147話 休憩
取り残された俺たちは、リーニャを連れて瞬間移動でイザベラたちの野営地に戻った。
焚き火の橙色の光が揺れる中、イザベラがすぐに駆け寄ってきた。彼女の顔には明らかな不安が浮かんでいる。
「エレナさんはどうしたんだい?」
「……連れていかれた」
「あんたがいて、何をしてるんだい」
「違うんです。綾さんのせいではなくて、私の……」
リーニャはそう言い残すと、突然声を上げて泣き崩れた。
肩を激しく震わせ、両手で顔を覆いながら嗚咽を漏らす。
涙が指の間から溢れ、地面にぽたぽたと落ちていく。
俺は重い息を吐きながら、事の経緯を二人に詳しく伝えた。
イザベラとハンスは深刻な顔で聞き終え、互いに視線を交わした。
焚き火の炎が二人の表情を不安げに照らしている。
「シビさん、いつでも出られますぜ!」
「ああ、ありがたい事に俺もご招待を受けたからな。場所はお分かりで?」
「あそこに見える山があるだろう? あそこまで来いってよ」
北の平原の彼方に、うっすらと山のシルエットが浮かんでいた。
霧の向こうにぼんやりと見えるその山が、俺を待ち構えているように感じられた。
「馬車で行ったら二、三日はかかりますね」
「やはりか……」
ギリギリの日数を指定しやがった。
時間的にも精神的にも、俺を追い詰めて弱らせるつもりなんだろう。
「やはりそうだね」
事情を知ったリーニャの頭を優しく撫でながら、イザベラが俺の方を見つめてきた。
その瞳には、強い決意と心配の色が混じっている。
「どうした?」
「ここから先は、シビさんあんた一人で行ってもらうよ」
「おいおい、それじゃ危ないだろう?」
ハンスが慌ててイザベラに聞いた。
「私たちが付いて行っても足手まといだよ。こんな遅い馬車で行ったら、かえってシビさんの負担になる」
確かにそうだ。馬車で行くとしたら敵の足止めをして三日かかってしまう。
そうしたらあのキチガイにエレナが何をされるか……想像しただけで胸が締め付けられた。
「私たちは後退するけど、この間の村まで退却した方が良い。こんなことがあって、リーニャもこのままではいられないしね」
イザベラは焚き火の揺れる光の中で、優しそうな目でリーニャを見つめながら静かに言った。
その声は穏やかだったが、隠しきれない心配がにじみ出ている。
「イザベラさん。あんなことしたのに……」
「恋人が捕まって、私達をだましたとしても、それは大事なものを護るためだったんだろう。なら仕方ないよ」
「イザベラさん……」
リーニャは大粒の涙をぼろぼろと流しながら、イザベラに飛びつくように抱き着いた。
彼女の肩が激しく震え、嗚咽が抑えきれずに漏れている。
イザベラは静かに彼女の背中を抱きしめ、優しい手つきで頭をゆっくりと撫で続けた。
焚き火の炎が二人の姿を柔らかく照らし、夜風が冷たく木々を揺らしている。
その光景を見ていると、彼女だけでも助けれたのはよかったのかもしれない。
「なら行ってくる」
俺がそう言って歩き出そうとした時だった。
「シビさん、今行くのはまずいよ」
イザベラの声が焚き火の音に混じって静かに響いた。彼女の瞳には本気の心配が浮かんでいる。
「時間がねえだろうが」
俺は苛立ちを抑えきれず、声を荒げて返した。腹の傷は塞がったはずなのに、焦りが全身を重くしている。
「その体力でどうするのさ。一旦一日休みな。それまでにこちらは薬草とか薬とか見繕っておくから」
イザベラは穏やかだが、決して引かない目で俺を見つめていた。
焚き火の炎が彼女の顔を橙色に照らし、真剣な表情がはっきり浮かび上がる。
「そうやって冷静さを無くさせるのが向こうの手だと思うよ。今あんたが不調なのはわかるけど、だからこそこれ以上おかしくならないように冷静にしないといけないだろ?」
イザベラの言葉は静かだったが、芯の強さを感じさせた。
焚き火の炎が彼女の顔を橙色に照らし、真剣な瞳が俺をまっすぐ見つめている。
「確かにそうだな……」
「わかったのならいったん寝なさい。いくら呪文で毒を取り除いたとしても、疲れまでは取れてないんだろ? そして起きたらしっかりご飯を食べていくこと。いいね?」
「優しいじゃん。商品まで無料でくれるなんて、商人であるお前にしては損でしかないだろう」
俺が苦笑しながら言うと、イザベラは小さく肩をすくめた。
「二人で戻ってきたら格安で売ってあげるよ。失敗したら10倍で売りつけるから、きちんと二人で戻ってきなさいよ」
その言葉に、俺の胸の奥が少しだけ軽くなったような気がした。
イザベラの優しさと、商人らしい現実的な計算が混じった言葉が、妙に心に響いた。
俺は素直に頷き、用意された寝袋に入った。
地面の冷たさが体に染み、腹の傷が鈍く疼く。
目を閉じた瞬間、これまでの疲労と緊張が一気に押し寄せてきて、意識があっという間に落ちていった。
相当、限界だったらしい。
俺が目を覚ましたとき、すでに日は西に大きく傾き、夕暮れの空を柔らかな赤橙色に染め上げていた。
テントの隙間から差し込む光は、温かみのある赤銅色で、森全体を優しく包み込んでいた。
穏やかで、どこか物悲しい気持ちがよみがえってくる、そんな美しい色合いに見えた。
「ぐっすり寝た感じだね」
くすくすと柔らかく笑う声がすぐそばから聞こえてきた。イザベラだった。
彼女は焚き火のそばに腰を下ろし、鍋をゆっくりとかき混ぜながらこちらを振り返る。
夕焼けの赤い光が、彼女の艶やかな茶色の長い髪を優しく照らしていた。
髪は一部を高くまとめ、白い花と緑のリボンで飾られ、丸い眼鏡の奥の瞳が知的に細められている。
「もう夕方じゃねえか、寝過ぎた」
「それだけ疲れていたんだよ……無理もないわ。あの森の事はリーニャに聞いたよ」
彼女の声は優しく、しかしどこか余裕のある響きがあった。
夕陽が彼女の緑色のアクセントの服や、耳元の緑の宝石のピアスを美しく輝かせていた。
俺はまだ少し重い体を起こしながら、苦笑した。
強がっていても、女の体は正直で、全身が鉛のように重かった。
どれだけ鍛えていても、スタミナでは生前の同じ年齢の時より落ちてることを実感する。
そこへ、リーニャが静かに近づいてきた。彼女は木製の器に温かいスープを注ぎ、焼きたてのパンと一緒に俺の前に差し出す。その手がわずかに震えていた。
「俺に?」
どんな事情があろうとも、彼女の彼を殺したのは俺だ。
俺はとまどいながらスープを受け取った。
「綾さんの顔を見るのは少しまだつらくて、……まだ、悲しいです。でも……彼を、眠らせてくれてありがとうございます」
リーニャの声は低く、抑え気味だった。
大きな瞳にはうっすらと涙が溜まり、夕陽の赤い光を受けてきらきらと輝いている。
それでも彼女は、口元だけを懸命に微笑ませようとしていた。
その痛々しい笑顔に、俺は一瞬言葉を詰まらせた。
「お前に殺されてもいいけど……エレナを助けるまで、待ってくれ」
俺がそう言うと、リーニャはゆっくりと首を横に振った。
「恨んでいないと言ったら、嘘になります。でも……そんなことはしません。ああなった彼は、眠らせてくれたのだから」
その言葉の重さに、俺はただ静かに頷くしかなかった。
長い髪を夕風に揺らしながら、俺はスープを啜る。
食事が終わりに近づいた頃、ハンスが大きな体をゆったりと揺らして近づいてきた。
彼の顔にはいつもの豪快な笑みが浮かんでいたが、目にはわずかな心配の色が混じっていた。
「二人は俺が責任を持って村まで送ります。安心してください」
俺は立ち上がり、少し迷ったあと、懐から三つの深紅色の「ガーネット」を取り出した。
掌にすっぽり収まる結晶石は、夕陽に照らされると内部に封じ込められた魔力が、まるで生き物のようにゆっくりと脈打っていた。
「だけど、このままじゃ心配だ」
俺はハンスの大きな手にガーネットを乗せながら、説明した。
「この石を握って、『イグニス・バースト』と言えば起動する。魔法が使えないお前でも問題ない。ある程度の魔物なら、これで十分に戦えるし、逃げる時間も稼げるはずだ。戦闘が終われば自然に砕けて灰になるから、周囲に迷惑もかけねえよ」
ハンスはアンバーをじっくりと見つめ、太い指で軽く握りしめた。
「へへっ、わかりました。……つまり、敵が出てきたらこいつでぶっ飛ばして、隙を見て逃げろってことですね」
「ああ。それでいい」
ハンスは胸をどんと叩いて、力強く笑った。
「村で、二人とも無事に帰ってくるのを待ってますぜ」
食後の後片付けを終えると、俺はテントを後にした。
少し迂回する形で森の端に沿って走り出す。夕暮れの森は、木々の影が長く伸び、湿った土と落ち葉の匂いが濃く漂っていた。
赤い夕焼けは徐々に紫がかり、夜の気配が静かに近づき始めている。
背後で仲間たちの気配が遠ざかっていくのを感じながら、俺は目的の場所に向かって、ひたすら足を動かし続けた。
長い銀髪が夕風に揺れ、腰の剣が小さく触れ合う音を立ているのを聴きながら、俺も影と一体化しながら進みだした。
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