158話 山の遺跡と罠に引っかかって!
山道は相変わらず鬱蒼とした木々に覆われ、湿った土の匂いと、時折吹く風の音しかしない。
俺達は、単調な足取りで、道の先を無心で見つめながら歩き続けていた。てっきり敵がわらわらと現れるとばかり構えていたのだが、今の所は妨害が何もない。
その静寂が、かえって神経を逆なでする。
ふもとでランチを取って数時間。
何の変哲もない山道の、木漏れ日が途切れたわずかな切れ間のことだった。
右手の茂みを抜けた瞬間、俺は息を呑んでしまった。
驚きで言葉を失った、というより、思考が止まった感じがした。
山道に沿って歩いている視界の横に、山を削り出して作られた巨大な石造りの建物群が、城壁のように連なっていた。
道が遺跡の懐を縫うように続いており、立ち止まらなければ通り過ぎてしまいそうなほど密接な状況だった。
無機質で冷たいけれど、目を奪われるほど美しい都市が、山肌に張り付いていた。
道のすぐ脇で、石造りの住居らしき入り口が真っ暗な口を開けている。そこから、ひんやりとした重苦しい空気が漂ってきた。
道の一部は崩れた石瓦で埋まり、歩くたびにジャリ、と乾いた音が響く。その些細な音でさえ、静まり返った遺跡内では不釣り合いなほど大きく響き渡り、どこか別の何かに位置を教えているような錯覚を覚えた。
「エレナ、どう思う?」
俺は隣を歩くエレナに声をかけた。
「ドワーフが作った都市群でしょうが?」
「そうじゃなくて」
そんなことは分かっている。俺が聞きたいのは歴史的価値の話じゃない。
「すみません。そうですわね。気にせず進んでも構いませんが、もし誰かがいた場合は怖いですわね」
エレナは周囲の闇を警戒するように視線を走らせる。
「そういう時は、間違いなく敵だろうな?」
静寂の中に響く俺の声さえ、ここでは不自然に浮いて聞こえる。
「ここは魔物のテリトリーですので、そうですわね」
エレナの表情が強張った。俺は思考を切り替える。
「時間を食うけど、ここを探索した方が良いのか、何もなかったらここでキャンプを張るか?」
「そうですわね」
彼女は短く答え、きょろきょろと暗がりの様子をうかがっている。
都市群は沈みゆく夕日に照らされ、不気味なほど鮮やかなオレンジ色を反射していた。
本当によくもまぁ、これほどまでに石で家具とか建物を綺麗に作れるものだな。
ゲームじゃあるまいし、どのような技術があればこうなるのか全くわからん。
地球の歴史にもよく似た感じはあるけど、古代の人は本当にすごいと思う。
明かりの呪文を灯し、階段を五階分ほど登り詰めたが、取り立てて怪しいものはいなかった。
ちょうど月光が遺跡の窓を抜け、通路を白く照らし始めた頃だった。
頭上の階から、カツン、カツンという硬質な音が響いてくる。
石の階段を、誰かが規則正しく降りてくる足音だ。
その音に反応して、エレナと顔を見合わせた。
彼女もまた、呼吸を止めてその音に集中していた。
足音は一定の速度を保ったまま、一歩、また一歩と距離を詰めてくる。
何が降りてくるのか。俺たちは階段の角に身を寄せ、気配を殺した。
「隠れなくてもお前たちの匂いはすぐにわかるぜ。風に乗って人間の匂いが二人、しかも女性という事は指令にあった二人で間違いないんだろ?」
暗がりの奥から、酷く低く、地鳴りのような声が響いた。
階段を降り切って姿を現したのは、優に二メートルを超える巨大な人型の生物だった。
ちょうど雲が切れ、窓から差し込んだ鋭い月光がその全身を真横から照らし出す。
青白い光の中に浮かび上がったのは、夜の闇を紡いだような漆黒の剛毛と、鋭利な牙を覗かせる獰猛な狼の顎
そして奴の首筋には、あの魔物の紋章――確か『鋼糸縫合』がくっきりと刻まれていた。
狼男がそこに立っていた。
「こんな小娘二人が、俺たち魔族に喧嘩を売るなんてな」
見下すような鼻笑いに、隣の彼女が不敵な笑みで返した。
「犬っころの分際で、人間の真似して笑うんじゃねえよ」
「この糞アマが……!」
狼男が獰猛に口元を歪めた、まさにその瞬間だった。
視界の端で、エレナの姿が文字通り掻き消えた。
「エレナっ――!?」
突如消えた彼女の行方に、ほんの一瞬、意識を奪われた。
その隙を見流すほどの間抜けではなかった。
気配を察した時には、すでに奴の拳が俺の腹部へとめり込んでいた。
「ぐ、はっ……あ……っ!」
凄まじい衝撃波とともに、身体が真後ろへと弾け飛ぶ。
石段の壁を背中で粉砕しながら数メートルも吹き飛ばされ、俺は床に転がった。
もし、この身を護る『クエルシオラ』がなければ、今の一撃だけで内臓ごと骨肉を破壊されていただろう。
痛みに喘ぐ俺を、奴は喉を鳴らして見下ろした。
「よくもぬけぬけと、この偉大なるポルン様を犬っころ呼ばわりしてくれたなァ! 人間の女の肉は極上だ。たっぷりと凌辱して絶望させた後、美味しく喰らってやるぜ!」
「エレナをどこに連れて行った」
「あの方は研究も熱心だからな、あんないい女なら、魔物の子供を産ませようとするかもな。聞けば、あいつは『聖女』なんて呼ばれてるんだろ? 聖なる者と魔なる者の子供なんて、最高に面白そうじゃねえか」
奴はどろりと涎を垂らしながら、勝ち誇った顔で俺に語り掛けてきた。
激痛に耐えながら、俺は胸の奥から絞り出すように、力ある言葉を紡ぐ。
「――業火の精霊よ、我が意に従い、敵を焼き尽くせ!」
「『火炎流』の呪文かよ。果たして俺様に通用するかな!」
掌に凄まじい炎が渦を巻き、激しい熱気が爆ぜた。
それは火炎球の上位呪文。だが、俺はそれを放たなかった。
手のひらを狼男に向けるのではなく。
燃え盛る大炎を、己の身体へと叩きつけたのだ。
「ぎゃはははは! 女を取られて自暴自棄になりやがったぜ! でもよ、てめえの死体はあの方に持って行かなきゃならねえんだよな!焼き尽くしてから考えればいいか」
ジ、ジ、と肉の焼ける凄絶な音が響いた。
皮膚が焦げる匂いと、先ほど殴られた痛みが全身に広がる。
暴走を始めた魔力が、内側から細胞を焼き尽くそうと暴れ狂う。
熱風で自分の髪が舞い上がるのが見え、視界が真っ赤に染まった。
炎が肉体に食い込み、周囲の霧を一瞬で蒸発させ、激烈な陽炎が俺の周囲に立ち上る。
必ず助けてやる、待っていてくれ!
そう強く願った瞬間、荒れ狂う炎が俺の身体と完全に同調し、寄り添うように纏い始めた。
足元の地面を爆発的に蹴り、炎の塊となったまま突っ込む。
世界が音を失い、ただ炎の唸りだけが周囲を震わせていた。
熱の奔流が内側から溢れ出す。それはただの火ではなく、明確な意思を持った生き物のようだった。
紅蓮の炎は一対の巨大な翼の形を取り、背から広がって空気を切り裂く。
炎が大気を力任せに押しのけるたび、突風が唸り、砂塵が舞った。
燃え上がる羽根が夜の闇を真昼のように照らし、まるで空を翔ける鳥のように、俺の身体を導いていく。
その姿は、まさしく火の鳥だった。
剣を烈風の中で引き抜き、狼男へと突進する。
剣に宿った炎が鋭く輝き、金属が軋むほどの音を立てた。
燃え盛る力が刃に集束し、全身の魔力が一点へと流れ込んでいく。
自らを燃やし尽くし、その炎で命を繋ぎながら放つ、一撃必殺の技。
刹那――紅蓮の刃が、驚愕に目を見開くポルンの肉体に突き刺さった。
爆発的な炎が狼男の剛毛を焼き、肉を貫き、その巨体の内側から眩い光の亀裂となって噴き出した。
全身を焼き焦がす熱量と、それを上回る自己修復の魔力が血管を駆け巡る。俺の肉体は炎の羽を纏ったまま、凄まじい勢いで組織を再生させていた。対する狼男もまた、その巨体を真っ赤な焔に焼かれながらも、悍ましいほどの速さで細胞を増殖させ、再生を繰り返している。
「単語不死鳥を纏った俺の一撃を食らってもなお生きているとは、流石に化け物だな」
俺の皮肉に対し、ポルンは焦げた肉塊を震わせながら、裂けた口元で醜悪に笑った。
「『鋼糸縫合』を刻まれた俺様の再生力は、トロルなんぞ比じゃねえんだよ」
その言葉が終わるのを待たず、俺は奴の突き出された顎、その喉奥を真っ直ぐに見据えて掌を向けた。
「その再生って言うのは顔がぶっ飛んでもできるのか見せてもらうぜ!」
呪文の残滓が喉を通り、空気が重く澱む。ポルンの琥珀色の瞳から余裕が消え、初めて明確な恐怖が浮かび上がる。奴が腕を振り上げ、何かを食い止めようと足掻くが、その動作は決定的に遅い。
「爆裂」
放たれた破壊の奔流が、ポルンの開いた口へ吸い込まれた。
刹那の静寂。直後、奴の頭蓋が内圧に耐えかねて歪に膨張した。
逃げ場を失ったエネルギーが内側から炸裂する。それはまるで、熟れきったザクロを万力で握り潰したかのようだった。
引き裂かれた顎が明後日の方向へ吹き飛び、鼻梁から頬にかけての肉は、どろりとした紅い泥へと成り果てる。牙も、骨片も、すべてが凄まじい血霧とともに暗闇へと霧散した。
黒く焼け焦げた頭蓋の残骸が、床を虚しく転がっていく。
残された頸部の断面からは、狂ったように鮮血が噴き上がり、静まり返った空間を容赦なく赤く染め上げた。
「再生する奴なんて、たいてい顔をぶっ飛ばせば死ぬんだよ」
俺は吐き捨てるようにそう言うと、額に張り付いた血混じりの髪を無造作にかき上げた。
残響する爆音と、鼻を突く焼けた肉と鉄の匂い。
足元では、まだわずかに痙攣を繰り返す肉塊が、漆黒の剛毛と共に溶け崩れている。
一呼吸おき、俺はすぐさまエレナの身柄を確保するために空間転移の術式を展開した。
だが、魔力の奔流は空を切り、霧散する。
やはりそうか。この一帯、転送呪文の使用を禁じるような高度な結界が張られているのか。
エレナは何処へ消えた。影の所に送られたか?
最悪の事態を想定し、胸の奥で重たい石が転がるような感覚を覚える。
最初の取り決め通り、俺から離れた時点で帰還の呪文を使用してくれていればいいのだが。
……いや、期待はしていない。
「シビさんを置いて帰れませんわ」
彼女の脳裏に浮かぶであろう、あの頑固なまでの使命感と慈愛が透けて見える。
まったく、と小さく溜息を漏らした。
とりあえず進むしかないな。
俺は燃え上がる右手の炎を握り締め、死した狼男の残骸を跨いで、先を進んだ。
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