135話 旅の再開へ
伯爵邸に着いた俺は、思わず足を止めてあっけにとられていた。
重厚な鉄製の門はすでに大きく開かれ、庭園の奥に広がる白亜の館は、昼の陽光を浴びて静かに佇んでいた。
門番にもすぐに通されて何かの罠かと思ったぐらいだ。
予想していた剣呑な空気や、怒鳴り声、衛兵に囲まれるような緊張感はどこにもない。代わりに、穏やかな風が芝生を優しく撫で、遠くで噴水の水音が涼やかに響いているだけだった。
……絶対にひと悶着あるだろうと思っていたのに。
どうやらエレナが上手くやってくれたらしい。
多分、大公からも何かしらの手が回っていたのかもしれない。
俺が館内に通されたのは、わずか数分後のことだった。
応接間のソファに腰を下ろし、簡潔に事情を説明しただけで、伯爵は深く頷くばかり。
眉間に刻まれたしわは少し深かったが、詰問や非難の言葉は一切出てこなかった。
拍子抜けするほどあっさりとした対応に、逆に肩の力が抜けてしまった。
報酬として受け取っていた三万相当の宝石のうち、二万分をその場で返却した。
手のひらに載せた宝石は、昼光の中で冷たく重く輝き、指の間でわずかに滑る感触があった。
全部返そうかとも思ったけど、さすがに手数料や奔走した日数分の対価は貰わないと、こちらも慈善事業で動いているわけではない。
結局、一万相当の宝石だけを懐に収めた。
小さな革袋に入れたそれは、胸ポケットの内側でわずかな重量を主張するように、布地に沈み込んでいる。
伯爵の視線が一瞬、俺の胸元に落ちた気がしたが、何も言わなかった。
……これで一件落着か。
肩透かしを食らったような、妙に拍子抜けした気分を抱えたまま、俺は応接室を後にした。
あとはこの伯爵たちの領分だし、俺ができるフォローも多分もう十分だったと思う。
あとは、この先も俺のミスリルソードを狙った連中が現れるんだろうと思うと、頭の奥がずしりと重くなる。
こめかみの辺りに鈍い痛みが走り、眉間に自然としわが寄った。
ここに来るまでずっと変装をして旅をしていたけど、よく考えたら、悪いことなんて何もしていないのに、なんでこそこそと顔を隠して歩かなければいけないんだ? と思うと、腹の底から苛立ちが込み上げてくる。
指先が無意識に拳を握り、爪が掌に食い込んだ。
そんなことをぐるぐる考えながら歩いているうちに、目的の宿屋に着いていた。
もう宿屋の前には、メンバーが待っていた。
俺はまだ食事を取ってないんだけど……。
「なぁ、早すぎん?」
「アヤさん。この旅は『一刻も早く』って言ってるのは貴女ですよね」
相変わらず眼鏡のブリッジを人差し指でくいっと押し上げながら、イザベラが呆れたように言ってきた。
レンズの奥の瞳が、いつものように鋭く俺を射抜く。
「イザベラ。そうは言うけどさ、俺まだ食事摂ってないんだけど」
「あの……シビさん、大丈夫でしたか?」
金の錫杖を優しく胸の前に抱えるように持ち、白い僧衣を風に揺らしたエレナが、心配そうに眉を下げて声をかけてきた。
その柔らかな声と、澄んだ瞳の色が、苛立っていた胸の奥を少しだけ和らげてくれる。
「伯爵たちの説明、ありがとう。俺が言うと多分長引いたと思うから」
「流石にあの格好のまま伯爵邸に行くわけにもいきませんでしたので、イザベラさんに来てもらいまして、服の調達などをしておりましたら……どうやら大公殿下の方からも連絡が来ていたらしくて……話が思った以上に、スムーズに終わりました」
俺はメンバーが、二人足りないことに気づき、周囲をきょろきょろと見回した。
「ハンスとリーニャは?」
「あぁ、ハンスはもう町の入り口まで行って、馬車の準備をしているよ。リーニャもよく働いてくれて、今頃は幌の方で休憩しているよ」
「シビさん。食事がまだだと思いましたので、サンドイッチセットを作っていただきましたけど」
エレナが少し照れくさそうに、布に包まれた包みを差し出してくる。
ふわりと漂うパンの香ばしい匂いと、チーズとハムの塩気混じりの匂いが、腹の虫を刺激した。
「用意周到なことだな。なら馬車の中でゆっくり食べさせてもらうよ」
「ならわたくしはハンスさんの隣に座って見張りをしておりますわ」
今日で祭りも最後らしく、街中が少しだけ浮ついた熱気を帯びていた。
石畳の道の両側には色褪せかけた屋台が並び、赤や橙の提灯が昼下がりの風にゆっくり揺れている。
炭火の香ばしい煙が漂い、焼き鳥の脂がジュウジュウと滴り落ちる音があちこちから聞こえてきた。
醤油と山椒の刺激的な匂いが鼻をくすぐり、腹の虫がさっきから鳴り止まない。
俺は、エレナからもらったサンドイッチを片手に、別の手で熱々の焼き鳥を串ごと受け取った。
鶏肉の表面はカリッと香ばしく焼き上がり、噛むと熱い肉汁が溢れ出し、塩とタレの濃厚な味が舌に絡みつく。脂が唇の端を伝い、指先を少しべたつかせる感触が心地よかった。
人混みをゆっくりとかき分けながら、焼き鳥を食べ歩く。
甘辛いタレの香りが風に乗って通り過ぎ、笑い声や呼び込みの声が耳に心地よく響く。祭りの最後というだけで、どこか切なさと高揚が混じった空気が街全体を包んでいた。
かなりの寄り道になってしまったけど……。
早く北の山脈に向かって、すべてにケリをつけたい。
ミスリルソードを巡る面倒な連中とも、ようやく決着をつけて、早くエリシオンにゆっくり帰ってバカ話をしながら少しのんびりしたいと思った。
焼き鳥の串を口にくわえたまま、俺はハンスとリーニャの待つ馬車へと足を進めた。
背後では、祭りの音楽がまだ小さく、けれど確かに響き続けていた。
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