第百十二夜:感染被害
夕暮れの街に、血と恐怖の名残が滲んでいた。
屋根伝いに移動しながら状況を見下ろした時、すでに勝負はついていた。
フォスターが最後のネクロスを切り伏せた直後だった。
……フォスター、間に合ってた……?
そう思ったのも束の間、胸の奥に残る重さは消えなかった。
不幸中の幸いだったのは、ネクロスが街の奥深くまでは入り込まなかったことだ。
被害は、衛兵一名、市民二名。
決して小さくはないが、もし侵入に気付くのがもう少し遅れていたら、被害は倍どころでは済まなかっただろう。
フォスターとミルベーナの動きは、正直、圧倒的だった。
迷いがなく、判断が早い。
二人が前に出たことで、街は守られた。
だけど――
地上で、フォスターが兵士たちと激しく言い合いになりかけているのが見えた。
助けたはずの市民が、連行されていく光景。
理屈では理解できても、感情が追いつかない場面だった。
その時、ロゼリアさんが割って入った。
派手な登場、相変わらず大きな声。
でも、指示は的確で、迷いがなかった。
……この街の天使なんだ。
あの人は。
フォスターもミルベーナも、最終的にはロゼリアさんに場を任せ、宿屋街の方へ向かっていった。
あの判断は正しかったと思う。
これ以上感情でぶつかれば、余計に事が拗れていた。
正直、フォスターたちに合流したかった。
フォスターの横に立って、言葉を添えたかった。
でも、街全体がざわついていた。
憲兵が走り、灯りが増え、人々が扉を閉めていく。
今は、誰かが“静かに引く”役目も必要だった。
だから、リージュとプルワを連れて、僕たちはそのまま宿屋街へ向かった。
屋根の上から見たヴァルカンは、昼とはまるで違う顔をしていた。
鍛治の街。
強さを誇る街。
その裏で、恐怖を押し込めて成り立っている街。
……この街で、この国で、僕たちは何を守ることになるんだろう。
夕焼けが消え、夜が降りてくる。
その境目を、屋根の上で静かに越えながら、僕はそんなことを考えていた。
宿屋で合流を果たした一行は、男子部屋に集まっていた。
部屋の中央には簡素なテーブル、その周りに椅子を引き寄せ、緊張が解けきらないまま腰を下ろしている。
「なんなんだよアイツら!」
最初に声を荒げたのはフォスターだった。椅子に浅く腰掛け、苛立ちを隠す気もない。
「助けた人間を、まるで罪人みてぇに連れて行きやがって……!」
その向かいで、フォルスティンは優雅に紅茶を口に運んでいた。
湯気の立つカップを置き、落ち着いた声で口を開く。
「治外法権、というものですよ。郷に入っては郷に従え。この国では、ごく当たり前の判断です」
一瞬、空気が張り詰める。
だが、フォルスティンの言葉は続いた。
「感染被害というのは、疑わしきは隔離する。
それを徹底しなければ、被害はねずみ算式に広がっていく。感情論では防げない領域です」
理屈としては、正しかった。
フォスターも、ジークも、それは理解している。
「それに……」
フォルスティンは少しだけ声の調子を落とす。
「噛まれた事実を隠し、静かに死を待つ者もいます。
運命を受け入れられず、周囲に黙ったまま……そうして、最悪の結果を招く」
その言葉に、フォスターとジークの表情がわずかに曇った。
思い当たる節があったからだ。
まだ二人だけで旅をしていた頃。
ある村で、感染者を匿っていた住民たちがいた。
あの時は、ジークの力があったからこそ、事態を食い止められた。
――もし、あの場に自分たちがいなければ。
村ごと失われていても、おかしくはなかった。
「……わかってるよ」
フォスターは低く呟いた。「理屈は、な」
短い沈黙が落ちる。
「ところで」
その空気を切るように、ジークが口を開いた。
「どうやってネクロスは外壁を越えてきたんだろう?」
その問いに、ミルベーナが静かに応じる。
「その件も含めて、後ほどロゼリア殿が説明に来る予定だ」
その声音には、いつもの皮肉や冗談はなかった。
街中への配慮――あるいは、状況の重さを理解してのことだろう。
部屋には再び静けさが戻る。
それぞれが、今日見たもの、選ばれなかった選択、そしてこの街の“やり方”を胸の内で反芻していた。
夜は、まだ長い。
更新日は毎週火、木曜日の11時更新となります。
元のペースに戻せそうになり次第、お知らせいたします。
【2025年3月31日、第一夜〜第三夜 改稿】リライト
現在第一夜〜第三夜の文章と構成を全面的にリライトしました。
以前のバージョンを読んでくださった方も、改めて楽しんでいただけたら嬉しいです。
Xアカウント
https://x.com/r5mswm?s=21&t=YDHDT292BvtoU2Xhs0cHWQ




