第百四夜:新たな使命
泉のほとりで、揺れる薄紅色の光が静寂を包んでいた。
皆がそれぞれの想いを吐き出したあと、ゆっくりと立ち上がったのはサリエルだった。
「主よ――そろそろ本題に入りませぬか」
跪いたまま、厳然とした声で問いかける。
ユグドラシルは優しく頷き、リージュを抱いた腕をそっと解いた。
「そうね」
リージュは離れたあとも、まだ女神の衣を握っていたが……その頬は不思議なほど穏やかだった。
ユグドラシルは泉の中心へ視線を向ける。
淡い緑光が水面に漂い、空気が張りつめていく。
「少し前から……この世界は“新たな理”を得ようとしています」
皆、言葉を失った。
その声はあまりにも静かで、それでいて抗えぬ重さがあった。
「これまでと同じ世界ではなくなるかもしれない。
そして……それは、さほど遠い未来のことではありません。」
意味はわからない。
けれど、その響きだけで背筋が冷える。
ユグドラシルは彼らの顔を一人ずつ見つめた。
「ファルムス地方は昔から悪影響を受けやすい土地。
貴方達には、その調査と……人々の救済をお願いします」
皆が顔を見合わせる。
それは命令ではなく“預けられた願い”だった。
「多くの者が、生と死の輪廻を繰り返す恐れがあります。
これは……六命を討ち果たし、死の大軍勢を退けた貴方達にしかできない」
フォスターが「それってつまり――」と口を開きかけたその時だった。
「私もおります! 女神ユグドラシル様!!」
突然、湖畔に響き渡る大声。
全員がビクッと肩を震わせた……が、よく聞くとさっきより音量が低い。
あれ? と視線を向けると――
(…………え?)
ジークには見えてしまった。
サリエルが、ロゼリアに向かい“絶妙な距離と角度”怪しげな踊りの様に手をかざし、
どうやら音量を強制的に絞っていた。
ロゼリアは満面の笑みで胸を張り、
サリエルは真剣な顔なのに動作だけ妙にコミカルで。
ジークは――
必死で笑うのをこらえるしかなかった。
「ありがとう、マグナ・ロゼリア。貴女も力を貸してちょうだい」
女神は柔らかく微笑む。
「はい!!」
ロゼリアが大声で返す。
同時にサリエルも手を強く押し出すように調整――
声量はギリギリ常識的な音量に収まった。
(……無理だ、見てたら吹き出す……!)
視線を逸らすジークの肩が、ぷるぷると震えていたのは、
たぶん誰にも気づかれてない……はずだ……
泉の輝きがゆっくりと沈静し始めた頃、ユグドラシルはふっと微笑んだ。
だがその瞳の奥には、どこか名残惜しさが混じっている。
「ごめんなさい。どうやら――そろそろ時間みたい」
唐突な別れの言葉に、一行の胸がざわつく。
女神は、服の端をきゅっと握って離れようとしないリージュに視線を落とした。
「リージュ。今のままの貴女でいてね」
「……うん……」
「怖い記憶は、思い出さなくて良いのよ」
指先でそっと頬を撫でられたリージュは、まるで幼子のように安心した表情を見せた。
しかし、その“思い出さなくて良い”という言葉は――他の何人かの胸に、別の重みを落としていた。
サリエルが静かに歩み出る。
「フォスターよ」
「お、おう?」
フォスターが呼ばれ、少し肩をすくめた。
「ソロモンの小瓶を持っておるな?」
フォスターは「あっ」と短く声を漏らし、慌ててポケットを探る。
そして、オレンジ色に淡く輝く瓶――アンドレアルフスを封印した小瓶を取り出した。
「ほい、コイツだな」
渡すより早く瓶はふわりと持ち上がり、まるで空気に溶けるようにサリエルの手元へ移動した。
「封印、大義であった。」
「随分と趣味が悪ぃ野郎だったぜ。再封印、頼んだぜ。」
大天使相手でも一切口調を変えないフォスターに、ロゼリアが目を丸くする。
「戻りましょう、サリエル」
女神がそう呟いたとき――
「あ、待ってください!」
ジークが反射的に声を上げた。ユグドラシルとサリエルが振り向く。
ジークは胸の奥がざわつくまま、理由も形に出来ないまま手を伸ばしていた。
サリエルは何も言わずに片手をかざす。空気が震える。
ぽうっ――
ジークの両手の中に、薄紅色の羽根が封じられた小瓶が現れた。
「今後、我を呼ぶときに祈るがよい。すぐには叶わぬが、数日以内には呼びかけに応えよう」
あまりにあっさりした言い方に、ジークは拍子抜けしつつも深く頭を下げた。
「あ、ありがとうございます……!」
その後ろでフォスターが腕を組んでぼやく。
「これでようやく、まともに連絡つくなー……」
すると――
サリエルの目がカッと開き、雷のように鋭い視線が叩きつけられた。
「……用の無い時に呼べば、粛正するぞ」
本気すぎる殺気に、フォスターは背筋を伸ばした。
「おやめなさい、サリエル。」
女神の穏やかな声で、さすがの大天使も黙る。
だが目つきだけは鋭いままだった。
ユグドラシルは、改めて皆へ向き直る。
「それでは皆――どうか、一人でも多くの人々を救ってください」
次の瞬間、泉の光がふわりと立ち昇り、蔓と緑光が二人の身体を包み込む。
まるで風が樹々をさらうような音だけを残し、ユグドラシルとサリエルは姿を消した。
深い静寂。誰も口を開けず、しばらく空を見つめていた。
「はー……もっと色々聞きたかったんだけどなー……」
フォスターがようやくぼやく。
「……あの威厳とオーラ……口を挟むのもやっとだった」
ミルベーナが息をついた。
緊張と興奮の余韻を抱えたまま、一行はようやく落ち着きを取り戻し、泉のそばで再び眠りに落ちていった。
更新日は毎週火、木曜日の11時更新となります。
元のペースに戻せそうになり次第、お知らせいたします。
【2025年3月31日、第一夜〜第三夜 改稿】リライト
現在第一夜〜第三夜の文章と構成を全面的にリライトしました。
以前のバージョンを読んでくださった方も、改めて楽しんでいただけたら嬉しいです。
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