164話E 謎のメイドとの闘い
先に動いたのは、彼女だった。
少しスカートを上げて、露わになった太ももに巻かれた革製のホルダーから、数本の投擲ナイフが滑らかに引き抜かれる。
指先がホルダーを離れた刹那、空になったはずのスロットへ、どこからともなく冷たい銀光が吸い込まれ、一瞬で新たなナイフが隙間なく満たされていた。
「ならば排除するまで、鈴の聖女のエレナ」
「わたくしをご存じなのですか? 地下深いこの場所なのに?」
「黄金の鈴の錫杖を持つ僧侶。慈愛の女神アウリスの愛娘を知らない不死の者はいませんよ。それにしても夜魔狩人が、至高神アルディアの信徒のみだと思っていましたけれど?」
「死者をもてあそぶ者が居ましたら、関係ありませんわ」
彼女は、本当に不死の者なのでしょうか。
これまで対峙してきた腐肉の屍どもとは、根本的に何かが違う。
肌をチリチリと灼くプレッシャーが、あまりにも異質で生々しすぎる。
「ここでお別れになると思いますが、メイドたるもの御挨拶を。私はこの館を管理させていただいております、ルナとお呼びください」
言い放たれた瞬間、数本の銀光が視界を埋めた。
反射的に跳ね上がってその軌道を避ける。わたくしが空中へ飛び退いた直後、大理石の床に突き刺さったナイフが激しい閃光を放ち、凄まじい衝撃波を伴う爆発を起こした。
「貴女は自分の護るべき館を壊すのですの?」
「何をおっしゃっていますか?」
彼女が平然と指さした場所には、焦げ跡どころか、一筋のひび割れすら刻まれていなかった。
「これぐらいの爆発では傷つかないよう、コーティングしてありますので。そのような些細な問題はお気になさらぬように」
即座に、今度は三本のナイフが肉薄する。
再び跳躍して紙一重でこれを回避した、まさにその刹那。
着地の瞬間を狙ったかのように、わたくしの斜め後ろの死角から、ギラリと鋭い金属光が視界の端をかすめた。
直感のままに、上体を深く床へと投げ出した。
体を捻って必死に振り返った瞬間、視界に飛び込んできた光景に息を呑んだ。
死角から肉薄していたのは、投擲ナイフなどではなく。
彼女自身だった。
ルナの手元に握られていたのは、異様を極める巨大な大鎌。
三日月を象るその刃は、太陽をそのまま鍛え上げたかのように眩い黄金の光を放ち、それを支える柄は白銀に輝いていた。
およそ不死の者の勢力が手にするはずのない、武器から吹き荒れる神聖な熱量。
あまりの熱波に肌が焦げ付く錯覚すら覚え、私は恐怖に身を硬くした。
「その武器はもしかして、至高神アルディア様が亡者を討伐するための武器――金煌の葬鎌ではありませんの?」
「流石はエレナ様。この武器をご存じでしたか?」
ルナの口元が、愉悦に歪んでにやっと笑う。
大鎌が神聖な風を切り裂き、何もない空間を真横に一閃した。
引き絞られた光の刃が、大気を爆ぜさせながら津波となってこちらに飛んで来る。
回避は不可能。わたくしは覚悟を決め、手にした黄金律の鈴音を、力任せに大理石の地面へと叩きつけた。
チリィィィン――ッ!
激しい金属音が響き渡り、叩きつけた衝撃点から黄金の波紋が全方位へと激しく伝播する。
波紋は一瞬で垂直に立ち上がり、視界を遮るほどの巨大な黄金の壁を形成して、迫り来る光の刃を真っ向から防ぎ止めた。
「聴いたことありますわ。至高神アルディア様の懐刀とも言われ、数年前に突如として行方をくらましたとお聞きしました。確かその人の名前は……」
その名を唇から紡ごうとした、まさにその瞬間。
防壁の向こうにいたルナが、不敵な笑みのまま黄金の壁へと容赦なく手を突いてきた。
彼女の白い手袋が壁に触れた刹那、防壁の表面にバチバチと激しい亀裂が走り、凄まじい衝撃波となって爆発した。
至近距離での衝撃が、わたくしの身体を容赦なく弾き飛ばす。
「きゃああああああああ!」
視界が激しく反転し、吹き飛ばされたわたくしは激しく床を転がった。
すぐさま息を詰まらせて追撃に備えたが、不気味なほど次の刃は来ない。
見上げれば、砕け散った壁の名残であるアウリス様の聖なる光が、かろうじてわたくしの身体を包み込み、身代わりに爆風を相殺してくれていた。
彼女は、大鎌を冷然と構えたまま、冷え切った視線をこちらへ寄越した。
「最後の警告です。信仰心ではあなたの方が上かもしれませんが、あまたの反逆者たちを中心に動いていた私です。戦闘では私の方が上ですよ。アウリス様の顔を立てて見逃してあげます」
わたくしは、激痛に引き裂かれそうになる身体を無理やり動かし、黄金律の鈴音を大理石の床に突いて這い上がった。
視界がフラフラと大きく揺れる。
目の前で大鎌を構える彼女の、あの澄み切った瞳だけは、決して視線から外さなかった。
「シンシアさん。至高神の断罪者と呼ばれていた方がなぜ、亡者などに手を貸すのですの?」
「その名は捨てた。今の私はお嬢様より頂いたルナよ。――よほど死にたいようね。昔の名を思い出させて、貴女のお望みどおり、我が断罪の力をもって、命を刈り取って差し上げますわ」
「させませんわ。死をもてあそぶ者の手助けをするなんて、わたくしがその凶行を止めますわ」
「戦う術がほぼないあなたに何が出来る? 防御一辺倒だとしても、そのうち我が鎌に耐えられるはずがない」
「そうですわね。ですが、一般のアウリス神の信者には決して伝えられませんが、わたくしのように外を巡回する者に与えられる呪文を、今ここでお見せしますわ」
「巡る命の理よ、我が祈りに答え給え。沸き立て激流、穢れを払う刃と成れ――鳴鈴激流!」
瞬間、叩きつけられたアウリソナの先端から、怒涛の勢いで激流が噴き出した。
横五メートル、縦数メートルに及ぶ圧倒的な巨大津波が、1階のメインフロアを震わせる大轟音を立てて容赦なく襲い掛かる。
「黄金よ!」
濁流の最奥から放たれた声と共に、黄金の鎌が縦一文字に一閃。
太陽が爆発したかのような眩い神聖光が炸裂し、鋭利な光の刃が迫り来る水の壁を真っ向から両断した。
左右に分かれた激流は、まるで彼女を恐れて避けるように激しく激突し、大階段の壁や床を濡らしながら、爆風のような白い水飛沫を弾けさせた。
「面白い技を使いますね」
荒れ狂う激流を切り裂き、彼女の持つ大鎌がギラリと不吉な黄金の輝きを放っていた。
一瞬、彼女の姿がブレたと思った次の瞬間には、床を蹴ったその身体が驚異的な跳躍を見せ、頭上から空間ごと叩き斬るような苛烈な斬撃が襲い掛かってくる。
迫る刃に対し、わたくしは死に物狂いで身を投げ出し、紙一重の差でその大鎌を回避した。
背後で鼓膜をぶち破るような凄まじい大轟音が響き、粉砕された大理石の鋭利な破片が容赦なく視界を横切っていく。
――ッ、しまっ、!
避けた、そう確信したのは完全にわたくしの錯覚だった。
視界のどこにも映らない真後ろの死角から、心臓を直接凍りつかせるような、牙を剥く冷たい殺気が音もなく肉薄してきた。
考えるより先に、本能的な恐怖のまま喉を鳴らし、死に物狂いで上体を大きく捩った。
直後、肉と衣服が同時に引き裂かれる生々しい衝撃と共に、右肩へ焼きゴテを直接押し当てられたかのような灼熱の激痛が突き抜ける。
「あ、ぐっ……!」
衝撃で呼吸を強制的に止められ、まともな悲鳴すら上げる余裕もないまま、硬い大理石の床の上を激しく転がった。
じわじわと肉の奥から溢れ出してきて、自分の血の嫌な熱さと痛みに冷や汗が止まらない。
すぐさま腕に力を込め、次の追撃から身を守るためだけに、床に這いつくばったまま必死に身を固めた。
――なっ、なぜ……!?
確かに眼前の大鎌は、この目で捉えて完全に回避したはずだった。
それなのに、わたくしは目に見えない背面から、確実に刃を貰っている。
右肩を深く切り裂いた、あの冷徹な刃の感触。
引き裂かれた衣服の隙間から、じわりと生ぬるい痛みが絶え間なく這い上がってきた。
戦闘経験は、明らかにあちらが上。何が起きたのか、わたくしの頭では未だにそのカラクリの理解が追いついていない。
けれど、このまま恐怖に思考をフリーズさせている暇など、一瞬たりとも残されてはいなかった。
間髪入れずに、彼女が再び風を切り裂き、こちらへ向かってその凶刃を躍らせてくる。
わたくしはアウリソナを握る手を、血の気の引いた指先で無理やり動かした。
懐の奥深くへと手を突っ込み、綾さんからいただいた玉を引っ掴んで、思い切り大理石の地面へと叩きつける。
『どうしても勝てない敵がいたら、この二つを投げて、とりあえず逃げろ!』
投げつけたアイテムがどんな効果を起こすのか、それを振り返って見届ける余裕など一瞬たりとも残されてはいなかった。
今はただ、一刻も早くこの場を離れるべきですわね。
わたくしは1階の奥へと深く続く、暗い通路の中へと避難するために、必死に足を動かして走り出した。
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