第4話
それは王都から領国に帰国し、少し経った頃。
「それでは施術を行います。終わるまで、動かないように」
「……ハっ!」
私の言葉に中年の男は小さく頷いた。
男は筋肉質で健康的に見えたが、本来あるべき場所にあるべき物――右手首より先がなかった。
私は彼の手を取ると、魔力を練り上げ、患部に流し込んでいく。
すると肉がゆっくりと盛り上がっていく。
それは徐々に手のひらの形へと変わっていく。
「違和感はありますか?」
私がそう問いかけると、男は手を握りしめたり、開いたり、ぐるぐると腕を回す。
それから力強く頷いた。
「いえ、特には」
「それはよかった。……しばらくはこの城に滞在してください。違和感があれば、すぐに申し出るように」
「ははっ」
私がそう伝えると、男――元帥は深く頭を下げた。
「……私のような愚物のため、ご恩寵を授けてくださったこと、誠に痛み入りまする」
「今後の奉公を期待しています」
「ハハっ!」
その目には感謝の涙が浮かんでいた。
私は自室に戻ると、ソファーに腰を下ろした。
魔力を大量に消費したこともあり、一気に疲れが体に襲い掛かって来た。
「おつかれさまです、姫様。何か、飲み物を持って来ましょうか?」
「……それではお茶を」
私は何とかその言葉を絞り出し、少しだけ目を閉じる。
それから嫌な感じのする寒気に襲われた。
この世界には魔法があり、魔力と呼ばれる不思議パワーがある。
誰でも扱えるわけではない。
貴族や騎士などの支配階級しか扱えない。
魔法が扱えるから支配階級になれたのか、支配階級だから魔法を扱えるかは、卵が先か、鶏が先かみたいな話だ。
基本的に身分が高ければ高いほど、魔力量は莫大になり、強力な魔法を扱える。
治癒魔法の使い手としては私はおそらく世界最高峰だ。
失われた手足を再生させられるのは、私だけだろう。
元帥としては二度と剣を握れない可能性も考えていたはずなので、彼が涙を流すのは当然だ。
彼が腕を失った理由は、そもそも彼の息子に原因がある。
そもそもこの元帥は何者なのかといえば、彼は父の従弟である。
だから彼の息子は私にとっては又従弟になる。
主君と臣下、本家と分家、そして親戚同士。
私たちはそういう関係性であり……つまり身分差がある。
しかしながら彼の息子は私に惚れているらしく、私と結婚したかったらしい。
そして元帥もそれを応援していた。親バカ半分、野心半分だろう。
しかし私の婚約者候補には「帝国の皇太子」や「王家の王子」みたいな錚々たる顔ぶれが連ねている。
元帥の息子はこれと比較すると、かなり格落ち感が否めない。
しかし家柄で劣る分は、武功でカバーできる。
この戦争に勝ったあかつきには俺と結婚してくれ! とフラグを立ててから元帥息子は出陣し……そしてトール君による朝駆けと夜討ちによる二段構えの奇襲攻撃によって、派手に敗北した。
結果として前線全体が危うくなり、重要拠点を敵に奪われる可能性が生じた。
そこで父は大軍をかき集め、元帥に出陣の命令を下した。
父親として息子の尻拭いをしろという感じだ。
息子はぼんくらだが、元帥は有能な男だ。
華々しい活躍はないが、勝てる戦いは確実に拾ってくれるし、負け戦でも被害が少ないように撤退してくれる……。
痒いところに手が届くタイプの名将である。
兵力も二倍近くは用意したので、これで父としては「勝ったな、ガハハ」と思ったことだろう。……フラグである。
結論はご存知だと思うので過程を説明すると、どうやら普段はやらないようなミスをして負けたらしい。
というのも、トール君から元帥息子の両手両足が元帥のところへと送られてきたのだ。
手紙には「次は目だ」と簡潔に書かれていたらしい。
そりゃあ、動揺もするだろう。
なお、この世界では両手足を削ぎ落すのは、貴族を無力化するためのポピュラーな手段だ。
強大な魔力を持つ貴族を拘束するには、専用の設備が必要になる。
もちろん、そんなもの簡単に用意できないので、戦地では「手足を削ぎ落す」のが一番簡単な方法になる。
いや、二番目か。
一番は首から上を切り落とすことだし。
だからトール君は特別、残忍というわけではない。
むしろ生かして捕らえているだけ慈悲深いかもしれない。
いや、それを敵将……それも捕虜の父親に送り付けるのは常軌を逸しているけど。
と、まあこのような経緯で元帥は腕を失い、私はあれこれ社交で男と踊ったり、媚びを売ったりする羽目になった。
幸いにも敗戦の影響は社交での成功により、最低限に抑えられた。
結果的には後継者である私の存在感が上がったし、何より元帥に恩を着せることができた。
尻拭いをしてもらった上に腕まで生やしてもらった身で恩知らずな真似はできない。
彼は私の代でも忠実な元帥として働いてくれるだろう。
「姫様。どうぞ、お茶です」
「ありがとうございます」
私はお茶の香りを楽しんだ後、ゆっくりと嚥下した。
冷えた体が少しずつ温まってくる。
体調が良くなってきたなと思った段階で、父から呼び出しが来た。
「……疲れているところ、すまないな」
「いえ、わたくしの将来にも関わることですから」
私は父と執務室で対面する。
ソファーに座るように促されたので、頭を下げてから座る。
すると控えていた騎士が二通の手紙をテーブルの上に置いた。
手紙にはラークノール公爵家から届けられたことを示す封蝋が押されている。
一つは開封済みで、もう一つは未開封だった。
父はまず開封済みの手紙を私の方へと滑らせた。
読めということだろう。
「ラークノール公爵から休戦の申し入れが来た」
ラークノール公爵は戦勝側である。
勝っている方から「戦争やめない?」と提案してくれたのは、非常にありがたい。
見え方によっては、私たちが勝っているようにも見える。
「締結に当たって、ロゼリアをラークノール公国へと招待したいそうだ」
我らが領地の平和と子供たちの将来のため、ロゼリア姫と親交を深めたい。
トールもそれを望んでいる。
はっきりとそう書かれていた。
どうやらトール君は私と本気で結婚したいらしい。
……ちょっとやり過ぎちゃったか?
「思ったよりも早かったですね」
「あちらも戦争を長々と続ける体力がなかったのだろう。国力では我らの方が上だ」
私が社交でトール君と踊ったのは、結婚を餌にラークノール公爵と和平を結ぶためだ。
この世界において結婚とは即ち政略結婚であり、それは同盟関係になることを意味する。
まずは先んじて休戦、それから和平を結ぶ。
婚姻同盟を結ぶなら、その後が筋だ。
……もちろん、休戦したからといって必ずしも婚姻同盟を結ぶ必要はない。
そもそもうちは「婚姻同盟を結びたい」とは一言も言っていない。
ちなみに停戦と休戦と和平の違いはそれぞれ、
停戦:一時的に軍を下げて戦闘行為をやめる。
休戦:主張は取り下げず、戦争をやめる。
和平:負けた方が勝った方の主張を認める。
とそんな感じになる。
もっとも、明確に使い分けているわけではないが。
「負担を掛けて申し訳ないが、また外遊を任せることになる」
「良い勉強だと思っています」
どのみち和平の対価として私との婚姻をチラつかせた以上、私が出向くのが筋だろう。
なお、実務レベルの交渉は部下がやってくれるので私がどうこうする必要はなかったりする。
私が判断を下さなければいけないようなことは、よほどのことがない限り起きない。
私はニコニコ笑ってラークノール公爵とお話してくるだけでいい。
……だけでいいって言うけど、私の言動はブドゥーダル公爵家全体の印象に関わってくるので責任重大だ。
胃が痛くなる話だ。
「武闘派貴族らしい質実な筆遣いですね。……あら? 代筆?」
よく見たら手紙の最後に「代筆でごめんね」と書かれていた。
代筆ということは……。
「ラークノール公爵は字が書けん。読めもしないだろう」
字が書けない貴族というのは別に珍しい話ではない。
書ける人を雇えばいいだけだ。
しかし私が気になるのは……。
「……代筆でこれですか」
「ロクな書記官がいないのだろう。人材の質が伺えるな」
「……そうですね」
別に本人が書けないのも下手なのも問題ない。
だが代筆役の字が微妙なのは不味いと思う。
本来、家の当主の手紙を代筆する人は一番字に対して造詣が深い人でなければならない。
一番がこれということは、全体の平均点は大幅に下がる。
何より、これを平気で外交の場に出せるラークノール公爵の価値観が……。
“お里が知れる”と言ったところだ。
一瞬、「もしかして油断させているのでは?」と思ったが、侮られるデメリットの方がどう考えても大きい。
「もっとも、ラークノール公爵は教養は欠けるが、武人としても統治者としても、優れた人物だ。……策謀家としてもな。決して侮るな」
「心得ております」
王国北部の大貴族、ジーオン・エル・ラークノール。
彼は王国最強の武闘派貴族であり、その武勇は大陸中に轟いている。
まあ、悪名の方が轟いているけど。
若い時に社交の場で当時の王太子(今の国王の父親)をタコ殴りにして半殺しにしたとか。
こんなのが公爵やってるんだから恐ろしい話である。
「……それでそちらは?」
「トール殿から。ロゼリア宛だ」
「なるほど」
トール君とはお別れの際に「文通しましょう」と約束したし、帰国後すぐに手紙を出した。
その返信が来たわけだ。
私は未開封の手紙を手に取り、封を開けて中身を読む。
要約すると「あなたに会いたいです」「あなたと平和の架け橋を作りたいです」という内容だった。
……うん、何というか、思ったよりも好意が強い。
特に「平和の架け橋を作りたい」という部分だ。
確かに私もそういうことは社交で口にしたが、それは形に残らない、非公式な場だからこそだ。
文字としては絶対に残さない。
それをやるのはかなりチャレンジングだ。
とはいえ、ラークノール公爵家の知的教養レベルは先ほどの手紙で窺い知れる。
トール君の場合は気持ちを素直に書いているだけで、深い意味はないかもしれない。
「……どうだ?」
「代筆ではありませんでしたよ」
私は父にそう伝えると、手紙を渡した。
最初は真剣な表情だった父だが、徐々にその顔には苦笑が浮かび始めた。
「……努力は感じられるな」
父は散々に言葉を選んだ末、そんな評価を下した。
要するに“落第”だ。
しかし努力の跡というか、彼なりに頑張ったんだなと感じられる文章、筆遣いだ。
個人的なイチオシポイントは、少しずつ字が小さくなっているところだ。
途中で「あ、このままだと収まらない……」と思ったのだろう。
逆に字の小さくし過ぎで、紙面に空白が生じてしまったことに、書き終わった後で気付いたのだろう。
大きな字で「追伸:今の季節は岩牡蠣がおいしいです」とか書いて紙面を埋めているところまで含めると、芸術点が高い。
「まあ、至らぬ点は自覚しているようだし、彼はきっと優秀な書記官を雇うだろう。お互い、次代は優秀だな」
もちろん、皮肉である。
しかしこの手紙で一つ、分かったことがある。
「筆跡は一致しますね」
「やはり本人か……」
私たちは当初、トール君を「ミニ・ラークノール公爵」だと思っていた。
戦争に勝つためとはいえ、「捕虜の四肢を着払いで送りつける」なんて頭がイカれているに違いないと。
しかし私と父が出会ったのは、可愛い女の子を前にすると顔が赤くなってしまうような純情な少年だ。
ダンスが苦手で、社交会場から逃げ出してしまうような臆病なところもある。
もはや別人だ。
だから私たちは、「作戦とかは家臣たちにおんぶに抱っこで言いなりなんじゃないか?」と考察した。
バカ息子の四肢を着払いで送りつけて来たのも、トール君の意思ではなく、家臣たちが暴走した結果ではないか……と。
だが手紙を書いたのは間違いなく、トール君だった。
つまり四肢を送りつけて動揺を誘うという作戦の意思決定の重要なところで、トール君が関わっていることを意味する。
あんなに可愛い子がそんなことするわけないと思いたいが……でも世の中、「ハンドル握ると人格が変わる」みたいな人は少なくない。
彼は軍を率いている時は人格が変わるのかもしれない。
……関わりたくなくなってきた。
「彼も責任ある立場だ。蛮行は働かぬとは思うが……警戒は怠るな。二人きりになること、逃げ場のない場所、見通しの悪い場所は避けなさい」
友好のためという名目で誘い出し、取り囲んでリンチ・誘拐・監禁・強姦・殺害はこの世界では珍しい話ではない。
結婚についても“誘拐婚”という、「誘拐して孕ませたら既成事実成立」という倫理観のぶっ飛んだ手法もある。
あくまで騎士や平民階級の話であって貴族は滅多にそんな野蛮な真似はしないが、相手はラークノール公爵とその息子である。
普通の倫理観は期待しない方がいい。
「気を抜くつもりはありません」
「あぁ……それと一つ」
父は私の目を真っ直ぐ見ながら言った。
「よほどのことがない限り、ロゼリアを嫁がせることはない。だから安心しなさい」
そりゃあ、私は婿を迎える側だし。
とはいえ、父としては娘を気遣っての発言だろう。
私は大きく頷いておいた。
私室に戻った私は、早速返事を書くことにした。
子供同士のやり取りだし、あまり格式張った内容にはせず、愛嬌を感じさせる内容と筆遣いで手紙を仕上げる。
最後の余白に大きな字で「岩牡蠣、楽しみにしています!」と書いてあげた。
そしてそのままの勢いで、溜まっていた手紙の返事を書いていく。
第二王子とか、社交で踊った男共からの手紙が大量に届いていたのだ。
加えて隣国の皇太子からのラブレターも来ている。
書き上げた手紙は一度全て書記官たちに見せ、確認をしてもらってから、羊皮紙に清書する。
「はぁ……」
思わずため息が出た。
手紙の質は家の質だというのが父の持論だ。
理由は分かる。
ここで手紙が誤字塗れだったら、「あ、ここの家の行政組織ってザルなんだな」と思われるだろう。
「他のみんなが見ているからヨシ!」みたいな文官ばかりの家。
簡単に攻め落とせそうだ。
逆に完璧な手紙を書く家は、行政組織がちゃんとしている。
つまりある程度、中央集権的な体制が確立されていることを意味する。
この差は大きいだろう。
ラークノール公爵家が送ってきた手紙の筆使いは美しくはなかったが、誤字脱字はなかった。
つまり現場猫はいない。
侮って良い相手ではないだろう。
スマホなんて贅沢は言わないから、ワープロかタイプライターくらいは転生特典で付けて欲しかったと思う今日この頃である。
さて、これで最低限やらなければいけないことは終わった。
事前準備・交渉には短くても二ヶ月は掛かるので、私の仕事はそれからになる。
その間に溜まっていた授業を消化しなければならない。
私は前世で義務教育を習っていたのもあり、数学とかは問題なかったが、この世界の歴史や言語、礼儀作法、帝王学は一から学ぶ必要があった。
教育係たちからはすでに「貴族として十分な教養がある」とお墨付きを得てはいるが、学べるものは学んでおきたい。
それに私は勉強が好きだし……いやもちろん、苦手な教科もあるけど。
「姫様。お疲れのところ申し訳ございません。……ご就寝前に授業を行いたいと、侍女長が申しています」
「嫌です……と言いたいところですが、いつまでも逃げるわけにはいきませんね。いいでしょう。通してください」
しばらくして侍女長が私の私室にやってきた。
彼女は丁寧な口調で私に謝罪と礼を口にしたが、言外に「今日こそは逃がしませんからね」という圧を感じた。
「……早く済ませてください」
言外に私が伝えると、侍女長は真剣な表情で頷く。
そして分厚い教科書と張形を取り出した。
そう、張形だ。つまりおチソチソの模型だ。
「それでは姫様。夜のおつとめの講義を始めます。まずは前回の復習から始めます。……ふざけず、真剣にお願いします」
「ふふっ……」
「姫様?」
「す、すみません。ちょっと待ってください……ふふっ」
そんな真剣な顔で、木製おチソチソを持ちながら「夜のおつとめ」とか言われたら笑っちゃう……。
このあと、私は何度も吹き出してしまい、そのたびに鞭で叩かれた。
もうこれ、SMプレイじゃん。
……ふふっ。
あ、痛い! 叩かないで!!




