掌が俺の肩に触れた。
その温もりが、痛みで凍え切っていた身体にじんわりと染み込んでくる。
エレナの柔らかな詠唱が耳に届いた。
「清らなる癒しの光よ、砕かれた身を包み、今ひとたび立つ力を与え給え」
温かな光が俺の全身を優しく包み込んだ。
まるで母親に包まれるような、優しくて懐かしい感覚だった。
「聖癒光」
黄金の光が身体の奥まで浸透し、砕け散りそうだった骨がゆっくりと繋がり、引き裂かれた内臓が一つ一つ修復されていくのがはっきりとわかった。
激しかった痛みが、波が引くようにゆっくりと遠ざかっていった。
「流石はアウリスの愛娘。彼女の身体の骨を砕いたというのに、ここまで修復するとはな」
俺はゆっくりと首を動かし、エレナの方へ顔を向けた。
彼女の額には大粒の汗が浮かび、頬を伝って滴り落ちている。
息も荒く、肩が小刻みに震えていた。
「無事で何よりですわ。防御はわたくしに任せてください」
でも、その微笑みの裏に魔力の消耗がはっきりと見て取れた。
それでも俺を守ろうとしてくれる彼女に、感謝しかなかった。
立ち上がり、再び影と対峙した。
「まさか回避されるとは思わなかった」
「いや、あれは完璧だったよ。慌てて自分の一部を囮にして次元へ逃がしたから助かった。……そうでなければ、もう少し痛い目を見ていたところだ。人間にしては、さすがにやるな」
影は満足げに口元を緩め、薄く嘲るような笑みを浮かべた。
その表情には、明らかに余裕と俺への侮りが滲み出ているのを感じた。
「お前の切り札がザハクだとしたら、がっかりだよ。ザハクは魔族になれなかった者だぞ。魔族である俺が、そんな者で倒されるとでも思ったのか?」
効いていないわけじゃない。
少なくとも、あれだけの攻撃を避けるために自分の一部を囮にして次元へ逃がしたのは事実だ。
それでも決定打にはならなかった。
しかも、こうして奴と対峙しているだけで、気力も魔力もじわじわと削り取られていくような、重苦しい疲労が身体の芯に染みついてくる。
まるで影そのものが俺の存在をゆっくりと蝕んでいるかのような、嫌な感覚だった。
「次の手品は何をする? 深淵の魔法なら効くかもしれないぞ」
「何であんな物を使わせようとするんだよ。異世界の禁断の知識の魔法を」
「使い手は今のところ、お前だけだからな。実際に見れば、何かわかるかもしれない」
言葉の応酬をあざ笑うかのように影の猛攻が絶え間なく押し寄せ、エレナは防御呪文の展開を強いられていた。一撃、また一撃と衝撃を受け止めるたびに額から吹き出した汗が、堰を切ったように頬を伝い落ちていく。
もはや過呼吸気味に激しく上下する両肩は小刻みに震え、限界を迎えた膝がじりじりと崩れそうになるほどに彼女の肉体は急速にすり潰されていた。
それでもエレナは奥歯を強く噛みしめ、頑ななまでに一歩も退こうとはしなかった。
その横顔に浮かぶ苦痛と決意の色が、俺の胸を強く締め付ける。
「あとどのくらい防御が持つ?」
影はさも楽しそうに、からかうような声で訊いてきた。
やはり、あの切り札を使うほかないのだろうか。
深く吸い込んだ冷たい空気が肺を満たし、胸の奥が重く痛むのを感じながら、俺はエレナの方へ手を伸ばした。
汗で濡れた彼女の頬に指先が触れ、しっかりと顔を見つめる。
「まだ何か手があるのか? 見せてみろ」
影の嘲るような視線が、俺とエレナの間に突き刺さる。
「あぁ。一つだけな」
俺は静かに、そう答えた。
空気が張りつめ、次の瞬間がすべてを決めることを、俺ははっきりと感じていた。
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