178話 相互理解の為のお話合い
ちょっと待てよ。
なんでエレナがそこに、当たり前みたいな顔をして並んで立っているんだ。
それに、二階の踊り場からこちらを見下ろしているあの女主人の魔力は、一体何なんだ。
見た目は綺麗な人間に見える。
だが、本能が何か決定的に違うと告げていた。
かと言って、もしも彼女が本物の魔族なのだとしたら、なおさら何でエレナが平然とそこにいるのかが全く分からん。
「ルナ。私は確かに出迎えなさいとは言いましたけれど、戦えとは言っていませんわよ。それに、あなたがせっかく綺麗に修繕していたこのお部屋、まだコーティングをしていないからボロボロになってしまっているでしょう。全くもう!」
赤髪の女主人は呆れたようにため息を吐き、隣のメイドに視線を向けた。
――なるほど、この物騒な大鎌を振り回す銀髪のメイドは、ルナという名前なのか。
「アヤ……いいえ、シビさん。何でいきなり戦っていますの?」
エレナが困惑した表情で、大階段の上から俺の名前を呼ぶ。
凛とした二人の女性からの冷ややかな叱責が、真紅のホールに響く。
その場のあまりに奇妙な空気感に流され、俺とルナと言われたメイドの二人は、気づけば二階の踊り場にいる彼女たちへ向かって、同時に「ごめんなさい」と小さく頭を下げて謝ってしまっていた。
――って、おい。
「違うだろうが……っ!!」
俺はハッと我に返り、床を思いきり踏みつけて正気を取り戻すと、二階の踊り場にいるエレナへ向かって怒鳴り散らした。
「何で捕らわれているはずのお前が、そんな場所にピンピンして立ってんだよ! 俺だって最初から戦うつもりなんて無かったよ! だけどな、そこのメイドがさ、いきなり先に手を出してきたんだよ!」
俺がルナを指さして抗議すると、ルナは黄金の大鎌を消し、冷たく澄み切った瞳のまま平然と言い放った。
「言わせていただきますが、貴女がこちらに向かってずっと不穏な殺気を放っているのが問題だと思いますけれど。それとも、あなたの生まれてきた世界の常識では、初対面の人に会ったときは、まず殺気を放つのが正式な作法なのですか? それなら、私の知識不足ということで謝りますけれど」
「そんなトチ狂ったマナーがあるわけねえだろうが! ここは魔物の住処なんだぞ! いつどこから襲われてもいいように、全力で警戒するのは冒険者として当たり前だろうが!」
「まぁ。ああ言えばこう言いますのね。育ちの良さが本当によく分かりますわ」
ルナは表情一つ変えず、感情の起伏を一切見せない淡々とした口調で煽ってくる。
ロボットみたいに冷徹に言われるのが、なんとなく余計にムカついてくるな。
「……二人とも、いい加減にしなさい」
赤髪の女主人が、今度は少し声音を低くして制する。
「シビさんも、そこまでにしてください」
エレナからもジト目で釘を刺された。
「……すいませんでした」
そして、俺とルナはまたしても二人揃って、ぺこりと頭を下げて謝ってしまった。
――クソ、なんなんだよこの空気は。
一体全体、どういう状況だ。
セルヴィーナとの悲しい別れ、激しい頭痛や吐き気に耐え、あの赤いオオカミや消える床を乗り越え、ボロボロになりながらカインと命懸けの死闘を演じて――そうして、俺が必死になってエレナを探してたの、もしかして、ただのバカじゃないのか?
急激に疲れが押し寄せてきて、俺はその場にへたり込みそうになった。
「二階の客間にご案内するわ。ルナもお客様に紅茶でも注いであげて」
大階段の上から、赤髪の女主人――レティが優雅な仕草で手を差し伸べた。
「了解しました、お嬢様」
ルナと呼ばれたメイドが深く一礼していた。
「どうぞ、こちらへ」
エレナが微笑みながら、俺を促した。
俺は言葉を失ったまま、無言で二階へと階段を上った。
階段を上りきると、エレナがすぐ傍で待っていてくれた。
「ご無事で何よりですわ」
ほっとしたようなエレナの笑顔を見て、俺の張り詰めていた心もやっと落ち着いてきた。
彼女のまっすぐな瞳を見た瞬間、別に洗脳されているわけでもないことがはっきりと分かった。
だが、それでも全く状況が理解できていなかった。
「レティさんを待たせるのも良くないですわ。向こうでお話しいたしましょう」
「そうだな」
俺は少しだけ息を吐いて、エレナの後ろについて部屋へと向かった。
案内された部屋の扉が開くと、中は綺麗な赤を基調に整えられた大きな部屋だった。
俺は勧められた上質な椅子に腰を下ろした。
包み込まれるような座り心地のいい椅子で、なんか久しぶりに身体が芯からリラックス出来る感じがした。
「俺の名前はアヤという。仲間を保護してくれたみたいで感謝するよ」
俺は向かいに座るレティを見据えて、そう切り出した。
状況から見て、多分保護なんだよな。
たぶんだけど。そうでなければ、エレナがこんなにリラックスしているはずが無い。
「私の名はレティよ。メイドが悪い事をしたわね」
「こちらこそ、部屋を黒焦げにしちまった」
俺がバツが悪そうに言うと、レティはクスリと笑った。
「修繕するのはルナよ。お互いがまた戦わないように、ルナも交えて少しお話をしたいのだけどいかが?」
「それはいい案だと思う」
俺は一度エレナの方へ視線を向けた。彼女もうんと頷いて同意してくれる。
そこから、俺達四人は一晩中話し合った。
「そして……その剣が、あいつらが狙っているものなのね」
レティが俺の腰のミスリルソードに視線を落とし、静かに核心を突いてきた。
「あぁ。俺は魔物の紋章も消したいと思っている」
「でも、魔族に紋章は無いわよ」
レティが何でもないことのようにそう言ってきて、俺は激しい驚愕に襲われた。
たしか、あの少年が言うには、ザハクのことを『魔族になり切れなかった龍君』といった。俺はてっきり、魔族とは魔紋をフルスペックで使用できる究極の存在だと思い込んでいた。
紋章が無いとは、一体どういうことなんだ?
「この剣を渡したらどうなるかわからないし、俺の愛剣だからはいそうですかって渡せないしな」
俺は驚きを噛み殺しながら、自分の意志をはっきりと告げた。
「死ぬかもしれないのに? 渡さないの?」
レティが心底不思議そうに、紫の瞳を細めて訊いてきた。
「渡しても、遅かれ早かれ攻撃されて死ぬ可能性が高いだろう? しかも、これを渡したら魔紋の完全体が近いとか奴らは言っているんだ。そんなのシャレにならんだろ。だったらまだ不完全な今のうちに戦った方が良いさ」
「人数差がありすぎると思いますが」
横に控えていたルナが、感情の消えた声でそう鋭く切り返してきた。
「かと言って、ただ強いだけの連中相手だったら、無駄死にするのもわかるから仕方ないんよ。――ルナさんぐらいの実力があれば、仲間に来てほしいけどな」
俺はルナの方を見てそう言ってみたのだが、彼女の顔色は何も変わっていなかった。
「無理ですね」
「無理?」
「わたしはお嬢様のそばを離れるつもりはない。だからわたしの勧誘は無理だと言ったんです」
ルナの揺るぎない拒絶に、俺は思わず肩をすくめる。
「なら、お嬢様が手助けすると言ったら?」
「それなら……」
ルナは言葉を濁し、隣に座るレティの方をじっと見ていた。
お嬢様の命令とあれば、この最強のメイドも動くということか。
「私は、エレナにも伝えたけれど、手伝うつもりはないわ。エレナを助けたのもただの気まぐれよ」
レティは長い赤髪を揺らし、上品に首を横に振った。
「あいつと同じというのは嫌いだけど、私もあなたを観ていたいと思ったの。あなた異邦人でしょ?」
「エトランゼ? そんなものは知らないが」
俺は素っ気なく返したが、レティの言ったその言葉には、確かに聞き覚えがあった。
どこかで聞いたことがあるんだけどな。どうしても思い出せない。
「俺がここで死んだら、あんたの言う観察も意味が無いと思うんだけど?」
「そうだったら、神にも悪魔にもなれる存在というのが間違ってただけよ。詳細はエレナに渡した本を読んでみたらわかるわ」
レティの口から出た「神にも悪魔にもなれる存在」という言葉に、背筋が冷たくなる。
どこかの漫画のサブタイトルにもなれそうだよな。
「シビさん。ここへ来た時に、私、図書館に迷ってしまいまして、この本を読んでしまいました。そうしたら、レティさんにいただきましたわ」
エレナがそう言って、大切そうに抱えていた古びた本を俺に渡してくれた。
こんな本が、俺たちの運命の手がかりになるってわけか。
「……ありがとな、エレナ。あまりここに長居しても、これ以上迷惑をかけたくないしな。レティ、あんたがよければ、今日だけ、ここで休ませてもらってもいいか?」
体内の骨の痛みと魔力の枯渇は、いまだに限界寸前だ。
「部屋は余っているから、後でルナに案内させるわ」
レティは優雅に微笑み、俺の申し出を快く受け入れてくれた。
ルナは静かに頷き、この部屋を出ていった。
多分、俺たちのための部屋を用意しに行ってくれるのだろう。
「そういえば、部屋は一緒の方がよかったかしら?」
レティが妖艶な紫の瞳を細め、いたずらっぽく俺の方を見てきやがった。
「別に、別でいいよ」
俺がぶっきらぼうに突っぱねると、レティはクスリと可憐に微笑んだ。
「そお。でも、二人でゆっくり話したいと思って、客間の隣に寝室があるタイプにしておいたから安心して」
その配慮に心の中で感謝しつつも、俺は、うっとうしいこれを指摘してみた。
「……なぁ。不可視の眼を、いい加減解いてくれないか?」
「あら、気づいてた?」
レティは驚いたように、けれどどこか楽しそうに声を弾ませる。
「一つはここに着いた瞬間に消えた。そして、もう一つもどこにあるかは正確にはわからないけど、どこかにずっと残ってるよな?」
「ふふ、優秀なこと。一つは、ここの魔族の物でね。貴女がこの空間に入って来た時に、消えたみたいね。今は私が視ているのだけれど……まさか気づかれるとは思わなかったわよ」
「こういう視線に気づかないと、いつ寝首をかかれるかわからないからな。死活問題なんだよ」
「そうね。あなたの言う通りだわ」
レティは納得したように頷き、ようやくその不気味な覗き見の魔力を完全に解いてくれた。
そうして、張り詰めた空気の中での話し合いもようやく終わりを迎えた。
その後はルナが用意してくれた豪華できちんとした料理をありがたくいただき、俺たちは案内された部屋へと向かった。




