第百十夜:静寂の悲鳴
憲兵さんの視線から逃れて、あたしたちは街の屋根の上――
ちょうど軒先の平たいところに腰かけて、一息ついた。
「あははははっ、楽しかった〜!」
「すっごかったよね〜!」
足をぶらぶらさせると、靴の先が夕陽に照らされてキラキラ光る。
街のざわめきは遠くて、ここだけ別空間みたいに静かだった。
プルワとあたしは、笑いが止まらなくて転げそうになってた。
怒涛すぎる出来事も、全部笑いに変えちゃえるくらい、空がオレンジで綺麗だったからかもしれない。
ジークはそんなあたしたちを横で見ながら、すごく優しい顔してる。
「あはは……どしたのジーク? もう笑うしかなくってさ」
なんとなく軽い気持ちで言ったのに、返ってきた言葉は真っ直ぐだった。
「ううん。……最近、リージュ、あんまり元気ない気がしたから。
楽しそうで良かった」
「え、えっ? あたしそんな顔してた?」
フォスターには見抜かれたけど、あれは……あの場所にいたから……と思っていたのに。
「きゅー」
フェリオがジークの肩からちょこんと顔を出す。
その顔がなんだか“そうだよねぇ”って言ってる気がして、少し照れた。
「なんとなくだよ」
ジークは穏やかに続ける。
「僕、動物の声がわかるでしょ?
あれと似た感じで……人の“元気が減ってる”とか、“怖いのを抱え込んでる”とか、
そういうの、ふっと感じることがあるんだ」
……そんなの、ずるいよ。
優しいとかじゃなくて、もう完全に見透かされてるじゃん。
ホムラノでのこと、ミナが倒れたこと。
みんなと明るくしながらも、胸の奥に引っ掛かってる不安。
自分では隠してるつもりだったのに。
「バレちゃってたかぁ」
わざと舌を出して、誤魔化すみたいに笑ってみせた。
「おねーちゃん、元気なかったの?」
プルワが小首を傾げて聞いてくる。
「プルワは大丈夫? もうすぐファルムス本国だけど、早く帰りたい?」
ジークが気を利かせて話題をそらした。
ほんと、優しいよね……
「そうだね! 早くウチの姉ちゃんに会いたい!」
分かりやすいくらいにパァーッと顔が明るくなったプルワを見ると、こっちまであったかくなる。
「プルワのお姉さんかー。 どんな人なの?」
ついあたしの方から聞いてしまった。
「うーんと……姉ちゃんはね、オイラと違って半獣なんだ!
今は大事な研究してるはずだよ」
姉弟間で半獣か完獣かなんて、覚えてる限りあたしたちの種族じゃ普通だ。
でも“研究”って言葉に、ジークも興味津々で顔を上げた。
「お姉さん、研究者なんだ?」
「うん! 姉ちゃんはすっごく頭いいんだよ!
ガルサンに拾われてからは……ずっと本読んで、ずっと勉強して……
いつのまにか薬とか道具を研究する様になってたんだ!」
プルワは本当に嬉しそうで、胸を張ってる。
誇りなんだろうなぁって、すぐにわかるくらい。
「そんでね、そんでね!」
プルワは身振り手振りで楽しそうに続けようとしていた。
……ほんと、久しぶりの何気ない時間だったのになぁ……
「きゃああああぁぁ!」
夕陽の中、風に割り込むみたいに、遠くから悲鳴が飛び込んできた。
普通の人には絶対届かないくらい小さい声――でも、あたし達にははっきり聞こえた。
「今のって……」
ジークもすぐに顔を上げた。
「聞こえた。外壁の方からだ」
見下ろす街並みの向こう、外壁の方で影がざわついている。
何かが……ただ事じゃない。
「行こ、ジーク。
屋根くらいならあたしも飛び越えられる、プルワを背負ってあげて!」
「うん!」
プルワがジークの背中にしがみつき、フェリオが肩で短く鳴いた。
「急ぐよリージュ。足元は気をつけてね」
三人で視線を交わして、次の瞬間――
あたしたちは屋根から屋根へ、影のように跳び移り始めた。
夕陽が後ろへ流れ、街の騒めきが近づく。胸がざわざわする。
あの悲鳴、なにかが、もう起きてる。
ダダダダダッ――
石畳を蹴り上げる足音が、焦りと共に路地を駆け抜ける。
フォスターとミルベーナは既に走り出していた。
悲鳴が上がった瞬間、反射で駆け出せるのは戦場慣れしている証拠だ。
「ったく、なんで街中にいるんだよ!!」
フォスターは舌打ちしながらも、人混みを器用に裂いて前へ出る。
ただの文句に聞こえるが、あれは状況確認の癖だ。
“想定外だぞ”って自分と周囲へ言い聞かせるタイプの。
路地の先、逃げ惑う人の群れ――
その中に混じる“腐敗臭”。
鼻を刺す、血と土と死の混ざったあの匂い。
ネクロスだ。
「うわぁぁぁ!!い、いやだぁ!!」
上からも悲鳴が落ちてくる。
見上げれば、内壁の上にいた見張り兵たちがのけぞり、後ずさっている。
どうやって街中に?
内壁まで突破した?
それとも――もう内部で湧いたというのか。
フォスターは歯を食いしばりながら叫んだ。
「ミナ!! 上を頼む!!」
即座に返事が飛ぶ。
「任せろ! ――Veltr fljúga (ヴェルトル・フリューガ)!!」
ミルベーナの足元から風が爆ぜ、ふわりと体が持ち上がる。
黒髪が浮き、魔術光が軌道を描いて、彼女は一気に上空へ。
まるで白刃のようだ。
一直線に、内壁の悲鳴が響く地点へ向かっていく。
その速度には、逃げ惑う市民すら気づけない。
ただ風だけが、彼女が通り過ぎたあとに遅れて吹き抜けた。
夕陽が赤い。
ネクロスの影も赤い。
街も人の声も全部ざわついている中――
天使たちは走る。
遠くの屋根伝いに跳ぶ影。
上空へ飛ぶ影。
地上で走り込む影。
静かだった街が一瞬で“戦場”へ変わり始めていた。
更新日は毎週火、木曜日の11時更新となります。
元のペースに戻せそうになり次第、お知らせいたします。
【2025年3月31日、第一夜〜第三夜 改稿】リライト
現在第一夜〜第三夜の文章と構成を全面的にリライトしました。
以前のバージョンを読んでくださった方も、改めて楽しんでいただけたら嬉しいです。
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