142話 謎の声と、価値観の違い
小高い丘の上で、復興中の村を眺めながら横になっていた。
ずっと今朝のことを考えていた。
『半月経って、このままだったらこの件から降りましょう』とエレナはそう言っていた。
だいたい、この世界の奴らは、大体極端なんだよ。
やるかやられるかって、修羅の国じゃねえかよ。
人を殺さなくても何とかなるはずだ。
ずっと殺さずにここまで来られたんだから。
『本当にそうなのか?』
ふと頭の片隅で、声が聞こえてきた。
男性とも女性とも、子供とも老人ともつかない、不思議な声が……。
だってそうだろ。
戦闘不能にして司法に引き渡せばいいじゃないか。
何のために司法があるんだよ。
俺が手を下さなくてもいいだろうが。
『それは逃げじゃないのか?』
逃げじゃないだろうが。
なんで人同士で殺し合わなきゃいけないんだ。
この過酷な世界だからこそ、手を取り合ってやるべきことが山ほどあるのに、なんでこんな風なんだよ。
『それでも貴様は戦う術を求めたではないか』
そりゃそうだろ。
異世界に送られるって聞いて、職業は冒険者だって言われたから。
『それでもサポート系の職業もあっただろう? なのに貴様が選んだのは、争うための力ではなかったのか?』
全部自衛のためだろ……。なんでこうなったんだ。
『すべて、お前が望んだことだよ』
望んでなんかいない。
『嘘つき。美人に生まれたかった。女性って楽でいいよな。ファンタジーの世界で暮らしたい。魔法を使いたい。
戦闘で無双して有名になりたい。でもイージーだと飽きるから、苦戦もしたい。綺麗な女性と知り合いたい……全部、全部お前が望んだことだろう?』
誰でも願うことだろ?
異性になりたいっていう変身願望なんて、誰しも少しは持ってるはずだ。
自分にないものを欲しがるのも、人間として普通のことだ。
美人とやりたい、付き合いたい。
そんな欲は、誰もが持ってる。
女性だってイケメンとやりたい、付き合いたいと思うのは当たり前だろうが。
『そして、かなえられた。貴様は自分で選んだんだよ』
選んだって……何を?
『紋章のこともそうだ。国に任せることもできた。村の依頼の報酬だけで、いろいろなことができたはずだ。なのに貴様は、戦いの道を選んだではないか?』
だけど……それならシビはどうなる。かわいそうじゃないか。
『なぜお前が背負わなければならない?』
だからそれはさっきも言っただろうが。かわいそうじゃないか。
俺には何かを変えられる力があったんだ。
『お前は、シビたちのパーティを滅ぼしたゴブリンたちを倒したではないか。それで十分に復讐は果たされたはずだ。それに、お前がこの身体に転生しなくても、彼女は死んでいた。』
違う。もしかしたら俺の介入がなければ、生きていたかもしれないだろう?
『それこそ“もしも”の世界の話だ。どのみちあのパーティでは、絶対に倒せなかったよ。それは貴様が一番よく知っているはずだ。』
だが……。
『それとも本当は、今のお前の身体であるこの女性を抱きたかったのか?なら自分で抱かれればいいだろう? それともパートナーに抱いてもらうか、自分で慰めればいい。そうすれば貴様の願いの一つが叶うぞ』
バカなことを。
あいつと俺じゃ釣り合わないし、年齢だって親と子ほど離れてるんだぞ。
『今の身体ではエレナの方が、7歳年上だろう? ああいう女は好きだろう? 生前も妄想したはずだ。誰にも抱かれたことのない、触れられてない体だぞ。一緒に寝ていれば向こうが抱き着いてくる。簡単に抱けるし、抱かれるぞ』
下種な勘繰りだ。そんな感情は……。
『あるはずだ。そうして戦いのことを忘れて、生殖活動に励めばいいのではないか?快楽が人を殺したことの罪悪感を忘れさせてくれるぞ』
しねえよ。
俺はこの件を――
『もう無理なのは、お前がわかってるだろう?』
無理じゃない。
そうだろうが。
『お前は恐れている。恐れたら戦いは無理だ。生前格闘をしていたお前なら、よくわかるはずだ』
俺は……俺は……。
『そしたら今度は本当に身も心も女になって、バランスが取れるんじゃないのか? お前が望んだように荒事から手を引き、平和に生きればいいではないか? それとも男とやって子供を生めばいい。そうすればお前が殺した分の子供を産めば、イーブンどころか、罪人を殺したことを考えたら、こちらの方がよほど益があるだろう?』
そんなことでやらねえよ。
それに、だったらなぜ俺はこの力を……。
『生かす方法がないわけではないだろうが』
だが――
『それとも生前と同じように、自分の殻に閉じこもって生きていけばいいさ』
また別の声が聞こえてきた。
「シビさん……起きてくださいって」
頭がグラグラする。
まるで深い闇から引きずり上げられるような感覚だった。
はっと目を開けると、目の前に長い茶色の髪をなびかせた少女が、俺の肩を必死に揺らしていた。
夕陽を浴びて輝くその髪は、柔らかな蜂蜜色に染まっている。
リーニャだった。一瞬、誰だかわからなかったほど、意識が飛んでいたらしい。
「リーニャ……?」
「まだ寝ぼけてるんですか? こんなところで寝ていると風邪をひきますし、身の危険もありますよ!」
彼女の声は心配と少しの苛立ちが入り混じっていた。大きな瞳が、真正面から俺を覗き込んでいる。
「俺を襲う奴なんていないって。近づいてきたらすぐにわかって反撃するし」
「ですが……今、私、シビさんをかなり強く揺らしましたよ? ほら、こんなに!」
リーニャはもう一度、俺の肩を両手でぐいぐいと揺らしてみせた。
「敵意も邪心もなかったからだよ」
……戦士や盗賊の技能が、一切作動しなかった? どういうことなんだ?
リーニャがふっと表情を緩め、ポケットから取り出したのは、淡い緑色の綺麗なハンカチだった。
縁に小さな刺繍が入っている。
「ハンカチ?」
「だってシビさん、涙流してますよ」
「そんなわけないだろ?」
半信半疑で受け取ったハンカチを目のあたりに当てたら本当に、頬を伝う温かい雫を感じた。
さっきまでの声の残滓が、まだ胸の奥で渦巻いている。
「心配事ですか? 私でよければ、話を聞きますよ」
「13歳に相談するほど柔じゃねえよ」
「もう13歳じゃありません。今年で15歳になりました!」
どのみち中学生じゃねえかよ……
「それに、こう見えても婚約者がいるんですよ」
「なんでそんなに生き急いでるんだ?」
「生き急いでますか?」
「そうだろ? 10代の前半で婚約者を作るなんて」
「変なことを言いますよね。だってそれが普通ですよ。冒険者や戦う人たちは別ですけど、一般の人にとっては普通です。シビさんぐらいの年になれば、もう結婚して子供がいてもおかしくないですよ」
「は?」
「え? 15歳が子供って、どこの国生まれなんですか?」
「どういうことだ?」
「男性は14歳、女性は12歳が一応の成人年齢です。すべての権利が得られるのは20歳ですけど」
は? 相変わらず俺の常識を根底からぶっ壊してくれる世界だ。
「結婚して家を持つのが一人前なんですから、シビさんは恋人がいませんから、私の方が一人前に近いんです。悩み事があったら何でも言ってくださいね」
リーニャはそう言うと、小さい胸をぐっと前に突き出し、こぶしを作って自分の胸をトントンと叩いた。
その仕草が無邪気すぎて、思わず目が釘付けになる。
「無い胸でやると痛いだろう?」
「無くありませんよ! シビさんはありすぎるからそう思うんです」
確かに……彼女の胸元には、小ぶりながらも形のいい、可愛らしい膨らみが二つ、柔らかな布地を優しく押し上げていた。
夕陽の中で淡く輝くその姿は、まるでこの世界の“普通”を体現しているようだった。
「この間、人を殺してな。それで自責の念に襲われてたみたいだ」
「それで……どうして自責の念が起きるのですか?」
「だって、人を殺したんだぞ」
「動物を殺すのと何が違うのですか? もちろん理由もなく人を殺したらいけないのは当たり前です。私たちも動物を殺しますよ。でもそれは生きるためです。人や動物も、同じ生き物ですよね」
……理屈はわかる。
でも俺の胸の奥は、まだざわついたままだった。
「もちろん私は人を殺したことがないので、よくはわかりませんが……」
リーニャは少し目を伏せ、昔を思い出すように小さく息を吐いた。
「私も最初は怖かったです。仔馬が産まれたのに立てなくて……ウサギを狩るときとか。最初は何度も泣きましたよ」
「今は?」
「私たちの糧になってくれたので、感謝をして殺します。今はもう自分を責めたりはしませんけど……何回かやると、慣れてしまうんですよね」
彼女はふっと柔らかく笑った。
その笑顔は本当に優しく、悪気なんて一切ない。
それが逆に、俺の胸に小さな棘のように刺さった。
「もちろん、人を殺すことに慣れるっていう意味ではないですけどね……。でも、折り合いをつけないとダメな時ってあると思います。私はたまたまシビさんたちに助けられましたが、この国はランク社会ですから、上の者の命令には逆らえないんですよ。それも……運命なのかなぁって」
そう言って、リーニャは少し寂しげに、けれど精一杯の笑顔を浮かべた。
「結局、私ばかり話してしまいましたね。それじゃあ……」
彼女は軽くスカートを払い、立ち上がった。
「私、もう少し復興の手伝いをしてきますので、シビさんも早く宿に戻ってくださいね。明日、出発ですよね?」
「そうだったな。……ありがとう、リーニャ」
俺はこの丘をゆっくりと降り、村へと戻った。
西に傾いた夕陽が、復興途中の村を優しく橙色に染めていた。
何も解決はしなかった。
胸の奥の重い澱は、まだそこにある。
それでも——リーニャと話したおかげで、多少は気が紛れた感じがした。
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