第8話
「話は少し変わりますが、新作の“紙”の使い心地はいかがでしたか?」
この大陸では記録媒体として、羊皮紙が用いられている。
書物、勅書、手紙に用いられるのが羊皮紙だ。
しかしこの羊皮紙、非常に高価である。
代替品としては木簡、ボロ布、蝋板などがあるが……どれも一長一短ではある。
用途によって使い分けている感じだ。
私は読書家であると同時に筆まめな方だと自認している。
日記は欠かさず付けているし、見聞きしたことはメモするし、思いついた詩は残しておきたいし、自分用の辞書だって作る。
だから気軽に使い捨てができる、安価で丈夫で使いやすい“紙”が欲しかった。
ないなら作るしかない。
というわけで試行錯誤を重ねた結果、悪くないものが出来上がった。
人間、ちょっと成功すると欲が出て来る。
せっかく、苦労して作ったのに私が個人的に使うだけでは勿体ない。
もしブドゥーダル公爵家で用いられている行政文書を羊皮紙から紙に置き換えることができれば、大幅なコスト削減に繋がる。
木簡のせいで手狭になっているスペースも削ることができる。
産業として成立すれば、税収アップに繋がるかもしれない。
そういうわけで、完成した紙を父や書記官たちに使って見てもらったのだが、その感想は「脆くて書きにくい」だった。
他にもあれこれケチを付けられた。
予想通りではあった。
デジタル化だって、どれだけ利点を並べても、少し欠点があるだけで「やっぱり紙がー」とか言われる。
挙句の果てに「温かみ」とかよくわからない精神論を持ち出して反対されるのだ。
「温かみ」が欲しいなら粘土板使え。
だから簡単に受け入れられたりしないとは思っていたが、いざ面と向かって言われたら、カッとなってしまった。
私は負けず嫌いなのだ。このまま引くわけにはいかない。
だから私は自分が使えるお小遣いを紙の改善に投入した。
職人の数を増やし、改善・改良に繋がるアイデアに懸賞金を掛けた。
もう羊皮紙使った方が安いんじゃ……とか言われたが、「私の勝手だ」と言い返してやった。
こうして「限りなく使い心地が羊皮紙に近い」紙を作ることに成功したのだ。
「以前よりは使いやすかった」
お世辞を言っているわけではなさそうだった。
以前は添加物に植物性の糊を使っていたが、それを動物性の膠に変えたのが良かったのだろう。
「ロゼリアの宮廷で使う分なら、構わない」
“ロゼリアの宮廷”というのは、要するに私に仕えている騎士(武官や文官)で構成されている行政組織だ。
社交デビューを果たした貴族は、(規模は人によるが)“宮廷”と呼ばれる行政組織を所持している。
貴族の仕事は社交だけでなく、内政や裁判、魔獣退治など多岐に及ぶ。
そのため助言や実務を担う騎士が必要になる。
そしてこの宮廷は貴族と同行する形で移動する。
これは規模が多くても数百人程度なのと、貴族の所領はあちこちに分散しているため、物資や情報を自分のところに集めるよりも自分が移動した方が手っ取り早いからだ。
もっとも全ての書類や武器、租税を持ち歩くのはさすがに不可能なので、それらを集積する拠点、本拠地のようなものはある。
我が国では、北のトルーニア城と南のブドゥーベル城がそれにあたる。
「もちろん、表に出さない、長期間保存しない文書に限る」
「……分かりました」
ブドゥーダル公爵家の公式文書としては、不採用だった。
ちょっと不満ではあるが、同時にそんなものかという気もする。
「言わなくても分かると思うが、手紙や証文には使うな?」
「分かっています」
もし紙の性能が羊皮紙を上回っても、羊皮紙の格式の高さは変わらない。
完全に置き換わるには百年……いや二百年は掛かるかもしれない。
「私的な手紙はどうでしょうか?」
「……領内で、かつ断りを入れた上ならば許そう」
個人的に親しくしている騎士や商人、学者に宛てる分ならば良さそうだ。
いきなり政府公式文書にするのは難しそうなので、下から普及していくことにしよう。
コストパフォーマンスを優先する商人たちからの受けは、貴族である父よりも良いはずだ。
「ところで在庫はどれだけある?」
「五百枚ほど。……それがどうかされましたか?」
父も自分の宮廷で使うのだろうか?
でも、それだったら不採用を言い渡されることはなかっただろうし……。
「まあ、なに。私もロゼリアほどではないが、書き物はするからな。誰かに見せるつもりはないが……」
日記とかに使うらしい。
ブドゥーダル公爵としては不採用だけど、マカートス・エル・ブドゥーダルとしては採用ということか。
「分かりました。後で届けさせておきます」
苦労が報われたような気がして、少し嬉しかった。
……いや、実際に手足を動かしたのは職人たちだけど。
現在はこの世界の暦で八月。
季節的には晩夏から初秋の境に当たる。
小麦や葡萄などの主要農作物の収穫が終わりを迎える時期だ。
収穫された小麦は各地の城や食糧庫に運び込まれ、そして葡萄は各村や街で葡萄酒へと加工される。
そんな中、私はトルーニア城の城下町、トルーニア市にある神殿を訪れていた。
トルーニア神殿と呼ばれている。
ブドゥーダル公国の北部では最大の神殿で、またトルーニア地方の信仰の中心でもある。
「まこと、神々しいお姿です……姫様。年を経るごとに、神威が増していらっしゃいます」
「司祭長であるあなたに、そう評して頂けるのはまことに光栄です」
司祭長の賛辞を軽く受け流しつつ、私は鏡に映る自分の姿を確認する。
今日はドレスではなく、巫女装束を着ていた。
もちろんデザインは日本の巫女装束とは異なるが、しかし配色が紅白なところだけは一致している。
本日は収穫祭の日である。
領主一族は神事も司っており、私は神殿の巫女も務めているので、祭祀に参加しなければならない。
似たようなことは各地でも行われるが、やはりトルーニア神殿での儀式はこの辺りでは最大規模だ。
なお、南のブドゥーベル市でも同じような祝祭が行われる予定だ。
そちらでは私の妹であるブランシュが、巫女として儀式を主催する。
父が早々に帰ったのは、ブランシュの儀式を見届けるためだと思う。
十二歳の長女と九歳の次女では後者の方が心配だろうし、当然だと思う。
保護者同伴じゃないと何もできないような年齢でもないので、父には「ブランシュに頑張ってねと伝えてね」と言って送り出したわけだ。
控室を出て、舞台裏に赴くとすでに私以外の“巫女”は準備を終えている様子だった。
「よくお似合いです。姫様」
「あなたも似合っていますよ。デラーウィア」
私の専属侍女――デラーウィアも巫女装束を身に纏っていた。
彼女は女性騎士として高い地位にあり、また広い意味で領主一族の一員でもあるので、儀式に参加する資格がある。
また彼女以外の“巫女”も、殆どは近隣の封臣貴族や騎士の娘たちだ。
上は十五歳、下は十歳までいる。
一応神殿所属の巫女も数人いるが、それは少数だ。
「……多少失敗しても、ご先祖様は許してくださいます。肩の力を抜いて、気楽にやりましょう」
私の言葉に、強張っていた少女たちの表情が和らぐ。
もっとも、それでも緊張でガチガチになっている子はいる。
失敗して姫様に恥を掻かせてしまったら……とか、考えているのだろう。
私は緊張を解すため、雑談を交えながら、儀式での動きのおさらいをする。
「定刻です」
「では、参りましょうか」
神官の言葉を受け、私は舞台へと上がる。
舞台の上には、人が十人以上入れそうな大きな樽が置かれていた。
その中にはたっぷり、葡萄が敷き詰められている。
「それではこれより、葡萄踏みの儀式を行います」
私はそう宣言すると、葡萄樽の中に足を入れた。
それを皮切りに少女たちも次々と樽の中に足を入れる。
そしてみんなで腕を後ろに組み、踊りながら歌を歌う。
そして太鼓や笛の音色に合わせ、魔力を放出する。
これがブドゥーダル公国伝統の収穫祭、「葡萄踏みの儀式」である。
十代前半の女の子たちが裸足で葡萄を踏み踏みするだけの、微笑ましい儀式だ。
……何というか、完全に学芸会のノリである。
宗教儀式がこんなものでいいのかと問われると、実は全く問題ない。
というのも、この世界の信仰の対象は、“魔法”そのものだからだ。
例えば私の右隣で懸命に葡萄を踏み踏みしている十歳の少女は、非常に華奢で可愛らしいが、平民の成人男性を、葡萄を潰すかのように殺せるだけの力を持っている。
魔力を持つ騎士と、魔力を持たない平民にはそれだけ、隔絶した差がある。
そして貴族である私は、そんな彼女たちを、葡萄を踏み潰すように殺せるだけの魔力を持つ。
魔力の感知能力が鈍い平民たちでも、魔力放出を受ければその強大さを肌感覚で理解できる。
騎士たちであれば、なおのこと、私の力の強大さが分かるだろう。
つまりこの儀式はただ収穫を祝うだけではなく、「収穫を邪魔する侵略者や反逆者は、この葡萄のように、我らの力で踏み潰してやる」というメッセージが込められている。
なお、みんなで後ろ手を組むのは、領主一族と封臣・騎士たちの連帯を示す。
何だかそう思うと、葡萄汁が全部、人間の血液に見えてくるから不思議である。
そんな物騒な意味合いをしっかりと理解した上で、騎士や平民たちは歓声を上げているのだ。
ま、まあ、自分たちを守ってくれる力が強いに越したことはないから……。
本当に血生臭いな、この世界の価値観……。
一時間ほどで、葡萄踏みの儀式は終わる。
残りはしっかり、おじさんたちが生足で踏みしめて、葡萄酒に加工してくれるだろう。
儀式が終われば、後はただのお祭りだ。
以前の儀式で作成された葡萄酒が振る舞われ、また街の大通りでは屋台が並び、旅芸人たちが芸を披露する。
平民たちはもちろん、騎士の子女たちも、こっそり祭りを楽しんだりしている。
もっとも、私は司祭長や封臣、騎士たちと楽しい政治の話をしなければならないので、祭りに参加している暇などないが。
なお、彼らの関心の主軸は「ロゼリア姫の夫は誰になるか」であった。
王国の第一王子か、第二王子か、まさか帝国の皇太子? それとも、あのラークノール公爵の息子じゃないですよね!?
と皆さま、興味津々だった。
多分、第二王子になると思うが……私の口からそうだとは言えない。
「葡萄を踏みしめるのが我が足であることは変わりありません」
ブドゥーダル公国の統治の主導権を握るのは私だから、安心してください。
そう伝えたが、騎士たちはまだ不安そうだ。
「一粒でも葡萄が腐っていれば、すべての葡萄酒が腐ってしまうのではないでしょうか」
「腐った葡萄であれば、大地の肥やしとするだけです」
騎士たちの懸念を、私は強い言葉で打ち消した。
私の発言は彼らが求めていた以上のものであったらしい。
不安そうな表情が和らいだ。
「姫様……次なる大地の守護者よ。どうか、その勇ましき御御足にあらためて忠誠を誓わせてはいただけないでしょうか?」
「どうぞ、構いません」
私はいつの間にかデラーウィアが用意した椅子に腰を掛けた。
そしてこれまたデラーウィアが用意した足置きに、葡萄の汁で汚れた足を置く。
騎士たちはそんな私の素足に対し、唇を近づけ、キスをした。
この世界において、相手に対して忠誠心と服従を示す挨拶のうち、最大限のものが「足の甲へのキス」である。
ちなみに靴を履いた状態と、素足なら、後者の方がより強い意味になる。
通常であれば靴か靴下越しであるが、今日のように「素足にならないといけない儀式」の後は自然に素足にキスができるので、騎士たちにとっては狙い目である。
今回の儀式に参列した騎士たちの殆どは、私の素足が目当てだと思われる。
……十二歳の女の子の素足が目当てって、字面的にも画像的にも犯罪臭がすごい。
もちろん、騎士たちはロリにキスするのが大好きな変態集団というわけではない。
実は騎士たちの中には、私の直接的な家臣ではない者も少なくない。
つまり家臣の家臣、封臣の臣下もいる。
騎士の中には主君と関係が悪い人もいるので、私たちのような「上位君主」に対して忠誠を誓うことは、主君に対する牽制になる。
このようなパフォーマンスを通じて、騎士たちは自らの既得権益を守っているのだ。
そして私たちは、彼らを介していまいち、信用できない封臣たちを監視し、その反乱を抑制できる。
現代日本で例えるなら、係長のパワハラ対策で課長と仲良くなっておくようなものだ。
なお、キスといっても唇は付けない。
やり方は多少の個人差はあるが、足を手で持ち、甲に額や鼻先を当て、わざとらしくリップ音を立てるというのが一般的である。
たまに勢い余って、付けてしまう人もいるが、そこはご愛敬だ。わざわざ咎めない。
なんか、スンスンしている人もいるけど、気のせいだろう。匂いなんて嗅いでないはずだ。
「あぁ……偉大なる大帝の末裔に、このように忠誠を捧げられるとは……恐悦、恐悦至極にございます……」
そしてたまに、テンションがおかしい変態も混じっている。
……鼻息が素足に当たって、気色悪いので早く済ませてほしい。
さて、おじさんたちに足をナメナメされ、ヘトヘトになった私が城に帰ると、文官から「トール殿からお手紙が届いていますよ」と伝えられた。
休憩がてらに、私は彼の手紙を開く。
私が手紙を出したのは帰ってしばらくした後だ。
時期的に考えると、手紙が届いてすぐに返信を書いてくれたのだろう。
開くと、以前と同じような、お世辞にも上手とは言えない筆跡で文章が綴られていた。
いや、前よりは少し上手くなっているか……?
内容を要約すると「無事に帰れたようで何よりです。毛皮を気に入ってもらえてうれしいです。いただいた絹織物ですが、衣装に仕立てます。妹さんがいらっしゃるんですね、うらやましいです。ロゼリア姫は、近々、王が開催するという狩猟大会に参加しますか? 私は参加します。ダンスや文はダメダメな私ですが、狩猟にはそこそこ自信があります。鯨の魔獣を打ち倒したことがあります。もちろん、ダンスは継続的に努力しています。次こそは、あなたをエスコートしてみせます。ところで、この手紙ですけど、以前よりも上達したと思いますが、どうですか? ロゼリア姫の文通相手にふさわしい手紙が書けるような男になります」という感じだった。
前よりも好き好きオーラが強まっている気がする。
読んでるこっちが恥ずかしくなりそうだ。
よくよく観察してみると羊皮紙には少しだけ削った後がある。ダンスとか、手紙の下りだ。
今、書かれている内容もかなり際どいが、おそらく修正前はもっと過激な内容が書いてあったのだろう。
「ロゼリア姫の隣に立てる男になる」みたいな。
どう返信しようかな……。
まずダンスと手紙に関しては軽く受け流す感じで、僅かに触れるだけに留めるしかない。
他に話題にできるとすればブランシュか、狩猟大会のことくらいだ。
しかし手紙から察するに、トール君はブランシュに対する興味は薄そうだ。
ゴリ押しすれば、逆に不興を買うだろう。
となると狩猟大会だが、実はまだ王家から狩猟大会開催の知らせが来ていない。
例年であれば行われるし、中止であればすでに周知されていてもおかしくない時期だから、行われるのは確実だが、だからといって「行きます」と答えるのは迂闊だ。
私たちはあくまで、「頼まれたから行ってやる」立場だ。
「行かせてください」ではないので、招待が来るまでは動くわけにはいかない。
「狩猟大会の知らせはいつ頃、届くでしょうか?」
「例年であれば、あと一、二週かと」
「そうですか」
とりあえず、招待状が来る前提で下書きを書こう。
しばらくすれば王家からの招待状も届くだろうし。その時に返信すればいい。
「とりあえず、写しをお願いします。原本はお父様へ」
「かしこまりました」
私はデラーウィアに手紙を渡すと、机から蝋版を取り出した。
……え? 紙は使わないのかって?
まだちょっとコストも高いし……どうせ捨てる下書きには使いたくない。
私は貧乏性なのだ。
一週間後、王家から狩猟大会への招待状が届いた。ついでに第二王子からも。
第二王子からの手紙には「立派な獲物を仕留めて、あなたの心を掴みます。兄やトール殿には負けません」とのことだ。
相変わらずの婚約者面だ。
ここは少し冷淡に返しておこう。下手なことを書いて調子に乗られても困る。
第二王子への返答を書いてから、トール君への返信を書く。
前回の下書きからの変更点として、「第二王子が伝えてくれました」と入れるつもりだ。
私の婚約者候補で最有力なのは第二王子だから。あなたと結婚できる可能性は限りなく低いし、変な期待しないでね。
とオブラートに包んで伝える作戦だ。
伝われば良いのだが……。
それから随分と時が経ち……。
トール君からの返答が返ってきたのは、狩猟大会へと出かける一週間前であった。
正直、安心した。
というのも、前回と比較して、中々返信が来ないので、嫌われたかと思っていたからだ。
しかしホっとしたのも束の間、手紙を開けて中身を読んだ私はギョッとした。
「私はあなたのことだけを想って書いているのに、あなたはそうではないのですね。残念です。もちろん、あなたに対しては情けない姿しか見せていませんから、それは当然だと思います。だから此度の狩猟では、誰よりも大きい獲物を倒してみせます。あなたに会えるのを楽しみにしています」と、そんな感じの内容が以前よりも少し上達した字で書かれていた。
拗ねている上にキレている。
な、なんか会うの怖くなってきちゃった……。
名前:マカートス・エル・ブドゥーダル
性別:男
身分:貴族(公爵)
年齢:30半ばほど
性格:忍耐・公正・勤勉・節制
趣味:読書、狩猟
特技:建築・土木の設計
メモ:死に別れた兄がいた。妻には悪いことをしたと思っているが、それはそれとしてもっとちゃんとして欲しいと思っている。




