9話 デュラハンとの死闘
深夜。焚き火の赤はほとんど消え、残り火が灰の底でくすぶっていた。
その静寂を裂くように、結界の鈴が——ちり、と鋭く鳴った。
胸の奥が、瞬間で戦闘の温度に切り替わる。
「大丈夫、まだ防御の結界が残ってます」
エレナがローブの袖を押さえ、指先に力をこめて鈴を鳴らす。
薄闇の中で揺れた光が、彼女の横顔を一瞬だけ照らした。
「了解。まずはこれだ!」
俺は息を鋭く吸い、力ある言葉を放つ。
『魔力の刃!』
刃に青白い光が走り、金属が震える。
その瞬間、体が自然と前へ出た。
胴の襟元へ斜めの一閃。狙いは悪くない。
手応えは、ほとんど空気を切ったみたいに軽かった。
斬れていない。
霊馬が素早く横へ滑り、逆に跳ね返ってきた風が胸を強く押す。
冷気と死んだ何かの匂いがまとわりつき、首筋がひやりとひやりとする。
俺自身の技量が足りないのか、それとも高位アンデッドのデュラハンの魔力抵抗が強すぎるのか。
どっちにしても押され気味なのは間違いなくて、額を冷たい汗がつっと流れた。
「通らねえな。強化しても薄い!」
歯を食いしばり、すぐに距離を取り直す。
「なら先にわたくしが。退け、不浄なる魂の者よ。我が神の導きの道を通り給え!『悪霊成仏!』」
エレナの祈りが夜気を震わせ、聖なる光輪が首なし騎士の鎧ごと包み込む。
本来なら魂そのものを浄化し、霧のように消えていくはずの呪文。
なのにデュラハンは、まったく変わらない。影ひとつ揺れないでいた。
黒鉄の剣がわずかに持ち上がり、霊馬の前足が土を強く叩いた。
「そんな……わたくしの祈りを抵抗いたしましたの?」
「来るぞ!」
俺から見てもエレナは高位の僧侶だと思うのに、それでも破邪できないなんて……本当に化け物だ。
黒鉄の剣が横へ薙ぎ払われ、空気が鋭く裂けた。
受けた瞬間、骨の奥が痺れ、足がぐらりと揺れる。
霊馬が体勢を変え、さらにもう一撃。俺は回転しながら受け流すが、肩に焼けるような痛みが走った。
そのままの流れで、霊馬に乗ったまま突っ込んできやがる。
「くっ、『風の刃!』」
突進してくるあいつに向けてではなく、俺は風の刃を地面へ叩きつけた。
土が大きくえぐれ、黒い霊馬が踏みとどまる。とりあえず追撃は止まった。
後ろへ飛んだ一瞬、胸甲がちらりと見えた。
やはり見間違いではない。
あの狼や変種ゴブリンにも刻まれていた紋章だ。
だが、今はそれを考えている場合じゃない。
それに、どうする。
今の俺の魔力じゃ全快には程遠い。昨日の戦闘から、まだほとんど回復していない。
感覚では、せいぜい半分ってところか。
まだ完成していない火の鳥なんて、使うのはただの自殺行為だ。
「シビさん!」
戦闘中、悩んでいる俺をよそに、エレナが駆け寄り、短く息を吸い込んでから声をかけてきた。
「流石に上位アンデッドには手こずりますわ。補助呪文を唱えますので、少しだけ時間を作っていただいても?」
その声はいつもより少し焦り気味で、エレナの緊張が伝わってきた。
「任せな!」
俺は加速で足元を軽くし、斬りかかりながら相手の注意を引く。
受け流して、下段から斬り上げる。フェイントも交えて一瞬の隙を突こうとしたが、
やはり敵の装備が堅すぎる。
フルプレートでがっちりと固められた相手には、どうしても技が効かない。
ただの力任せじゃ通じない。
エレナが胸に手を当て、はっきりとした声で詠唱を始めた。
「聖なる御名により、正しき刃に加護を『破邪付与!』」
その瞬間、白金の光が俺の剣に流れ込み、青白い輝きが一段と明るく跳ね上がった。
空気が一変し、清浄な力が周囲に広がる。
それはエレナ自身の清らかな力と同じように、心に温かさをもたらした。
「それじゃ、仕切り直しだ!」
俺は一気に振り下ろし、胴の鎖の襟へ斜めの一撃を加えた。
今度は弾かれない。鈍い抵抗を感じた後、金属の奥で何かが裂ける感触が指先に伝わる。
デュラハンの肩がわずかに沈んだ。
「よし!」
勢いをそのままに、二撃、三撃、四撃と同じ箇所を裂旋で切りつける。
手応えは確かにあった。しかし、霊馬の踏み込みが重く、地面を揺るがすように迫ってくる。
その一歩一歩が、まるで体にかかる圧のように感じる。
霊馬が踏み込む度に、俺の体が重く押し返される。
攻撃を受けるたびに、肉体的な痛みだけでなく、精神にも重くのしかかってくる。
呼吸が浅くなり、力を入れるたびに体力が吸い取られていく気がした。
デュラハンが距離を取ると、剣を立て、すぐに構えを整える。
次の瞬間、風が爆ぜた。見えない刃が一気に飛び、脇腹を鋭く裂く。
熱い。鋭い痛みが走り、視界が一瞬で滲む。
「ぐっ……」
ここにきて、不可視の攻撃だなんて聞いてない。
ヤバい、かなり重症だ。少しだけめまいがして、視界がさらにぼやける。
「親愛なる慈悲深き女神アウリスよ、心正しき者に恵みを与え給え——『治癒呪文!』」
エレナの言葉が響くと、俺の身体は光り輝き、切られた箇所が次第に癒されていった。
あの鋭い痛みが消え、少しずつ体力が戻るのを感じる。
「大丈夫です。アウリス様の加護があります。頑張ってください」
エレナの声には、いつもの温かさが込められている。それが俺をさらに安心させた。
「あぁ、助かった。やられた分のお返しをしないとな!」
身体の痛みが引く中で、今度は俺が反撃の番だと感じた。
敵の攻撃を受け流し、次はしっかりと反撃を決める。
俺は踏み込むと同時に、胸甲の継ぎ目に突きを叩き込む。白い火花が甲の内側で弾け、霧が漏れ出す。
デュラハンはその攻撃を受けても動じず、霊馬がいななき、地面を蹴って一気に突進してくる。
霊馬が勢いよく接近し、デュラハンは横から鋭い斬撃を振り下ろしてきた。
俺はその刃を受け流し、力を逆に利用して飛び込む。
受け流しながら、空いていた隙間に足を踏み入れ、攻撃の方向を逸らす。
次の瞬間、体が地面に叩きつけられるも、すぐに立ち上がる。
痛みが走るが、今度こそ決める。デュラハンと向き合いながら、集中力が高まるのを感じた。
「もう一つ、加護をお願いしますね。慈悲なる聖なる神アウリスよ!悪しき闇を阻む聖なる盾となり、そして邪悪を退ける。正義の力を与え給え——『祝福!』」
エレナが呪文を唱えた瞬間、全身が軽くなり、視界が鮮やかに広がる。
その光が体に染み込むと、瞬時に全身が軽くなった。
まるで力が沸き起こるように、鋭さが増していく。
呼吸が深くなり、動きが滑らかになるのがわかった。
周囲の空気が震えているのを感じる。
これで奴にも攻撃が届くはずだと確信した。
俺は呼吸を合わせ、連続した動きで攻撃のテンポを上げる。
横薙ぎで敵の前衛を払い、返しの突きで隙間を突く。
次は斜めに袈裟斬りを放ち、力強く切り裂く。
下段から鋭く攻め、白金の尾のように刃が空気を裂き、斬線を残す。
デュラハンの鎧の襟元に刻まれた紋章が、ちらりと露出した。
「そこだ!」
一刀両断に踏み込む。
「斧重!」
戦士技の中でも、最強とされる一撃。全身に溜めた力を、刃に一心に集める。
刃が空を裂くとともに、衝撃波が周囲に響き渡った。
その瞬間、デュラハンの腕に抱えられていた黒い影が震え、まるで生き物のように不規則に動き出す。
見えない口がこちらを向き、鋭い牙がうねりながら迫ってくる。
一瞬の隙を突かれたその影が、まるで瞬間移動のように俺にまとわりつき、一気にその力を解放した。
その攻撃の勢いに、俺は反応が遅れ、回避する余裕すら残されていなかった。
世界が凍りついたかのように、喉が締め付けられる。
視界の端で黒い輪が次々と現れ、二重、三重と俺の周りを絡みついてくる。
「あぁああああああああああああああぁっ!」
声が出ない。足が半歩遅れ、霊馬の前脚が俺の胸を打ち抜く。
その衝撃で、俺は吹き飛ばされ、受け身すら取れずに地面に叩きつけられた。
ふらつきながら、何とか立ち上がる。
剣はまだ握れている。まだ行ける。
エレナがかけてくれた祝福の呪文がなければ、今頃、俺は内臓破裂か、最悪、そのまま命を落としていたに違いなかった。
叫びたい気持ちを押し殺し、俺は刃を握り直す。
紋章の位置は、今はっきりと見える。多分、あそこが弱点だ。
斧重でも一撃で壊せなかったのか…。
亀裂は深く、金属の奥まで届いている。
力を込めて打ち込んだ部分が、少しずつ裂けていく様子が手に伝わる。
あと一撃、これを当てれば、俺たちの勝利だ。
だが、反対に、あと一発強い攻撃を喰らったら…あの世行きだろうな。
「アヤさん、三秒つくりますわ!」
エレナが前へ飛び込み、祈りの聖印をしっかりと抱えたまま、デュラハンの腕の“それ”へ手を伸ばす。
「無茶すんな!」
俺は側面から斬り上げ、デュラハンの注意を引き寄せる。
黒鉄の剣が猛然と返ってきた。
その刃を受け流しながらも、腕に痛みが走る。
だが、さっきよりも攻撃の勢いが鈍ったのか、少しだけ体の力が抜ける感覚があった。
反応が鈍くなる中、俺は何とか踏みとどまった。
ここで倒れるわけにはいかない。この一瞬を逃すわけにはいかない。
俺はその言葉を合図に、地を蹴って飛び出した。
加速の効果が薄れかける中、必死で距離を詰め、鎖の襟へ真っ直ぐ突き進む。
一気に捻り込んで、剣を紋章に深く突き刺した。
「この剣ごと食らいやがれ!」
指先を上げ、力強い言葉を放つ。
「漆黒の雷よ! 貫きやがれ——『雷鳴の裁き!』」
詠唱が響くと、俺の頭上に漆黒の雲が渦巻き、
雷が指先に集まり、目にも留まらぬ速さでデュラハンに突き刺した剣へと放たれる。
鎧の内側で青白い光が炸裂し、霊馬が崩れ、鎧の継ぎ目が割れた。
黒い霧が外へ噴き出し、デュラハンの剣が土に落ちる音が響く。
勝った。
そう思ったその瞬間、首筋に氷の針が突き刺さるような鋭い痛みが走った。
見えない輪が、最後の力を振り絞って、俺の喉を締め上げていく。
喉の奥が焼けるように痛み、息が詰まる。
膝が砕けるように崩れ、力が抜けていく。
すぐさま『解呪』を唱えたが、反応はなかった。
魔法ではない。それに、何かが違う。
急いで思いつく限りのデバフを脳裏に浮かべ、すぐに気づいた。
俺が解除できないものがある。それは呪いだった。
俺の手の中の魔力も空っぽになり、意識が徐々にぼやけていく。
ふと、呪いなんてものがあったなぁと、場違いな考えが頭をよぎった。
「シビさん、動かないで!」
エレナが駆け寄り、俺の手をしっかりと握る。
もう片方の指で、俺の手のひらに何かを描くように文字を刻んでいった。
指先が俺の首筋に触れ、冷たく、少し痛みを伴う感触が広がる。
それでも、どこか心地よさを感じていた。
あぁ、女神とかいたら、きっとこんな感じなんだろうな。
「慈悲の女神アウリスよ、この者の呪いの解除を、そしてあなたの祝福を与え給え『呪い解除!』」
エレナの祈りが響くと、白い光が首筋の輪に染み込み、それに触れた黒い力が、音もなく崩れ落ちていった。
喉の締め付けが解け、ようやく空気が肺に流れ込む。
一瞬遅れて、世界の色が戻り、視界がはっきりと広がった。
エレナの指先は赤くなり、まるで薄い霜が降りたように白く変わっていった。
彼女は小さく息を吐き、疲れたように肩を震わせた。
「えっと、助かったのか?」
その言葉には、恐怖と安堵が入り混じった不思議な感覚がこもっていた。
今も、呪いの余韻が残っているような気がしたが、エレナの言葉を信じるしかなかった。
「アウリス様のお陰で間に合いましたわ。」
デュラハンは、漆黒の鎧が完全に崩れ、霧となって地面に消えていった。
その後に残るのは、ただひたすらに冷たい夜の空気だけだった。
俺は剣を納め、肩で息をした。全身が痛む。けれど、生きている。
「エレナ…本当に、助かった。感謝してる。礼をしたいんだけど、俺にできることがあれば、だけど……」
何気ない言葉だったはずなのに、恥ずかしさが胸にこみ上げてきて、うまく言葉が出てこなかった。
実年齢を考えると、下手したら親子ほど年齢差があるし、それがますます俺を照れさせていた。
「じゃあ、わたくしと一緒に旅をしませんか?」
聖女様は、こんな夜遅くに、まるで太陽の光が注がれたような笑顔で俺に話しかけてきた。
その笑顔に、胸が少しドキっとしたが、すぐにその意味がわからず、驚きと照れくささが交じった。
「ちなみに、それ以外は?」
今回は助かった。でも、次はどうなる?
彼女が死ぬところなんて見たくない。
おそらく、俺が危険に晒されるとき、エレナは自分の命を捨ててでも助けようとするだろう。
だから、俺はその先を考えて、妥協案を聞いてみた。
「でも、出来る事って言いましたわ? 出来ますよね」
その言葉には、確かな決意が込められていた。
エレナの真剣な眼差しに、俺は少しだけ胸を締め付けられるような気がした。
一緒に旅をする。
嫌ではない。
多分、エレナを嫌うやつはあまりいないだろう。
こいつは偽善者にはなれない。
ただ、いいやつすぎるんだ。
「ダメなのでしょうか?」
上目遣いでそう俺に訊いてきた。
その表情、声、全部が卑怯に感じた。
思わず俺は心の中で息を呑んだ。
「えっと、命を粗末にするな」
「命を粗末にしたことはありませんわ」
聖女様が、速攻でうそをつきやがった。
「お前、奴の動きを止める時に無茶しただろうが。俺が注意ひかなかったら、危なかったぞ」
「大丈夫です。アウリス様の加護がありますから。それに、助け合うのが仲間ですわ」
「俺とお前が死ぬ——でも、どちらか一人が生き残れるなら、自分の命を優先しろ。それが条件だ」
「ん~と。わかりましたわ」
俺は苦笑しながら、エレナの真摯な顔に少しだけ頷いた。
「いつまで一緒かはわからないけど、よろしくな」
「はい、きっと……」
焚き火の音が響き、その後の言葉はうまく聞こえなかった。
小さな炎が再びパチリと音を立て、夜の静けさを引き立てる。
霧は徐々に薄れ、月が顔を出し、ゆっくりと空を照らし始めた。
夜が、ようやく日常を取り戻し、静かな平穏が戻ってきた。
「転生したら美少女冒険者に! ~おっさんの心が旅立つ異世界冒険記~」をお楽しみいただけましたか?
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