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冷徹なサイボーグ社長とただの契約社員の私が入れ替わったのは、生理初日でした  作者: 名前はまだない


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第三十八話:疑念のポテト

翌日の昼休み。

里桜はいつものように、自宅から持ってきた弁当箱の蓋を開けた。

週末にまとめて作っておいたおかずを詰めただけの、見慣れた昼食だ。

昨日あれだけ高級な焼き鳥を食べた翌日に、この現実的な弁当を見ると妙に安心する。


向かいに座った佐藤は、そんな里桜をさっきからじっと見ていた。

嫌な予感しかしない。


「……なに?」


里桜が卵焼きを箸で摘まみながら尋ねると、佐藤は待ってましたとばかりに身を乗り出した。


「昨日の話」

「昨日って?」

「とぼけても無駄だからね。親会社の社長がわざわざ車で迎えに来て、そのまま二人でどっか行った件」

「ああ……」

「『ああ』じゃないのよ。あの後どうしたの?」


里桜は卵焼きを口に入れた。


「ご飯食べた」

「何食べたの?」

「焼き鳥」

「焼き鳥?」


佐藤は一瞬拍子抜けした顔をしたが、すぐに目を細めた。


「で?」

「で、って何」

「その後」

「帰ったよ」

「それだけ?」

「それだけ」


佐藤は完全に疑っている顔だった。


「ほんとに?」

「ほんとに」

「ヤったの?」


里桜は危うく噴き出しそうになった。


「やってない!」


休憩室に思った以上に声が響き、近くの席にいた数人がこちらを見る。

里桜は慌てて声を落とした。


「ちょっと! 何聞いてんの!」

「いや、だって気になるじゃん。あんな男が迎えに来て、そのまま二人でご飯行って、何もないって方が逆に怪しいでしょ」

「何もない!」

「キスは?」

「してない!」

「手は?」

「繋いでない!」

「じゃあ何したの?」

「焼き鳥食べた!」


佐藤は数秒黙ってから、呆れたように背もたれへ身体を預けた。


「健全すぎるでしょ」

「何を期待してんのよ」


里桜は再び弁当に視線を落とした。

とはいえ、説明できることが少なすぎる。

いつ知り合ったのかと聞かれても困る。

三か月前、突然身体が入れ替わり、五日間だけ互いの生活を代行した。

その間に湊は自分の生理を経験し、自分は湊の身体で会食へ行き、彼の両親に勝手に恋人の存在を匂わせた。

そんな話を誰が信じる。


「で、いつ知り合ったの?」


案の定、聞かれた。


「……色々あって」

「その『色々』を聞いてるの」

「説明が難しいんだって」

「じゃあ、付き合ってる?」

「付き合ってない」

「好きなの?」


里桜の箸が止まった。


「……知らない」

「知らないって何」

「知らないものは知らないの」


昨日のことを思い出す。

三か月間、連絡がなかった理由。

『連絡を取りたくなかったわけではない。むしろ逆だった』

あの言葉を聞いた時、胸の奥がほどけた。

そして別れ際には、次の日曜日を空けておけと言われた。

一瞬だけデートだと思って、自分でも驚くほど嬉しかった。

結局は湊の両親に会う偽装恋人役のためだったけれど、それでも、また会えることが嬉しい。


佐藤がじっとこちらを見ていることに気づき、里桜は眉を寄せた。


「何?」

「いや」


佐藤はにやりと笑った。


「完全に顔に出てるなと思って」

「出てない」

「出てるよ」


里桜は無言で弁当を食べる速度を上げた。

これ以上喋ると、本当に何かを吐きそうだった。


◇◇◇


同じ頃。

湊は執務室で昨日の視察報告に目を通していた。

神崎は向かいに立ち、現場で確認した課題について淡々と補足を続けている。

評価制度、研修フロー、クレーム案件の偏り。

一通り説明が終わったところで、神崎は資料から目を上げた。


「佐伯里桜」


湊の視線が止まった。


「……何だ」

「昨日の視察の際に、社長が三百八十四秒ほど足を止めていた席にいた契約社員です」


数秒、沈黙が落ちた。湊はゆっくり神崎を見る。


「何故、秒単位で把握している」

「社長の視察動線とタイムマネジメントを確認しておりましたので」

「一人のオペレーターの前で六分二十四秒滞在した事実を、秒単位で記憶する必要はないだろう」

「そうでしょうか」


神崎はいつものように中指で眼鏡を押し上げた。


「随分熱心にご覧になっていたので、何か特筆すべき問題点があったのかと」

「対応品質が高かった。それだけだ」

「なるほど」


返事は素直だった。

素直すぎる。


「……何だ」

「何も申し上げておりません」

「なら、その納得していない顔をやめろ」

「通常の顔です」


湊は小さく息を吐いて資料へ視線を戻した。

何も聞かれていない。

にもかかわらず、何故か不当な尋問を受けた気分になる。

神崎という男は、余計なことを口にしない分、余計に面倒だった。


◇◇◇


その日の退勤後、里桜は佐藤に半ば強制的にマクドナルドへ連行された。


「昼の続きするから」

「まだやるの?」

「当然」


ポテトを摘まみながら、佐藤は楽しそうだった。

完全に他人事である。

里桜が諦めて飲み物に口をつけた時、テーブルの上のスマートフォンが震えた。

画面には、高橋湊。

メッセージは一言だった。


『電話できるか?』


里桜の表情が僅かに緩んだ。

それを佐藤は見逃さない。


「誰?」

「……湊」

「電話してみて」

「え、今?佐藤ちゃんいるじゃん」

「いいから」

「ぐぬっ……」


完全に逆らえない。

里桜は渋々通話ボタンを押した。

数回の呼び出し音の後、聞き慣れた低い声が耳に届く。


『佐伯』

「湊、お疲れ様」


佐藤の眉がぴくりと動いた。

もう下の名前で呼び捨てにしている。

里桜はそんな佐藤の反応には気づかず、そのまま続けた。


「今、佐藤ちゃんとマック来てる」

『佐藤さんか。横にいるなら伝えてくれ。その節は世話になった、とな』

「あ……うん」


里桜はスマートフォンを耳から離し、目の前の佐藤を見た。


「ねえ、湊が『その節は世話になった』だって」

「……は?」


佐藤がポテトを持ったまま固まる。

里桜は再びスマートフォンを耳に当てた。


「あの時、分かんないことあったら佐藤ちゃんに聞いてって私が言ったもんね」

『ああ。君の直感的な説明より、彼女の言語化能力の方が遥かに有用だった』

「一言余計なんだけど」


里桜が笑う。

向かいに座る佐藤は、ポテトをトレイに置いた。


(その節は世話になった?)


何の話だ。

自分はあの社長とまともに話したことなどない。

電話の向こうの会話は続いている。


「日曜日、何時くらい?」

『十時に迎えに行く』

「ほんとに行くんだ……」

『その予定で話しただろう』

「私はまだ心の準備ができてないんだけど」

『一週間ある』

「一週間しかないの」


文句を言っている。

なのに、里桜の顔は笑っている。

普段の気の抜けた表情とも、仕事中の愛想笑いとも違う。

声まで少し柔らかくなっていて、目元には隠しようのない嬉しさが滲んでいた。

佐藤はそれを黙って見ていた。


昨日、親会社の社長は里桜の席で長いこと足を止めていた。

退勤後には、自分で車を運転して迎えに来た。

そして今、今日も向こうから連絡してきて、次の日曜日にも会うらしい。


そこまで考えたところで、佐藤の頭にとんでもない仮説が浮かんだ。


(まさか……あのイケメン社長)


(里桜がいるから、うちの会社を買収したとか?)


(……いや)


(さすがにない)


会社を一つ買うのだ。そんな少女漫画みたいな理由で動く金額ではない。

佐藤は自分で自分の考えを打ち消し、冷めかけたポテトを一本口へ運んだ。

考えすぎだ。きっと。


そう思いながらもう一度里桜を見る。

里桜はまだ電話の向こうの男に笑っている。

佐藤はポテトを咀嚼しながら、心の中で訂正した。


(――でも、考えすぎにしては、ちょっと怪しくない?)

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