173話 何度目かの戦いへ
「……ったく、あの洞窟はマジでヤバすぎだろ」
洞窟の出口から差し込む微かな外の光を眺めながら、俺は一人、これまでの道中を振り返って悪態をついた。
ああクソ、思い出すだけでもゾッとする。
途中で出くわした、あの赤い毛並みを纏ったオオカミの群れは本当にタチが悪かった。
まさか魔獣の分際で、人間顔負けの凶悪な魔法を使ってくるとは夢にも思わねえよな。
それをどうにか切り抜けたと思ったら、今度は歩いた先から崩落していく『消える床』のトラップだ。
洒落にならない冷や汗をかかされたぜ。
そんなこんなで、満身創痍になりながらも何とかこの鍾乳洞の出入り口を見つけ出し、ここで丸一日じっくりと身体を休めて――そして、今に至る。
「この先、またどんな敵が飛び出してくるか分からねえな……」
荷物をまとめながら、ふと指を折って日数を数える。
エレナと別れてから、今日でちょうど四日目になるのか。
そう言えば、あいつと出会ってからこんなに長い期間離れ離れになったのは、今回が初めてかもしれない。
寂しさを振り払うように頭を振ると、俺は体調が完璧に万全であることを確認し、バッグから一本の小瓶を取り出した。
イザベラから購入した、ハチミツなどの栄養成分がこれでもかと詰まったエナジードリンクだ。
くいっと一気に煽る。
「……んぐ、ぷはっ。――相変わらず、大して美味くねえな」
結構慣れたけど、最初の頃は慣れなかったからなぁ。なんというか、味付けがおおざっぱなんだよな。
店の料理を見た時も、調味料を全部目分量でやっているのには本当に驚いたものだ。
「……ふっ、何でこんな時に昔のことばかり思い出してんだよ。俺も焼きが回って年寄り臭くなったかな」
自嘲気味にニヤリと笑う。
だが、この不味いドリンクのおかげで、体内の魔力と気付けの炭酸がカッと頭を冴え渡らせてくれた。
俺はいつものように革ジャンの襟をキリッと立て、愛用のグラディウスの柄に手をかける。
よし、準備は万端だ。何が待ち構えていようが、叩き潰して進むだけだ。
準備を終えて洞窟の外へ足を踏み出すと、そこは――雪国、などということはなく、ごく普通の青々とした山道が広がっていた。
ここまで登ってくると、さすがに空を飛んでいる魔獣どもと何度も視線が合う。
だが、奇妙なことにこちらへ攻撃を仕掛けてくる気配は一切無かった。
自力で山を登っている間は、奴らがまるで手を出してこない。
この奇妙な静けさには、驚くしかなかった。
おそらく、飛翔の呪文などを使って空を飛び、まともに登山をせずにズルをして進もうとした場合にのみ、上空の魔獣どもに攻撃命令が下る仕組みになっているのかもしれなかった。
やがて山の八合目あたりまで登ってきたところで、俺は思わず足を止め、目の前の光景に目を見張った。
遥か彼方まで、巨大な山々が果てしなく連なっていた。
さながら世界の果てを思わせるような、圧倒的な山脈の景色がそこにはあった。
さらに奥へと続く一本の山道を見つけ、俺は再び一歩一歩と踏みしめるように歩き出す。
標高のせいか、さすがに少しずつ酸素が薄くなっているな。
体感としては、前世の富士山よりもさらに高い場所にいるんじゃないだろうか。
そう思った、次の瞬間だった。
背筋の毛穴がすべて逆立つような、凄まじい殺気が肌を刺した。
反射的だった。
俺はその凶悪な殺気の源へ向けて、気配を完全に断ち切った影走りの体勢から、腰のグラディウスを居合の速度で一気に引き抜いた。
すべてを乗せた最初の一撃。闇夜を切り裂くような最速の一閃が跳ね上がる。
「闇夜の断罪――ッ!!」
運良く、その決死の迎撃の一刃は、死角から迫り来る刃と正面から激突した。
ガキィィィンッ!!!
山脈の静寂をぶち破るような硬質な爆音が炸裂し、激しい火花が散る。
だが、次の瞬間、手元に軽すぎる感触が伝わった。
俺の愛用していたグラディウスの刀身が、中央から真っ二つにへし折れて宙を舞ったのだ。
「……っ、しま――!」
一瞬の交錯で理解した。
威力と熟練度は向こうの方が上だった。
だが、こちらの武器が上質だったおかげで、折れながらもなんとか防御が出来た。
そんな、薄氷を履むような紙一重の激突だった。
「よくもまぁ、あんな無理な体勢で防げたな」
折れた刀身が地面に突き刺さる音と共に、闇の向こうから低く冷徹な声が響いた。
「だいぶ変わったな。……カイン」
俺の命を狙う暗殺者カイン。
本来なら黒装束にシミターを携えた姿の人物だったはずなのに、今の奴は黒装束の上から悪魔みたいな角が突き出ており、背中には不気味な翼が生えていた。
さらに足はかぎ爪みたいな足に変わり、怪獣のような四肢へと変貌を遂げている。
だが、その異形化を見て、俺は先ほどの一撃の違和感に合点がいった。
本来、カインの闇夜の断罪だったら、あんな無理な体勢の迎撃で防げるはずが無かったはずだ。
純粋な盗賊の技能自体は向こうの方が上だ。それなのに防げたのは、やはり人の身体ではない、そんな魔物の身体状態だったからこそ、技本来の繊細な切れ味が落ちていたのか?
威力自体は上がっているから、こちらのグラディウスは耐えきれずに壊れてしまったみたいだな。
「魔族サイドとは思わなかったよ」
「元は違うさ」
カインは右手に握ったシミターの刃を無造作に傾け、冷たく言い放ってきた。
見れば、奴の右手だけは少し大きめの人の手をしたままで、それが逆に異様さを引き立てていた。
「俺はお前と戦いたくはないんだけどな。一回命助けてもらってるし」
「俺に勝てると思っているのか? この姿になった俺に」
「畜生に堕ちたお前に、負ける要素は無いさ」
不敵に言い返しながら、俺は首のチョーカーに付けていた小さな剣型のチャームを外して、指先で上空へと弾き投げた。
チャームは虚空でクルクルと回りながら急速に大きくなっていき、右手でガシッと掴む時には、ちょうどいい大きさの剣になっていた。
「それを渡す気はないのか?」
「渡すとでも?」
「なら貴様を、今度こそ殺させてもらう。俺を倒さないと彼女の居場所がわからないぜ」
「エレナの事かよ……! てめえが預かっているのか!?」
「倒せばわかるさ」
カインの不敵な笑みに、俺の脳が怒りで沸騰する。
俺は一瞬で影走りを使用して地面を蹴り、力ある言葉を発した。
「暗黒の矢よ、敵を貫け――」
目標を定めて、一気に命令を下す。
「食らいやがれ! 魔法の矢!!」
無数の魔法の矢がカインに向かって飛んでいった。
しかしカインは、大きく肥大化した右手は引いたまま、左手の凶悪な爪の一薙ぎだけで、俺が放った魔法の矢をすべて防ぎやがった。
「マジかよ……っ!」
「これが、俺と貴様のラストバトルだ」
そう言いながら、カインは魔法の光を灯したシミターを構え、凄まじい勢いで俺に斬りかかってきた。
俺はチャームから現れたばかりのミスリルソードでその強烈な一撃を真っ向から受け止める。
ガキィィンッ! と凄まじい衝撃が両腕に走った、その瞬間だった。
奴の怪獣のような巨体から、凶悪なかぎ爪のついた太い蹴りが飛んでくる。
「――っ!」
俺は咄嗟に跳躍してその一撃をかわすと、空中の遠心力を利用して、カインの顔面へ向けて鋭いバックスピンキックを叩き込んだ。
だが、乾いた鈍い音が響くだけで、奴の分厚い胸板に容易く防がれてしまう。
それどころか、岩石を蹴ったかのような硬さに俺の身体の方が激しくはじき返された。
濡れた地面に着地し、距離を取りながら俺は毒づく。
「完全に化け物かよ……!」
「あぁ、今の俺はキメラだ。もう、人に戻ることはないだろう」
カインは平然とした声で異形の肉体を誇示する。
「なぜそこまで魔族に力を貸す? 俺はてっきり、てめえは王国の裏の案件を仕事にしてるものだとばかり思ってたぜ」
「あぁそうだな、以前はな。……それも聞きたいのなら、俺に勝てばいい」
言うや否や、奴はごつい左手で、自身の黒装束の口元を乱暴に引き破った。
剥き出しになったカインの口の奥から、ゴゴゴ……と地鳴りのような不気味な音が響き始める。
やべえ、何か来る――!
俺は本能的な危機感に従って後方へバックジャンプし、滞空しながら力ある言葉を叫んだ。
「業火の精霊よ、我が意に従い、敵を焼き尽くせ――!」
着地と同時に、俺は右の手のひらをカインへ向けて突き出す。
「火炎流!!」
俺の左手の掌から、すべてを灰にせんとする激しい炎の奔流が噴き出した。
それと全く同時に、カインの引き裂かれた口からも、地獄の業火のような炎のブレスが放たれる。
お互いの放った圧倒的な炎の波が、ちょうど中央の空間で真っ向から激突し、凄まじい熱風を撒き散らしながら激しくくすぶり合った。
「くっ……、押し負ける……っ!?」
やつの圧倒的な火力に、俺の魔法がじりじりと押し込まれそうになる。
だがその時、俺は右手に持ったミスリルソードを無意識に強く握り締めていた。
応じるように、剣に宿る魔法光がいつもより激しく、まばゆく輝き出す。
瞬間、威力で負けそうだった俺の呪文が、まるで息を吹き返したかのように一気に火力を増し、カインの炎を激しく押し返し始めた。
拮抗する二つの熱波。だが、そこでお互いの魔力の放射時間が限界を迎えたらしく、中盤で激しく火花を散らしていた互いの炎は、爆煙を残して一気に消え去った。
「……チッ、剣に救われたな」
黒い煙の向こうから、カインがシミターを構え直す。
「キメラの力で粋がってんじゃねえよ」
手元で青白く輝くミスリルソードの切っ先を突きつけ、不敵に言い返した。
そのまま地面を蹴ってカインへ肉薄し、一気に切り刻もうとミスリルソードを振るった。
だが、奴は鋭い回転を見せてその刃を鮮やかに回避してきた。
かわされたと思った次の瞬間だった。
回転の遠心力を乗せて、奴の黒装束の裾からいつの間にか生え出ていた太い尻尾が、凄まじい速度でスイングされた。
「――がはっ!?」
予想外の攻撃に、回避が出来なくて、胴体にまともな一撃を食らって、俺の身体は派手にはじき飛ばされた。
勢いよく吹っ飛んだ俺は、背後の硬い岩肌に強く叩きつけられる。
凄まじい衝撃に、一瞬だけ目の前が真っ白になって意識が飛びそうになった。
「ぐっ……、う、あ……」
激痛に耐えながら、心の中で悪態をついてしまった。
クエルシオラの防御機能が働いていなかったら、今の衝撃だけで確実に内臓が破裂していただろう。
カインは不敵な足取りで、ゆっくりとこちらへ近づいてくる。
「防具が前とは違うのか? 同じ衣装のままだから、今の蹴りでこれで終わると思ったんだけどな」
「……っ、残念だったな」
俺は痛む身体を無理やり動かし、ミスリルソードを支えにして這い上がった。
「俺に苦戦しているようだと、あの魔族には勝てないぜ」
「お前を倒して、エレナを救い出す。……俺一人では無理かもしれないけど、彼女と二人なら、きっと何とかなるさ」
「お前、あれから何日経っていると思っているんだ? あいつが、まだ無事だと思っているのか?」
カインの嘲笑を含んだ言葉が、俺の耳に突き刺さる。
ブチッ、と脳内で何かが弾けそうになった。
だめだ、冷静になれ、俺。
奴の安い挑発にまともに乗るんじゃねえよ。
もし捕まっていたとしても、慈愛の神の恩恵を強く受けている彼女なら、絶対に大丈夫なはずだ。
信じろ、彼女の圧倒的な信仰力を。
いや、神なんか信じなくてもいい。
俺はただ、エレナを信じればいいんだ。
深く息を吐き出し、俺は頭を冷やすと、カインをまっすぐに見据え返した。
「そんな挑発に、俺が乗るわけないだろう?」
「ほお……。前とは違うってわけか」
カインは意外そうに目を細め、再びシミターを低く構え直した。
「風刃!」
俺は左手を奴の方に向けて勢いよく払い、真空の刃を立て続けに飛ばした。
だが、カインは顔色一つ変えずに背中の不気味な翼を大きく一煽りした。
凄まじい逆風が吹き荒れ、俺の放った風の刃は奴の身体に届く前に虚しくかき消されてしまった。
「マジかよ……っ!」
「そんな低級な呪文で、今の俺に効くとでも思うのか?」
カインは鼻で笑い、手にしたシミターの切っ先を冷たく揺らす。
「本気で殺してやるよ」
俺はミスリルソードを強く握り直し、赤い瞳に狂おしいほどの殺意を宿した。
「楽しみだ。……準備運動は終わりだ」
奴の禍々しいかぎ爪が、岩の地面を深く削り取る。
吹き荒れる熱風と黒い煙の真ん中で、俺達はお互いの隙を貪り喰らうために、静かに刃を構えて対峙した。
どちらか一歩でも動けば、その瞬間にどちらかの命が消える。
張り詰めた極限の沈黙が、俺とカインの間に重くのしかかっていった。
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