141話 3者面談と15日間の猶予
背後から聞こえたエレナのその呟きが、頭の中で不気味に響き渡った。
俺は弾かれたように後ろを振り返った。
とても自分の耳が信じられなかった。一体なにが「やはり」なんだ?
「エレナ……?」
彼女はいったん深呼吸をして目をつむり、それからゆっくりと俺を見つめてきた。
こんな表情の彼女を見るのは初めてだ。
悲痛のような、そして深い悲しみを帯びた顔。
目に涙を浮かべ、それでも口元を震わせながら俺を見つめている。
俺が、彼女をそんな顔にさせている。
そう思った瞬間、胸の奥がつらく締め付けられた。
「どうしたんだ?」
「それはわたくしのセリフですわ」
「どういう……ことだ」
「シビさん。本当は気づいてますよね。なぜ、ご自分が不調なのかを」
「それは……このまえ悪夢を見てからの寝不足がたたっていて……それで不調なのはこういう仕事では失格だけど……」
なぜはっきり言えないのだ?
俺は、一体何をビビっている。
これは本当の事だろう。
あんな夢を見るくらいなら、完全に疲れ切ってぶっ倒れて寝るか、仮眠をして夢そのものを見ないようにするのが正解のはずだ。
それで体調を崩していたら冒険者失格だとは思うが、原因はそれだけのはずだ。
「もう一度聞きますわ。何を、自分でごまかしていますの?」
彼女のいつもの綺麗で澄み切った鈴のような声色ではない。
なぜかこれ以上は聴いてはいけないと思わせる、凛とした、いまにもピンと張り詰めた糸のような声色で、エレナは俺を問い詰めてくる。
こういう時の対応は、経験上知っている。
ただ、前に進むしかないのだ。
聞くまでは怖いけれど、いざ聞いてみたりやってみたりすれば、意外と簡単な事の方が多い。
今回だって、きっとそうだ。
なのに、どうしてだ。
聞こうと思っているはずなのに、口元がまるで石のように固く強張って動かない。
「どういたしましたか? 顔色が悪いですわよ」
「それは……エレナが、そうやって怖がらせようとしてるからだろ」
違う。
そんなのはただの嘘だと、自分が一番理解している。
一体何を怖がっているんだ、俺は。
「シビさん。わたくしが怖いのですか? 誰に相手であっても、いつも対等に話すあなたが?」
エレナは少しため息をつきながらそう言ってきた。
だが、俺にだっていやな事や嫌いな事、避けたい事くらいはある。完璧な人間なんていやしない。
紆余曲折あったが、俺たちは捕らえられていた奴隷や犯罪者たち全員を、星移門の呪文によって無事に村まで連れ戻すことに成功した。
元々は軍隊を一度に移動させるための古代の呪文だったこともあり、対象の数が多くてもやはり移動自体は楽な呪文ではある。
砦の中に溜め込まれていた財宝や物資のうち、一部は俺たちの正当な報酬として回収し、残りの大部分はこれからの村の復興資金としてそのまま村へと手渡した。
その後、結局エレナからの強い提案もあり、2日後にはこの村を出発して次の目的地へ向かうことが決定した。
そして、翌日の現在――。
俺は村に唯一残っていた宿屋の一室で、エレナとイザベラの二人に完全に退路を断たれ、ガッチリと捕まっていた。
「話があると聞いたが……何だ?」
俺はてっきり、ハンスとリーニャも交えて、これからの旅の方針についての打ち合わせでもあるのだと思い込んでいた。
だが、部屋を見渡しても二人の姿はない。
どうやら俺の勘違いだったようだ。
エレナ曰く、ハンスは馬の手入れに、リーニャは村の復興の手伝いへと向かっており、それぞれ明日の出発のための準備をしてもらっているという。
それなら俺もそっちの手伝いに行くと席を立とうとしたのだが、「シビさんがここにいないと意味がありませんわ」と即座に遮られてしまった。
……それもそうか。
俺に話があると言っているのに、当の俺がいなくなったら何の意味もないな。
観念して腰を据えるしかなさそうだ。
二人の表情を見る限り何やら重い話の様な気がする。
まだまだ目的地が遠いので、気楽な話の方が良いんだけどな。
「聴きましたよ」
イザベラが眼鏡を指で上げながら俺に問いかけてきた。
「何を聞いた? 知られて困る話はないんだけど」
俺が何者かなんて誰にも言ってはいないからばれる必要もないし。
俺の思考などは元々精神絶対防御が書かあってるから、そういうのも探知されない。
なら何を聞いたというんだ?
「人を殺せないらしいね」
「は? あれはたまたま奴らが交わすからだよ」
「魔術師でもあるシビさんに聞くけどさ」
隣でエレナが言いづらそうに俯いているのをいいことに、イザベラが容赦なく俺を問い詰めてくる。
「あの砦には、およそ100人ほどの敵がいた。なのに、結果として誰一人死んでいないんだよ。そんな確率、一体どれぐらいだと思う?」
「それは……」
俺は完全に言葉に詰まってしまった。
「こちらが本気で殺しにかかっても、百人を相手に死者ゼロなんて、本来なら不可能に近い」
そんなことは小学生にでもわかる問題だ。
確率を計算するなら、おそらく『0.』の後に無数のゼロが並ぶレベルのあり得ない天文学的数字になる。
「もうわかるでしょ。限りなくゼロなんだよ。攻撃した人間が、最初から意図的に手加減でもしていない限りね」
イザベラの言う通りだ。
いくら戦後のエレナの救護処理が早かったとしても、あの激戦で100人全員が最悪でも大怪我止まりで済んでいるなんて、本来なら絶対にあり得るはずがなかった。
「イザベラさん、少し飛ばしすぎですわ」
「ちんたらやってたら、それこそ最悪な状況になってから気づくことになる。今のうちにハッキリさせた方がいいでしょ」
「ですが……」
「エレナさん、心配なのはわかるよ。でも、シビさんはそこまで肝っ玉の小さい人じゃないでしょ。だってあのヴァルカス・ド・ロウ伯爵を、面前で『バカヤロウ伯』って言い切るくらいの人なんだから」
あぁ、そういえばそんなこともあったよな。今は大罪を犯して牢屋にぶち込まれているド・ロウ伯爵だが、確かにあの時は本当に『ヴァカヤロウ』って聞こえたんだから、聞き間違えた俺が悪いんじゃなくてあいつの名前の響きが悪い。
「まぁ、別に俺は人を殺したいわけじゃないし、殺さなくたって何とかなるだろ?」
俺が極めて明るく、何でもないことのように言い切った瞬間。
部屋の空気が、さらに一段と冷たく沈み込んだ。エレナとイザベラの二人は、揃ってひどく難色を示した顔で俺を睨んでいた。
バンとテーブルが叩かれたことに俺は驚いてしまった。
「イザベラさん!」
「エレナさんは黙っていて、はっきり言わないといけないことでしょう? そんな甘いことを言ってたら最悪な事も起きる状態ですよね」
「それは」
「なに二人とも、俺が人を殺せなくなったぐらいで弱くなったと思ってるの? それとも人殺しなんて楽勝だねって喜びながら殺せるのが正解だというの?」
「そこまで私は、極端な事は言ってはいないでしょう? エレナさん自身もそうは思ってはいないです」
「言ってるだろうが! 血も涙もなく殺すだけの」殺戮者の方がよかった?」
「だから、何でそういう風に極端に……そういう事ですか」
「なにが?」
「あなたは本心では気づいる。普段のあなたを見ていればこんなことを言うはずがありませんから。何を恐れているんですか? あなたの持っている力は人を傷つけ、人を殺す技や術なんですよ。それが嫌ならその技術を捨てた方が良いです」
イザベラはそれだけを言い残すと、「少し頭を冷やしてきます」と告げて部屋の外に出て行ってしまった。
パタン、と静かに閉まった扉の音が、重苦しい沈黙を連れて部屋に残される。
「なんなんだよ……。どうすればいいんだよ」
ぽつりと、行き場のない言葉が口から漏れた。
こういう時、今のこの身体が女なのだから、いっそ大声で泣けば楽になれるのかもしれないと思う。
この世界でも散々男のように振る舞ってきたっていうのに、今さら都合よく女性みたいに泣けるかっていうんだ。
――不意に、上品で甘い、いい香りがした。
気づいた時には、エレナの細い両腕が、俺の身体をふわっと優しく抱きしめていた。
「今は、泣いてもいいんですよ」
耳元で、彼女の鈴を転がすような声が静かに響く。
「むやみに人を殺すのは、決して良いことではありませんわ。ただ、どうしてもという時は、生きるために自らの手を汚さなければいけないこともありますわ。……もちろん他人の命を奪うのですから、その責任や重みを、自分の心で受け止めなければいけないこともあるでしょう」
胸元に収まった状態から顔を少しだけ上げると、目の前にエレナの綺麗な顔が――どこまでも慈愛に満ちた、息を呑むほど綺麗な顔がアップで視界に飛び込んできて、俺は猛烈に照れてしまった。
「えっと……」
「今は何も言わなくてもいいんですよ。――半月だけ、待ちますわ。もし半月経ってもシビさんがこのままなら、このお仕事は別の方に回そうと思います」
「……なんでだよ」
「このまま戦い続ければ、あなたが死ぬかもしれません。……いえ、もしかしたら、死ぬ方がまだ楽だと思えるほどの過酷な状況に追い詰められるかもしれないからです。わたくしは自分勝手と言われるかもしれませんが、あなたがそんな風になる姿など、絶対に見たくはありませんわ」
エレナはもう一度、愛おしそうに俺の身体を強く抱きしめ、子供をあやすように軽く頭を撫でてから、静かに部屋を出て行ってしまった。
「……子ども扱いしやがって。今は確かに俺の方が年下かもしれないけど、前世を含めたら本来なら俺の方が年上だって言うんだ。ふざけやがって……」
一人残された部屋で、ぽつりと毒づく。
半月……か。
もしこのまま変わらなければ、きっと俺の持っている『ミスリルソード』も、その新しく仕事を回された誰かに引き渡さなければいけないのだろう。
時刻はまだ、午前中。
静まり返った部屋の窓から外を見下ろしてみると、眩しい陽光の下、村の復興のためにたくさんの人々が慌ただしく、けれど力強く動き回っているのが見えた。
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