8話 村へ
村への帰り道は、霧の谷の出口から緩やかな坂道を下るだけだった。 風が肌に触れ、静寂の中に草の揺れる音が響く。
エレナが横に並んで歩いている。彼女のローブの裾が草を軽く払う音が、俺の足音と交じって、心地よいリズムを刻んでいた。
影狼との戦いの余熱がまだ体に残っている。腹の火傷跡が時折痛むが、不死鳥の回復魔法で傷は癒え、傷跡さえも残らなかった。それでも、戦いの記憶が頭から離れない。
銀色の髪が風に乱れ、俺は無意識に彼女をちらりと見た。スレンダーな体躯に金色の三つ編み、そして青い瞳。
穏やかな表情がそのまま彼女の内面を映し出しているようだった。お姉さんっていうのは、まさにこういう人のことを言うんだろうな、と思った。
俺の存在とは正反対だ。俺のような粗野で、どこか場違いな存在が、こんな静かな時間を過ごすのは違和感がある。こんな状況でさえ、エレナの佇まいは優雅で、その落ち着きが逆に居心地を悪く感じさせる。
霧の重さが少し和らいでいく。 風が冷たく頬を撫で、ローブの生地が軽やかに揺れる。その揺れとともに、祈りの鈴が小さく「チリン」と音を立てる。まるで静寂の中で彼女の存在だけが際立つように。
エレナの歩調はゆったりとしており、その歩みが、まるで周りの世界すべてを包み込むような、穏やかな空気を作り出している。
彼女の雰囲気は、まるで俺を優しく受け止めるような暖かさを感じさせ、俺の心もふと落ち着く。
「エレナ、さっきの戦い…ありがとうよ。お前がいなきゃ、俺はやつに食われてた」
俺の言葉に、エレナは優雅に微笑んで、静かに首を振った。
その仕草ひとつひとつが、どこか神聖なものを感じさせる。
「いいえ、私こそですわ。これもアウリス様の導きだと思います」
その言葉には揺るぎない信仰が込められていて、俺は少し驚きながらも感心していた。
生きていた頃の俺の周りには、こういう純粋な信仰心を持つ者は少なかった。
確かに、全員がそうだったわけではないが、どこか胡散臭く感じる人が多かった気がする。
「それで、エレナ。お前は、村の依頼で来たって言ったな?」
俺の問いに、エレナは青い瞳を細め、微笑んだ。その顔立ちは清楚で、朝陽に照らされると、どこか神々しく見えた。その瞬間、彼女の持つ空気がまるで神聖そのものであるかのように感じられた。
「ええ、村長さんから『シビは強い戦士ですが、普通の武器では効かないと聞いています。神官様、ご助力をお借りできませんか?』と言われましたの」
ご助力ねぇ…俺からしたら大げさだと思うが、村から見りゃそうなんだろう。
「それに、シビさんのお噂も少し耳にしていましたのよ。村の英雄って」
英雄ねぇ。昨夜の酒場でそんな立派な言葉なんて一つもなかった。むしろ、ルークたちの死を伝えたあとに流れた、あの重たい沈黙のほうがずっと耳に残ってる。
そんなことを思いながら、俺は苦笑して腰の剣の柄を軽く叩いた。
「英雄ねえ。俺はただ生き残っただけさ。それよりよ、お偉い高僧が辺鄙な村まで来るなんて珍しいじゃねえか。神殿の仕事じゃねえのか?」
そう言うと、エレナはふわっと頬を染めて、金色のストレートの髪を指でいじった。
歩くたびにスレンダーな体がほんのり揺れて、その優雅さが逆に目に入る。
……俺の胸の揺れなんて、こんなに扱いづらいのにさ、と一瞬くだらないことまで考えてしまう。
「ふふ、実は私、神殿の外周を担当する『巡回加護者』なんですの」
「巡回加護者?」
初めて聞く言葉で、俺は思わずエレナに問い返していた。
「アウリス様の教えで、弱き者を守るのが務めですわ。街の神殿は華やかですが、村の小さな祈りも大切なんですよ。……それに、旅をして色々な人と出会えるのも私大好きなんです。そして、シビさんみたいに少し変わったお方に会えるなんて、とても素敵ですわ」
変わったお方、ね。
それは、神の加護があるからだろう。
だけど、あの戦いで思い知らされたんだ。
知識がいくらあっても、体が追いつかない瞬間がある。
毒の痺れで動けなくなった時、俺は焦っていた。
本当は精霊呪文に毒の解除があるのに、それすら頭から抜け落ちるくらいに。
死ぬと思った瞬間、俺は一瞬だけ諦めた。
精神防御は確かに働いたんだろうが、生きることを自分で放り出したら、それは何の意味も持たない。
幸い、火の鳥の術を編み出せたのは運が良かっただけだ。
あんな運任せの戦い方を続けていたら、いつか本当に土に還るんだろう。
もっと練度を上げて、状況判断もきっちり身につけなきゃならない。
そんな反省をぐるぐる考えていたせいで、少しの間、俺は周りが見えていなかった。
ふと横を見ると、エレナが俺と歩調を合わせて並んでいる。金の三つ編みが揺れて、朝の光にやわらかく溶けていく。歩き方まで優雅で、こっちが気恥ずかしくなる。
……なんでついてきてるんだ?
そう思った瞬間、自分で答えに気づいた。
そうだ、エレナも村に報告しに戻る必要があるんだ。俺だけじゃない。
当たり前のことなのに、気づくのが一瞬遅れた。戦いの余韻がまだ消えていないせいかもしれない。
それでも、こうして誰かと同じ道を歩くのは悪くない。霧の冷たさが少しだけ和らいで感じた。
普通の女性と旅をするって、こういうことなんだろうか。
そんなことをふと思ってしまう。俺のペースとは違って、エレナはどこか旅そのものを楽しんでいるように見えた。
歩きながら祈りの鈴を小さく鳴らしてみたり、道端の花をそっと摘んで「これ、アウリス様の花ですわ。幸運の印ですのよ」と微笑みながら俺に差し出してきたりする。
鈴の澄んだ音も、彼女の指先に触れた花の香りも、戦い続きだった俺には妙に新鮮だった。
エレナは、歩いているだけで自然に笑みがこぼれるタイプらしい。
朝の光に照らされた横顔がやわらかくて、俺の無愛想さとは正反対だ。
その対比が、なんだかくすぐったくて、妙に落ち着かない。
そんなことをぼんやり考えていたら、エレナがふっとこちらを見上げた。歩みを少しだけ合わせて、まるで呼吸を揃えるみたいに横へ寄ってくる。
「旅は道連れと言います。このように巡り会えたのも、アウリス様のお導きですわ。もしよろしければ、ご一緒に旅をしませんか?」
その声は柔らかいのに、芯があって、耳に残る。祈りの鈴が風に揺れ、ちりんと小さく鳴った。
「確かに、エレナみたいなやつと旅したら楽しいかもしれねえな……でも、俺は一人でいいよ」
俺がそう言うと、エレナはぴたりと足を止めた。
くるりと身体ごと向き直り、真っ直ぐに俺を見つめてくる。
青い瞳はいつもみたいに穏やかなのに、その奥に強い意志がふっと灯ったように見えた。
どこか寂しさも混じった光で、逃げ場のないほどまっすぐに。
「一人旅はよろしくありませんわ。最近のモンスター騒動は、村だけの問題ではございませんの。シビさんのようにお強い方でも、危険は必ずあります。どれほど強くても、一人では手が足りない場面がきっとございますわよ」
エレナの言葉は優しいのに、どこか切実さがあった。
鈴が揺れて、ちりりと控えめな音が響く。
俺は即座に首を振った。
「悪いな、エレナ。俺は一人でやるよ。……他人の人生の肩代わりなんてできねえ」
口にした瞬間、エレナの表情がわずかに揺れる。
青い瞳がほんの少しだけ細まり、陰りが差した。
「誰も、私の人生を背負ってほしいなんて言っておりませんわ」
小さく息をつくようにそう言うと、その影のある瞳がふっと俺を見つめてきた。
責めているわけじゃないのに、胸の奥がちくりと痛む。
「そうですか……でも、二人きりだと問題が起きる可能性があるのですの?」
エレナは気まずい空気をほどくみたいに、くすっと笑った。
軽く首を傾けて、少しお茶目な表情を見せる。
その仕草がやたらと可愛くて、俺は思わず視線を逸らした。
頬が熱くなる気配がして、自分でも情けないと思うくらいだった。
「どうかなさいましたか?」
エレナが首をかしげて俺を見てくる。
その無防備さが余計に気になって、つい口にしてしまった。
「隙だらけだなあって思ってな。……襲われたらどうするんだ?」
エレナはぱちりと瞬きをして、それから小さく微笑んだ。
「シビさんはそんなこといたしませんわ。それに、同じ女性が女性を襲うなんて、ありえませんもの」
それが普通の感性なんだろうな。
俺が少し歪んでんのかもしれねえ。
「人を疑うことってあるのか?」
俺がそう聞くと、エレナはそっと目を伏せた。
「私も人間ですわ。……残念ですが、人を疑うこともあります。信じたいと思っても、できない時もありますの。私の修行不足なのかもしれませんね」
そう言って、エレナはくすりと笑った。
強さと弱さが混ざった、どこか切ない笑みだった。
夜が近づくにつれ、霧が濃くなっていく。
明日には村に着くし、俺は罠を仕掛けながら「今日は俺が見張る」とエレナに告げた。
ふと横を見ると、エレナが何かの杭を地面に差し込み、低く呪文を唱えていた。
「悪意からの結界をかけました」
「結界、か」
流石は僧侶さんだ。
結界呪文ってのは神聖魔法の中でも上位に入るはずだ、と頭の中で思う。
「この結界の内側に何か悪意あるものが入ってきたら、反応して知らせてくれますの。一種の見張りと同じですね」
エレナが説明しながら、杭にくくった小さな鈴へそっと触れる。
その仕草は丁寧で、祈るみたいに静かだった。
鈴がほんのり揺れて、控えめな音を立てる。
焚き火を囲んで横になれば、すぐ近くでエレナがすやすやと眠っていた。
金の三つ編みがほどけそうにゆるく揺れていて、寝顔は穏やかで、どこか柔らかい雰囲気があった。
旅慣れてるんだろう。寝息まで落ち着いていて、焚き火の音と混じって優しいリズムになっていた。
なのに俺はまったく眠れなかった。
目を閉じようとしても、耳が勝手に彼女の呼吸を拾う。
焚き火の炭は、赤い光をぽつぽつ残している。
その明かりがエレナの横顔をほんのり照らし、影が細く揺れた。
俺はその姿を見ながら、ひとつため息をついた。
本当に、警戒心というものが欠片もない。
吹きさらしの野営で、こんなにも無防備に眠れるなんて、ある意味すごい。
……よくまあ、こんな場所で安心して寝れるよな。
そんなことを思いながら、俺は焚き火の前で小さく薪を動かしながら、ただ炎を眺めていた。
その時だった。
結界の杭に結んだ鈴が、ちりん、と小さく震えた。
風なんて吹いていない。葉も揺れていない。
なのに、足元の草だけがそろって同じ方向へ、ゆっくり押し倒されていく。
空気がひやりと冷たくなった。
俺は反射的に剣へ手を伸ばした。
すぐ隣で、エレナも目を開いて静かに息を整える。眠気なんて一瞬で吹き飛んだ。
結界の輪の外側で、霧が濃く、重くまとわりつくように渦を巻いた。
ぼんやりした白の中に、地面へ薄い円が浮かぶ。
水面に影が落ちるみたいに、じわじわと形を帯びていく。
最初に現れたのは、四つの蹄の跡だった。
重さだけが先に地面を沈ませ、そのくぼみの上に、黒い毛並みがにじむように生まれる。
まるで闇がゆっくり形を取るように、馬の体が輪郭を持ちはじめた。
馬の背には、漆黒のフルプレートをまとった騎士がまたがっていた。
胸甲の中央には、最近倒した魔物たちが身につけていたのと同じ紋章が刻まれている。
見覚えのあるその印が、胸の奥を冷たく締めつけた。
そして、騎士には顔が存在しなかった。
漆黒の馬の鼻先から白い息がこぼれ、地面に落ちたしずくが、じゅっと小さく音を立てる。
死臭をまといながら、そいつは霧を割って姿を現した。
村に帰るためには、もう一度だけ戦わなきゃならない。
俺の記憶が間違いなければ、あれはアンデッドの中でも高位に位置するデュラハン。
霧の中、静かに死闘の幕が上がる。
「転生したら美少女冒険者に! ~おっさんの心が旅立つ異世界冒険記~」をお楽しみいただけましたか?
もし「続きが気になる」「応援したい」と感じていただけましたら、ぜひブックマーク登録と、ページ下部にある【評価する】ボタンから評価ポイントをいただけると、とても励みになります!
皆さんの応援が、次の話の執筆を進める力になりますので、どうぞよろしくお願いします!




