158.5話 ここはどこに当たるのでしょうか?
目の前に立つアヤさんの姿が、突如として何十枚もの残像のように重なり合い、激しくブレ始めた。
方位感覚が完全に狂い、世界がくるくる回る。上下も左右も、もはや区別がつかなかった。
何かされたのはわかりますけれど……どうすればいいのでしょうか。
気がつけば、わたくしは時間すらも不規則に波打ち、見たこともない異様な空間の深淵へと、深く、深く沈み込んでいた。
周囲を埋め尽くす模様は、アーサーさんの島で見たものと同じ、アヤさんが「幾何学模様」とおっしゃっていた模様と似ている気がする。
たしかにあの不可思議な紋様だった。しかし今やそれは、ただの平面ではなく、まるで生き物のように蠢き、折り重なり、螺旋を描きながら視界をねじ曲げ、奥へ奥へと誘い込んでいく。
星々の配置にも似た複雑な円と直線が、絶え間なく回転し、互いに絡み合い、新たな形を生み出しては消えていく……。
そこに、自分の存在そのものが溶け込み、引き裂かれていくような感覚があった。
このまま抵抗なく進めば、きっと取り返しのつかないことが起こると思いますわね。
出来るかどうかはわかりませんけれど、わたくしは黄金律の鈴音を、ぎゅっと両手で握りしめまた。
深淵の知識による魔法だとしたら、わたくしの呪文が通用するかはわかりません。
でも、これが呪文だとしたら、何とかできるかもしれませんわ。
わたくしは、自分自身の信仰を信じますわ。
「慈愛の女神よ、ここに秩序の光を。展開せし魔の術式を解き放ち、紡がれた法理を、大いなる無へと還したまえ」
わたくしはアウリス様に祈りを紡ぎ出しました。
黄金の錫杖がわたくしの祈りに応えるように輝きを増し、「リーン」と澄んだ鈴の音が響き渡りました。
「呪文解除」
わたくしの祈りが届いたのでしょう。あの不可思議な紋様が激しく震え、細かなひびが蜘蛛の巣のように広がった。
そしてパリン、という乾いた破砕音とともに、まるで歪んだ鏡が砕け散るように周囲の空間そのものが崩れ落ちた。
ねじれていた視界が急激に引き伸ばされ、身体がぐるりと翻弄されるような感覚のあと。
足が固い床に着地した。
一条の光が天井の隙間から差し込み、濃密な闇をまっすぐに切り裂いていく。
……ここは何処でしょうか?
地下だとは思いますけれど、洞窟のような自然の岩壁ではありません。
わたくしはそっと手を伸ばし、すぐ近くの壁をトントンと叩いてみました。
石とは明らかに違う感触だとおもう。
冷たく、硬く、まるで人工的に固められたかのような平らな表面。
石よりもずっと均一で、指先でなぞるとわずかにざらつきがありながらも、ほとんど隙間を感じさせなかった。
灰色がかった淡い色合いが、薄暗い光の中でぼんやりと浮かび上がっていた。
魔法の素材とも違う……何か、見たこともない人工の塊のようななきがした。
何の素材なのでしょうか……?
多分アヤさんならすぐにわかるのでしょうけれど。
わたくしが解呪の呪文を使用してから一時間ほど経っているけれど、アヤさんからの帰還のアイテムが作動しないということは、瞬間移動は使用不可ということなのかもしれませんわ。
彼女は「帰還の呪文で帰れ」と言われましたが、ここに戻るまでにどのくらいの時間がかかるのでしょうか。
わたくしの帰還の呪文はアウリス様の信者のみが使用できるものですから、多分使用は可能ですわね。
でも帰る先は王国ですわ。大公国まで瞬間移動できる方がいたとしても、人探しとかを考えると二、三日はかかりますわ。
大公国からここの正確な場所まで瞬間移動できる方は、まずいらっしゃらないでしょう。
イザベラさん達と連絡が取れたとしても、半月から一か月はかかってしまいますわ。
それまで魔物の巣窟でもあるこの山脈で、アヤさんお一人にさせるなんて無茶が過ぎますわ。
きっとわたくしが勝手に進んだら怒るのでしょうね。
でも、わたくしもあなたをおいて半月以上、心配しながら過ごすのは嫌ですわ。
なので、わたくしはこのまま進みます。
きっと進めば、あなたとまた会えると信じています。
きっとこれもアウリス様の試練だと思いますので、必ずお会いしましょう。
わたくしはこの灰色の人工的な空間を、静かに歩き出した。
*次章から
【視点切り替えのお知らせ】
第2章以降、アヤとエレナが別行動となります。
1話A = アヤ視点
1話E = エレナ視点 それぞれの視点で交互に物語が進んでいきます。
どちらの視点かもすぐ分かるように、各話タイトルに「A」「E」を付けていますので、ぜひお楽しみください!
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