第十八夜:情報交換
四人はどこか嬉しそうに歩いていた。
理由は単純だった――それぞれが孤独ではないと実感していたからだ。
「見えたぞ、今日の滞在する村だ」
小高い崖の上から、ミルベーナが指を差す。
「あ、思ったより近いね」
リージュが目を細めた。
「まだ昼くらいだろ? もうちょっと行けんじゃねぇか?」
フォスターが不満げに言う。
「ああ、今のペースなら次の村まで行けるが、やりたいことがある」
ミルベーナはそう返した。
「やりたいこと?」
「きゅー?」
ジークとフェリオが首を傾げる。
ミルベーナは近くの平らな岩の上に地図を広げ、視線を皆に向けた。
「これからの方針を決めるのと、情報の共有をしておきたい」
四人が自然と集まり、地図を覗き込む。
ミルベーナは指で示しながら話を続けた。
「これはファルムス帝国の地図だ。私は大天使サリエルより、
ネクロス被害の大きいこの地域を巡るように言われている」
「ネクロスが多い地域……」ジークが神妙な顔をする。
「先ほどの村がここ、そしてここから先がファルムス帝国のレイヴンマーシュ地方になる」
指先が地図の西側へと移動する。
「本来なら、この少し東のエルドリヴァイン領から南下するのが理想だったが……今の位置からだと険しい山越えと寒冷地を通ることになる」
「山越え……聞きたくねぇ言葉だな……」
「うん、同感」
フォスターとジークが揃って嫌そうな顔をする。
「? どちらにせよ寒冷地ではネクロス被害は少ない。奴らは足が止まり、そのまま凍るのが関の山だからな。だから、少々危険ではあるが、レイヴンマーシュ地方を通り、エルドリヴァイン領へ向かうのが最善策だと考えている」
「ごめん、僕たちファルムス方面の地理には疎くてさ。
この辺りってどれくらい危険なの?」
ジークが尋ねる。
「ああ……レイヴンマーシュ地方は黒涙湖に面している」
その言葉に、ジークの表情が一気に険しくなった。
「……なるほど。危険なわけだ……」
「こくるいこ? えっと……湖?」
リージュが不思議そうに聞き返す。
「そっか、姫はそこもわかんねぇのか」
フォスターが肩をすくめる。
「あれ、そのあだ名定着したの?」
リージュが少し怪訝そうに言う。
「んー? ダメか?」
フォスターは悪気なく笑う。
「別にいいけど……恥ずかしいから、人前では呼ばないでよ」
少しむくれたリージュの頬が、うっすら赤く染まる。
そんなやり取りを挟みつつも、ミルベーナは続けた。
「黒涙湖――世界の中央に位置し、ネクロスとナグリスが無限に溢れ出す絶望の領域。この世界の元凶と伝えられている」
リージュが思わず息を飲む。
「それに、ただの死人ではない。噛まれた者だけでなく、
湖の瘴気を浴びた者すら”変わる”……まさに地獄そのものだ」
風が吹き抜け、地図の端がかすかに揺れた。誰もが言葉を失い、沈黙が広がる。
これから向かう場所の過酷さを、改めて実感する瞬間だった。
「ところでよ、黒涙湖の神話ってのはどれくらい本当なんだ?」
フォスターふと疑問を持つ。
「【堕ちた大樹と涙の湖】の話か?」
「そうそう、ソレ」
【神話:堕ちた大樹と涙の湖】
創世の時代、この世界は「聖なる大樹」によって支えられていた。
その大樹は大地を覆い、神々の住まう天へと伸びる橋でもあったという。
しかし、ある日、大地に黒き影が落ちた。
大樹に宿る神の息子が、愚かな人々を救おうとして神の掟を破り、
禁じられた力を手にしてしまったのだ。
神々の怒りに触れた彼は罰を受け、世界から追放された。
神の息子が消えた時、大樹は軋みながら朽ち果て、その根元がえぐれ、深い湖となった。
湖からは黒き霧が湧き出し、死者たちをさまよわせ、命ある者を狂わせた。
それ以来、人々はその湖を「黒涙湖」と呼ぶようになった。
そして語り継ぐ、命が潰え始めたのはその日からだと。
「湖の底には、神々に見捨てられた王が眠っている」と――。
「いつくらい昔の話かは知らないけど、こういうものは脚色されていくわ。
ただ、危険なところという認識は伝わってくるわね。」
ミルベーナも明確な答えは分からない。神話なのだから。
「あんまり長くはいたくない場所だね……」
ジークが、黒涙湖の位置を見つめながら言った。
「ああ、なるべく早くエルドリヴァイン領へ渡るようにしたい」
ミルベーナが地図を折り畳みながら答える。
「でもよ、オレたちは人助けするなら、危険でもここに滞在した方がいいんじゃね?」
フォスターが腕を組み、少し眉をひそめる。
その言葉に、誰もが一瞬考え込んだ。
確かに、天使としての役割を考えれば、ネクロスが多いこの地で動く方が適しているのかもしれない。
しかし、ミルベーナはすぐに首を振った。
「いや、なるべく早くファルムス帝国に着きたいのには理由がある。
大天使サリエルが言うには、ファルムス帝国に天使が足りていないとのことだ」
「特に黒涙湖に近いこのレイヴンマーシュ地方は、天使の介入が避けられているらしい」
「天使が少ないってのは分かるけど、なんで避ける必要があるんだ?」
フォスターが疑問を投げかける。
「……確かに、大天使サリエルも詳しくは語らなかったが……」
ミルベーナも問われて気がついたようだ。
「何でだろうね?実力が足りてないとかならわかるけど、介入を避ける……?」
ジークも疑問に思い始めた。
「天使の力がナグリスやネクロスに対して有効なら、
むしろ積極的に戦いに行くべきじゃねえか?」
フォスターが腕を組みながら言う。
「それに、レイヴンマーシュ地方は黒涙湖に最も近い地域……
むしろここに天使が必要なのでは?」
ミルベーナも真剣に考え込む。
「でも実際には、ここはギルドや傭兵が中心で対応してる……」
ジークが地図を見ながら呟く。
その時だった。
「……頭が、ちょっと痛い……」
ジークがこめかみを押さえた。
「……あたしも……何だろ、嫌な感じ……」
リージュも眉をひそめる。
「……おい、大丈夫か?」
フォスターが心配そうに覗き込むと、ジークは頭を軽く振った。
「うん……おさまってきた……」
だが、その目は何かに引っかかっているようだった。
「黒涙湖の近くは……天使にとって何か悪影響があるのかもしれないな」
ミルベーナが静かに呟く。
「悪影響?マジかよ……」
「……いや、推測の域を出ない話だ。
だが、大天使サリエルが『避けろ』とまで言うなら、それなりの理由があるはず」
ミルベーナの言葉に、一同は沈黙する。
「お互い不自然なことが起きたら無理をせず話し合おう。
事の是非がわからない以上、進むしかない」
ミルベーナの出来る限り最善の提案だった。
「そうだな、お互い気をつけて行こうぜ」
フォスターが安心させるようにリードする。
「そうだね」
「うん」
ジークとリージュも賛成してくれた。
「しっかし天使が少ないかー……」
フォスターの声の雰囲気が元に戻った。
「どうかしたのか?」
フォスターが顎に手を当てる。
「んー、天使ってどれくらいいるんだ?」
「私もそこまでは聞いていない。ただ、一人会ったことはあるが……」
一瞬の間。ミルベーナの目が細くなる。
「……離反者だった」
「離反者って……裏切り者ってこと!? その人、どうなったの?」
ジークが驚いたように顔を上げる。
ミルベーナの瞳には、ほんのわずかに影が落ちた。
「私が粛清した。……悪魔に魂を売り、ノルディグラードを死の街にした男だ」
沈黙が広がる。
「はぁ? 悪魔と契約したのかよ、とんでもねぇヤツだな……!」
フォスターが苛立ったように拳を握る。
「……奴は司祭だったよ」
ミルベーナの声は、どこか淡々としていた。
「天使の力は緩和型。きっと多くの死を看取ってきたんだろう。
我々は感染した者を救えない。人から崇められようとも、
彼は結局、死を和らげることしかできなかった」
そこにあるのは、理解なのか、それとも……。
「……絶望したんだよ」
冷たい風が吹き抜けた。
フォスターは、その言葉を聞いてなお怒りを抑えきれなかった。
「だからってよ、やっていいことと悪いこ――」
「フォス、やめよう」
ジークの静かな声が、その言葉を遮る。
「……ジーク?」
フォスターが振り返ると、ジークはまるで自分自身に言い聞かせるように、唇を噛んでいた。
「僕も……同じだからわかるよ」
静かに、だが確かに震えていた。
「助けられない辛さ……やったことは間違ってるよ。でも……でも……」
その先の言葉が、喉の奥に引っかかる。
「……悪りぃ」
フォスターは察した。
ジークが今まで何を見てきたのか、どれだけ無力感に苦しめられてきたのか。
ロクス・レナード、彼が抱えた痛みをジークが理解するには充分だった。
それは、同じ力を持つものなら誰もが抱える痛みだった。
沈黙が過ぎる。
ミルベーナが静かに口を開いた。
「悪魔は、弱った心をつけ狙ってくる。そこに天使も人も関係ない。
あいつは、たまたまターゲットが天使だっただけだ」
ミルベーナの瞳が鋭くなる。
「ルーメン・ドミトール……塵すら残らず消し去ってやった」
それが、彼女の出した答えだった。
「……そのあとだ。リージュと会ったのは」
ようやく、ミルベーナの表情が少し和らぐ。
「まさか天使だとは思わなかったがな」
そう言って、優しくリージュを見る。
その視線に気づいたリージュが、戸惑いながらも口を開いた。
「……あたしは、全然覚えてないんだよね」
リージュが、ぽつりと呟いた。
「なんでその街にいたのか、その前のことも……」
だが、その言葉には悲壮感はない。
まるで他人事のように、記憶がないことを気にしていないようだった。
「まだ何日かしか経ってないのに、不思議な感じ」
「……なぁ、姫のあの力は間違いなく天使だよな?」
フォスターが腕を組み、少し考え込む。
「だよね。六命と互角に戦えたんだもん、すごい力だった」
ジークが感心しながら頷いた。
「だったらサリエルが姫のこと知ってんじゃねぇか?」
「確かに……!」
ミルベーナの目が少し鋭くなる。
「大天使サリエルは天使の選定をする者。リージュのことがわかるかもしれない!」
そう言って、リージュをじっと見つめた。
「リージュさん、その辺り何か覚えてたりする?」
「……んーと……、わからない……」
リージュは考える素振りを見せたものの、すぐに首を振る。
「サリエルって名前も聞き覚えないし……」
「……そっか。なら、次にサリエル様に会った時に聞いてみよう?」
「そうだな」
ミルベーナが頷く。
「ところで……彼女とはどう連絡を取る?」
沈黙。
……そう、誰もサリエルとの連絡手段を知らなかった。
「そういえば、どうやって連絡するんだろ……?」
ジークが、なんとも言えない顔をする。
「今まで用事がなかったから、ぜんっぜん気付かなかったぜ……」
フォスターも遠い目をした。
「……私も……聞いてないな……」
ミルベーナも目を細める。
天使としての使命を果たすことばかり考えていて、報告の手段などすっかり頭になかったのだ。
というか、そもそもそんな重要なことを教えていないサリエルの方に問題があるのではないか?
「と、とりあえず、お祈りとかで呼んでみる?」
ジークが提案すると――
全員、苦虫を噛み潰したような顔になった。
「一応やってみるか」
フォスターが言うと、全員が目を閉じ、手を組み、天に向かって静かに祈る。
………………
………………………………
「クェー」
静寂を破ったのは、どこからともなく響いた鳥の鳴き声だった。
「……」
「……来ないね」ジーク。
「……来ないな」ミルベーナ。
「……来ねぇ」フォスター。
「サリエルさーん!」
リージュが天に向かって大声で呼びかけた。
……。
…………。
……当然、来る気配はない。
「……この話題は置いておくか……」
ミルベーナがなんとも言えない表情をする。
「まぁ、あたしは今のところ困ってないからね。そのうち会いに来てくれるでしょ」
リージュはケロッとした様子で微笑む。
「きゅ……」
その様子を見て、フェリオがジークの肩で小さく鳴いた。
「ん? どうしたフェリオ?」
「きゅきゅ……」
「え? ……いや、わからないよ、それは」
ジークが戸惑いながらフェリオを見つめる。
「……フェリオ、サリエルの連絡先とか知ってるのか?」
フォスターがまるで希望を託すように問いかける。
「きゅっ」
力強く首を横に振った。
「ダメか……」
フォスターが天を仰ぐ。
「まあいいや、そのうち何とかなるっしょ!」
リージュが笑顔で場を締めくくった。
こうして、サリエルとの連絡手段は依然として不明なままだった――。
「二人は今までどんな風に天使としてやってきたの?」
リージュがふと疑問を口にした。
「えっと、僕らもまだ一月経ったくらいかな」
ジークが軽く指を折って数えながら答える。
「なんてことねぇよ。そなへんの村や町で、やることやってただけだ」
フォスターは面倒くさそうに手を振った。
「……二人は、ソロモンの小瓶について何か知っているのか?」
ミルベーナが少し真剣な表情を浮かべる。
「ああ、コイツな」
フォスターがポケットから、アンドレアルフスを封じた小瓶を取り出し、軽く振って見せる。
「僕たち、他の天使様と一緒に一人倒してるんだ」
ジークが続ける。
「なんだと!?」
ミルベーナが目を見開いた。
「とはいえ、僕らは手を貸しただけで、ほとんどその天使様のおかげなんだけど」
ジークは謙遜しながらも、その時のことを思い出していた。
「あん時は流石にビビったよな。いきなり戦えとか言われて、正直頭真っ白になりながらぶっ倒したわ」
フォスターは頭の後ろで手を組み、少し懐かしそうに語る。
「確か……フォルネウスって名乗ってたかな……」
ジークが記憶をたどるように呟いた。
「……フォルネウス、アンドレアルフス……」
ミルベーナは考え込むように小さく繰り返した。
「六命とは、今後も出会う可能性があるな……」
彼女の表情は、険しさを帯びている。
「オレらの時は周りに人がいない山奥だったから良かったけどよ……」
フォスターがぼんやりと言った。
だが、言葉を続けようとした瞬間、何かが引っかかる。
(……あれ? 人、いなかったよな……?)
ぼんやりとした違和感が、記憶の片隅からじわりと滲み出してくる。
「どうした?」
歯切れの悪いフォスターに、ミルベーナがすぐさま反応する。
「あ、いや……こないだの野郎みたいに、周りに人がいるとまずいなって思ってよ……」
言い訳するように答えるが、どこか上の空だった。
「そうだよね、その時はあたし、頑張るよ!」
リージュが自信満々に胸を張る。
「ああ、私もあの時は相手の実力を見誤った。
六命は、最初から本気を出さないといけない相手だ」
ミルベーナは静かに語りながら、自省するように目を伏せた。
「ああ、あん時はオレも悪かった。本気出せば天使の力を使えたのに……」
フォスターは歯を噛みながら自省する。
「えっと……フォスターさんも、あたしみたいに変身できるの?」
リージュが興味津々で尋ねた。
「ああ、まだ一度しか使ってねぇけどな」
「じゃあ今度は大丈夫! ミナも最初に会った時、使ってたもんね!」
リージュは屈託のない笑顔を向ける。
フォスターは「そうかよ」とぼやきながらも、どこか嬉しそうだった。
「……ああ、次は全力で行く」
少し口籠もるミルベーナ。
「どうかした、ミナ?」
「いえ、なんでもないわ」
ミルベーナはリージュの問いをかわしつつ、ふと思い出したように口を開く。
「あとは……」
「……あとは?」
「貴女の訓練よ。その短剣、まだ使ってないでしょう?」
「あっ……確かに! 実戦なんてしてないし……」
「いきなり実戦は無謀よ。この後、村に着いたら稽古をつけるわ」
「……うん、自分の身くらいは守れないと、だもんね」
リージュは真剣な表情になった。
「話すことはこれくらいか?」
フォスターが話を切り上げる。
「そうだな。人に聞かれて困る内容は、一通り話したはずだ」
「? 他の人に聞かれたら困るの?」
リージュが不思議そうに問いかける。
「先日言ってなかったか?今は廃壊の信徒や、離反した天使もいる状況だ。
なるべく私たちが天使であることは隠して行動するのが最善だ」
「確かに、昨日は助かったぜ。町長さんもなんとなく気付いてくれてたよな」
フォスターは思い返しながら頷く。
「まあ、既にあの地方には私たちの存在が伝わっていたとは思うがな。今後も、なるべく天使として矢面に立つのは私が引き受けようと思うが……構わないか?」
「大丈夫? それだとミルベーナさんが一番危険を背負うことになるけど……」
ジークが心配そうに言う。
「構わないさ。一般人にやられるほど弱くはないし、魔法も使えるからな」
ミルベーナは自信たっぷりに答えた。
「……了解。でも無理すんなよ。オレらもいんだからよ」
フォスターがちらりとミルベーナを見る。
「おや? 意外と紳士なのだな」
ミルベーナがいたずらっぽく微笑む。
「んなっ!? 人が心配してやってんのに……!」
「はいはい、照れないのフォスター」
ジークが軽くあしらう。
「きゅっきゅきゅー!」
フェリオも楽しそうに鳴いている。
みんなが笑い合う中、フォスターは「先行くからな!!」と一人で歩き始めた。
「それでは、次の村に向かうか」
ミルベーナが地図を手にしながら歩き出す。
「おー!」
ジークとリージュが掛け声を上げ、フェリオも「きゅ〜!」と元気に鳴いた。
こうして四人は、次の村へと歩き出した――。
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