第6話
「……かたじけない」
ラザァーベル元帥は何とかそれだけを絞り出すと、小さく一礼したその場から離脱した。
妥当な判断だと思う。
トール君は「もうこれ以上、捕虜について話すことはない」という顔をしているし。
しかし少し雰囲気が悪くなった。
仕方がない。元帥のお尻を拭いてあげよう。
私がそう思ったのと同時に、美しい音色が聞こえて来た。
聞いていたよりも少し早い。
おそらく、場の空気を読んで予定よりも切り上げて始めたのだ。
良い判断だと思う。
「あら」
私はわざとらしく楽師の方を向き、それからトール君へと視線を向けた。
するとトール君は緊張した面持ちになり、ピンと背を伸ばした。
「ロゼリア姫」
「はい」
「……お手を取っても?」
「喜んで」
私たちが踊り出すと、場の雰囲気が弛緩した。
他の者たちも空気を読んでか、踊り始める。
「どうだろうか。……以前よりはマシになったと思うが」
トール君は緊張しながらも、少し自信がありそうな声音でそう言った。
前は踊るのに精一杯という様子だったが、今は話をする余裕もあるようだ。
「わたくしのために頑張ってくださったのですね」
「べ、別にあなたのためというわけではない。……こういったことも重要だと、考え直したのです」
以前はどうでもいいと思っていたのか。
いや、父親がラークノール公爵では、そうなるのも当然か。
「そうですね。あなたとは剣ではなく、こうして手を取り合う関係になりたいと思っております。……仮初ではなく、心から」
トール君は「仮初」と言った。
特に深い意味はないかもしれないが、何だか休戦が明けたら即会戦するつもりみたいな言い方だ。
少しだけ引っかかったので、探りを込めて尋ねてみた。
「え、そ、それは……あっ!」
「キャッ!」
トール君のステップが乱れた。
私は足を縺れさせ、バランスを崩す。
不味い、立て直しが効かない。
私は前のめりに倒れ込む。
「だ、大丈夫ですか……?」
「ええ……」
何だかトール君に抱き着くような形になってしまった。
見上げると彼の顔は真っ青になっている。
私が倒れたのは彼の失敗のせいだから、当然ではあるが……。
「申し……」
「助けてくださり、ありがとうございます」
私は普段よりも声を張り上げ、周囲に聞こえるようにトール君にお礼を口にした。
そして彼を見上げ、ウィンクをする。
「もし……今後、わたくしが危ない目にあった時は、こうして助けてくださると嬉しいです。もちろん、わたくしもあなたをお助けいたします」
もちろん、ダンスの話ね?
戦争の話じゃないから。
「あ、あぁ……も、もちろん!」
トール君は顔色を青から赤に変えて、頷いた。
言質は取れた。
これで先ほどの「仮初」発言は打ち消せたと思っていいだろう。
「ところで……その、ロゼリア姫」
「はい」
「早く……その、離れていただけないだろうか」
トール君は顔を真っ赤にしたまま、明後日の方向を向いている。
せめて私の顔を見てくれても良いのではないか?
……あ、見下ろすと私の胸が見えちゃうからか。
「あら。これは失礼いたしました」
あらためて私たちは踊り始めるのだった。
トール君と二、三曲ほど踊った後、私は彼と別れた。
名残惜しそうにしていたので「最後にまた踊りましょう」と伝えて置いた。
露骨に嬉しそうにする彼を放って、私は真っ直ぐ料理へと向かった。
色気よりも私は食気だ。
やはり文化が違うからだろうか、料理の味付けが違う。
私の実家は大きな貿易港があるためか、香辛料が比較的容易に手に入る。
またオリーブオイルの生産も盛んだ。
それ故か、妙にスパイシーでオイリーな味付けが多い気がする。
それと比較すると、こちらの料理は素朴な味付けが多い。
この世界の貴族は貧乏くさいと感じるかもしれないが、これはこれで好きだ。
素材の味を生かしている感じがする。
それと、料理に少しだけ独特な香りがする。
何というか、潮の香りというべきか。
多分、魚醤由来だと思う。
王国南部や中部の貴族はこういうの、苦手かもしれない。
「いやはや、先ほどは見事な機転でしたな。ロゼリア姫」
「機転? さて、何のことでしょうか。アローベラ伯爵」
私がムニエルっぽい料理に手を出していると、一人の男性が声を掛けて来た。
アローベラ伯爵。
ブドゥーダル派に属する貴族であり、今回の戦争の当事者である。
機転というのは先ほどのずっこけ事件のことだろう。
トール君のミスを私がカバーしたことに気付いたらしい。
「トール殿とは仲が宜しいので?」
「好物が同じでして。……実はわたくし、生牡蠣が好きで」
ここで「はい、仲がいいです」と答えると深読みされそうなので曖昧にぼかしておく。
「おや、そうだったのですか」などとアローベラ伯爵は笑みを浮かべながらも相槌を打つ。
「私も生牡蠣が好物です。いやはや、来年も再来年も、こうして食べられると良いですな」
平和が一番ですよね!!
と、そんなニュアンスだろうか。いや、そんなことを確かめたいわけではないな。
「それならばご安心を。我が領でも牡蠣は取れますから。食べられなくなることはありません」
平和とあなたなら、あなたの方が優先。見捨てることは絶対にしない。攻撃されたら守ってやるから、安心しなさい。
そう伝えると、アローベラ伯爵はホッとした表情を浮かべた。
「……ヨートグル公爵には、どうぞよしなに」
ヨートグル公爵。
それは即ち、父のことである。
父はブドゥーダル公爵でもあると同時に、ヨートグル公爵でもある。
ただしヨートグル公爵領についてはその全域を支配していない。
そもそも私たちの一族はブドゥーダル公爵領を代々継承してきたこともあり、普段はブドゥーダル公爵と呼ばれることが多い。
それをわざわざヨートグル公爵と言ったからには、そこに強い政治的な意味がある。
もっとも、その解釈は難しくはない。
というのもアローベラ伯爵領は、ヨートグル公爵領を構成する伯爵領の一つだからだ。
今後も守ってくださいよ、ボス。
と、それだけの話だ。
「ええ、もちろん」
私が快諾すると、アローベラ伯爵は満足そうな表情でその場から離れた。
また別のところでは、トール君と男性貴族――カルマンベル伯爵が話しているのが見えた。
きっと私と同じような話をしているのだろう。
今回の戦争の発端は、アローベラ伯爵とカルマンベル伯爵の対立が要因である。
アローベラ伯爵領もカルマンベル伯爵領も、どちらもヨートグル公爵領を構成する伯爵領だ。
だから名目上はどちらも父の臣下だが、実態としては、彼らは父の臣下ではなかった。
父はヨートグル公爵だが、その全域を実効支配していたわけではなかったのだ。
しかしある時、事態が動く。
カルマンベル伯爵がラークノール公爵と臣従契約を結び、アローベラ伯爵領を奪おうとしたのだ。
今までは「ヨートグル公爵がなんぼのもんじゃい」と調子に乗っていたアローベラ伯爵だが、ここで大いに焦り、慌てて父に頭を下げて救援を要請した。
父は名目上とはいえヨートグル公爵なので、戦争に介入せざるを得ない。
こうして私たちは何の利益もない戦争をする羽目になった。
最終的にはブドゥーダル公爵家が賠償金を支払う代わりに、双方の領土は戦争前の状態に戻されることになった。
なお、公爵と伯爵、どちらが偉いかと言われると公爵だが、それ以前に貴族同士は対等だ。
王も公爵も伯爵も、貴族のうちの一人であることに変わりはない。
そもそもとして、肩書がどれだけ立派でも、実効支配できていなければ意味がない。
公爵だの伯爵だのという肩書は、ただの名目上(しかも大昔)の行政区分に過ぎない。
だからやたらと強い伯爵もいれば、残念な公爵もいる。
その後も周辺地域の貴族や、遠方からやって来た貴族家の外交官たちが続々と私に話しかけて来た。
勢力拡大への牽制だったり、支援や保護の確認だったりと話題は様々ではあるが、彼らが一様に確認したのは「私がトール君をどう思っているか?」である。
厳密に言えば、私を通して父の考えを知りたがっていると言うべきか。
私もトール君も、広大な領地を支配する貴族家の次期当主だ。
だから私たちが不仲で、戦争に繋がるようなことになれば、王国……否、西大陸全土を巻き込んだ動乱に繋がりかねない。
一方で両者の仲が良過ぎて、婚姻同盟という流れになっても問題だ。
その場合、王家や帝家をも凌駕するほどの巨大な勢力が生まれてしまう。
どう転んでも巻き込まれる中小の貴族家にとっては迷惑な話だろう。
……いや、気にしているのは中小の貴族家だけではないか。
「我らの王は、隣り合う友邦の次代が、剣ではなく手を取り合う関係となったことを、喜ばしく思われております。……王家と大家の皆様方が足並みを揃え、協調することが、王国の平和と安定を守ることに繋がるとのお考えです」
「休戦はいいけど、勝手に境界線を引いたり、婚姻同盟を結んで王国の秩序を乱すような真似はするな」と私に牽制球を投げて来たのは、王家から派遣された外交官だった。
王家からすれば、諸侯同士は適度に争ってくれていた方が嬉しいのだろう。
決して口には出さないだろうけど。
「まあ! それは喜ばしいことですわ。父も、そしてわたくしも、王と意見を同じくしています。わたくしたちは、共に円卓を囲んでいるのですから。各々手を取り合うべきであり、席次を争うことは不毛です。……共に手を携え、団結することで、秩序を乱す者から平和を守りましょう」
父も私も、ラークノール公爵家と友好関係を深める方針です。あと、王国のリーダーとしては敬うけどそれ以前に貴族家同士、対等だから。人様の外交(婚姻)に口出しするな。
「王と……そして共に次代を担う王子たちにも、そうお伝え下さい」
そっちが口出ししない限り、あなたたちの席次(王位継承権)争いにも介入するつもりはないから。そこだけは安心していいよ。仲良くしようね。
「はは。……しかと、王にお伝えします」
私の回答は、彼にとっては成果として十分に満足できるものだったらしい。
王家の外交官は頭を下げ、踵を返した。
そんなことをしているうちに、社交は終わりの時間へと近づいていた。
私は約束通り、トール君と一曲踊る。
私たちの踊りの終了が、社交終了の合図となった。
「そ、その……ロゼリア姫。……次に機会があれば、またお手を取っても?」
トール君は名残惜しそうに私にそう問いかけた。
私は大きく頷き、笑顔を浮かべた。
「はい、もちろん」
……その時には誰かと婚約、もしくは結婚している可能性もあるけどね。




