179話 エレナとの会話
部屋に入ると、木製の机の上にワインのボトルとグラスが二つ並んで置いてあった。
多分、俺たちが二人で話し合いをするだろうと察して、あのメイドのルナが気を効かせて用意してくれたんだろう。
とりあえず俺は、ずっしりと重い自分の手荷物を床へと下ろした。
それから、この館にある久しぶりのお風呂をありがたく借りて、泥と血にまみれた身体を綺麗さっぱり洗い流してから、ようやくテーブルの前の椅子に腰掛けた。
「シビさん、本当にお疲れ様でした」
エレナは優しく微笑みながら、机の上のグラスにワインをトトトと注いでくれた。
「エレナもね。……えっと……」
俺はグラスを受け取りながら、言葉を濁した。
さて、どうやって切り出そうか。
あまりに聞きたいことが多すぎて、ぶしつけに問い詰めるのも気が引けてしまう。
「そうですわね。私がここへ来るまでのことをお話ししますわ」
俺の迷いを察したのか、エレナはこれまでの経緯を丁寧に教えてくれた。
あの戦いの最中、強制転送に捕らわれてしまった彼女だったが、咄嗟に転送解除の呪文を唱えたらしい。
その結果、空間のねじれが生じて、あの地下洞窟の場所にポツンと降り立ったのだという。
「その後は、シビさんが私に渡してくださったあのアイテムを使用して、香水の匂いを頼りにここへたどり着きましたの」
「なるほど、それでルナと遭遇したわけか。……でも、その後でいきなり戦ったって、あいつはやっぱり脳筋でしかないだろ。あのメイド、マジでヤバいだろうが」
俺は呆れたように首を振った。
だが、エレナの口から語られた事実は、俺の予想を遥かに超えていた。
「でも、あのメイド、本当に僧侶だったのか?」
「ええ。アルディア様の僧侶ですわよ」
てっきり純粋な戦士か暗殺者の類だと思っていたから、俺は心底驚いた。
僧侶のくせにあんな物騒な黄金の大鎌を使うなんて、てっきり変革神と言われているヴァルグの信徒かと思った。
ヴァルグは基本人間の世界では嫌われているけれど、片目が闇で、もう片方は光の眼を持っていると言われている破壊と創造の神だ。
もしくは、シンプルに破壊の神ノクシアの信徒かと思ったら、まさかの至高神アルディアの加護持ちなんて意外すぎただろ。
至高神アルディアって、確か教義はどうなっていたっけか?
アンデッドとか、そういう魔に属する者は問答無用で現世から完全に排除する、っていう教えじゃなかったっけ?
「……ますますわけが分からなくなってきたな」
俺は琥珀色のワインを一口含み、果てしなく広がる地下世界の矛盾に、深く眉を顰めた。
あのエントランスホールでは、半透明の幽霊メイドたちが平然と床を掃除していたんだぞ。
アルディアの敬虔な僧侶が、そんな魔の存在と共存しているなんて、どう考えても信仰の矛盾が酷すぎるだろ。
「あれ。それに、レティって真祖だろ?」
俺はワイングラスを傾けながら、ふと思いついた疑問を口にした。
「ア……シビさん、真祖ってなんですの?」
エレナは不思議そうに首を傾げ、丸い瞳をこちらに向けた。
「レティって、ヴァンパイアじゃないのか?」
「そうですが……、えっと、真祖というのは?」
俺も前世の知識やこちらの世界での感覚でそう思っただけで、本物のヴァンパイアなんて見たことはない。
だが、あのレティという女主人からは、間違いなくその手の気配を感じ取っていた。
「あぁ。高等な魔術師や僧侶は、死を逃れるためにアンデッドになる事があるそうだ。真祖は、部下となる同族のアンデッドを増やすことから、祖になるものという事で、真祖というらしいぞ」
「魔術師の世界では、そのように言われているのですね」
エレナは感心したように相槌を打ってくれた。
「僧侶は違うのか?」
「基本的には殲滅をしないといけませんけど、一応『オリジナル』という風には区別をしておりますわ」
「そうなんだ。でも、エレナ的にもアウリスの教えに従えば、レティは倒すべき存在じゃないのか?」
俺がそう問い詰めると、エレナは困ったように眉を下げた。
「そうなんですが……、至高神アルディア様の加護を強く受けておりますレティさんが、何もしておりませんので」
「信頼してるんだな」
「信頼というか、もし悪しきものでしたら、彼女の持っている神具『金煌の葬鎌』が彼女への援助をいたしませんわ。特にアルディア様は、アンデッドとかは嫌悪しておりますし」
「なるほどね。最初見た時、彼女の軍門に降ったと思って驚いたよ」
俺はホッと胸を撫で下ろした。
もしエレナが洗脳でもされていたらどうしようかと、本当にヒヤヒヤしていたんだ。
「わたくしも驚きましたわ」
「なにが?」
俺がワインを口に含むと、エレナはジト目で俺を真っ直ぐに見つめてきた。
「いきなりの、あのキスシーンは」
ブッ、と俺はワインを吹き出しそうになった。
何でキスシーンを……そっか、エレナもずっとレティの不可視の眼を通して、俺の戦いを一緒に見ていたということなのか。
レティのあの覗き見の魔力は、魔法と違って他人にもリアルタイムで見せられるのか。
そう考えると、やはり人間の魔法とは次元が違うし、あの女主人がどれほど強力なのかがよく分かる。
――いや、じゃなくて、キスシーンって。
「あれはだな、えっと、違くて……」
俺の口から出たのは、なんだこの中学生みたいな説明は、という情けない言葉だった。
まるで浮気がばれたアホな男みたいな言い訳になっているじゃないか。
「すみません。どういう事情か分かりませんが、何かあったのですわよね」
エレナはクスリと意地悪に微笑み、ワイングラスに視線を落とした。
「知っていて言うなんて、本当にお前、意地が悪くなったよな」
俺は顔が赤くなるのを自覚しながら、そっぽを向いて残りのワインを一気に煽った。
「流石にタイミングの問題だと思いますけれど、ちょうどキスシーンだったのですわ。……その後のシビさんの慟哭と、お相手の方の不幸な最期を見て、なんとなく事情は把握いたしました。あの場に、もし私が居れば、って何度も思いました」
エレナは悲しげに目を伏せ、ワイングラスをそっと見つめた。
「いつも思っていたけれどさぁ。エレナが居ないと、俺の旅は、かなりヤバいシーンばかりだったんだ。お前がいてくれたらって、今まで何度も何度も思っていたよ」
「まぁ……。それだけのつもりで、わたくしを探してくださっておりましたの?」
エレナが少し顔を上げ、いたずらっぽく視線を投げかけてくる。
「なんか、今日は本当に意地悪だよな。そうじゃなくて、お前は俺にとって大切な仲間だからさ」
危ねえ、一瞬だけ、本気で告白をしそうになった。
だけど、この先へ進めば、この城の奥にいる魔族たちとの命懸けの戦いが待っているんだ。
ここでそんな告白を口にしたら、完全に死亡フラグになってしまう。
ここまで必死に死線を越えて来て、最後にバッドエンドなんて嫌すぎるからな。俺は内心で冷や汗をかいた。
「いじわるでしょうか? 普段通りだと思いますけれど」
「初めて会った時と比べて、お前、ずいぶん変わったと思うけどな」
「もし変わったと思うのでしたら、シビさんと一緒に旅をして、色々と考えることが増えたからかもしれませんわ」
「たぶんさ」
「はい」
二人の間に、どこか心地よい沈黙が流れるのを感じた。
俺はワインを一口含むと、昔の出来事を思い返して口を開いた。
「……俺達が、最初に喧嘩した事を覚えてるか?」
「あの遺跡の後のお話ですの? どうして教会を信じてくださいませんの、って言っていた、あのお話ですか?」
「あぁ、それ。今だったら、きっとあんなふうな不毛な話にはならないと思うんだよな」
「言いたいことはわかりますが……それでも、アウリス様の教会は信じて欲しいですわ」
「そりゃそうだ」
俺はそれを聞いて、思わず少し笑ってしまった。
信じて欲しいか。そりゃそうだ。
アウリスを敬虔に信仰しているエレナが、「信じなくていいですわ」なんて言うはずが無いんだからな。
それでも、俺の言いたいことの本質は、彼女もちゃんと分かっているとは思う。
「ですが、シビさんの言いたいことも分かりますわ。人がおこなっている以上、そこには何かしらの思惑が動く可能性がある、ということですよね」
「まあな。特に、あの施設にあった知識は、深淵並みに危険だと俺は思っているんだ」
遺伝子操作や、科学技術に魔法を複合させたものなんて、どう考えても危険極まりない代物だった。
多分、魔族たちが使っているあの魔紋も、当時のその時代に生まれた禁忌の知識だとは思うんだけどな。
残念ながら、詳しい事まではあの施設にあった書類には、書いてなかったんだよな。
だけど、かつて闘技祭で出てきたあのガイアは、間違いなくこの遺跡にあった技術の一つだった。
人と魔物を人為的に組み合わせた、あの恐るべき合成獣の技術。
それを魔族たちが最初から知っていたという事なのかは、今の所よくわからない。
ザハクと同じように、その当時の研究対象になった者がいるとなると、知っていてもおかしくはないんだよな。
そう言えば、俺があれこれと深く考えを巡らせているときって、エレナはいつも静かに待っていてくれるよな。
俺はふと、目の前に座る彼女へ視線を戻して声をかけた。
「エレナ」
「どうかいたしましたか?」
首を少し傾げ、エレナが穏やかな瞳をこちらに向けてくる。
「なんで俺が一人で考えてるときは静かにしていて、俺の意見を基本尊重しているんだ?」
「わたくしは貴女に付いて行くと決めたからですよ。なので、基本どのように動くかは、シビさんの判断に従おうと思っております。……まぁ、納得いかない時は、きちんと意見を伝えていると思いますけれど」
「確かにそうだよな」
苦笑交じりに頷いた、その時だった。
俺は、エレナの目の前にあるワイングラスのすぐ隣に、一冊の古びた本が置かれていることにそこで気づいた。
「そういえば、その本は?」
「先ほどレティさんがおっしゃっていた、異邦者の本ですわ」
「読んでもいいか?」
「もちろんですわ。そのために、最初からここに出しておりましたもの」
エレナが静かに本を差し出してくれたので、俺はその頁をめくった。
読み進めていくうちに、俺の胸の中には少しだけ驚きが広がっていく。
内容はなんだか哲学書っぽい小難しい感じの本だった。
神々のマリオネットとか書いてあった!
神に選ばれてこの世界へ転生させられた俺たちの境遇を思えば、まさにその通りかもしれないな。
実際、俺が転生した時は、その恩恵として四つほど特典を貰った。
確かに、もらった特典の内容によっては、世界そのものを簡単に崩してしまうような凶悪なものになるかもしれないよな。
例えば「世界最強の存在にしてくれ」とか、「全世界の資産を合わせたほどのお金持ちにしてくれ」とか、「出会った誰でも洗脳できる能力」とか、色々と悪どい事は幾らでも出来るんだろうな。
確かに色々とチートな特典は得られるかもしれない。
だけど、技の練度に関しては、転生直後はある程度しか得られないんだ。
結局のところ、それを実戦でどう活かすかは自分の技量や努力に左右されるんだけどな。
――まぁ、それは俺だけであり、他の転生者はまた全然違うかもしれないけれど。
ここにある神々とあるように、一人の神が転生させるのではなくて、色々な神が転生させて、趣旨も変わるかもしれない。
もしかしたら、俺たちは本当に神々が気まぐれに遊ぶボードゲームの駒なのかもしれないが……。
まぁ、そんな大それた事をここで一人で考えていても、今の俺にはどうしようもないしな。
俺は本から視線を上げ、エレナを見つめた。
「……これを読んで、お前はどう思ったんだ?」
「まずは、シビさんの意見を貰ってもよろしいですの?」
「そうだな。俺からすれば、ただの哲学の分野でしかないな、って印象だ。誰でも一度くらいは思う事だろ? もしこんな能力があったらどうなるのだろうって考えたりな。……もしそれを与えてくれる神が本当にいるとしたら、今度は『自分一人だけなのか?』って疑問が湧く。もしかしたら複数の神々が、それぞれ選んだ人に能力を渡して競わせてみたらって思ったら、今度はそれこそ神々のゲームになるんじゃないのかって思うんだけどな」
俺の言葉をじっと聞いていたエレナが、ワイングラスを見つめたまま、静かに口を開いた。
「もしかしたらわたくしは……これは、シビさんの事かと思いましたけど」
「……俺が、特殊だからか?」
ドクン、と心臓が跳ねるのを隠し、俺は努めて冷静に聞き返した。
「それもありますが、たまにシビさんは前世とかいう不思議な事を口にされることもありましたし……、アーサーさんの事も考えたら、そう思っただけですわ」
「もし、俺にそんな神にも悪魔にもなれる力があるんだったら、今頃こんなにダウンなんかしてねえよ。何でこんな骨が折れる苦労をしないといけないんだよ」
俺は自虐気味に笑って肩をすくめてみせる。
「そうですわね。言われてみれば……」
「だろ? 俺の場合は、ここよりはるか東方の地域出身だからさ、文化とかが少し違うだけなんだよ」
「なら……アーサーさんは?」
「それは、わからんな」
エレナは寂しげに瞳を揺らし、じっと俺を見つめてきた。
「言うつもりは無いということですわね。わたくしは、そこまで信用できないというわけですか?」
「エレナほど、信用できる奴なんて世界中にいないよ。それは本当だ」
俺は彼女の真っ直ぐな視線を正面から受け止め、真摯に言葉を返した。
「でも……俺の事は、もう少しだけ待っていて欲しい。いつか必ず、全部話すからな」
「……わかりましたわ」
エレナはそれ以上追及せず、いつもの優しい笑顔を浮かべて、うんと小さく頷いてくれた。
俺を信じてくれているからこその気遣いなのだろう。
手元にある『異邦者』の本を見つめる。
まさしくこの本に書かれていることは、俺達のことを言っているんだろうな。
色々な神が特典を渡して人を送り込んでいるのだとしたら、多分、俺はその存在の中では最弱の部類なんだろう。
俺が最強の能力を選ばなかったからだ。
じゃあ俺が弱いかといえば、この世界の常識から見ればチート級に強いのだろう。
ただし、それはあくまでも「人間レベルでは」というランクでの話だ。
本来なら、あの少年の魔族のような奴らに喧嘩を売るレベルじゃない。
「でも、ここまで来たからには仕方ないよな。」
俺は本を閉じ、もう一度彼女の顔を見た。
「本当にごめん」
今度は、誤魔化すのではなく深くエレナに謝った。
「いえ、構いませんわ。わたくしもはぐらかしていることもありますのでお互い様ですわ。もしお話してもいいと思われましたら、わたくしもシビさんの聞きたいことを包み隠さずお話しますわ。それまでお待ちします」
エレナは優しく微笑んで、俺の頑固さを受け入れてくれた。
「ありがとう」
俺はエレナに感謝しかできない。
こんなに出来た相棒は他にはいない。
夜はまだ長かった。遅くなってしまったが、俺の方もエレナと別れた後の話を全部話した。
あのセルヴィーナの事、ダンジョンの話、そしてヴァルさんの最期。すべてを打ち明けた。
実際はセルヴィーナの話以外は全部知っていたみたいだった。
色々な事がありすぎたが、一応、今日はここでぐっすり休んで、明日にはここを離れることだけは二人で決めた。
話が終わり、俺は一人で考え込む。
魔族に勝てる切り札は一つあるけれど、正直、あまり使いたくないんだよな。
だが、この切り札なら、多分あの底知れない少年にも通じるはずだ。
これから戦う相手は、そこまでの相手ではないことを祈りつつ。
信仰心が無い俺が祈っても仕方ないよな
俺は小さく呟き、自分に充てられたベッドに向かった。
横になると同時に、ボロボロの身体が泥のような眠りを求めてくる。
俺はゆっくりと目を閉じ、意識を預けて深く休んだ。
「転生したら美少女冒険者に! ~おっさんの心が旅立つ異世界冒険記~」をお楽しみいただけましたか?
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