163話A 未知の隠れ家の宴
生き物のように開かれた大樹の通路を抜け、セルヴィーナの後ろを歩いていると、やがて鬱蒼とした緑の闇の向こうから、言葉にできないほど幻想的な明かりが見えてきた。
夜空の星々が地上に舞い降りたかのような、淡く揺らめく無数の光の粒だった。
青や紫、淡い緑色の光球が、蛍のように虚空を優美に舞い、周囲の巨大なシダ植物や、水晶のように透き通った未知の花々を妖しく照らし出している。
吸い込む空気すらも魔力で濃密に満たされており、肌に触れる微風が、微かにキィンと鈴を転がすような音を立てていた。
「アヤ、あそこ」
セルヴィーナが、衣服を纏わぬ白い指先でその光の群れを指さした。
「……あの光は何だ?」
「あれは精霊。ここは精霊界に近いから、彼らが集まってくる」
「おい――なら、俺は帰る」
俺はきっぱりと言い放ち、その場に足を止めた。
精霊界に近いということは、世界の法則そのものが捻じ曲がっている証拠だ。
文献によれば、そういう領域は物質界とは『時間の流れ』が全く違うと聞く。
「どうしてだ。せっかくここまで来たのに」
納得がいかないとばかりに、彼女の金糸の髪と鹿の耳が不満げに揺れる。
「元に戻ったとき、あっちの世界と流れた時間が違ったら目も当てられないだろうが。俺は急いでるんだよ。ここの数日が、あっちでは何年、何十年と経っているかもしれないんだぞ」
俺の剣が奴らに奪われないのはいいのだけど、全く大丈夫だとは全く思えなかった。
時間がたてばたつほど、敵もさらに強力になる可能性がある。
何より、俺の剣が手元に無くても、向こうは、研究を進めて、剣が必要じゃなくても大丈夫にするかもしれない。
最大の問題点は、時間がたてばたつほど、エレナの無事の確率が下がる。
意外とエレナも頑固だから、帰らないはずだ。
「大丈夫」
セルヴィーナは、どこか見透かしたような澄んだ瞳で俺を振り返った。
「何がだ?」
「時間は大丈夫。あっちと、こっち、同じ」
「……なんでそんなことが分かるんだよ」
「自然の死体、植物の枯れ方、魔力の巡りで分かる。あっちと繋がっている」
「なら、なんで俺をこんな場所に連れてきた?」
「……必要だから」
それだけを告げると、セルヴィーナは再びとことこ。と、無防備な大きな胸を揺らして歩き出した。
それにしても、と俺は彼女の背中を睨みつける。
ここに入る前はあんなに無邪気に話しかけてきたのに、この領域に足を踏み入れてからは、妙に口数が少なくなっている。
純粋に故郷が近づいたからなのか、それとも何かあるのか?
この幻想的な空間そのものが高度な魔法の結界であり、どこからか見張られているのがわかる。
やはり、セルヴィナは知識レベルが高い。
そして魔法の技術に関しては、おそらく平均的な人間を遥かに凌駕しているな。
この先に待つ連中が、敵か味方かは分からない。
だが、もし味方になってくれるなら、魔族に関する有益な情報をすべて吐き出させればいい。
逆に、もしも俺を嵌めようとする敵だというのなら、根こそぎ叩き潰して、魔族に対する反撃の狼煙にしてやるだけだ。
俺は警戒心を最大に引き上げながら、幻想的な光の海を進むセルヴィーナの後ろを、静かに付いて行った。
開けている場所に行くと、そこは想像を絶する光景だった。
セルヴィナ族の他にも、魔物にエルフ、獣人族のリュイア族など、様々な亜人間が所狭しとひしめき合っていたのだ。まさに反魔族レジスタンスの巨大な潜伏組織といった熱気がそこには渦巻いていた。
だが、何より俺の視線を最悪な意味で釘付けにしたのは、やはりセルヴィナの種族たちだった。
見渡す限り、老若男女を問わず、一様に上半身が完全な裸だった。
豊かな胸を惜しげもなく晒した美女たちが、平然と武器の整備をしたり荷物を運んだりしている。
ガチでやめてほしい。目のやり場がなさすぎて困る。
俺は隣にいるセルヴィーナの様子を横目で盗み見て、ようやく理解した。
こいつが露出狂というわけではなく、これがこの種族全体の当たり前の習慣なのだと。
目の毒すぎる光景に内心で毒づいていると、各種族の視線を浴びる中、一人の年老いたセルヴィナの男性が、威厳のある枝角を揺らしながらこちらに向かって歩いてきた。
男性は立ち止まると、俺を値踏みするような視線を一瞬だけ向けた後、セルヴィーナに向かって口を開いた。
「@;&%#」
「@%&#」
耳慣れない、歌うような高音の混ざる理解できない言語で、セルヴィーナと男性が話し出した。
俺もセルヴィナ語なんて覚えてないから、何を言っているのかさっぱりわからなかった。
翻訳の魔法を使用して内容を盗み聞きしようとも思ったけど。
周囲のエルフ族たちからは、今もずっと一挙手一投足を見逃さないように観察されている。
その緊迫した空気のなかでは、魔法を使うこともできなかった。
もし詠唱を唱えた瞬間、敵対行為とみなされて、これだけの大人数から一斉に迎撃の魔法や矢が飛んできたらシャレにならない。
やがて、セルヴィーナと言い交わすような会話が終わったのだろう。
老年の男性がこちらにまっすぐ顔を向け、深く丁重に一礼してきた。
張り詰めていた空気がわずかに緩み、つられて俺も慌てて一礼を返してしまう。
「@@@@」
男性がもう一度、何やら短い命令のような言葉を言うと、セルヴィーナは俺の方を振り返った。
その金の髪の隙間から覗く瞳が、一回だけ、酷く寂しそうに俺を見つめる。
彼女はそのまま、名残惜しそうに耳を伏せながら、大樹の影へとどこかに行ってしまった。
「ありがとうございます。旅のお方。どうやらあれを助けていただいたようで」
「あぁ」
不意にかけられた流暢な人の標準語に、俺は少し驚きながらぶっきらぼうに返事をした。
セルヴィーナのつどつど途切れる片言とは違い、この男性は完全にこちらの言葉をマスターしている。
これはこの男性だけが特別なのか、それとも、ここの幹部クラスは全員話せるのか。
「あぁ、あいつは、少しここが遅れておりまして」
男性は困ったように眉を下げ、苦笑しながら自分の頭の横に人差し指を差していった。
どうやら、セルヴィーナは種族のなかでも少し知性の発達が遅い個体だったらしい。
「基本は全員、人の共通語を話すもんですけどね。見ての通り、ここにはいろいろな種族が居ますので、共通の言語が無いと社会として困りますから」
なるほどね、と納得がいった。
各種族が自分たちの言語しか使わないのなら、魔族に対抗するための社会としては成り立ちにくいか。多種族の連合である以上、共通言語の存在は必須というわけだ。
だが、時間の流れの謎が解けない限り、俺はここに長居するつもりはない。
「単刀直入に聴くけど、帰りたいんだけどな。俺は急いでいるし、こんなところって言ったら悪いけど、ここで立ち止まっている間に、外の世界との時間のずれで数年たっていた、なんてことになったらシャレにもならん」
俺は敵の本拠地を睨みつける時のような鋭さで、キッと男性を睨みつけてそう言い放った。
だが、男性は驚くほどケロっとした感じのまま、俺の視線を受け流していた。
当然だよな。
身長が一六〇センチしかない、二〇代前の若い女性の姿だ。そんな小柄な女にどれだけドスの利いた目で睨まれ、すごまれたところで、長からすれば、凄みなんてこれっぽっちも無いわけだ。
自分の今の外見の説得力のなさに、内心で激しいもどかしさが募る。
「それはご安心を。ここと、結界内のこの場所は、時間は外と共有しておりますので」
「何でそれがわかる?」
「ここには他の種族もいますのでね。たまに外の世界へ出て商売をしたり、物資の買い出しをしたりしますので。時間のずれが無いことは確かですよ」
なるほどね。まずは、一安心だ。
外の世界と時間が同じなら、敵の研究の進展や、エレナの安否に関するタイムリミットが狂うことはない。
「遅くなりました。私はここの長をしております、ヴィルアと言います」
「こちらこそ。シビ・アヤという。――俺に何か用でも?」
ヴィルアと名乗った老セルヴィナの穏やかな声音とは裏腹に、俺の全身の皮膚はパチパチと弾けるような視線の痛みを感知していた。
会話の間にも、周囲に潜む里の戦士たちの指先が、弓の弦や槍の柄に不自然なほど深く沈み込んでいるのが見える。
俺は油断なく後ろ脚を半歩引き、重心をいつでも動かせるよう低く落とした。
腰元に携えたグラディウスの柄へといつでも手をかけられる位置に指を添える。
刹那、張り詰めていた周囲の空気がさらに一段、凍りつくように緊張が高まっていくのが分かった。
多種族の戦士たちが一斉に小さく息を呑み、実戦寸前の硬質な殺気が肌を刺す。
「貴女は恐ろしく警戒心の高い人みたいですね。安心してください、我々に敵意はありません」
「なら、この周囲の連中の殺気を何とかしてほしいものだけどね。ずっと観察されていていい気分じゃないしさ」
皮肉を込めて告げると、村長は小さく苦笑し、なだめるように片手を軽く挙げた。
その合図で、戦士たちが武器からわずかに指を離す気配がした。
だが、魔法の眼が俺を視界から外すことはないみたいだった。
どうやら直接的な獲物は収めても、こちらの一挙手一投足を見張ることまでは諦めてくれないようだ。
「……それと、頭上で揺らめいている魔法の眼も、できればやめてほしいのだけどね」
精霊の光に紛れ、不可視の眼がいるだろうって場所を指さした。
ヴィルアの細い目が驚愕に大きく見開かれた。
「なんと……ただの凄腕の戦士だと思いましたが、魔法にも詳しいようで」
村長が感心したように頭を深く頷かせた瞬間、脳裏にまとわりついていた、あの嫌な覗き見の感覚がふっと消え去った。
「こんな魔族と名乗っている奴らの本拠地で、警戒しない奴はいないよ」
「そうですか……」
「なら、あなたも、そうですか」
俺の言葉の裏にある「お前たちこそ何者だ」という無言の追及を受け止め、長は何かを深く熟考するように沈黙した。
長く伸びた枝角が木漏れ日を浴びて静かに揺れる。やがて、彼は決意を固めたように一回、頭を縦に振った。
「貴女も、我々に協力していただけませんか?」
「協力? それだけ聞いて『はい、やります』って言う人がいるとでも?」
「あなたの言いようを真似するのもなんですがね。いくら腕の立つ冒険者と言えど、お一人でこの狂った魔物の住処に突頭してくるとは思えません」
「それで?」
俺の冷ややかな問いに、ヴィルアは憐れむような、しかし確信に満ちた目でこちらの小柄な身体を見つめてきた。
「貴女は先ほど、執拗に時間を気にしておられました。……もしかしたら、大切な仲間とはぐれたのではないでしょうか? 貴女の依頼は、この森の魔族の殲滅。ならば我々と目的は同じはずです」
「よくもまぁ、そこまでベラベラと読み切れるもんだ」
感心を通り越して呆れ半分に息を吐き出す。
だが、老村長の推理はそこで止まらなかった。
「戦士でもあり、魔法の術理にもこれほど詳しいとなると……最近、外の世俗で耳にする『ミスリルのアヤ』というのは、貴女のことではないでしょうか?」
「へえ……世間の情報まで随分と詳しいと来た」
まさかこんな魔境に隠れ住む亜人間の口から、自分の二つ名が飛び出すとは思わなかった。
俺が皮肉を込めて睨みつけると、ヴィルアは静かに首を振った。
「きちんと外の情勢も知っておかないと、同じ場所にいるからといって、人間の大軍に攻め込まれてはシャレになりませんからね。……悪い話ではないと思いますが、いかがですか?」
俺は腕を組み、未だどこか釈然としないものを感じていた。
だが、冷徹に現状を分析すれば、ヴィルアの提案は合理的だった。
敵の魔族は、俺のミスリルソードのダッシュが第一の目的だとは思う。
無くとも独自の『研究』を進めてしまうかもしれない。
何より、時間が経てば経つほどエレナの生存確率は下がっていくのだ。
この広大な森を一人で捜索するよりも、土地勘があり、魔族と敵対しているこれだけの人数を味方に引き入れた方が、確実に手っ取り早い。
何より、あいつを探し出すのも楽になるかもしれない。
わかった。決行は?」
「もともと明後日にしようと思いましたので、明後日の朝方でどうでしょう?」
本当は明日にでも行きたいのだが、俺は焦りをぐっと押し殺した。
「貴女もここに来たばかりでを疲れもありますでしょう。今日は、決戦の前夜祭で祭りの予定だったので、それもありましてね」
「こんな状態で祭り?」
「ええ、戦いとなったら死者も出ますから」
確かにグランベルグ奪還の前にも前夜祭はしたけど、こういうのは本当になれない。
中央で赤々と燃え盛る焚き火の炎に照らされながら、俺は周囲で談笑を始めたデミヒューマンたちを見つめた。
なぜこいつらは戦うのか?
ここにじっとしていれば襲われることもないのに。なぜあえて命を懸けて戦おうとするのだろうか?
夜も更け、広場に集まった各種族が車座になって食事を始めると、それは祭りというより、大勢で行う賑やかな宴会、いや、ただの飲み会といった雰囲気になっていった。
子供たちがいるから、至って健全な飲み食いだった。
エルフたちが器用に盛り付けた色鮮やかな木の実のサラダや、リュイア族が豪快に直火で炙った大振りの串焼き肉、セルヴィナの者たちが運んでくる温かいスープ。そして魔物達は、木箱を並べたテーブルの上に所狭しと並べられていく。
周囲では、お互いの無事を祝うように、あるいは明後日への恐怖を紛らわせるように、多種族が入り混じって賑やかに皿を突き合っていた。
俺もいろいろなものを飲んだり食べたりはした。
口に運ぶ前にさりげなく警戒は怠らなかったが、毒とかは一応盛られてはいないみたいだった。
素朴だが素材の味が活きた料理の数々は普通に美味く、不穏な成分も一切感じられなかった。
宴会も終わりになり、子供たちがかなり離れた場所に行かされた。
そして、残された俺たち大人達は、大きなテントに向かってくれと誘導されたのだった。
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