番外編5 突入前日の夜のわたくしの気持ち
156話の宿のシーンですけど。番外編4と同じ時間軸なのでこちらに入れました。
お風呂から上がったばかりの身体には、まだ芯の方に心地よい熱が残っていた。
わたくしは、その足のままシビさんの部屋へと会いに行った。
宿屋のすぐ隣の部屋という気の緩みがあったからだろうか?
今思えば、少しはしたない格好だったと気づいて顔が熱くなったのは、自分の部屋に戻ってきてからのことだった。
同性同士の気安さがあるとはいえ、膝のあたりまでしか丈のない大きなシャツを、ただ一枚羽織っただけの姿で会いに行ってしまうなんて。『本当に、わたくしはどうしてしまったのでしょう……』と、思い返すだけで気恥ずかしさが込み上げてくる。
トクトクとコップに注いだ水を一口含み、喉の渇きと一緒に、トクンと小さく波打つ胸の鼓動を落ち着かせる。
ひんやりとした水が身体に染み渡っていくのを感じながら、私はこれまでの冒険の日々を静かに思い出していた。
まだ出会ってから一年も経っていない。
それなのに、もう何年も一緒に旅を続けてきたかのような錯覚を覚える。
それほどに、彼女と過ごす毎日は濃密で、一日一日が中身の詰まったものだった。
『きっと、アウリス様の神託にあった人はあの人だわ』
今はもう、はっきりと納得できる。
誰よりも強くて、それなのに、見ていてハラハラしてしまうほどに危なっかしい人。
普段の口調はぶっきらぼうなのに、その実、周囲にいる人たちのことをよく考えてくれている人。
それでいて、自分自身の身に何が起きても、全く気にとめない人。
『その結果、自分に何が起きても仕方ないとでも思っていらっしゃるような……』
そんな雰囲気が、彼女の後ろ姿にはいつも漂っている。
それが、私には少しだけ、たまらなく不穏で、どこか寂しく感じられるのだった。
本当に、彼女がどこからやってきた人なのかはわからない。
けれど、わたくし達とは根本的な何かが決定的に違っているような、そんな奇妙な違和感がいつも付きまとってい
た。
それが一体何なのか、今のわたくしにはうまく言葉にできない。
『でも、わたくしはきっと、あの方のすべてを全肯定してしまうのでしょうね』
いや、それは少し違うかもしれない、とわたくしは思い直す。
間違えましたわ。わたくしを置いて行きさえしないのであれば、あの方が何を言おうとも、どんな道を選ぼうとも、「そうですのね」と微笑んでついていく自信がありますもの。
その秘密の根っこの部分を、彼女が自ら教えてくれる日は来ないのだろう。
きっと、教えてはいただけないのでしょうね……
手元にあるグラスを傾け、少しだけワインを口に含む。果実の渋みと甘みが喉を通り過ぎていくのを確かめてから、小さく切ったチーズを口に運んだ。濃厚な風味が舌の上に広がるのを引き金にするように、ふと、この間の出来事が脳裏に鮮烈によみがえってきた。
「人の女に手ェ出すんじゃねえよ……!」
凄みのある声で、彼女は確かにそう言ったのだ。
まさか、同じ女性であるシビさんの口から、そんな風に守られるような言葉が飛び出すなんて思いもしなかった。
『わたくしたちは女性同士ですのに、なぜそんなことをおっしゃったのかしら……』
そんな純然たる疑問を、その場で本人にぶつけてみようともしましたけど、当のシビさんは自分が口にした言葉を忘れている感じでしたわ。
あれでは、今さら問い詰めたところで言っても無駄に終わるだけだろうと思う。
『なんだか、わたくし一人だけがこうして今もドキマキさせられていて……少しだけ、あの方は卑怯だと思いますわ』
思い返せば、それ以前からおかしなことはたくさんあった。
彼女は、私が親愛を込めて必要以上に身体を触れ合わせようとすると、なぜかあからさまにドギマギして照れるというか、妙に恥ずかしがることが多いのだ。
わたくしは、あの方の普段の男性めいた言葉遣いや、男勝りな行動が原因で、不意のスキンシップに慣れていらっしゃらないだけだと思っておりますけれど……本当に、それだけなのかしら?
あの禁断の山での出来事以降、わたくしも彼女のことを、どこか特別に意識してしまっている部分が少しばかりあった。
けれど、それは絶対に駄目なことですわ、と自分を戒める。
わたくしと彼女は同性であり、そのような感情を抱くことは、アウリス様の正しい教えに反してしまう。
『本当に?』
不意に、鼓膜を揺らすような声が聞こえた。
きょろきょろと慌てて周囲を見回してみても、静まり返った部屋のなかには誰もいない。
今の声はいったい何だったのかしら、と胸のざわつきが止まらなくなる。
ここ数日は緊張が続いていて、きちんと身体を休めることができていなかった。
だから、変な幻聴を聞いてしまう前に、今はゆっくりと休まないといけなかった。
明日からは、いよいよ魔族の本拠地でもある、あの険しい山脈へと行くのだから。
わたくしはそう思いつつ、明日の死線に備えるため、自分の法衣の汚れを払い、黄金の錫杖の丁寧な手入れをした。
ひんやりとした冷たい金属の質感を掌に感じながら、細かな傷を布で磨き上げていく。
今までも数々の過酷で大変な戦いはありましたが、間違いなく、今回が一番ひどいものになる。
これから始まる凄惨な戦いを思うと、そして何よりも彼女のことを思うと、やはり胸の奥がドキッとしてしまう。
この胸を焦がすような気持ちの正体はわかりませんが、これから先、どんなことがあろうともこの気持ちが揺らぐことはないし、これからも変わりませんわ。
わたくしは、あの方の補助を全力でしていこう。
アヤさんが立ち止まることなく、前を向けるように、その背中を命懸けで護っていく。
わたくしはそう強く心に決めて、明かりを消した暗がりのなか、「おやすみなさい」と彼女の横顔を思いながら、ゆっくりと寝た。
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