176話 再び現れた怪しい少年
「……っ、つ、つう……」
身体が痛い。
激戦の末、寝袋も使わずに硬い岩肌の床でそのまま寝ていたんだから、そりゃあ身体もバキバキに痛くはなるはずだよな。
ぼやけた頭でそんなことを考えていたら、山脈の静寂を破ってパチ、パチ、パチ、と、いつものように小気味いい拍手の音が響いてきた。
俺がその音の鳴る方へゆっくりと視線を向けると、不気味なほどの笑みを浮かべたそいつが、そこに当たり前のように佇んでいた。
「またのぞきなの、趣味がわるいと思うんだけど?」
俺はそいつに向かって、痛む身体を誤魔化すように不敵な軽口をたたいて見せた。
「いやぁ、知ってるくせによく言いますよね」
少年は糸のように細めた目をさらに湾曲させ、くすくすと愉快そうに肩を揺らす。
「手を出させないように見張っていてくれてるんだから、仕方ないよね」
「本当に、あそこまで信用されたら、僕としても守らないわけにはいかないかなぁ、なんて思いましてねぇ」
人を喰ったような、実にとぼけた口調で少年は言った。
「やはり視ていたんだ」
俺が睨みつけると、少年はこれっぽっちも悪びれずに両手を広げてみせる。
「言ったじゃないですかぁ。見学しますね、って」
「そうなんだけど、まさか見守ってくれてるとは思わないでしょ」
「そんな、普通にやっても勝てるのに、寝込みを襲うなんてあまりに無粋じゃないですか。ねぇ?」
丁寧だが、その物腰柔らかい言葉の裏に隠されたプレッシャーは尋常じゃない。
「あんたは、そう思っているけどさ、他の連中はそう思ってないんじゃないの?」
「さぁて、どうしてそんなに恐れるんでしょうねぇ。実際、今のあなただって、僕に手を出してこないじゃないですか? いつものあなたなら、何かしら仕掛けてくるはずなんですけれどねぇ」
少年は首をこてんと横に傾け、俺の出方を値踏みするような細い視線を、貼り付けたような笑顔の奥からじっと構えて這わせてくる。
「俺の邪魔は、してないしね」
――ハッ、全くよく言うぜ!
俺は臨戦態勢をとってるのに、向こうは完全に、友人宅に遊びに来たノリで来てやがる。
何やっても勝てるイメージが、ミリ単位すら湧かないわ。
「勝ち目のない戦いはしないですか? 実にいい判断だと思いますよ。そして精神的に逃げてるんではなくて、戦い以外での活路を考えているのは、本当にいい判断だと思いますよぉ」
少年はすべてを見抜いたような顔で、俺の立ち回りを芝居がかった仕草で褒め称えてみせる。
――言ってろ!
話し合いで済むのなら、話し合いで済ますのが一番いいんだよな。
実際、敵対する奴全員と一人で戦うなんてシャレにならないよな。
魔物の住処の敵を相手に、一人で戦う。そんなの、マジでシャレになんねえよ。
実際には、これまでの旅でも回避できる戦いは相手に気づかれずに、忍び足で器用に回避してるぐらいだしな。
だが、目の前の少年が、ずっとその底知れないニタニタ笑顔なのが少しむかつくんだけどな。
俺はふっと息を吐き、少し気まずい沈黙を破るために問いかけた。
「面白いことあった?」
「そうですねぇ。あの暗闇での脱出は、本当に面白かったですよ。その防具の特殊性もありましたけれど、まさかあんな方法で切り抜けるなんて、僕も思いもしませんでしたからねぇ」
少年はいたずらっぽく目を輝かせ、あの無重力空間で、爆裂魔法の反動を使って強引に進み抜いた俺の戦術を、本当に心から楽しそうに振り返っているようにも見えた。
「しかもここに来るまでは、人を殺すのに抵抗があったのに、ああやって知人だとわかっても戦えるのも驚きましたねぇ」
少年は糸のように細めた目をさらに湾曲させ、愉快そうに俺のこれまでの戦いぶりを並べ立ててくる。
「それは成長するもんだから」
俺は痛む身体を硬くしたまま、ぶっきらぼうに言葉を返した。
「まさか自分の魔力が足りないからって、精霊を使って冷凍するなんて予想が付かないじゃないですか? 本当に面白いですよ、あなたは」
「無い物ねだりが出来ないのなら、足せば何とかなるだろうが」
笑ってみせてみた。
――魔法を改良する、という概念や言葉は、この世界には存在しない。
もちろん、俺が前世で生きていた場所にも魔法なんてものは無かった。
だが、創作物の世界では、魔法の改良や組み合わせなんていうのは当たり前のように描写されていた。
実際には、創作物は創作物ってことなのか。
いや、よく考えてみたらそうでもないか。
前世のSFものや近未来物の作品で、「こういうものがあったらいいよね」と空想されていたガジェットが、後の時代に形になって実用化されたものもたくさんあったと思う。
空を飛びたいなと願って飛行機が作られ、自分の身体一つで飛びたいと思ってハンググライダーが生まれたように。
この世界の魔法も、将来はそういう風に発展していくものなのかもしれないよな。
「アヤお姉さん。いろいろと考えてるところ、悪いんだけどさぁ」
俺が前世の記憶に思考を巡らせていると、少年が不意に、いたずらっぽく声をかけてきた。
「なに?」
「そもそもねぇ、精霊を出して行動するなんてことは、基本的には出来ないんですよ」
「そうだっけ?」
俺は首を傾げた。
言われてみればそうだった。
常識では、精霊を現実世界に呼び出すには凄まじい集中力が必要になる。
だから、精霊を出している間は他の行動が一切出来ないんだったっけか。
まぁ、俺には出来るんだから、出来るものは活用しないとね。
「これからも僕を楽しませてくれるのなら、僕からは戦いませんけどねぇ。まぁ、飽きたり、貴女から仕掛けて来ないのなら、っていう前提はありますけれどねぇ」
少年は楽しそうに、自らの首元のペンダントに指を這わせていた。
「結局、お前の匙加減じゃねえか」
「そんなことないですよぉ。アヤお姉さんが仕掛けて来ないのなら、って今言いましたよ? ――それとも、一回遊びますか?」
少年はいつも通りの、愛想の良いニタニタとした笑みを浮かべていた。
だが、その瞬間だった。
どっと、周囲の空気が一瞬で氷結したかと思うほどの、尋常ならざる凄まじい威圧感が俺の五体を押し潰した。
「なっ……、あ……」
なんだ、このプレッシャーは。
顔は笑顔のままだというのに、放たれる殺気の重さに冷や汗と身体の震えがどうしても止まらねえ。
前世で、まだガキだった時に親に激しく殴られた時以上の、絶対的な暴力を前にした恐怖を感じた。
こいつには、逆立ちしたって勝てない。
俺の生存本能が、大音量でそう警報を訴えかけてやがる。
今の満身創痍の状態で、自暴自棄になって攻撃を仕掛けたとしても、その先には自分が一瞬で肉塊に変えられる死のイメージしか浮かんでこなかった。
「これからエレナを救出しないといけないのに、なんでお前と戦わなきゃいけないんだよ。冗談はやめてほしいな」
俺は冷や汗を拭いながら、なんとか気丈な声を絞り出して降参の意思を示した。
「残念ですねぇ。あなたが深淵で得た知識を使えば、良い戦いが出来るかもしれないですよ?」
少年はつまらなそうに肩をすくめ、ニコニコな笑顔のまま言葉を返してくる。
「もしお前を倒せたとしても、俺だってただじゃすまないしな。あれ、魔力の消費が激しくてめちゃくちゃ大変なんだよ」
「へぇ、そういう弱点があるんですねぇ」
少年は意外そうに目を丸くした。
しまった。つい余計な手の内を教えてしまったな。俺は内心で舌を出した。
「あなたがあの島を消しちゃったので、僕も深淵の情報がなかなか得られないんですよねぇ。本当に残念です」
そう言うと、少年は顔を伏せて地面を見つめ、まるで駄々をこねる子供が残念がるポーズをするように、つま先で地面をコツコツと蹴り始めた。
仕草は子供っぽくてお茶目だが、放たれるプレッシャーは相変わらず壁のように重い。
「あんたら魔族が支配なんて考えてなかったら、俺だって戦いたくはねえよ。何が楽しくて魔族なんて、格上だと分かる連中と戦わなきゃいけないわけ?」
「人間族だって、他国を支配したりお互いに戦ったりするじゃないですかぁ。魔族もそれと同じことなんですよ」
「一回聞きたいんだけど、いいか?」
「僕に答えられることなら、いいですよ」
少年は首をこてんと傾けて、俺の言葉を待つ。
「えっと……なんであんたらは世界征服とか考えるんだ?」
「そんなこと僕に言われてもわかりませんよ。……まぁ、世界を好き勝手に出来るからでは?」
「でも、そんなことしたら抵抗もどんどん強くなるよな?」
「戦うことが好きな奴にとっては、それすらもご褒美なのでは? 魔族も十人十色なんですよねぇ。あなたの言う人間族と、何ら変わりはありませんよ」
「……そう言われると、確かにそうなんだよな」
妙に納得してしまい、俺は苦笑いを浮かべた。
これ以上この化け物相手に愚痴を言っていても仕方がないな。
俺は気持ちを切り替えるように、痛む身体を無理やり引き起こした。
「そろそろ行くか」
「あぁ、それとですね。これから貴女が死にそうになっても、僕が助けることは絶対に無いですからねぇ。僕にとってのあなたという存在は、分かりやすく理解できる言葉で例えるなら……そう、アリの観察日記レベルと同じですからねぇ」
少年はクスクスと、残酷なほど無邪気な笑みを浮かべて言い放つ。
――この世界にも、アリの観察日記なんていう概念があるのか? 俺は場違いなツッコミを心の中で呟いた。
「今回は、そのアリの巣を、僕の意志とは関係なしに勝手に壊す可能性のある馬鹿がいたから、ちょっと出張って来ただけですからねぇ」
「知ってるよ。……いろいろな奴らに見張られてる気がするからさ、もう気にするのはやめてるんだ」
俺は肩をすくめ、張り詰めた空気を逃がすようにため息を吐き出した。
実を言うと、今この瞬間も、俺自身の感知スキルに引っかかるレベルの視線が周囲に二つほど存在する。
本来なら、目の前のこいつを含めたら、見られている不可視の眼の数は三つになるはずだった。
だが、不思議なことに、この少年が現れる前と現れた後では、感知できている眼の数はまったく同じ二つのままなのだ。
つまり、こいつは俺の感知の網にすら一切引っかかっていない。
これだけでも、他の有象無象とは遥かにレベルが違うのが嫌というほど分かってしまう。
一生、こんな奴とは戦いたくないな。
だが、いつかどこかで、こいつとも本気で戦うことになるのかね。
本当に嫌だよな、勘弁してほしいぜ。
「それじゃ、またね」
少年はひらひらと片手を振ると、本当に来た時と同じような、友人宅からふらりと帰るような軽いノリのまま、その場から忽然と去っていった。
姿が消えた後も、周囲の空気に残ったプレッシャーの余韻だけが虚しく漂う。
本当によくわからない、底の知れない奴である。
「……ふぅ、さてと。気を取り直していくか」
俺は痛む身体に鞭打ち、ヴァルさんが最後に教えてくれた場所へと足を進めた。
指示された奥の暗がりにたどり着くと、そこにはまるで空間を丸く切り取ったかのような、禍々しい漆黒のホールがぽつんと口を開けていた。
「うわぁ、見るからに怪しいな……」
正直、こんな怪しいホールには一歩だって入りたくはない。
だが、エレナのもとに行くためには、これが一番楽なんだよな。
俺はミスリルソードの柄を握り直して気合を入れ直すと、ぐっと目を瞑りながら、その黒い穴の中へと果敢に飛び込んだ。
次の瞬間、全身を包む暗黒の中で、身体が急激に落下を始めた。
「きゃあぁぁぁぁぁぁーーーーっ!!」
暗闇の中を真っ逆さまに突き落とされる、それはまるで完全な黒一色の世界で強制的に乗せられたジェットコースターの感覚だった。
クソッ、こういう仕掛けがあるなら、入る前にあらかじめ教えておいてよヴァルさん!
激しい遠心力と風圧に翻弄されながら、体感で数分が経った頃。
空間から勢いよく吐き出されるような感じで、俺の身体は前方へと派手に吹き飛ばされた。
「ぶふっ……、いっ、てて……」
ドサリと床にしりもちをつき、痛む腰をさする。
顔を上げて周囲を見渡すと、そこはひんやりとした岩肌の感触が肌を刺す、見覚えのない新たな洞窟の中だった。
「転生したら美少女冒険者に! ~おっさんの心が旅立つ異世界冒険記~」をお楽しみいただけましたか?
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