155話 手紙とこれからの事
結局、瞬間移動を使っても村に着いたのは、すでに朝方だった。
東の空がうっすらと白み始め、夜の冷たさがまだ残る道を、俺とエレナは並んで歩いていた。
足取りは重く、身体の芯に疲労が染みついている。
「みんなまだ寝てるよな?」
俺は隣を歩くエレナに小声で聞いた。
「心配はしておると思いますが……旅を続けなければならないこともわかっておりますので、寝ていると思いますわ」
エレナの声も少し掠れていた。
宿屋の扉をそっと押し開けると「……バカじゃないのか」思わず声が漏れた。
薄暗い1階の食堂。まだ明かりも十分に入っていない店内に、三つの人影がテーブルを囲んでいた。
「皆さん……!」
エレナが驚いた声を上げた瞬間、三人が同時にこちらを向いた。
眠そうな、けれど明らかに安堵した顔を向けてきた。
「イザベラさん、ハンスさん……アヤさんとエレナさんが帰ってきたよ!」
リーニャが椅子をガタンと倒して立ち上がり、こちらに向かって全力で走ってきた。
朝早くから客もいない宿屋で走るなんて、先生に怒られただろうに。
リーニャはそのままエレナに飛びつき、細い腕でぎゅうっと抱きついた。
「おかえりなさい……! 本当に、ごめんなさい……!」
何度も謝るリーニャの声が震えていた。
「おかえり」
イザベラは眼鏡を外しながらレンズを拭き、静かに言った。
いつもの冷静な表情の裏に、ほんの少しの安堵が浮かんでいるのがわかった。
「いや~、二人とも帰ってくるまでここで待つなんて言い出したのは俺だけどな……」
ハンスが照れくさそうに頭を掻きながら笑った。
「ハンスも悪かったな。よくここまで来てくれたよ」
俺は気のいい御者に笑顔で礼を言った。
みんなと合流した俺たちは、宿屋の食堂で簡単な朝食を囲んだ。
まだ外が薄明るい時間帯で、厨房から湯気とパンの焼ける良い匂いが漂ってくる。
俺とエレナは交互に、昨夜の出来事をかいつまんで話した。
一番顔を曇らせていたのは、やはりリーニャだった。
彼女はスプーンを握ったまま俯き、肩を小さく震わせていた。
スパイとして俺たちのパーティーに潜り込み、エレナ誘拐の一端を担っていた罪悪感が、まだ彼女の胸を強く締めつけているのがわかった。
「リーニャ……お前が悪かったんじゃない」
俺は静かに言った。
「大事な人たちを人質に取られたら、誰だって同じことをするさ。……俺だって、きっと同じことをしただろう」
リーニャは唇を噛み、掠れた声で何度も「ごめんなさい」を繰り返した。
「俺こそ悪かった。アレックスのこと……」
「でも綾さんは、人として……」
「頭ではわかっていても、感情が納得いかないこともあるだろ」
俺がそう言うと、リーニャは少しだけ顔を上げた。
「二人がいない間に、私のことは二人に話しました。気持ちも少し整理できまして……」
「そっか……」
俺はそれ以上、何も言えなくなった。
彼女は、俺より強いのかもしれない。
もしエレナが同じように殺されていたら、俺は「仕方ない」と頭で理解できても、こんな風に笑って話せる気がしなかった。
「それで、シビさんはあれを克服できたのかい?」
イザベラが眼鏡の奥から静かに尋ねてきた。
「イザベラ、もう大丈夫だ。そりゃ人を殺すなんて一生悩むことだろうが……どうにか出来たんじゃないかとな。それでも仕方ない時は、するって決めたんだ」
イザベラはエレナの方をチラリと見て、彼女が小さく頷くのを見てから、ふっと表情を緩めた。
その笑顔は、今まで見たどんな笑顔よりも、自然で柔らかかった。
「イザベラって……笑うんだな」
「あら。私も人間ですよ。笑うことくらいあります」
「いや、いつもは商人としての作り笑いじゃん。こんな自然な笑顔、初めて見たからさ」
イザベラは少し照れたように目を細め、珍しく素直に言った。
「そうかもしれないね。……自然と笑みが出たみたいだよ」
「スパイだったら絶対イザベラだと思ってたんだけどな」
「私、そんなに敵対的なことしておりましたか?」
「いや、お前のポジションが一番自由が効くからだよ」
「まったく……信用第一の商人を捕まえて」
イザベラは怒っているというより、軽く拗ねたような声で言った。
それでも口元には、さっきの自然な笑みがまだ残っていた。
そんな話をしていた時だった。
宿屋の奥の厨房の方から、主人が少し慌てた足取りでこちらにやって来た。
エプロンを拭きながら、申し訳なさそうな顔をしている。
「どうしたんですか?」
「あ、いえ……今、裏口に人が来ましてね。『シビさんという方にこれを渡してほしい』と言われて……女性三人と男性一人でテーブルに座っているって、しっかり言われましたので……」
店主はそう言いながら、一通の封筒を差し出した。
「シビは俺だけど……ありがとう」
俺は封筒を受け取りながら、思わずみんなの顔を見回した。
当然のように、テーブルにいた全員が怪訝そうな表情を浮かべている。
「そこまでわかっているなら、なんで直接来ないんでしょうね……」
ハンスが腕を組んで首を傾げた。その疑問は全員が抱いているものだった。
俺は席に座り直し、手紙の裏側を確認した。
白い封筒には上品な封蝋が押してあり、「貴女の友人より」と流麗な文字で書かれている。
「どちら様ですの?」
エレナが身を乗り出して、俺の横から封筒を覗き込んできた。
「俺の友人らしいよ」
「え……?」
「ふざけやがって……」
イザベラが小さく息を呑み、リーニャが不安げに俺の顔を見ていた。
「店主に聞いて、その人物を見つけてきますか?」
「ううん、いいよハンス。何もしなくていい」
俺はそう言って、慎重に封を解いた。
そこに入っていたのは、丁寧に折りたたまれた手紙一枚と、
長方形の金属プレートをトップにあしらった、シンプルだがどこか上品な銀のペンダントだった。
『拝啓って言うんでしたっけ? 先ほどぶりですね、僕ですよ』
いきなり砕けた、メタな挨拶ではじまる文体に、俺は眉を寄せた。
やはり、奴だ。
手紙を広げ、みんなに見えるように少し持ち上げながら読み始めた。
――このまま、だらだらと進んでいると、見ている僕はとても暇なんですよね。
かと言ってちょっかいを出すとなったら、適度なおもちゃもないので、資源の無駄だと思うんですよね。
僕としては、人間は見て愛でるものだと思うので、僕からは基本的に手を出すつもりはないんですけど。
人間もいろいろ観察記録をするじゃないですか?
僕の今はアヤさん。
貴女を観察することなんですよね。
この大陸にあなたが来て、実に面白いと思ったんですよ。
ここだけの話ですけどね、僕も山の連中に少し手を貸してたんですよね。
つい最近まで。
観察すると、意外と面白くて、しかも中途半端だとしてもあなた方が「紋章の力」と言っているものを倒すなんて、予想外でしたので手を引いたんですよ。
どこまでやってくれるかなぁって、楽しみに見ていたんですけどね。
本題を忘れていましたね。
いやぁ、手紙を書くなんて、面倒なことやったことなくてね。
人の真似をするのもなかなか楽しいですよ。
また話がずれちゃいましたね。
このまま進んでも同じことの繰り返しだし、かといってあなたも早く現地に着きたいでしょ。
だから提案をします。サービスですよ。脱ぎませんけどね。
人間って服を脱いでる人が好きですよね。違うのかな? まぁいいか!
封筒に入れているペンダントを握れば、目的地まで一瞬で来られますよ。
貴女の身体を掴めば、あなた以外の人も一緒にこれるから安心してね。
でも非戦闘員まで連れてきたらわかるよね?
目的地と言ってもみんなの場所じゃなくて、シビさんが最初に来ようとしてた山の入り口までだけどね。
流石に中枢まで連れて行くと僕が怒られるしね。
使ってもいいし、使わなくてもいいですよ。
罠かもしれないからね。
そう言う悩んでる姿も僕にとってはとても楽しいから、もっともっと僕を楽しませてね。
君が僕を頼ましてくれるなら、僕からは、基本人に手を出さないからさ。
こういう時、名前がないと不便だよね。
名前考えてくれたらうれしいかも。
それじゃまたね。
シビさんの友人より――
手紙を読み終えた瞬間、宿屋の朝の空気がピンと張りつめた。
「シビさん……」
エレナが心配そうに俺の顔を覗き込んできた。大きな青い瞳が、朝の光の中で不安げに揺れている。
「あの魔族だ。リーニャ、お前の村の位置は?」
「あ、はい……あの森から二時間ほど北へ向かった場所に、私が暮らしていた村があります」
「となると、もしかしたらそこまでが魔族たちの勢力圏のラインかもしれないな」
「シビさん、なんでそう思うんだい?」
イザベラが眼鏡のブリッジを人差し指で押し上げ、冷静に聞いてきた。いつもの商人らしい鋭い視線が俺を捉える。
「ただの深読みだ。奴が俺の友人を名乗るなら、そこまで来ると危ないから非戦闘員は来ないでね、って書いてある気がしてな。……どうする?」
「ですが、私たちの目的も北の山近くの村まで行って……っていう建前はやめた方が良いね」
「そうしてもらえると嬉しいな」
俺はイザベラとハンスの二人を見て、そう答えた。
エレナとリーニャはまだ事情が飲み込めていない様子で、首を傾げている。
「商人と御者っていうのは本当なんだろ? エレナ、考えてみろよ。危険な旅なのに、なんで非戦闘員を連れていく必要があるんだ」
「それは……馬車を使うのなら御者は必要ですし、基本的にシビさんじゃあるまいし、旅の必要なものは買い物が必要だから派遣されたのでは?」
「普通の旅だったらな。北に行けば行くほど魔物の抵抗は強くなるし、賊も現れるのに、なんでそんなものが『必要』だった? 俺とエレナだけでもどうにでもなるだろ」
「そこまでわかっていて、何で同行を許したんだい?」
「面倒なことはお前たちに任せられるじゃん。おかげさまで余計な作業をここまでしなくて済んだ。俺の監視もあったんだろ?」
「まぁ……ばれますよね……ははは」
ハンスが照れくさそうに笑いながら、エールをぐびぐびと飲み干した。
「笑い事じゃないでしょうが、全く……」
「でもイザベラ、仕方ないだろ」
「そうね」
「それで、どうするんだ?」
「ばれちゃいましたからね。付いて行きたいのも山々ですが……」
イザベラはハンスに目配せし、彼が静かに頷いた。
「ここから先は、どうも私たちが進んでいい境界ではないと思うんだよね。だから……」
彼女はリーニャをじっと見つめた。
リーニャは緊張した様子でおどおどと視線を泳がせている。
「リーニャがよければだけどね、商人として来ないかと思ってるよ」
「私が……ですか?」
「あぁ、もうランクで言いなりにはなりたくないだろ」
「……はい」
「私は公国御用達の商人だよ。それでもたまに理不尽なことはあるけど、私と同じ資格を得たら、今までのような理不尽は少なくなるけど、どうだい?」
「ですが、私は皆さんを裏切って……」
「誰も怒ってないよ。どうしたい?」
ガタッ。
リーニャは勢いよく立ち上がり、椅子を倒してしまった。
そのままイザベラの方へ駆け寄り、泣きながら強く抱きついた。
「う……うわぁぁん……!」
「ハンスは?」
「俺は変わりません。俺は足係りですから、イザベラとリーニャの言われた場所に行くだけですよ。俺は御者ですから」
「そっか。まぁ、とりあえず、今日と明日はここでゆっくりしようぜ。このまま疲れた状態で進んで、戦えなくなったらシャレにならないからな」
その言葉に、テーブルにいた全員がふっと笑い合った。
朝の柔らかな光が、宿屋の窓からゆっくりと差し込んでいる。
ゆっくり休んでから、少しの間だけ手の平で踊ってやるよ
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