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冷徹なサイボーグ社長とただの契約社員の私が入れ替わったのは、生理初日でした  作者: 名前はまだない


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第五十話:適材適所

その日の終業間際。

神崎は、翌日のスケジュール確認を終え、手元のタブレットを閉じようとしていた。


「神崎」


呼び止められ、顔を上げる。

湊は先ほどからパソコンの画面を見たままだった。


「人事に連絡しろ。明日までに一件、辞令を出す」

「……明日までに、ですか」


神崎の指が止まる。

通常、人事異動というものは、社長が思いついた翌日に本人へ通達するようなものではない。


「急ですね」

「急ぐ必要がある」

「差し支えなければ、理由を伺っても?」


湊がようやく顔を上げた。


「石黒産業の案件だ」


その一言で、神崎は記憶を辿った。

廃校を活用した宿泊施設。

過疎地域の再生と観光資源化を組み合わせた、新規事業案件。


数か月前。

石黒権蔵との昼食後、社長が突然持ち帰ってきた企画だった。

採算性だけでなく、地域住民、雇用、自治体まで含めた妙に人間臭い構想。

普段の高橋湊なら、まず収益率と出口戦略から入る。

にもかかわらず、あの日に限っては


――『廃校って、なんか勿体なくないですか?』


などと、普段の社長なら絶対に出力しない非論理的かつ情緒的な構文を使った。

神崎の記憶には、かなり鮮明に残っている。


石黒会長も後日、『あの日のお前、頭でも打ったのかと思ったぞ』と笑っていた。


「当該案件で、追加人員が必要ということでしょうか」

「ああ」

「どの部署から?」


湊は何でもないことのように答えた。


「買収したコールセンターから一名、本社へ上げる」


神崎の眉が、ほんの僅かに動いた。


「何か問題があるか」

「いえ。ですが、廃校リゾート事業とコールセンター業務の関連性を、現時点では見出しかねます」


中指が眼鏡へ伸びる。

クイ。

湊の眉間に薄く皺が寄った。


「顧客接点だ」

「顧客接点」

「今回の案件には、経営側だけの視点では足りない」

「……はい」

「宿泊施設を利用するのは経営者ではない。一般消費者だ。価格、使いやすさ、家族連れの動線、地域への心理的ハードル。そういった生活者のリアルな視点を事業設計へ取り込む必要がある。これは、外部のコンサルタントには代替不可能なアセット(資産)だ」


神崎は黙って聞いている。

理屈自体は分かる。だが、何かが決定的におかしい。


「加えて、買収後の視察で現場社員の対応をいくつか確認したが、極めて対人調整能力に優れた者がいる」


クイ。


「……なるほど」

「理不尽なクレーム対応の際にも、まず相手の感情を処理した上で論点整理へ移る。あのスキルセットは、自治体や地域住民との折衝でも転用できる」


クイ。


「非常に具体的な評価ですね」

「現場のログを見たからな」

「そうですか」


神崎は表情を変えなかった。

しかし、社長が買収先の一契約社員について、ここまで具体的に業務特性と転用可能性をプレゼンすること自体が、既に異常事態である。


「対象者の雇用形態は?」

「契約社員だ」

「その場合、本社異動よりもプロジェクトへの一時参加、あるいは出向の方が自然では?」

「長期案件だ」


即答だった。


「今後、自治体調整、施設設計、運営スキームまで深く関与させる可能性がある。非正規雇用のまま業務責任だけを増大させるのは、労働環境の観点からも不適切だ」

「つまり」


神崎は確認する。


「正社員登用の上、本社へ異動させる、と」

「そうだ」

「明日までに?」

「最初にそのように伝えたはずだ」

「随分と迅速なキャリア形成ですね」


湊の目が細くなった。


「何か言いたいことがあるなら言え」

「ございません」


クイ。

神崎は一拍置いた。


「対象者の氏名をお願いします」


湊は、わずかにも迷わなかった。


「佐伯里桜」


神崎の中指が、眼鏡のブリッジに触れたまま完全に停止した。


「……佐伯さん」

「ああ」

「ここ三日間、社長が毎朝勤怠の生存確認をされている?」

「今回の人事とは一切関係ない」

「まだ何も申し上げておりません」

「顔に書いてある」

「恐縮です」


クイ。

湊は明らかに不機嫌そうに資料へ視線を戻した。


「これは純粋な適材適所だ」

「承知しております」

「プロジェクト上必要な人材を配置する。それだけだ。個人的事情は一切介在していない」

「……はい」

「何だ、その間は」

「ございません」


神崎はタブレットへ必要事項を入力する。

事業開発本部、地域創生プロジェクト室。正社員登用。そして、佐伯里桜。


「人事部へ至急回します。ただし、本人への説明と雇用条件の確認は必要です」

「当然だ。待遇は現行より下げるな。基本給、賞与、福利厚生を含めて本社正社員基準へ完全に統一しろ」

「承知しました」

「それと、可能なら明日付で発令しろ」


神崎の指が止まった。

クイ。


「社長」

「何だ」

「石黒産業との定例会議は、来週です」

「準備期間が必要だ」

「一週間ございます」

「一週間しかない」

「……そうですか」


神崎はそれ以上、何も言わなかった。

タブレットを抱え、深く一礼する。


「それでは、人事部とただちに調整いたします」

「ああ、頼む」


社長室を出て、重厚な扉が静かに閉じた。

数秒、神崎は廊下で立ち止まった。

そして。


「…………はぁ」


深い、深い、非常に深いため息が出た。

中指で、眼鏡のブリッジを強く押し上げる。

あの高橋湊が、人事制度、プロジェクト要員、生活者視点、長期的キャリア形成など、あらゆる正論とビジネス用語を総動員している。

ただ一人の女性を、未読無視されたという理由だけで、自分のテリトリー(本社)へ合法的に拉致するために。


(社長。公私混同という概念を、そこまで堅牢なロジックで武装する人間を、私は初めて見ました)


神崎は無表情のまま歩き出した。


◇◇◇


翌朝。

いつも通り出勤した里桜は、パソコンを立ち上げてすぐ、背後から声をかけられた。


「佐伯さん。ちょっといい?」


振り返ると、センター長だった。


「はい?」

「少し話がある。会議室来てもらえる?」


嫌な予感がした。

里桜は佐藤と目を合わせる。佐藤も眉を上げる。


――何かやった?

――知らない。


目だけでそんな会話をしながら、里桜はセンター長の後についていった。

小さな会議室へ入り、椅子へ座る。

机の上には、数枚の書類が置かれていた。

センター長は妙に複雑な顔をしている。


「えーと……佐伯さん。急な話なんだけど」

「はい」

「正社員登用が決まった」


里桜は瞬きをした。


「…………はい?」

「で、本社異動」

「…………はい?」


二回目だった。

センター長が書類を差し出す。


「事業開発本部、地域創生プロジェクト室。明日からだ」


里桜は書類を五度見する。


本社。

事業開発本部。

地域創生。

正社員。


見慣れない単語ばかりが並んでいる。


「ちょっと待ってください。私、コールセンターですよ?」

「知ってる」

「契約社員ですよ?」

「今日まではな」

「今日まで!?」


思わず声が裏返った。


「いやいやいやいや、待ってください。何で私!?」

「俺も聞いた」

「で、なんて?」

「プロジェクトに必要な人材だから、と」

「どの辺が!?」


センター長も困った顔をした。


「対人調整能力とか、生活者視点とか……」


里桜の顔が引き攣る。

嫌な予感が、ものすごい速度で具体化していく。


「……ちなみに」


恐る恐る聞く。


「これ、誰の指示ですか」


センター長が答える。


「本社社長決裁」

「…………」


里桜は天井を仰いだ。

湊。絶対、湊だ。


「あいつ……」


小さく漏れる。センター長が首を傾げた。


「知ってるの?」

「いえ!」


危ない。


「でも、無理です!」

「何が?」

「本社って、皆さんスーツですよね!?」

「まあ部署によるけど」

「私、毎日デニムで出勤してるんですけど!」

「そこ?」

「そこ大事です!」


里桜は立ち上がりかけた。


「スーツ持ってません! 正確には冠婚葬祭用しかありません! パンプスだって長時間履いたら足死にます! そもそも本社って、あの本社ですよね!?」

「多分、君が思ってる本社」

「無理ですって!」


センター長は、とうとう少し笑った。


「でも待遇、かなり上がるぞ」

「え?」


差し出された別紙を見る。

基本給、賞与、各種手当、福利厚生。

里桜の目が止まった。


「…………」

「どうした?」

「いや」


もう一度見る。


(……これなら、すぐに借金も完済できる)


「どうする?」


そう聞かれ、里桜は書類を握ったまま固まった。

断る理由を、ただ探した。

だが、どう考えても断る理由が見つからない。むしろ、これを断ったら自分が馬鹿なのではないかと思うほどだった。


そして何より、頭の中に、ある男の顔が浮かぶ。

三日間、連絡を無視している男。

その男がいる、本社。


(……まさか)


里桜の頬が引き攣った。


(私が返事しないからって、人事異動させたんじゃないでしょうね)


いや、いくら何でも。

そんな馬鹿な。そんな私情で人事を動かすはずが。


――『食事が冷めるぞ』

――『今日は君の番だ』


里桜は黙った。

やりかねないというより、ものすごく、やりそうだった。

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