170話E 館の主との会談
レティさんに教えていただいた隠し階段を、そのまま一歩一歩踏みしめるように登りきる。
すると、そこには驚くほど立派で重厚な扉が佇んでいた。
わたくしは深く息を吐いて心を落ち着かせると、その扉をゆっくりと押し開け、「失礼します」と声を紡ぎながら中へと足を踏み入れた。
広い部屋の最奥、玉座に人影がのぞく。
警戒しながらそのまま近づいていったわたくしは、そこにいた人物の姿を見て、思わず息を呑んで硬直した。
そこに座っていたのは、他でもないレティさんだった。
けれど、その服装は先ほどまでの薄いピンクのドレスではない。
かといって、おぞましい邪悪な黒のドレスというわけでもなかった。
それは、見る者を圧倒するような、どこまでも威厳に満ちた高貴な黒色のドレスだった。
レティさんは真紅のような美しい髪を艶やかになびかせて玉座から立ち上がり、深い紫の瞳でじっとわたくしを見つめてきた。
先ほど図書室で言葉を交わしたときの、あのどこか悪戯っぽくて優しい雰囲気は完全に消え去っていた。
肌を刺すような凄まじい威厳とプレッシャーが部屋を満たしており、わたくしはすぐ近くまで歩み寄ったところで、その威圧感に圧されて自然と深々と一礼を返してしまっていた。
「エレナと言いますわ」
「そう。それで……何をしにこの城へ来たのかしら、エレナ?」
「わたくしは……死者をもてあそび、冒涜する輩がこの城にいると思い、討伐に参りましたわ」
「じゃあ、今は?」
品格を崩さないまま、冷徹に問いかけてくるレティさんに、わたくしは胸元の鈴をそっと握りしめ、真っ直ぐに彼女を見据えた。
「もし本当に悪意に満ちた真実があるのなら、わたくしは戦います。でも、もしそうではなく、手を取り合うことが出来るのだとしたら……戦うことなく、そのまま先へ進みたいとも思っておりますわ」
――なぜ、わたくしはこのようなことを口にしているのでしょう。
外にいたあの大量のアンデッドたちは、まぎれもなく目の前にいるレティさんが引き起こしたもの。そう確信しているはずなのに。
もしやわたくしは、彼女に強力な魅了の呪文でもかけられているのかしら?
いいえ、違いますわ。それが証拠に、わたくしは今、自分自身の頭でしっかりと不条理を考え、進むべき道を決定できているのですから。
「ふふ、それはアウリスの神官として、あまりよくない事ではないかしら?」
「……そうだと思いますわ。もしアウリス様が天から今のわたくしを御覧になっておられましたら、この錫杖は没収されてしまうかもしれませんわね」
もしそうなってしまっても、わたくしがアウリス様への信仰を捨てることは絶対にないと自負している。
けれど、大切な旅を経て、自然とそう思ってしまったのだから仕方がありません。
「私としては、このまま人間が暮らす場所へ帰りなさいと勧めるけれどね」
「それは無理ですわ。わたくしにとって、何よりも大事なパートナーが、まだここに取り残されておりますもの」
アヤさんの顔が脳裏に浮かび、言葉に一段と強い力がこもる。
それを受け止めたレティさんは、ふっと表情を和らげ、どこか優雅に微笑んだ。
「そう。……そういえば、まだ正式に名乗っていなかったわね。私は、レティ・グラナート・ランカスターよ」
彼女がそう、気高く名乗った瞬間だった。
玉座の間の正面にある重厚な正規の扉が、バンと荒々しく弾け飛ぶように開いた。
部屋の空気が一瞬で凍りつき、背後から急激に膨れ上がる凄まじい殺気を感じた。
わたくしは即座に反応し、手にした錫杖を強く握り直すと、床へ向かってトンと力強く叩き落とした。
直後、背中を焼くような鋭い黄金の光が迫る。
けれど、それと同時にわたくしが展開した光の防御陣が、襲いかかってきた一撃を完全に相殺してみせた。
激しい光の残滓の中でわたくしが後ろを振り向くと、そこには、案の定ルナさんが立っていた。
「お嬢様の所まで来ていたとは……。賊は叩き切る」
感情の失せた声音でルナさんが地を蹴り、わたくしへと容赦なく斬りかかろうとした、まさにその時だった。
「ルナ、少し立ち止まりなさい。私が許可するまで攻撃しないで」
レティさんの一喝が響く。
その瞬間、ルナさんの大鎌の異形な切っ先は、わたくしの喉元のわずか数センチ手前、いまにも首筋に当たりそうになっていた位置でぴたりと静止した。
「……エレナ、なぜ途中で防御を解いたの? そのまま構えていれば防げたでしょうに」
「あなた様が、ルナさんを止めると信じておりましたので」
「そう。なぜ? 会ったばかりの私を信じるとでも言うつもりかしら?」
「そうですわね。わたくしは、先ほど一階の図書室でお話しした貴女を信じましたの。無駄な争いをしたくないと、そう思いましたので」
ここで取り繕った嘘を言っても仕方がありませんわ。わたくしはただ、胸の奥にある本当の事だけを伝えた。
すると、大鎌を構えたままのルナさんが、不満を隠そうともせずにレティさんへと視線を向けた。
「お嬢様……また侵入者が来ているのを知っていながら、図書室に行っていたのですか? 危険でしょう」
「ホールに侵入されたことを見逃すあなたにこそ不備があるんじゃないかしら、ルナ」
「……それは、そうですけれど」
圧倒的な強者であるはずの二人が、まるでお小言を言い合う姉妹のように口を尖らせている。
その様子を見ていたら、先ほどまでの極限の緊張が嘘のように解けてしまい、なんだかおかしくて思わずクスッと声を漏らして笑ってしまった。
「……愚弄するか、鈴の聖女」
ルナさんの澄み切った瞳に、ピキリと鋭い不快感が走る。
「そうではありませんわ。不謹慎ながら……なんだかお二人の空気感が、シビさんとのいつものやり取りにそっくりでいらっしゃいましたので」
もし、ここにアヤさんが来たら、きっと呆れたような困り顔でこう言うのでしょうね。
『なんで脱出できる方法があるのに、残ったんだよ』って。
それに対して、わたくしはきっとこう答えるのです。
「大切なパートナーを置いていけませんわ。もし反対のお立場なら、シビさんは戻りましたか?」って。
そうしたらアヤさんは、きっと『それは、そうだけど……』って、今のルナさんのように、苦虫を噛み潰したような顔で言い淀むんですわ。
そう思えたら、なんだかおかしくて、笑いを止めることができませんでした。
「すみませんわ。本当に、アヤさんと離れてからはまだ数日だというのに、ずいぶんと長い時間が経ってしまったような気がいたしまして……。お二人の今のやり取りを見たら、なんだか懐かしくて、笑いがこみ上げてきてしまいましたの」
わたくしがレティさんたちを見つめてそう告げると、ルナさんは調子を狂わされたように、少し困惑した顔をして黙り込んでしまった。
「まぁ、戦うのはいつでもできるわ。もちろん、そちらが問答無用で戦いを挑んでくるというのなら、それ相応の手段で文字通り叩き潰すけれどね」
レティさんはその美しい唇に妖艶な笑みをこぼしながら、平然と言い放った。
どの道、ここでレティさんとルナさんの二人を同時に相手にすれば、わたくしに勝ち目はありませんわ。
この場で緊急の帰還呪文を使えばわたくしだけは王国に戻れるでしょうけれど、それではアヤさんを一人きりで残してしまうことになります。そんなことは絶対にできませんわ。
逆に、アヤさんの命に危機が迫る瞬間であれば、加護の力で彼女の元へ瞬時に移動できるはずですけれど……そもそも、よほどの強敵が相手でもない限り、あのアヤさんが遅れをとるはずがありませんものね。
「今は、敵対するつもりはありませんわ」
「戦う気が無いのならお帰りになってもいいわ」
彼女は長い髪をなびかせながら、ゆっくりと自身の玉座へ腰を下ろした。その優雅な一連の動作を見届け、わたくしは真っ直ぐに彼女を見据えて問いかける。
「レティ様は、魔族に協力をしないと先ほど言いましたが」
「だからって人間の味方になるつもりはないわよ」
玉座の肘置きに美しい頬杖をつき、レティさんはフッと冷ややかな笑みを浮かべた。
その態度に、わたくしは思わず一歩踏み出す。
「貴女も人間なのになぜ?」
「一つは勝ち目がないから。勝ち目がないのに戦うバカはいないわ」
端然と言い放つレティさんの実力は、深淵の知識を使用しないアヤさんより、おそらく上だと思いますわ。
それほどの規格外の強者がそこまで言うなんて、魔族というのはそれほどまでに強いと言いますの?
「……あの坊やが出てきたら、それだけで戦況はすべてひっくり返るわ。だから戦わないの。負ける可能性しかない戦いに突っ込む馬鹿はいない。あまりにも単純な理由だけれど、これ一つで十分でしょう? ――それに、付け加えるのならね」
レティさんは玉座の肘置きに頬杖をつき、冷ややかな紫の瞳でわたくしを見据えた。
「人間どもは、これまで私に何度も何度も、身勝手な都合で攻撃を仕掛けてきたわ。私はただその戦い自体が面倒で、ここまで逃げて隠れ住んでいるのよ? それほど迷惑をかけられ続けてきたというのに、どうして私が人間の味方をしてあげる義理があるのかしら?」
淡々と突きつけられる拒絶の正論に、わたくしは返す言葉もなく、ただ黙り込むしかなかった。
「私個人の親切心としてアドバイスするなら、遥か東方に白蘭という国があるらしいわ。お友達を連れて、そこまで逃げてしまうのをお勧めするけれど?」
「……それはできませんわ。それに、アヤさんはそんな風に敵から逃げ出すようなお方ではありませんもの」
「なら、あの少年の魔族が攻め込んできたら、意地を張らずにお逃げなさい。今のあなたたちの実力では、天地がひっくり返っても勝ち目はないわよ」
少年の魔族――。
レティさんのその言葉を聞いた瞬間、わたくしの脳裏にある記憶が鮮明に蘇った。
それは、わたくしが以前バムシムさんに捕まってしまった時に、突如として現れたあの子のことだ。
確かに不気味で強そうには見えましたけれど……あのレティさんに『天地がひっくり返っても勝ち目がない』と言わしめるほどの、世界を揺るがす強者にはとても見えませんでしたわ。
レティさんが指をパチンと鳴らすと、天井の方からギギギという重苦しい音が鳴った。何事かしらとそちらの方を見ると、天井の方に隠し扉があり、そこから大きなマジックスクリーンが滑るように現れた。
スクリーンにアヤさんが現れたと思った瞬間、わたくしは我が目を疑った。
なんとアヤさんは、今にも死にそうな鹿の耳をした女性と、熱いキスをしていたのだ。
え……?
き、キス……ですの……!?
わたくしが激しく戸惑っていると、画面の向こうの彼女はぐたっとなって息を引き取った。
それと同時に、スクリーンから引き裂かれそうな絶叫が響き渡る。
「セルヴィーナアアアアアアアアアアアアアアアア!」
アヤさんの悲痛な慟哭が聞こえる。
魂を絞り出すような絶望の声がわたくしの耳に直接響いていた。
直後にレティさんの声が聞こえたけれど、あまりのショックで、何を言ったのかが全く頭に入ってこなかった。
もしわたくしがあの場所に居れば、アウリス様の回復呪文で救えたかもしれないのに。
そんな やり場のない後悔の念ばかりが、胸の奥に深く残ってしまった。
「急にここを降りて人里に帰れと言われても納得しないでしょ? どうせ魔族の場所に行くにはここは通り道だもの。彼女がここに来るまで、一緒に動向を見ませんか?」
「……よろしいのですの?」
しばらくして、わたくしはかろうじてそれだけの言葉を返した。
「ええ、あのセルヴィナ族と何かあったみたいですわね。しかもあれはレジスタンスだったと思うけど、何があったのかしらね。もしかして魔族に寝返ったとか?」
「それは絶対に無いと思いますわ! ……それよりも……」
アヤさんが裏切るはずがない。そこはきっぱりと否定したけれど、わたくしとしては、それよりも――。
一体どういういきさつでキスをしたかの方が、強烈に気になりますわ……!
「はぁ……。ここにテーブルと椅子をお持ちすればよろしいですか? お・じょ・う・様」
ルナさんが深いため息をつき、レティさんに向けてわざとらしく言葉を区切って皮肉を言った。
「そう怒らないで、ルナ? 貴女も一緒に見ません事?」
「……ご一緒しますわ。急にこの人が、お嬢様を攻撃しないとも限りませんからね」
「ふふ、そうなっても楽しいわね」
レティさんは何が面白いのか、わたくしに妖艶な微笑を向けてきた。
とりあえずは、お言葉に甘えてご一緒しましょう。
勝ち目のない相手に無謀に戦っても、自分が死んでしまったら何の意味もありませんわ。
それに、不思議とこの方たちからは悪の気配をまったく感じないので、たぶん悪い方ではないと思うのです。
もしかして、アヤさんの必死な行動に心が動かされて、最後には味方になってくださるかも……。
……なんて、それはわたくしの都合のいい気持ちかもしれませんわね。
ルナさんは呆れたように肩をすくめると、メイドとしての驚くべき手際で、部屋の隅から上品な木製のテーブルと三脚の椅子をテキパキと中央へ運び込んだ。
さらには、どこから取り出したのか、人数分の温かい紅茶まで完璧な所作で注いでみせる。
わたくしは促されるままに椅子へと腰を下ろし、すぐ隣に座ったレティさんの甘い香気を感じながら、マジックスクリーンをじっと見つめた。
不気味な洋館の主従と並んで座り、大切な人の動向を固唾を呑んで見守るという。
なんとも奇妙で、おかしな特等席。
画面の向こうで、涙を拭ってゆっくりと立ち上がるアヤさんの姿を、わたくしたち三人の視線は静かに捉え続けていた。
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