167話A 慟哭の月光
俺はすかさず次の力ある言葉を唱え始めた。
「暗黒の矢よ、敵を貫け 魔法の矢」
俺の周囲に魔法で出来た矢が8本出てきた。
セルヴィーナの周囲に群がっている男達に向けてそれを発射した。
ものすごい勢いで飛んでいった魔法の矢は男達に群がり彼女から離れて、苦痛で転がっていた。
こんな騒ぎだというのに、マスクをしていない男女は狂乱に明け暮れている。
麻薬というのは本当に怖いものだと実感する。
対峙するエルフが、こちらに向けて『魔法の矢』を放ってきた。光条が視界を埋める。
「エレナ、防御頼む!」
口走ってから、自分の大ポカに気づいた。
しまった、あいつは今ここにいない。
反射的に腕で顔を覆い、衝撃に備えた。
だが、光の矢が激突する直前、クエルシオラがカッと淡い光を放つ。
「……痛く、ない?」
衝撃はほとんどなかった。
予想していた破壊力はどこへやら、かすり傷すら怪しいレベルだ。どうやらクエルシオラが俺を守ってくれたらしい。
遺物品とは聞いてたけど。
形状を自由に変えられる変形機能に、このぶっ壊れ染みた耐性機能。
おいおい、俺は一体どれだけヤバい物をもらったんだ?
古代魔法の秘術がかかった魔鏡と同じ場所に置かれていた防具が……。
確かにあの大会で失った宝石以上の価値があるし、実際はこれ金で解決できないほどの代物だぞ。
借りを作ったつもりが、反対に借りを作った感じだ。
流石大公閣下。
こんな代物をポンと渡したはずだ。
思考を切り替え、俺は周囲の状況を鋭く睨みつけた。
その瞬間、マスクをつけた男女が俺を指差し、悲鳴のような声を張り上げた。
「あ、悪魔だ! 悪魔! こいつは悪魔だ!」
慌ててテントから逃げ出そうとする足元へ、俺は即座に魔法の矢を叩き込んだ。
「何逃げようとしてるんだよ。パーティーは始まったばかりだぜ?」
どす黒い愉悦が胸に湧き上がる。
「俺を倒さないと、ここからは逃げられない。……お前たちが始めたパーティーだろ? なら、最後まで踊り明かそうや」
まだ怪しい煙を噴き出している箱へ、魔法の矢を容赦なく叩き込んで全て圧壊させる。
だが、狂乱の場は収まらない。マスクをしていない連中は、ある者は狂ったように叫び、ある者は男女で絡み合い、猿さながらに快楽を貪り続けている。
「チッ、どいつもこいつも……!」
俺は一歩で間合いを詰め、セルヴィーナの側へと跳んだ。
周囲に群がる有象無象を剣の一振りでまとめて薙ぎ払い、彼女の前に立ちはだかる。
「村長、話が違うッ!」
「なんで俺たちがこんな目に……!」
「そいつは従順に言うことを聞くって言ったじゃないか!」
勝手な言い分でわめき散らす声が、俺の鼓膜を不快に震わせる。
「大地よ、我が意に従い、鋭く尖った槍を敵に突き刺せ!」
魔力を込め、呪文を叫ぶ。と同時に、俺は手のひらを強く地面へと叩きつけた。
『土陣鋼槍』!
わめく人間どもの真下から、鋭利な岩槍が爆発的な勢いで突き上がった。
逃げる隙など与えない。肉を貫く鈍い音が響き渡り、そいつらは一瞬で生け贄のように串刺しとなった。
「ははは、すべて、殺してやるよ」
口の端が自然と吊り上がる。いつもならもっと冷静なはずなのに、今の俺は異常なほど好戦的だった。
頭が融けそうなほど血が激しく騒いでいる。
セルヴィーナを、凌辱したクズども。
こいつらを生かしておく理由なんて、一ミクロンも存在しない。
徹底的な、慈悲なき粛清を。俺の心は、ただそれだけを求めて暴走していた。
ふと、濁っていた視界が急速にクリアになった。狂気が引き、自我が戻ったのはその時だった。
――凄惨な光景が目に飛び込んでくる。
俺の身体はねっとりとした返り血で真っ赤に染まり、周囲には、もはや人間の形を留めていない肉の塊が無数に転がっていた。
パチ、パチ、パチ。
静寂を引き裂くように、軽快な拍手の音が響く。
「すごいですねぇ。いくら格下と言えど、こんなに早く制圧しちゃうなんて。僕も驚きましたよ」
楽しげな声のする方へ顔を向けると、そこには見覚えのある顔――以前、魔族と名乗ったあの少年が、無垢な笑みを浮かべて立っていた。
「貴様ぁ……ッ!」
怒りのままに魔族の少年へ一歩を踏み出そうとした、その瞬間。
急激な脱力感が全身を襲った。力が入らない。俺はたまらず、その場に激しく膝をついた。
「あはは、動くのは無理ですよ。いくら『貴女』でもね」
「……何をした……っ?」
「酷いなぁ。何かあったらすぐ僕のせいにするの、やめてくださいよ。片膝をついたのは、貴女が全力で動きすぎた反動でしょ?」
「え……?」
「『魔草』って本当に怖いですよねぇ。限界を超えて動くことができるとは聞いていましたけど、まさかここまでとは思いませんでした」
少年の言葉が、冷たい水のように脳髄へ染み込んでいく。
「俺は、それを、吸ってなど……」
「確かに精霊を出して煙を防いでました。でも、精霊を出す『前』は?」
「っ、あれだけで……!?」
「いくつか条件はあるんですけどね。あなた、ここで飲食もしてたでしょ?」
「まさか……!」
「そう、そのまさか。スパイスとして少し混ぜるらしいですよ。まぁ、村長たちは食べてないんですけどね。おまけにあの煙も吸ったんだから、貴女もご立派な『軽い魔草中毒』ってところですかね」
だから……あんなに好戦的になっていたのか……!?
すべての辻褄が合ってしまった。あの異常な昂りは、俺の意志が増長されたって事か?
「今はその薬効が切れたから、反動でバーン! って感じですかねぇ」
「……っ、俺を殺すのなら、今のうちだぞ」
「前も言ったじゃないですか」
少年は、底の知れない瞳を三日月のように細めて笑う。
「僕は君を殺そうとは思っていませんって。ただ、貴女がどういう行動をして、どのような結果になるのか――それが見たいだけなんです」
俺は奥歯を噛み締め、消えかける意識を繋ぎ止めるように、奴をキッと睨みつけて対峙した。
「そんなに警戒しないでくださいよぉ。せっかく貴女にとって耳寄りな情報を伝えに来てあげたのに。傷つくなぁ」
「……お前がそんなタマかよ。情報ってのは、何だ」
「エレナさんですよ」
その一言に、俺の身体が過敏に反応した。這いつくばったまま、魔族の少年を蛇のようにじっと睨みつける。
「だーかーら、睨まないでくださいって。美人な顔が台無しですよ? 彼女はね、ある場所をまっすぐ進んでいて、今は『クリムゾン・マナー』にいます」
「クリムゾン・マナー……どこだ、それは!」
「それを教えたら意味がないじゃないですか。一応そこ、アンデッドの巣窟なんですけど、彼女ならまぁ大丈夫でしょ。そこの主人とメイド長に喧嘩を売らない限りは、ですけどね。素通りして先に進んでくれればいいんですけど」
「どんな奴なんだよ!」
「そうですねぇ、面白いものが見られましたし……主人はザハクさんと同じくらいの強者、ってところですかね。メイド長も戦闘能力ならエレナさんより上ですよ」
ザハク級の化け物に、エレナ以上のメイド長……っ!?
早く、一刻も早く助けに行かなければならない。それなのに、気持ちとは裏腹に身体は泥のように重く、立ち上がることすら出来なかった。
「あと八時間は戦闘できるほどの体力、残ってないですよ。精霊を呼ぼうとしても、そんな魔力すら底を突いてるでしょ?」
「……だったら、なぜ俺を殺さない! なぜ見逃すんだ!」
「だから、知りたいんですよ。そんな絶望的な状況で、君がどう判断してどう動くのか。それが見たいだけです。僕は前も言ったように、今は君とコトを構える気は無いので安心してください。それじゃ、そろそろお暇しますね。魔草っていう面白い収穫もありましたし」
そう言って奴は、まるで日常の挨拶でも交わすかのように、瞬間移動でその場から掻き消えた。
転移不能なこの空間で、当たり前のように気配ごと消える。
やはり、俺よりやつの方が格上だってことか。
そんな悔しさが脳裏をよぎった、刹那。
ぞわり、と首筋の毛が逆立つほどの、ドス黒い殺気が爆発した。
「ッ――!?」
振り向こうとした。だが、動かない。
絶望的な硬直。迫り来る、死の予感。
ギラリと光る凶刃が、無防備な俺の身体を切り裂く――まさに、その瞬間だった。
死線の刹那、俺の視界を遮るように抱きついてきたのは、傷だらけの裸体のぬくもりだった。
肉を切り裂く鈍い音。信じられないことに、セルヴィーナが俺の身代わりとなって凶刃を受け止めていた。
「が、はっ……」
彼女の口から鮮血が溢れる。
細い身体で俺を庇った彼女を見て、俺の脳の血管が怒りで千切れた。
残った魔力のすべてを右腕に込め、俺を殺そうとした人間に向かって『魔法の矢』を放つ。至近距離から放たれた光条は、過たず男の顔面を消し飛ばした。
「セルヴィーナ、おい、嘘だろ……無事か!?」
「アヤ……すごかった……。お前……無事か……?」
「ああ、俺は平気だ! だからお前も――」
ポーションを取り出し、彼女の唇に押し当てようとする。だが、彼女は力なく笑って首を振った。
「馬鹿野郎、そのままだと死ぬんだぞ! 飲め!」
「いらない……それ、アヤ、大事……もの……」
「命より大事なもんがあるかよ!」
「ぽーしょん、むり……これ、どくの、やいば……」
毒。その単語が、俺の思考を凍りつかせた。
俺の持っている解毒薬は、そのままでは使えず一度煎じる必要がある。
インスタントより煎じた物の方が効果が高いからだ。
いつもはエレナがいるからこれでもいいと思ったし。
なら魔法で――俺は、絶望に慄然とした。
魔力が、空っぽだ。
先ほどの魔法の矢で完全に使い切ったのだった。
もう一滴の魔力すら残っていなかった。
「アヤ……気にしないで……」
「ふざけるな! 死ぬな、生きろよ……っ!」
視界が涙でめちゃくちゃに滲む。俺はボロボロと涙を流しながら、彼女の手を両手で包み込んだ。
息絶え絶えに横たわる彼女の頭部には、見事な鹿の角が、月の光を浴びて物悲しくきらめいていた。
「お願い……ある……」
「ああ、何だ、何でも言ってくれよ……!」
「口づけ……欲しいな……」
「え……!」
「身体はね……酷いこと、たくさんされけ……口は、守った。大好きなアヤと、キス、したい……。ダメ……かな?」
その言葉が、俺の胸を痛烈に抉った。
どれほどの恐怖と屈辱の中で、彼女がその純潔の最後の一片を守り抜いたのか。
俺は彼女の手を狂おしいほど強く握りしめたまま、その乾いた唇に、そっと自分の唇を重ねた。
俺の目から零れ落ちた涙が、彼女の胸元に水滴となって墜ちていく。
割れた天井の向こうから、冷徹なまでに美しい満月の光が、傷ついた彼女をスポットライトのように白く照らしていた。
腕の中に愛おしいぬくもりを抱きしめる。
セルヴィーナは最後に満足そうな笑みを浮かべ、そして、糸が切れた人形のように、だらん、と力を失った。
「セルヴィーナアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!!」
激しい後悔と、引き裂かれそうな絶望の慟哭。
その叫びを慰めるものは何もなく、ただ静寂な月夜だけが、俺たちの悲劇を冷たく見下ろしていた。
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