146話 奪われた聖女
俺はグラディウスを鞘に戻すと、皮がぼろぼろと剥がれ落ちていくアレックスに向かって全力で駆け出した。
奴と交差する刹那、閃光のような鋭い一閃を放つ。
盗賊系暗殺術奥義――『闇夜の断罪』。
斬り抜けた勢いのまま奴をすり抜け、地面を強く蹴って高く跳んだ。
空中でバク転した瞬間、背後から異様な気配が膨れ上がる。
……再生してる。
振り返ると、化け物と化したアレックスが耳をつんざく遠吠えを上げていた。
剥がれた皮膚の下から赤黒い肉が蠢くように盛り上がり、傷口が目に見える速度で塞がっていく。
骨がぐにゃりと形を変え、新たな筋肉が盛り上がる様子がはっきり見えた。
俺は空中で体勢を整え、力ある言葉を唱えた。
「『爆裂』!」
手のひらから魔力を叩き込んだ瞬間
アレックスの頭の中で凄まじい爆発が炸裂した。
熱い血飛沫が俺の頰や腕にべっとりと叩きつけられ、焼けた肉の臭いが鼻の奥まで突き刺さる。
視界いっぱいに赤黒い肉片と骨の破片が飛び散り、爆風が顔を強く吹いていた。
「ガァァァァァァッ!!」
アレックスが断末魔の咆哮を上げ、巨体を激しくのけぞらせた。
顔の半分を失った傷口から血が噴水のように噴き出し、そのままバランスを崩して地面を砕く勢いで倒れ込んだ。
ドンッ!という重い衝撃が地面を揺らし、大量の土煙が爆発するように舞い上がった。
俺はエレナのすぐ傍に着地し、グラディウスを構え直した。
その時、視界の端にリーニャの姿が映った。
彼女は呆然と立ち尽くし、破れた服の残骸を両手でかろうじて押さえていた。
次の瞬間、彼女の目から大粒の涙が溢れ、肩を激しく震わせて声を上げて号泣し始めた。
……やるせない気持ちが、胸の奥に重く広がっていく。
「本当にむかつくな」
バムシスは忌々しげに顔を歪め、俺をキッと睨みつけてきた。
「本当に何でもありだな君は。すぐに毒解除ができないからって再生呪文を使用してるとはね」
「こんなところで死ぬわけにはいかないからな」
そう言いながら、俺はアレックスに向かって走り出そうとするリーニャの肩を素早く掴んだ。
リーニャは「アレックス! アレックス!」と何度も叫びながら、涙をぼろぼろ流して泣きじゃくっていた。
俺の手に必死に抵抗し、肩を振りほどこうと体をよじっている。
彼女の指が俺の腕に食い込み、震えが伝わってきた。
「キメラかよ」
「あれだけでよくわかったね。人の細胞に少しだけトロルの細胞をね。完全に完成したと思ったんだけどなぁ。実際、何事もなくここまで来られたって言うのにさ」
「人の命を~」
バムシスは「あはははは」と下品に大笑いした。
その笑い声が濃い霧の中に不気味に響き渡り、俺の神経を逆なでする。
何がそんなにおかしいんだ……?
俺には全く理解できなかった。
「何がおかしいのかわからないっていう感じだなぁ。こんな自分以外の命はゴミ同然だという世界なのに、そんな甘い事を考えられるって、君って天然かい?」
「この外道が……」
「外道ね。でも君も怪物だと言って命を奪うじゃん。何が違うの? 自分に理があれば何をしてもいいだろう。それが力だ」
「それは……違う」
「何が違う? 人は利己的なんだよ」
バムシスは俺と、地面に倒れたアレックスを交互に見ながら、馬鹿にしたような薄笑いを浮かべていた。
その目は本気で楽しそうで、吐き気が込み上げてくる。
「その女は自分の命よりも大事だと思ったから、俺に身体を許したし、その怪物も彼女を助けるために改造された。俺は女を抱きたかったし、今の実験もしたかった」
バムシスは、おもちゃを弄ぶ子供のような、底意地の悪い笑みを浮かべて俺を見つめていた。
その視線がねっとりと絡みついてくる。
「こういうのを需要と供給というものだろう。お互いが渡せるものを渡す。そいつらは俺に渡せるものがそれしかなくて、そして身体が耐えきれずに暴走した。面白いおもちゃだったよ」
俺の拳が自然と握り締められた。腹の傷が疼くのも忘れるくらい、胸の奥が煮えたぎる。
「なら俺がお前を殺しても文句はないんだな」
「殺せないのによく言うよ。実際にタイマンで戦ったら勝てないけどさ。あの戦闘に特化した龍角にも勝つんだし。本当に化け物だねぇ」
バムシスは肩を震わせて笑いながら、俺を嘲るような目でじっと見つめていた。
その笑顔が、霧の中で異様に白く浮かび上がる。
俺が一歩踏み込もうとした瞬間、周囲から凄まじい殺気が一気に噴き上がった。
背筋が凍りつき、俺は慌てて周囲を見回した。
木々の影や濃い霧の中から、見慣れない武器を持った人影が十数人、次々と姿を現していた。
全員が無言で俺たちを囲み、冷たい殺意を向けている。空気が重く張りつめ、息をするのも苦しいほどだった。
「今日は顔合わせになっちゃったね。きみをおもちゃにしたくなったよ。だからさ、3日後ここに来なよ。」
バムシスが楽しげに笑いながら言った瞬間、後ろにいたエレナの気配が、突然消えた。
俺は血の気が引くのを感じて素早く振り返った。
彼女はバムシスの足元にぐったりと倒れ込んでいた。
金色の髪が泥と血で汚れ、白い法衣が乱れている。
「3日後に来なければ、エレナ君で遊ぶから。それまでは手を出さないことを約束してあげるよ」
「きさま……!」
俺が一歩前に飛び出そうとした瞬間、足元すぐ近くに光の線が突き刺さった。
地面が爆ぜ、土と草が飛び散り、熱い衝撃が足に伝わってくる。
「彼女が大事なら3日後に来なよ。それを過ぎれば、心身ともどうなるか保証はしないよ」
バムシスは薄笑いを浮かべながらそう言い、エレナを抱き上げた。
彼女の体がぐったりと垂れ下がり、力なく揺れている。
次の瞬間、奴の体が淡い光に包まれ、霧の中へと瞬間移動で消えていった。
残された俺は、握りしめた拳が震えるのを止められなかった。
腹の傷が激しく疼き、血が滴り落ちるのも構わず、胸の奥で怒りと焦りが爆発しそうになっていた。
……エレナ。
絶対に、取り戻してやる。
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