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番外編 バルタザールの憂鬱






 ようやく、この日が来た。

 アルテンフェルトの重臣、リヒャルトは逸る心を抑える努力すらしていなかった。

 先代アルテンフェルト公爵アウグストが戦死して六年。

 やっと、アルテンフェルトの実権が自らの元に転がり込んでくる。


 本来であれば、アウグストが戦死した時点で自分がアルテンフェルトを手に入れるべきだったのだ。

 リヒャルトはアウグストの実妹を妻に持っている。

 アリエノールにとっては、叔父にあたる。

 ところがあの生意気な小娘、アリエノールはリヒャルトを頼り、立てるどころか中央から遠ざけた。

 その上、王都から上納金を求められた際にはアウグストが遺した証拠を用いて脅迫までしてきたのだ。


 許せるものではなかった。

 必ずあの小娘を殺してやる。

 それが、リヒャルトがファルケンハイン侯爵バルタザールに通じた理由である。


 すでにファルケンハイン軍は国境を越えている。

 大きな抵抗をするだけの力はもはやアルテンフェルトにはなく、領都が陥落するのも時間の問題であろう。

 アリエノールと、アルテンフェルト公爵フロリアンを捕らえる指示ももう出してある。

 その二人が自分の目の前に引き出されて来るのも間もなくであった。


 憎きアリエノールを殺し、フロリアンをバルタザールに引き渡し、自らはアルテンフェルト公爵を継いでこの地を治める。

 完璧な計画だった。


 どうやってアリエノールを殺してくれようか。

 リヒャルトはそれを既に考え始めていた。

 ただ首をはねるなどとんでもない。

 そんな楽な殺し方をしてやるものか。

 棒で叩き殺すのはなかなかいいかもしれない。

 いや、牢にぶち込んでしばらく食事も与えず衰弱させてやる。

 そうして、あの見た目だけは美しい小娘の美貌が衰え切り、無様に命乞いをしてきたところを、叩き殺す。

 それで、ようやくリヒャルトの屈辱は晴れるのだ。


 そんな夢想にふけっていると、男が部屋に駆け込んで来た。

 アリエノールとフロリアンの捕縛を命じてあった部隊長である。

 朗報を持ってきたか、と一瞬期待する。


「リヒャルト様、申し訳ございません! どうも昨日与えた飼料が悪かったらしく、馬が体調不良を起こしております! 現在替え馬を用意させておりますが、出発が遅れております!」


 その報告はリヒャルトを驚かせる。


「馬鹿な! こんな大事なときに何をやっているのか!」


 部下は黙って頭を下げる。


「ええい、替え馬など待っておれるか! 我が家の馬車を曳いている馬を使って構わん、必ず二人を捕らえるのだ!!」

「はっ!」


 部隊長はその場から退出し、そのまま馬小屋で待っている部下の元に走った。


「リヒャルト様の馬車馬を使う許可が出た。準備するぞ」


 言われた部下二人は、顔を見合わせて。


「はい」


 短く返事をして、馬車に繋がれていた馬を外し始めた。

 二人は作業を進めながら、小声で話す。


「……なあ」

「なんだ?」

「本当にあの人を捕まえるのか?」

「どういう意味だ?」


 問われ、横目で隊長の動向を確認する。

 こちらの会話は全く聞こえていないようだ。


「フロリアン様は、俺の故郷の村を救ってくださったんだ」

「……それで?」

「洪水で冬の蓄えが全部流された」

「そうだったな」

「あの方でなかったら、村は滅んでいたかもしれない」

「そうかもな」


 話を聞いていた男は、ため息をついて。


「それで? 命令に背くのか? 俺は止めないが」

「……いや、そうは言っていないが」

「しかし」

「うん?」

「なんでわざわざ馬車馬を使うんだろうな」

「そうだな、普通に軍馬を使えばいいのに」


 馬の準備が整い、隊長に報告する。


「お待たせいたしました! 馬の準備が整いました!」

「よし、すぐに出るぞ!」


 三人は馬を駆り、走り出す。

 目指すは領都である。

 そこで、フロリアンとアリエノールを捕らえ、リヒャルトに差し出す。

 それが三人の任務であった。

 冷たい風が雪を伴って吹き付けている。


 道中、前を走る隊長が馬を止めた。

 二人もつられるように止まる。


「出発が遅れた。近道をいくぞ」


 隊長はそう言って、山道を指し示す。

 確かにそちらの道を行けば領都までの近道にはなる。

 通常であれば。

 部下の一人が隊長の言葉に反応する。


「しかし隊長、この天候です。山道は少し危険ではありませんか?」


 アルテンフェルト公爵領に降り続く雪は、まったく勢いを衰えさせていない。

 いまこのときも降り続いている。

 山道に雪が積もっているのは簡単に予想できる。


「かもしれん。だが、とにかく急げとのリヒャルト様のご命令だ」


 そう言って、先を走り出してしまった。

 部下二人は一度顔を見合わせて、その後を追った。


 しばらく走るが、やはり雪が深い。

 馬の膝丈まで雪が積もっており、前進が鈍ってくる。

 隊長は馬を止め、二人に振り返った。


「思ったより雪が深いな。これ以上進めなさそうだ」

「……」


 馬を返し、来た道を戻った。

 そして近道に入った分岐点まで帰って来た。


「一度報告に戻るか」

「は?」


 部下の口から思わず気の抜けた声が出る。


「だいぶ時間を食ってしまった。一度戻ってリヒャルト様の指示をあおぐぞ!」

「は、はい!」


 隊長の後に続く二人。


 そうしてリヒャルトの元に戻って来た。

 朗報を待ち望んで明るかったリヒャルトの表情が一瞬でいら立ちに変わる。


「申し訳ございません! 一刻も早くご命令を遂行しようと近道を使ったのですが、想定以上に雪が深く、進めませんでした!」

「な、なんだと!?」

「馬もかなり消耗しております、どうすべきかご判断を願います!」


 直立不動で堂々と報告を行う隊長。

 リヒャルトはいら立つばかりだった。


「何をやっておるのだ、この馬鹿者が!! 馬が使えぬのならば走ってでも行け! 必ずアリエノールを捕らえるのだ!!」

「はっ! 承知しました!」


 部下二人の元に戻って来た隊長は、むっつりとした表情で告げた。


「リヒャルト様は走ってでも捕らえに行け、とのご命令だ。だが走っては領都にたどり着く前に俺たちが潰れてしまう。それでは命令を遂行できぬ。やむをえん、歩いていくぞ」

「は、はい」


 そうして三人は、ゆっくりと領都に向けて歩き始めた。




 ◇




 ファルケンハイン侯爵バルタザール。

 四十二歳。

 二十代の若い頃に父である先代ファルケンハイン侯爵を隠居に追い込み、実力で侯爵家をものにした野心家である。

 家督を継いだバルタザールはまずは領内をしっかりと固め、地盤を確たるものにすると、貪欲に周辺の領地をファルケンハインに組み入れてきた。

 王家にはもはやその行動を止めるだけの力はなく、実力がものをいう時代。

 乱世であった。

 そして、バルタザールは乱世の領主として間違いなく一流だった。

 領地をよく治め、周辺諸国に隙があると見るや容赦なく突き崩す。

 父の時代には盟友だったアルテンフェルトが弱体化したのを見ると、迷わず侵略に乗り出した。

 侵攻に反対することが明白だった、父の代から仕える宿将を排除し、同盟を反故にして攻め込んだ。

 もちろん、そういった行動はバルタザールの信用や信頼といった無形の財産を傷つけている。

 しかし、あの広大で豊かなアルテンフェルトを手に入れるためであれば、必要な負債であった。

 そういった負債を計算し、ときには切り捨てる。

 アルテンフェルト公爵フロリアンとはまったく異なる、乱世の領主のひとりだ。


 アルテンフェルト領都の城、謁見の間。

 バルタザールの堂々たる体躯の前に、身を縮こませたように頭を下げているのが、アルテンフェルト侵攻時に内応したリヒャルトだった。

 リヒャルトの内応はアルテンフェルトを無力化するのに役には立った。

 だが、バルタザールにはこの男をこの先も役に立ち続けさせる気は最初からまったくなかった。


「ファルケンハイン侯爵閣下、この度の大勝利まことにおめでとうございます! 閣下の立てられた一分の隙もない完璧な作戦は、まさに神の一手の如き軍事上の大傑作と申して間違いございません!」

「そうか」


 冷淡に応じたバルタザールに、リヒャルトは続ける。


「つきましては、お約束いただいておりました旧アルテンフェルトの支配権のお話をしたく、まかりこした次第にございます」

「何の話だ?」

「は?」


 またしても冷淡に応じるバルタザールに、目と口を丸く開けたリヒャルト。


「お前との約束は、アルテンフェルトの支配権が俺に移ったら、俺の代わりにこの地を統治する、というものだったはずだが」

「は、はい左様にございます」


 バルタザールが不機嫌を隠そうともせずに続ける。


「だが、アルテンフェルト公爵フロリアンは降伏もせずに逃亡した。俺はこうして城は手にしたが、アルテンフェルトの支配権を持っているのはフロリアンのままだ」

「い、いえしかしあの無能はそれを放り出して逃亡したのでございます。いま、この地の支配者が閣下であることは、誰もが認めていることではありませんか」

「違うな。俺は主のいない城に勝手に居座り、勝手に領地を治めているだけだ。お前が、フロリアンを取り逃したから、こうなった。違うか」


 自らの非を指摘され、固まるリヒャルト。

 結局、何も反論できず、その場を後にしたのだった。

 もっとも殺したかったアリエノールを逃し、フロリアンも取り逃した。

 結果として得られるはずだった支配権も与えられなかった。

 国を売り払ったリヒャルトの計算は、まったく思い通りにならない結果をはじき出したのである。


「よろしいのですか? 放っておいて」


 傍で聞いていた重臣が発言する。


「構わん、もともと反乱するような実力も、器量もありはしないのだ。グリュンベルクに乗り込んでフロリアンを捕らえることも、あれには不可能だ」


 バルタザールはそう言ってリヒャルトを冷たく切り捨てた。

 だが、バルタザールの不機嫌はリヒャルトに向けたものだけではなかった。

 自分自身の読み違いに対するいら立ちと怒りも小さくはなかったのである。


 バルタザールはアルテンフェルトに侵攻した。

 そして軍事的には大勝利を収めた。

 事前に調略を行ってアルテンフェルトを弱体化させ、周辺諸国の介入を防いだ。

 唯一、グリュンベルクへの調略こそ上手くいかなかったが、それで大勢が覆るものではなかった。

 自軍の被害はなく、アルテンフェルトの領地が戦で荒れることもなかった。


 そして、旧支配体制もそのまま無傷で残った。


 バルタザールにとって最初の計算違いは、アルテンフェルトが弱すぎたことだ。

 アルテンフェルトを調略によって弱体化させたのはバルタザール自身である。

 侵攻と同時に、多くの家臣に内応、恭順するよう調略をかけた。

 そしてその多くは成功した。

 だが、事前に調略をしていなかったほとんどのアルテンフェルト家臣までこぞって恭順してくるのは、さすがに計算外だったのだ。

 散発的な抵抗をつぶして、空いた席にファルケンハインの家臣を座らせるつもりだった。

 それなのに、戦がまったく発生しなかった。

 軍人は手柄を立てる機会を失い、潰して空けるはずだった支配者の席は空かなかった。

 かといって、恭順してくるものをいきなり排除するわけにもいかない。

 そんなことをすれば、今後戦う相手がすべて死に物狂いになってしまうし、領内も揺らぐ。

 ひとまずは、受け入れざるをえなかった。

 バルタザールはフロリアンとアリエノールを無能だと考えていたが、想像以上の無能さだったのだ。


 それでも、バルタザールには次策があった。

 フロリアンはまったくの無能な領主だとしても、それでも領主だ。

 降伏交渉において、身分と地位を引き換えにアルテンフェルトの支配体制の解体を認めさせるつもりだったのだ。

 そうすれば、地位を奪われた家臣の恨みはフロリアンに向く。

 その上で、有能なものは抱えればよい。

 有能な家臣はバルタザールに感謝して、忠誠を誓うはずだ。

 ところが。

 そのフロリアンは降伏すらせず、信じがたいほどの判断の早さで何もかもを放り出して逃亡してしまった。


 バルタザールは一戦もすることなく、無傷のアルテンフェルトを手に入れた。

 だが、この一流の領主は、何一つ思い通りになっていないといういら立ちを抱えている。

 こんなことなら。

 調略などせず、問答無用で攻めかかり、旧支配体制を一度徹底的に破壊した後に、自らが新たな体制を作り直した方がはるかに良かった。


 アルテンフェルト公爵フロリアン。

 なにを考えているのか。

 バルタザールにはまったく理解できない。

 しかも、逃げ出した先は調略に応じなかったグリュンベルクである。

 グリュンベルク伯爵コンラートは、若く、短期間で領地を復興させ、軍も強い。

 侮れない相手だ。

 そのコンラートが、アルテンフェルトの正当な支配者であるフロリアンを庇護している。

 バルタザールにとって、面白い状況ではなかった。


「あの、無能が……」


 そのつぶやきは。

 フロリアンに向けられたものだったのか。

 それとも、フロリアンを取り逃したリヒャルトに向けられたものだったのか。

 戦を読み違えた自らに向けたものだったのか。


 傍で聞いていた重臣は。

 それを確認することなく、つぶやきを聞き流した。




 ◇




「なるほど、バルタザールも苦労しているようだ」


 春も終わりに近づいて来たころ。

 コンラートは間諜からの報告で、ファルケンハインの旧アルテンフェルト領の支配状況を知った。

 バルタザールが戦前狙っていたことが、コンラートにはよくわかった。

 バルタザールほど苛烈ではないにしろ、他領を侵略するのであればコンラートも同じように考えたであろうからだ。

 あれほどの軍略家が、アルテンフェルトの支配に苦労している。


 彼の計算を狂わせたものがなんであるか。

 コンラートにはわかる気がした。

 大馬鹿者を、乱世の領主という物差しで測ろうとしてしまった。

 無能はこのように動くだろうと予測して、それを元に作戦を立ててしまった。


 だが、あの男は。

 領主として無能であるだけではなく、大馬鹿者だった。

 その行動を、領主の物差しで測れるはずがなかった。


 コンラートは一瞬考える。

 バルタザールがアルテンフェルトの支配に苦労しているぞ。

 それもどうやら、大馬鹿者が原因らしい。

 それを、アリエノールに伝えてやろうか、と。


 だが、コンラートは鼻で笑って。

 自分のそんな考えに蓋をした。

 馬鹿馬鹿しい。

 どうして俺があの大馬鹿者の功績を、教えてやる必要があるんだ。


 小さい男だ、とコンラートは自分を笑う。

 最近、アウグストの教えと、十七歳のときの失敗を思い返すことが多かった。

 帳簿だけを見て、現場を見ずに、自信満々に報告をして、叩き潰された。

 そんな思い出だ。


 その思い出が別の記憶に結びつく。

 あの冬の記憶から、数か月たっていた。

 一方的に裏切られた、と感じていた。

 だが。

 グリュンベルクを奪還してから、六年だ。

 領地が安定してからも、コンラートは一度もアリエノールに会いに行かなかった。

 自分も忙しい、相手も忙しい。

 六年前の約束だけを見て、その約束を果たしたつもりでいた。

 六年間一度も会いにいかず、手紙も途切れ、その間アリエノールが何を考えているのか、どのように今を過ごしているのか、まったく見ようともしていなかった。

 過去の自分に問いたいくらいの気持ちだった。

 なあ、過去の俺よ。お前本当にそれでアリエノールを愛しているつもりだったのか?

 結局、十七歳のときと同じ失敗を、繰り返している。


 あの女、アリエノールが。

 自分にも他人にも厳しいあの女が、そのことに気づいていないはずがない。

 いくらでも、コンラートを責めることができたはずだ。

 それなのに、あの女は。

 一言の文句もなく、ただ黙って頭を下げた。

 勝手に自分の負債も持っていかれた。

 そんなふうにすらコンラートは感じてしまう。


 やはり、小さい男だ。


 コンラートは椅子の背もたれに背を預け、上を向いて息を吐いた。

 アリエノール。

 本当に、あの女は。



「腹の立つ女だ……」




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