180話 魔族の元へ
翌日、俺たちは身支度と準備をすべて整えて、館の広い玄関へと向かった。
「その剣を置いて、ここから逃げるつもりはないの?」
静まり返った玄関ホールに、鈴を転がすようなレティの声が響いた。
まさか彼女がわざわざ玄関まで見送りに来ていて、開口一番にそんな極端な事を言うなんて思いもしなかったから、俺は驚きを隠せなかった。
「……は。今からここで、その剣の争奪戦でもやるって言うのか?」
俺は腰のミスリルソードに手をかけ、不敵にレティを見据え返す。
「貴女も本当はわかっているでしょう。今から貴女たちが、向かう場所にいるのは、今まで一度も戦ったことがないレベルの化け物よ。多分、今のままじゃ勝ち目は一切ないわ。なら、今ここで私にその剣を渡して、確実に命だけを救う方法もあるわよ」
レティは冷徹な紫の瞳を細め、淡々と現実の厳しさを突きつけてくる。
「……確かに、それが一番賢い生き残り方かもな。でも断るわ。それに、そんな無駄な説得を本気で聞いてるわけじゃないだろ」
「まぁ。説得したいわけじゃないから、だったらその頑固な貴女に付き合うエレナを、ここに置いていきなさい」
レティの矛先が、今度は俺の隣に立つエレナへと向いた。
「レティさん。それは――っ」
俺が反論の言葉を言うよりも早く、エレナが自分からレティに向かって真っ直ぐに食い下がろうとしていた。
「エレナが、そこに付いていったところで、無駄に死体が二つに増えるだけよ。貴女方がそれを望むのなら、その剣を私に渡せば、二人とも死ぬまでずっとこの安全な館に居ればいいでしょうに」
「いいえ。わたくしはシビさんに付いて行くと心に決めましたから」
エレナは一歩も引かず、凜とした声でレティの提案を拒絶した。
「そう。貴女の意見はよくわかったわ。――シビ、貴女はそんな絶望的な死地へ自ら付いて行こうとする彼女を、本当にただ無駄死にさせるつもりなの?」
レティが俺の良心を責め立てるように、冷たい視線でじっと見つめてくる。
「誰が最初から負けるつもりで行く馬鹿がいるんだよ。俺にだって、奴らをぶちのめす切り札はあるさ」
俺は不敵に笑い、懐の奥にある絶対の切り札の存在を匂わせた。
「無いわ。貴女は魔族の戦力を完全に過小評価しているのよ。エレナの実力は、多く見積もってルナと同じだと仮定しましょう。その場合、私と貴女では、明確に私の方が圧倒的に強いわ」
レティの言葉を聞きながら、俺は内心で冷静に状況を分析していた。
確かに、潜在的な純粋な力差は、レティの言う通りなんだろうな。
エレナとルナの実力差も、きっと彼女の言う通りなんだと思う。
攻撃力特化のルナと、守備力特化のエレナ。ただ戦闘のスタイルが真逆なだけで、本質的な実力は同レベルの強さなんだろう。
武器もどちらも遺物だしな。
だけど、真祖と呼ばれるヴァンパイアになると、もともと持っていた魔力すらも数倍から数十倍にまで跳ね上がるらしい。
そんな規格外のレティが「勝ち目がない」と断言する地下深部の魔族たち。
その戦力は、確かに人間の世界の常識では測れないものなのだろう。
「それでもさ、俺とルナが口喧嘩して、二人が諌めるって言うあのシーンも、これはこれで面白いかもしれないけれどさ。……今までの旅で、かなりの数の人と知り合っちまったからなぁ」
俺は少し視線を落とし、かつて旅で出会った奴らの顔を思い浮かべながら、ぽつりと漏らした。
「貴女、そんな人情家じゃないでしょうに」
レティは呆れたように肩をすくめてみせる。
「それでもさ、もし……もしも、俺が――」
「仇なんて取らないわよ。私にそんな義理なんて全く無いですしね」
レティは冷淡に言葉を遮った。
「そんなこと最初から望んじゃいねえよ。……エレナが、もし、もしもの時に無事だったらさ。その時は、あいつのことを頼むわ」
「ええ。それくらいなら、いいわよ」
「シビさんっ!!」
レティが小さく返事をした直後、俺の隣でエレナが鋭い非難の声を上げていた。
悲しげに、けれど激しく俺を睨みつける彼女の反応を見て、そりゃそうだ、と俺は内心で頭を掻いた。
「もしもの時だって、それに俺は、ちゃんと約束をしただろ? もしどうしようもない絶望的な時は、帰還の呪文を使うって。その約束で、お前はここまで俺に付いてきてるはずだろ。それとも、アウリスの愛娘って言われるほどのお前が、そんな大事な約束を破るのかよ」
「……っ、そういう言い方は、本当に卑怯ですわ。普段はそんな風に私のことを思っていませんのに」
エレナは口をとがらせて、悔しそうに言い返してくる。
「お前が立派な僧侶なのは、ちゃんといつも思っているよ。……死ぬ気はねえよ。俺の命は、もう俺一人の命じゃねえしな。……たく、レティが急に変なこと言うから、変な空気になっちまったじゃねえかよ」
「あら、私のせいにしないで頂ける? エレナも、これっぽっちも気持ちを変える気は無いようね。なら、行きなさい。私はここから見学をするだけよ。貴女がこれから地下の深部で、どれだけ血の舞踏を踊ってみせるのかね」
「フン、特等席でじっと見てるんだな。ひっくり返るくらいびっくりさせてやるよ。……エレナも、心配するな。俺達は絶対に勝つからな」
俺は出来るだけいつも通りの軽薄な調子で笑いながら、隣の彼女に向けて力強い言葉を送った。
「ふふふ……はい。サポートは、全力で致しますわ」
エレナもようやくいつもの優しい微笑みを取り戻してくれた。
「ありがとよ。お前がそう言ってくれるだけで、何倍も勇気が湧くさ。俺の所では、『女性の声援は勝利の女神』って言うしな。俺の知る限り、世界の神話でも、戦神だとか戦いの神っていうのは幾らでも知っているが、勝利の神っていうのは一度も聞いたことが無いしな。女神って言うだろ!」
俺は、励ますように自分の左手を彼女の方へとそっと差し伸べた。
すると、エレナもその意図を汲み取るように、俺の手をぎゅっと力強く握ってくれた。
「んじゃ、お世話になったな、レティ。ルナもな」
「短い間でしたけれど、色々とありがとうございました」
俺達は並んで立ち、館の主人とメイドに向かって深く一礼をした。
レティはそれ以上、もう何も言葉を返さなかった。ただ紫の瞳でじっと俺たちの背中を見つめている。
「……ご武運を」
横に控えていたルナがそう静かに告げて、重厚な玄関の扉を外へと向けて静かに開いてくれた。
「それじゃ、行くか」
「はい!」
俺が満面の笑顔でエレナの方を向いて言うと、彼女も同じく、少しの曇りもない最高の笑顔で答えてくれた。
俺たちは手を繋いだまま、ルナが開いてくれた扉の向こう、魔族の本拠地の深部へと繋がるルートに向かって、力強く一歩を踏み出した。
俺達は、レティに言われた道を通り、暗い通路を先へと進んでいった。
その先にある大きな広間へと足を踏み入れた、まさにその瞬間だった。
広間の中央に、俺たちが来るのを待っていたと言わんばかりに、一人の男がポツンと立っていた。
「確か、影だったか?」
俺はそいつを見据え、冷や汗を隠して声を掛けた。
「久しぶりだな。あの大会以来か? ここに来たのは、わざわざその剣を届けに来てくれたのかい?」
「そうだと思うか?」
「いや、あいつに吸血姫のレティが君に加担しているみたいだからね。一応話し合った結果にしたくてね」
影は冷酷な声を響かせ、こちらの戦力を冷静に値踏みしてくる。
「加担なんかしてねえよ。あいつらはただのオーディエンスだ!」
「オーディエンス? あぁ、またエトランゼ語か」
影が怪訝そうに眉をひそめる。
「そんな大層なもんじゃねえよ。あいつらは観客だ。俺がどうなろうと手は出さないさ」
「そう願いたいね。君達だけならどうとでもなるが、レティとあいつが加わると、流石に俺としても分が悪いからね」
影の言葉が終わるより早く、俺は無言のまま、一気に愛刀のミスリルソードを厳かに引き抜いた。
隣にいるエレナも、無言のままその手にある黄金の錫杖を力強く握り締めている。
俺たちの徹底抗戦の構えを見て、影は顔を隠していた仮面を静かに取り外した。
露わになったのは、燃えるような赤い髪に、酷く整った美しい顔立ち。
だが、その下に光る瞳は、どこまでも冷淡な雰囲気をまとった不気味な紫色の瞳だった。
あのいつも笑顔の少年とは、完全に真逆な性格なのだということが、対峙しているだけで肌にピリピリと手に取るように分かる感じだった。
「人族の支配なんて、あほなことはやめろよ」
俺は剣を構えたまま、言葉を投げかける。
「僕が負けるとでも?」
「あんたら魔族が勝つ可能性は、確かに高いだろうな。だけどさ、支配したって後々疲れるだけだぜ!」
俺は軽口を叩いて話し合いの空気を作りながら、奴の微かな隙を探そうと必死になって五感を研ぎ澄ませていた。
「逆らうやつは倒せばいいだろ」
影が静かにそう呟いた、まさにその刹那だった。
俺は一瞬だけ猛烈な嫌な予感を察知した。
「エレナ、飛べっ!」
俺は隣のエレナの身体を強引に横へと押し出して、自分自身も全力で真横の床へと飛び退いた。
ズガァァァァァンッ!
直後、さっきまで俺がいた場所のさらに奥の方の地面が、凄まじい轟音と共に大爆裂した。
――何をした!?
不可視の遠隔攻撃か?
いや、おかしいだろ! 奴は呪文の詠唱どころか、腕を動かすような何のアクションも一切していなかったんだぞ!
「魔族は、攻撃のアクションをしなくても攻撃は出来る。……そんな相手に、まだ勝つつもりか?」
煙の向こうから、影の冷徹な声が届く。
次の瞬間、肌を刺すピリついた空気感で、俺の直感が再び敵の不可視の追撃を悟った。
「舐めるなよ……っ!」
俺は必死に身体を翻し、自分の左足に向けて夢中でミスリルソードを振り下ろした。
キィィィィィンッ!
暗闇の中で激しい金属音が響き、ミスリルの美しい魔力光が夜を切り裂くように激しく煌めいた。
危ねえ……っ!
もしもエレナと出会ったばかりのころの俺だったら、今の一撃に対応できず、確実に左足の膝から下を失うような致命傷を負っていたよな。
確かに、こいつは格上すぎる。そんなこと、最初から分かり切っていたことだ。
「エレナ、散るぞ!」
挟み撃ちの陣形をとるべく、俺は一気に右方向へと大きく跳躍して展開した。
呼応するように、エレナも黄金の錫杖を構えたまま、素早く左方向へと滑るように展開した。
「絶望的な力差を教えてやろう。きっと貴様は気持ちよくその剣を俺に献上すると思うぞ」
広い広間の中央にそびえ立つ奴は、冷淡な紫の瞳をうっすらと細め、こちらの戦意を心の底からあざ笑うようにそう言い放った。
「やれるものならやってみろよ!」
俺は、いつもの奇襲攻撃を完全にやめた。
覚悟を決め、左の手のひらを真っ直ぐに相手へと向け、持てる魔力を一気に込めて力ある言葉を鋭く発した。
俺の「爆裂」という叫びと、あらかじめ左側に素早く展開していたエレナが放った「神聖の矢」という凛とした鋭い声が、広間にまったく同時に響き渡った。
ドガァァァァァンッ。
激しい爆風が荒れ狂い、エレナの黄金の錫杖から放たれたまばゆい神聖の矢が数本、激しい煙を強引に切り裂きながら猛烈な速度で影めがけて一直線に飛んでいった。
だが、奴は避ける素振りどころか、防御の魔法障壁を展開するアクションすら何もしていなかった。
押し寄せる爆炎と無数の神聖の矢を、ただその場に平然と突っ立ったままで、その異形の肉体一つでまともに受け止めていたのだ。
「ホコリを出すだけの呪文とかか弱い光の矢の呪文か。これで何とかなるとでも?」
もうもうと立ち込める不気味な煙の向こうから傷一つない姿の影が退屈そうにゆっくりと歩み出てくる。
「……嘘だろ、マジかよ」
俺の放った持てる魔力を叩き込んだ爆裂も、エレナの放った神聖の矢も、こいつにとっては服についたわずかなホコリを払う程度の衝撃にすらなっていなかった。
牽制にすら、目くらましにすら何一つならないという、現実を、俺は真正面から目の当たりにした。
身体の奥から冷や汗がどっと吹き出していた。
今まで戦ってきたどんな化け物とも、存在の次元が決定的に違っている。
これはザハクより強いと完全に身をもって知った。
勝ち目の薄い死闘が、今まさに始まったんだという戦慄を、俺は張り詰めた空気の中で身に沁みて深く感じていた。
「転生したら美少女冒険者に! ~おっさんの心が旅立つ異世界冒険記~」をお楽しみいただけましたか?
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