幕引『いってらっしゃい』
小学四年生、暗殺学園ではクラス分けが行われる時期。
赤羽はCクラスに所属することが決定し、自分の実力に自信をなくしていた。
自分は暗殺者として才能がないのではないか、と。
不貞腐れた赤羽は地下一階の使われなくなった部屋に向かった。
そこは扉の立て付けが悪く、開かなくなったため使用されなくなった部屋。地下にあるため窓はないが、その部屋には隣の部屋の通気口を通って行くことができる。
まだ幼い赤羽は容易に通気口を通って部屋に入ることができた。
「さて、ここで休むか」
自分しかいるはずがないと思っていた。
通気口の道を見つけたのは今さっきで、他に誰かが見つけているなんて思ってもいなかった。
赤羽は周囲を見渡す。
「意外にも綺麗にされてるな。もう長い間使われてないって話だけど」
整頓された本棚、隅に規則正しく積み上げられた机と椅子。綺麗にされた家具とは裏腹に、壁にはへこみがある。
「これは……」
「ねえ君、私のこと幽霊だと思ってるでしょ」
へこみに気を取られていた。
突然背後から話しかけられ、尻から飛び上がって驚愕する。
視界の端にいた人物。声を掛けられるまで気付かないほど穏便な気配。
「いっ、いつから!?」
「ずっと目の前にいたよ。目の前といっても視界の端だけど。それでも君は私のことに全然気付かないんだね」
楽しそうに笑い、赤羽を興味津々に見つめている女の子。
時折見かけたことがある程度で、面と向かって話すのはこれが初めてだ。
赤羽はおどおどと視線を右往左往させ、言葉に躓く。赤羽の落ち着かない様子を見て、少女はより一層笑顔になる。
「お前、面白いやつだな。私の仲間に加えてやってもいいぞ」
「お、オレはCクラスですよ。仲間になんてしても……」
徐々に声に力が消えていく。
赤羽はCクラスだと伝えてしまえば見離されると自分の置かれた状況を卑下していた。
赤羽は他者との干渉は控えていた。単純にコミュニケーションが苦手というのもあるが、自分の弱さを誰も受け入れないと思っていた。
だが──
「奇遇だな。私もCクラスだ」
才能がないと思っていた自分と同じ最低辺のクラスに配属された彼女は、暗い表情をしていなかった。
未来を見るような明るい笑顔で赤羽に手を差し伸べた。
「私は有栖川麗。これから遊びに付き合ってくれよ。Cクラス同士仲良くしたいし」
赤羽の価値観は変わった。
他者との関わりが赤羽を大きく突き動かしたのだ。
「君は?」
「赤羽クロウです」
「じゃあ一緒に遊ぼうか。これからやるのは弾丸キャッチボール。発明したのは私だぜ」
「弾丸キャッチボール? なんか怖いですね」
「死にはしないさ。これは動体視力の訓練にもなるし、やってみよう」
赤羽は戸惑いながらも、有栖川のペースに巻き込まれて弾丸キャッチボールという遊びをすることになった。
「まず人差し指から小指の四本を使って弾丸を挟み、親指の爪に弾丸の背を押し当て──」
有栖川は指と手のひらの間に弾丸を挟み、弾丸の先端を壁に向ける。
刹那の出来事だった。
指先に詰まった弾丸は火薬で押し出されたように、真っ直ぐに、そして速く放たれた。
弾丸は壁に窪みを作る。それほどに凄まじい威力だった。
人の手から放たれていい威力ではなかった。
赤羽は愕然とし、今見たことが現実なのかあやふやになっていた。
「これを発射する側とキャッチする側で分かれ、繰り返す。最高に面白そうだろ」
赤羽は思った。
(ししししし、死ぬ……ッ)
脅える赤羽を見て、有栖川は愉快そうに笑う。まるで牛飼いの少女が牛を連れて散歩に行くように。
「最初は手加減するさ。暗殺者たるもの、これしきのことでへこたれていてはいけない」
「で、でも……」
「ふふーん。私は君の考えていることなんて丸分かりだよ。だから私は君を強くしてやろうって思ったんだから」
「…………えっ!?」
有栖川は第一見で赤羽の願いを見抜いていた。胸を張り、鼻を鳴らしてその事を伝える。
赤羽も図星を突かれ、目を丸くして有栖川を見る。
「私には、君の願いを叶えることなんて造作もない。君の才能が何なのか、それすらも私の眼は見抜いている」
有栖川は右目を指先で覆う。
赤羽は有栖川という人物に期待の眼差しを向ける。
「弾丸キャッチボールもその一貫さ。君には強くなってもらわなきゃ困るからな」
「強く、なれるんですか」
「もちろんだとも。私は有栖川麗だぞ」
自分に失敗などあり得ないというような佇まいで宣言する有栖川。
自信に溢れた彼女の姿は赤羽には眩しく見えた。
「お、お願いします。僕、強くなりたいんです」
「じゃあまずは一人称からだな」
そっと有栖川は赤羽の頭を撫でる。
頭を撫でられ、自然と顔は下にむく。有栖川の表情を拝むことはできなかった。
当時のことを思い出し、赤羽は度々思う。
有栖川は自分をどう思っていたのか、と。
♤♤♤♤
第Ⅴクラスとの決闘が終わりを迎えた。
赤羽はCクラスの教室である席に座り、傷だらけの弾丸を手のひらで転がしていた。
彼の背後から音もなく近づく人影。その人物は赤羽の肩に手を置いた。
「…………」
これといって反応はなかった。
ただゆっくりと振り返り、肩に手を置いている速水の顔を見る。
「あなたでしょうね。速水」
「励ましてやろうと思ったんだが、特に必要はないみたいだな」
「あなたからは十分元気を貰っていますから」
赤羽は笑顔を作り、心配する必要はないと言うように速水に向ける。
ぎこちない笑顔に速水は気付いている。
「赤羽は有栖川のことが好きか」
「当たり前ですよ。オレはあの人のおかげでいろんなことに気付けた。あの人のおかげで人間になれた」
赤羽は有栖川へ深い感謝をしている。
「暗殺者としての価値観を変えてくれたのはあの人なんです」
赤羽の視線の先には弾丸がある。
未使用だが、傷がつき、使い物なるかさえ分からないほど汚れた弾丸。
大事そうに握るそれに速水は興味を引かれる。
「その弾丸は思い出のものか」
「有栖川先輩に初めて会ったのはこれがきっかけですから」
赤羽は弾丸を慈しみを込めてそっと握っている。赤子の指を握るように、愛を込めているように見える。
「思っていたんだな。有栖川のことを」
「…………」
赤羽の喉の奥からぐっと堪える音が伝わる。
赤羽が有栖川を思う気持ちに偽りはなかった。
「心臓の話は聞きましたか?」
「だから君の気持ちを確認しようと思った。それほどに有栖川を思うなら、なぜ私を選んだ」
速水は氷夜や幽から、自分が心臓を取られている間のことを知らされている。
自分の心臓が誰のものか、その人物が赤羽や幽にとってどのような人物なのか。
その上で赤羽がなぜ自分を選んだのか、速水は知りたかった。
「オレがあなたを選んだのは……」
赤羽は口を閉じた。
そこから先の言葉を口にすることに躊躇いがあった。
速水は何も言わず、赤羽を待つ。
「あの時何を思っていたのか、すっかり忘れちゃいました。今にして思えば、先輩にどう思われていたか分からなかった。だから怖かったのかもしれません」
赤羽は終始思い詰めたように語る。時間が経ち、様々な思いが入り乱った結果、赤羽は自分の本音が分からなくなっていた。
速水はじっと赤羽を見ると、企んだ笑みを浮かべる。
「これから新校舎の図書室にでも行くか」
「急ですね」
「人生はいつだって急展開の連続だという経験則がある。だから慎重に、行くよ」
「…………」
赤羽の反応はなかった。
だが椅子から立ち、速水のあとにつこうとしている。
赤羽の表情は心なしか期待しているように見える。
速水のあとをついていく赤羽は気付く。速水が向かっている場所が新校舎の図書室ではなく、新校舎の屋上だった。
「なぜ、ですか……?」
「暗殺者はいついかなる時も仮面を被っている。自分を偽る仮の姿。暗殺者は自分自身を知られるへまはしない。それが弱点になるから」
赤羽は速水の言っていることが問いかけの答えになっているようには思えなかった。
少なくとも、それは脈絡のないものに思えた。
速水はただ話を続ける。
「だがそれでも有栖川はお前に伝えた。自分の願いを、自分の考えを。もしお前が裏切り者であった場合、最悪な末路を迎えるかもしれなかった」
速水は見ている。
心臓に強く刻まれた記憶を。
赤髪の人物と心臓の持ち主が屋上で話しているのを見た。そこで心臓の持ち主が話したことは暗殺者とは思えないほど心中を明かしていた。
心臓の持ち主が赤羽クロウを強く信頼していなければ明かさなかったはずだ。
「赤羽、お前は有栖川から信頼されていた。それはこの心臓が訴えているが、今までを振り返れば簡単に分かることなんじゃないのか」
心臓の記憶から赤羽との日々の幾つかを見た速水にも分かる。心臓の持ち主が赤羽に強い期待を抱いていたことを。
赤羽にも当然分かっていることだ。だが守れなかったという後悔が、自分が嫌われているという思い込みに水を撒いた。
「有栖川がお前を嫌っているなんて馬鹿な思い込みはやめろ。それは有栖川にとってひどく悲しいことだ」
速水を胸を手で締めつけるようにぐっと握る。
心臓の持ち主は訴えていることがあるから。
「私はお前に伝えなくちゃいけないんだよ。身体を超えても尚、この思いを伝えたいと叫んでいるから」
「…………」
「有栖川はお前を世界で一番信頼していた。だからよ、信じろ。お前が惚れた有栖川麗っていう女を」
赤羽は疑っていた自分の心を恥じた。
有栖川を疑う余地などないはずだった。疑うことが有栖川を傷つけることになる。
「ごめんなさい先輩。オレは、あなたの慈愛から目を逸らし続けた。自分の弱さであなたを殺す時が来ると思うだけで胸が苦しかった」
赤羽は自分の弱さが嫌いだった。
弱さが大切な人の足を引っ張ることに繋がるかもしれない。そのかもしれないという考えが、赤羽には辛いことに感じた。
だから大切な有栖川に愛されたくなかった。愛されれば、その分失望させた時に取り返しがつかないから。
脅えているだけの臆病者。それが赤羽クロウという人物の全てだ。
自分は嫌われている。そう思い込むことで自分の心を救おうとした。
だがそれは間違いだった。
赤羽が欲しかった言葉を速水が与えた。赤羽の暗い心を一瞬で晴らすほどに。
「速水、オレは救われたよ。お前にも、先輩にも」
「救うさ。これからも、いつまでも」
どこまでも速水は有栖川に似ている。
赤羽の瞳に映るのはいつだって有栖川の面影。
「多分、この先もオレは迷って、間違えて、負ける。でも、これだけは揺るがないってものを一つ決めた」
赤羽はじっと速水を凝視する。
「オレは速水を守るよ」
有栖川を守れなかった後悔は一生消えない。赤羽の中で消化しきれずいつまでも残り続けるだろう。
だが、有栖川とよく似る速水がいる。彼女を守りたいと自然に思った。
きっと有栖川の幻影を速水に追い求めているのかもしれない。だがそれでいい。
赤羽にはそれで十分だった。
「この弾丸に誓って、オレはあなたを守ります」
赤羽の拳には弾丸が握り締められている。
「守ってくれよ。私もお前を守るけど。くれぐれも裏切ってくれるな。私は一応さみしがり屋なんだ。一人じゃ泣くぞ。孤独は嫌いだから。というわけで、これからもよろしくな」
赤裸々に自分をさらけ出した。
あの日のように、この屋上で。
だが今度は赤羽は隣にいることができる。
「私は弱い。だから死ぬ。それでも慎重に生きていけば、どんな逆境にも立ち向かえる。これからが楽しみだな」
速水が差し出した手は笑顔で眩しかった。
その手を握っただけでこれからが輝いているように思えた。
赤羽の瞳を涙が覆う。
「ああ、そうか。オレは……隣にいたかったんだ。あなたの隣に……」
赤羽は涙の中で過去を憂う。
その日々は遠くに行ってしまったようで、手を伸ばしても届かないけれど、今が、これからがある。
過去を振り返りながら、それでも前を向いて歩こう。
赤羽の心は徐々に変わり始めていた。
赤羽は速水の手を取り、未来へ進む。
「行ってくるね。先輩」
心なしか、誰かが返事をした。
──いってらっしゃい
第二章完結
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