第七話:正しい答えが欲しくない?
「佐伯さん、三番お願いしまーす!」
フロアの向こうから声が飛んできた。
自席に座って業務マニュアルを確認していた湊は、顔を上げた。
「三番?」
隣に座っていた佐藤が、ぎょっとしたようにこちらを見る。
「三番。クレーム。二次対応だよ」
「……僕が?」
「何言ってんの。里桜、今月ずっとクレーム担当じゃん」
湊は無言で手元の資料へ視線を戻した。
出社してから一時間ほど、このコールセンターの業務内容については一通り確認している。電話の受け方、本人確認の手順、サービス内容から返金規定まで。基本的な業務マニュアルは完備されており、特別難しいものではなかった。
問題は、今から自分に回されようとしている業務だ。
「クレーム対応の指示書はどこにある?」
「え?」
佐藤が瞬きをする。
「二次対応だ。一次対応者からエスカレーションされた後、どういう基準で判断し、対応するのか確認したい」
「あー……そんなのないよ」
湊の手が止まった。
「ない?」
「うん」
「顧客からの苦情に対して、どこまで謝罪するのか。どの時点で上席へ再エスカレーションするのか。補償を求められた場合の判断基準は?」
「そのへんは大体決まってるけど」
「では、顧客の主張を収束させるための具体的な対応手順は?」
「それは……その人によるから」
湊は眉を寄せた。
「顧客ごとに対応方法が異なるにもかかわらず、その判断をマニュアル化せず、個人の裁量に委ねているのか?」
「まあ……そうなるのかな。でも里桜、いつも得意じゃん。何かあったの?」
「…………」
湊は一瞬、言葉に詰まった。
今の自分は『佐伯里桜』なのだ。自分自身の仕事について他人に尋ねるのは明らかに不自然だった。
「なんでもない」
「佐伯さん、三番まだー? お客様待ってるよ!」
再び声が飛び、湊は小さく息を吐いてヘッドセットを装着した。
「……了解した」
保留されていた回線を取る。
「お電話代わりました。佐伯でございます」
『あんた責任者!?』
耳元にキンと響く大声。湊は僅かにヘッドセットから顔を離した。
「責任者ではありません」
『は!?』
隣で佐藤が勢いよく振り向いた。
『じゃあなんで代わったのよ! 責任者出してって言ったでしょ!』
「一次対応では解決に至らなかったため、二次対応として僕……」
危ない。
「……私が引き継ぎました」
『だから責任者じゃないなら意味ないでしょ!』
「しかし、お客様のお申し出について対応可能な権限の範囲は私も同じです。肩書きだけ違う人間へ代わったとしても、回答内容が変わるわけではありません」
少なくとも湊には、何が問題なのか分からなかった。対応権限が同じなら、結果は同じである。
ところが、電話の向こうの女性はさらに声を荒らげた。
『そういう問題じゃないのよ! さっきから何なの、その言い方!』
「どの部分でしょうか」
『そういうところよ!』
「申し訳ありません。改善しますので、具体的にご指摘いただけますか」
『もういい! 話にならない!』
話にならないのであれば、問題を特定しなければならない。
湊は手元の対応履歴を確認する。顧客の主張は「キャンペーンの適用条件について説明が不足していた」というものだった。
「確認いたしましたが、お客様のお申し込み日は五月十二日です。当該キャンペーンの対象期間は五月十五日からですので、適用対象外となります」
『それはさっきも聞いたわよ! でも私はそんな説明されてないって言ってるの!』
「しかし、お申し込み時点ではキャンペーン自体が開始されていません」
『だから! そういう話をしてるんじゃないの!』
湊は眉間に皺を寄せた。
相手の主張に対し、事実関係を確認し、的確に回答している。こちらに過失がないことも記録上明らかだ。それなのに、なぜ話が前へ進まないのか。
「では、お客様は具体的に何をご希望なのでしょうか」
『はあ!?』
「キャンペーンの適用をご希望なのであれば、対象期間外のため承ることはできません。それ以外のご要望があるのでしたら、確認いたします」
『もういいって言ってるでしょ! あなた感じ悪いわね!』
ツー、ツー、と電話が切れ、湊はしばらく無言でモニターを見つめた。
通話時間、十一分四十二秒。
結論、キャンペーン適用不可。事実誤認なし。案内内容にも誤りなし。
「……何が問題なんだ?」
思わず口から漏れた。隣から佐藤がこちらを見ている。
「里桜……今日どうしたの?」
「何がだ」
「いや、なんか……怖い」
「僕は事実を説明しただけだ」
「僕?」
「…………私は」
また危ない。
佐藤は怪訝そうな顔をしたものの、それ以上は追及しなかった。
「言ってることは間違ってないんだけどさ。ああいう人って、正しい答えが欲しいわけじゃないときもあるじゃん」
「正しい答えが欲しくない?」
湊は理解不能という顔で佐藤を見る。
「じゃあ、なぜ問い合わせてくる?」
「それは……怒ってるから?」
「だから、その怒りを解消するために問題の原因と解決策を提示している」
「うーん……」
普段の里桜なら、こんな説明をする必要などない。相手が何に腹を立てているのかを声の調子から勝手に読み取り、適当に相槌を打ちながら、いつの間にか会話を収束させている。
「里桜っていつも、最初はもうちょっと話聞くよ」
「対応履歴はすべて確認した」
「そうじゃなくて、お客さんの話」
「既に一次対応者が聞いている。同じ内容をもう一度聞く必要があるのか? 時間の無駄だ」
「気持ち的に?」
「気持ち」
湊はますます眉間の皺を深くした。
「それは業務上、何に影響する?」
「知らないよ!」
佐藤がついに笑い出した。
「ぷっ、ふふ。里桜、今日めんどくさい!」
湊としては真剣に聞いているだけだった。
そこへ、背後から低い女性の声が飛んできた。
「佐伯さん、ちょっといい?」
振り返ると、フロアを管理しているSVが立っていた。
「はい」
「今の対応なんだけど」
SVは周囲を気にして少し声を落とした。
「案内内容は間違ってない。でも、お客様に対する言い方がちょっと強いかな」
「どこがでしょうか」
即座に聞き返すと、SVが一瞬言葉に詰まった。
「どこっていうか……全体的に」
「改善したいので、具体的に教えてください」
「だから、もう少しお客様の気持ちに寄り添って」
「具体的には?」
「……まずは、お客様が不快な思いをされたことに対して謝罪するとか」
「当社に過失がないにもかかわらず謝罪するのですか?」
「そういう意味じゃなくて。気持ちに対して謝るの」
「事実ではなく、感情に対して謝罪するということでしょうか」
「……まあ、そう」
湊は少し考えた。
「それによって、顧客満足度が改善するというデータはありますか?」
SVの表情が固まる。隣で佐藤も固まった。
「データ……?」
「感情への共感がクレームの収束率に影響するのであれば、対応品質を属人的な能力に依存させるべきではありません。効果の高い応対例を収集して標準化し、研修内容に組み込むべきです。また、二次対応者に求められる裁量範囲も不明確です。判断基準を明文化せず、担当者個人の経験則に依存している現状は、品質管理上のリスクが極めて高いと思います」
SVは何も言えなかった。佐藤も何も言えなかった。
湊は二人の反応を見て、ようやく自分が今いる場所では、こういう話し方をしないらしいと察した。
「……と、思うんですけど」
慌てて最後だけ里桜らしくしてみた。が。
「佐伯さん……今日、なんか変じゃない?」
「そうでしょうか」
「なんか急にコンサルみたいな喋り方するね」
「…………」
中身の湊の本職である。
「と、とにかく、もう少し柔らかく対応して。お客様の感情を逆撫でしないようにね」
「承知しました」
逃げるように去っていくSVを見送り、湊は小さく息を吐いた。




