177話 彼女を求めて突き進む
この場所に降り立った瞬間に、淡い花のような香りがほのかに立ち上った。
「……っ、この匂い、まさか――」
間違いない。これは以前、イザベラから材料を買い取って作った、あの自家製の香水の香りだ。
特に名前は付けていない。だけど、もしも離れ離れになってしまったらこれを使ってくれと、俺がエレナに手渡しておいた物だった。
その匂いを嗅いだ瞬間、俺は大事なことを思い出した。
そう言えば、俺はエレナにいくつかアイテムを渡しているはずだ。最初からそれを使って場所を探知し、直接迎えに行けばよかったのではないだろうか。
「……いや、待てよ。それじゃこれまでの行動は、全くの無駄だったってことか?」
我ながらあまりのマヌケさに愕然としそうになる。
だが、俺はすぐに頭を振ってその考えを打ち消した。
無駄なんかじゃない。あの山道で、ヴァルさんとサシであのような最期の時間を過ごすことが出来たんだ。
もしもエレナが最初から一緒にいたら、きっとあんな風に深く語り合うことは出来なかっただろう。
そう思うと、あの過酷な回り道も、俺にとっては絶対に必要だったのかもしれないな。
俺は気持ちを切り替えると、ミスリルソードを手に薄暗い通路を先へと進んだ。
通路はほどなくして、複雑に枝分かれした十字路へと突き当たる。
どこへ進むべきか周囲を警戒していると、ふと東側の壁に、見覚えのある小さなシールが貼ってあることに気づいた。
「ちゃんと伝えたように、目印を残しているね」
俺にしか分からないあの香水の匂いも、確かにこの東側の通路の奥から微かに流れてきている。こちらに進んで間違いはなさそうだ。
東の通路を進み、その先で息を呑んだ。
目の前に、とてつもなく広大な大空洞が広がっていたのだ。
周囲の壁や天井は、四角く綺麗に整えられている。人工的な灰色の素材で作り上げられた、巨大な部屋とでも言うべき空間だろうか。
その大きさときたら、成長した大人のドラゴンであっても軽く中に入れるくらいの、圧倒的なスケール感だった。
しかも、おかしなことに周囲の構造は完全に人工物だというのに、地面だけは剥き出しの自然な土で出来ている。
その土で出来た小高い丘の上に、三階建てほどの館――いや、館というよりは、どこか不気味な佇まいをした小さな城、といった感じの建造物がひっそりとそびえ立っていた。
気配はあそこから流れているよな。
行くしかないんだよな。
城の方に近づくにつれて、石壁はあちこちが少し崩れているのが見えた。
全体的に少し寂れた感じがする。
だけど、あの城の奥からは、空気そのものが震えるような異様な力の流れを感じるな。
「……はぁ。休んだとはいえ、化け物クラスとの戦いの連チャンかよ」
モンスターの本拠地だから仕方ないとはいえ、このプレッシャーはさすがにきつい。
こんな場所に囚われているエレナは、本当に大丈夫なのか。
それにしても、これってあれだよな。普通に考えたら、もしホラー映画みたいな展開だったらマジで嫌だなぁ。
特に東洋系のジワジワくるホラーだったら絶対に勘弁してほしい。
まだ分かりやすい西洋風のホラーならマシなんだけど。
そんな無駄なことを頭の中で思いつつ、俺は警戒を怠らずに館の方へ歩き出した。
さらに近づいて分かったことだけど、この館の外壁は、全面が特殊な魔法でコーティングされている。
わざと少し老朽化させて、古びたように見せかけているって感じなのか?
わざわざそんな面倒なことをして、一体何の意味があるというんだ。
正面にたどり着くと、重々しい黒檀の両開き扉が俺の前に立ちはだかった。
その中央には、人の頭ほどもある大きく丸いドアノブが、鈍い銀の光を放っている。
ただの銀ではなく、これには希少なミスリル銀が使用されていた。
そのドアノブの表面には、精緻な彫刻が施されている。
この一族の家紋なのだろうか。大輪のバラが、立体的につややかに浮き彫りにされていた。
その美しい輝きは、ミスリルそのものの性質のおかげなのか。
それとも外壁と同じように魔法でコーティングされているせいなのかはわからない。
だけど、ここだけは他の石壁と違って、錆びてもボロボロでもなかった。
「……ふぅ。見てわかるのは、これくらいか」
俺は一度小さく息を吐き、周囲の気配の変化に気付いた。
この空間に足を踏み入れた瞬間から、ずっと俺にまとわりついていた不可視の眼の視線のうち、一個が完全に消えていたんだ。
これによって考えられる可能性は、二つある。
まず一つは、その視線の主がこの城の主人だった場合だ。
目の前まで来たから、直接出迎えるために遠隔の覗き見をやめたのかもしれない。
そしてもう一つは、ここがモンスターの本拠地だからこその理由だ。
この広範囲な山脈全域を舞台にして、魔物たちの間でも人間みたいに明確な『領土』が存在していた場合だな。
別の領地に入ったから、前のエリアの見張りの視線が外れたってわけだ。
だが、もしもさっきまで見つめていた相手がここの城主だったなら、今さらコソコソと潜入したところで全く意味はないわな。
「……よし。だったら、正面から堂々と行ってやるよ」
俺は隠密での潜入をあきらめた。
その重厚なドアに手を伸ばし、大きなドアノッカーを二回ほど力強く叩く。
手を放すと、まるで俺が来るのを待っていたかのように、重厚な玄関扉が軋んだ音を立ててゆっくりと内側へ開いていった。
開かれた重厚な扉の向こう、そこに広がっていたのは真紅を中心とした豪奢なエントランスホールだった。
天井は遥か高く、見上げるほどの空間が広がっている。
そこから巨大なシャンデリアがいくつも鎖で吊り下がり、館の内部へと薄暗い赤い光をぼんやりと落としていた。
その光はまるで血のように濁っている。
よく見れば、シャンデリア自体は埃と蜘蛛の巣にまみれていて、それが光を遮りながら不気味に揺れていた。
だが、そんな天井とは対照的に、床には一分の汚れもない深紅の絨毯がどこまでも美しく敷き詰められていた。
「……外はあれだけ廃墟みたいな感じだったのに、中はすごく綺麗だな」
このふかふかの絨毯の上なら、今すぐにでも横になって休みたくなるくらいだ。
俺はゆっくりと歩を進めながら、ホールの左右へと視線を走らせた。
両側の壁には金箔がふんだんにあしらわれた豪奢な装飾があり、その間を埋めるように巨大な肖像画がずらりと等間隔で並んでいた。
描かれているのは、燃えるような赤い髪に、妖艶な紫の瞳を持った一人の美しい女性だ。
多分ここの主人は彼女なのかもしれない。
正面の奥へと続く大階段にも、あの鮮やかな赤い絨毯が上階へとスラっと吸い込まれるように敷かれていた。
その階段の踊り場には、なぜか姿見のような大きな鏡がいくつも不気味に並んでいる。
ただでさえ異様な光景だったが、ホールの周囲を観察していた俺の目は、さらに異常な存在を捉えた。
そこにいたのは、向こう側の景色が透けて見える、半透明の女性たちが複数人。
「……おいおい、マジかよ」
思わず声を漏らしそうになる。
古びたメイド服を着た彼女たちは、床にこびりついた黒い染みを、虚ろな様子で何度も何度も熱心に拭き続けていた。
外壁の魔法コーティングといい、このホールの異常な清潔さといい、どうやらこの幽霊のメイドたちが毎日休まずに綺麗にしているのかもしれなかった。
こうしたアンデッドをただの労働力としてこのように使っているのだとすれば、術者は限られている。
知性を持った上位のアンデッドか、あるいは死霊術師が相場と決まっているんだけどな。
俺はミスリルソードをいつでも抜けるように構えながら、幽霊メイドたちの間を通り抜け、奥の大階段へと一歩を踏み出した。
俺がそのように周囲の観察をしていると、二階の奥からコツン、コツンと規則正しい足音が響いてきた。
一人の女性が、大階段をゆっくりと降りてくる。
長く美しい銀色の髪は、後ろで丁寧にまとめられていた。
わずかな前髪がその額に綺麗にかかっているのが、彼女のチャームポイントなのかもしれないな。
だが、それ以上に目を引いたのは、その双眸だった。
どうやったら、あそこまで、冷たく澄み切り、感情の揺らぎを一切見せない瞳が出来るんだ?
彼女の着ている黒を基調とした格式高いメイド服には、白いフリルとエプロンが鮮やかに映える。
細やかに織られた襟元や袖口のレース、胸元には、小さな青いリボンが控えめに輝いていた。
膝下までのスカートで、そこには皺一つない白いエプロンを付けていた。
手には白い手袋をはめ、足元は鏡のように磨き上げられた黒い革靴を履いている。
階段を一歩降りるごとに音は消え、背筋はぴんと伸びていた。
指先の無駄のない動きや、淀みのない足の運びをみると、すごく体幹がいいのが一目で分かる。
全身から、近寄りがたい冷たさと、静かな威圧感を放ちながら、彼女は階段を降りようとしていた。
どう見ても、ただの普通のメイドじゃないな。
「何用ですか? この時間にお客様が来るご予定はありませんが」
通常、透き通った声は心地よいと聞いたことがあるけれど、彼女の発したその声は、恐怖で心臓をわし掴みにされるくらいの冷たい声だった。
「連れが来ていると思うんだけど、迎えに来た」
俺はミスリルソードに置いた手に力を込め、大階段の上を見据えたまま言い返した。
ここにエレナがいるのは、もう分かっている。二階の奥の部屋だ。
あのイザベラの材料で作った香水の香りは、今もはっきりと二階の奥からここまで流れてきている。
「不法侵入ですけど」
大階段の途中で足を止めた銀髪のメイドが、氷のように冷たい視線をこちらへ向けた。
「ドアノッカーで呼んだつもりだけどな」
「使用人が出るまで待つのがマナーですよ」
彼女は小さくため息を吐く。
その丁寧な口調とは裏腹に、張り詰めた殺気がエントランスホールに満ちていく。
「エレナを返してくれるのなら、俺だって手を出さねえよ」
「そういう礼儀がなっていない方には、きちんと教えないといけませんね」
「どう教えてくれるの?」
俺が不敵に挑発を返した、その瞬間だった。
メイドの手元がかすかにぶれ、容赦なく短剣が五本同時に空中を切り裂いて飛んできた。
「――っ、はっ!」
俺は手にしたミスリルソードを電光石火の速さで走らせ、迫り来る鉄の刃をすべて正面から叩き落とした。
そのままの滑らかな流れで移動しつつ、折れない刃を鞘へと一度収める。
向こうも俺のこの対処を、油断なく様子見している感じだった。
ここからはスピード勝負だ。俺は影走りを発動して地面を蹴り、相手の周囲を何回も目まぐるしく回り始めた。
いつどこから刃が飛んでくるかわからない恐怖を与えようという算段だ。
だが、メイドは俺の動きに惑わされることなく、ゆっくりと目をつむった。
目を閉じた? なめられたものだ。
俺は一気に加速すると、相手の死角となる左方向へと回り込んだ。
そのまま走り込みの居合斬りを叩き込もうと、狂おしい殺気を放つ。
だが、俺が間合いへと近づいたのを完璧に察知したのだろう。女性の眼がカッと見開かれた。
それと同時に、先ほどまで何も持っていなかったはずの彼女の右手から、まばゆい黄金の大鎌が突如として出現し、俺の最速の抜刀に合わせて完璧な軌道で迎え撃ってきた。
ギィィィィィンッ!!!
ミスリルの淡い青の魔光と、不気味に輝く黄金の光が正面からぶつかり合い、耳の奥を激しく抉るような耳障りな不協和音がホールに響き渡る。
「嘘だろ……っ!?」
俺は内心で戦慄した。これは暗殺術の奥義でもある、俺の放った『闇夜の断罪』だぞ。
それを、初見の正面からの迎撃で完全に防ぎやがった。
冗談はやめてほしい。
先ほどまで彼女は大鎌なんてどこにも持っていなかっただろう。
そんな巨大な大鎌をどこからともなく取り出し、初見の暗殺技に寸分違わず合わせてくるなんて、マジで冗談はやめてほしいな。
「金煌の葬鎌とぶつかって、刃が零れもしていないとは……さすがですね」
女性は俺のミスリルソードの強靭さに感心したように呟き、軽く大鎌を二回ほど振るった。
その瞬間、大鎌の軌道から黄金の魔力で出来たブーメランのような巨大な刃が、凄まじい速度で俺に向かって飛んで来た。
俺は咄嗟に懐へと手を伸ばし、ストックしていた爆発付きの小刀を抜き放つと、迫り来る黄金の刃めがけて正確に投げつけた。
ドガァァァンッ!!
お互いの攻撃が激突した瞬間に、派手な大爆発が巻き起こり、真紅のホールに黒い煙が立ち込めた、まさにその時だった。
「二人とも、いい加減にしなさい」
大階段の二階の踊り場から、よく響く凛とした女性の声が降ってきた。
爆煙の向こう、二階の踊り場を見上げた俺は目を見張った。
そこには、さっき壁に並んでいたあの肖像画に描かれていた、燃えるような赤い髪に妖艶な紫の瞳の女性が優雅に佇んでいた。
そして、彼女のすぐ後ろには、俺がずっと探し求めていたエレナがしっかりと立っていた。
「転生したら美少女冒険者に! ~おっさんの心が旅立つ異世界冒険記~」をお楽しみいただけましたか?
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