第3話
王国における社交シーズンは、三月の上旬から中旬にかけての約二週間だ。
この時期は王都で日夜、会合が開かれる。
和平交渉だったり、貿易協定だったりと様々だが、やはりメインは婚活だ。
貴族にとって、結婚をして子供を作ることはもっとも大事な使命だ。
無能は許されても不能は許されないのである。
というわけで、私はあと二週間、王都に滞在する予定になっている。
なお、父は今朝、急いで帰国した。
というのも、ラークノール公爵が昨日の夜に出立したという情報が届いたからだ。
おそらく、この後、父とラークノール公爵は戦場で睨み合うことになると思う。
戦争再開である。
しかしトール君の方は王都に残っているらしい。
「どう思いますか?」
「外交戦略の一環でしょう。……こちらを揺すり、有利な条件で交渉を進めることが目的かと。誘いには乗らず、動じずにどっしりと構えるのが宜しいかと」
私の問いに騎士の一人が答えた。
もし本当に交渉を打ち切るつもりならトール君も帰国するはず、とのことである。
彼らは外交の専門家。
少なくとも私よりはよほど経験豊富だし、その判断は信じて良いだろう。
「しかし王国最強のラークノール公爵に加えて、トール殿……北から我が邦に突きつけられる角獣の角は二本になりました。東からは依然として、ハゲタカがこちらを伺っています。西の獅子は必ずしも信用できません。……厳しい状況ですね」
我が国にとっての理想は、北のラークノール公爵とは不可侵を結び、西の王家とは婚姻同盟を締結し、そして東の帝国に備えることだ。
そして最悪は北と東西から挟まれ、包囲されることである。
現状、王家は婚姻同盟に乗り気ではあるものの、帝国に唆され、牙を剥かないという保証はない。
「幸いなことにトール殿は社交が不慣れなご様子。今のうちに先手を打ちたいところですね」
「焦りは禁物ですが……」
「わかっています。しかしこのまま様子を見続けても、状況が好転するとも思えないのです」
うちの騎士たちは優秀だが、保守的というか安全志向というか……消極的なところがある。
そのせいか、ラークノール公爵やトール君の神出鬼没の軍事作戦に振り回され、後手後手に回り続けた。
せっかく、社交という有利なフィールドにいるのだ。
もう少し積極策に出てもいい気がする。
「わたくしに考えがあります」
よーし。
では、トール君に戦争とは外交の一手段に過ぎないことを、見せつけてやろうじゃないか。
というわけで、私はあえてトール君に“いじわる”をすることにした。
それは夜会で、私の方からは絶対に声を掛けないというものだ。
私はトール君に対しては目を合わせたり会釈をするだけで挨拶はせず、彼の目の前で他の男――バルトナ王子のような婚約者候補たちと踊り続けた。
そしてこれは思ったよりも効いた。
日に日にトール君からの羨ましそうな、恨めしそうな視線は強まっていった。
ここまで露骨だとさすがに周囲もトール君が私を恋慕し、それを私が無視していることも伝わるらしい。
バルトナ王子からは「遺恨があるのは分かるけど、声を掛けてあげたら?」と言われたが、「家の方針なので」と答え、無視を継続した。
そして一週間が経過した頃。
「……ロゼリア姫」
ついにトール君が私に声を掛けた。
周囲の視線が私とトール君に向けられる。
一挙手一投足に注目が集まっているのを感じた。
「これはトール殿。ご機嫌麗しゅう」
私は何でもないという様子で挨拶を返した。
それから一度だけ、ニコっと微笑み、踵を返そうとして……。
「お、お待ちください!」
「……はい」
トール君の声がダンスホールに響いた。
周囲に視線が集まる中、私はトール君の目をじっと見つめた。
「……麗しき、ロゼリア姫。どうか、あなたの手を取らせてください」
緊張した様子でトール君は私にダンスを申し込んだ。
私は目をパチクリとさせ、一呼吸置いてから……。
「喜んで!」
満面の笑みを浮かべ、大きな声でそう言うと、トール君の手を取った。
手と手が触れた途端、トール君の顔が赤く染まる。
彼は少し驚いた様子で手を引こうとするが、その前に私は彼の手を握り、指を絡めた。
「どうか、お優しく」
「……も、もちろん」
曲に合わせてゆっくりと私たちは踊り始めた。
失敗しないように、恥をかかせないように、優雅に、確実にステップを踏んでいく。
「約束通り、欠かさず練習をしてくださっていたのですね」
一週間前よりも上手になっている。
ずっと私のために練習してくれたの?と私はトール君に尋ねた。
すると彼は赤らんだ顔で目を逸らした。
「別に……あなたのためではありませんから」
照れてしまったのか、彼はぶっきらぼうな口調でそう言った。
バルトナ王子だったら「あなたのことを想えばこそ」って返すところなのに。
初々しくて、新鮮だけど。
「まあ……それは残念ですわ」
私は悲しそうに目を伏せてみせた。
そして少しだけ目を潤ませてから、上目遣いでトール君を見上げる。
彼の庇護欲と支配欲を掻き立てる……そんな表情をしてみせた。
するとトール君は自分が泣かしてしまったと思ったのか、露骨に動揺した。
「い、今のは……」
「怒ってらっしゃいますよね……?」
私はできるだけ、不安そうな、怯えているような、か細い声でそう言った。
「え? 何が……?」という顔をしているトール君を無視して、私は続ける。
「……あの後、お父様に折檻されてしまって」
むしろ褒められたけど。
「家中の者にも、反対されてしまって」
むしろやり過ぎではと心配されたが。
「お声を掛けることができず……申し訳ございません」
全部、私の演技だし、計画通りだけど。
私はもう一度目を伏せてから、機嫌を伺うようにトール君を見上げた。
「どうか……お嫌いにならないでください」
……さすがに白々し過ぎたか?
若干不安になりながらもトール君の様子を伺う。
「こ、このような些細なことで、あなたを嫌ったりはしない! ……むしろ私の方から声を掛けられず、申し訳ない」
あっさり騙せてしまった。しかも謝罪までもらえた。
みなさん、聞きましたか? 彼、私に謝りましたよ?
「まあ……! お優しいのですね。それではご厚意に甘えさせていただきます」
許してくれて嬉しい!
という雰囲気で私は満面の笑顔を浮かべ、トール君への距離を一気に詰めた。
胸を押し当て、できるだけ肌の接触面積を増やす。
「……ぁ」
トール君の顔が真っ赤に染まる。
動揺のせいか、彼はステップを乱し、後ろに倒れそうになる。
私はそんな彼を強引に引き寄せた。
こつん、と額と額が触れ合うタイミングで私は悪戯っぽく微笑んだ。
「も、申し訳ない!」
トール君は慌てた様子で手を離した。
そして狙い通りのタイミングで曲が終わる。
傍から見れば、一曲だけ踊って離れただけに見えるだろう。
二曲目を踊るのは、まだ早い。
もう少し焦らしたいところだ。
「名残惜しいですが……今宵はここまでにいたしましょう」
「そ、そう……ですね」
自分から手を離した手前、もっと踊りたいとは言えないようだ。
とはいえ、私が踊りたくないと思われるのも困る。
「……彼女の顔が、ますます怖くなってしまいますので」
私はチラっと待機している侍女に視線を向けてから、トール君の耳元で囁いた。
彼女が仏頂面なのは私がトール君と踊ったからではなく、元からだが……トール君の目にはきっと怒っているように見えるだろう。
私はトール君と仲良くしたいの。
でも、みんなが反対するの……というアピールだ。
気分はロミオとジュリエットだ。
「また……お声を掛けてくださるのを、お待ちしております」
「はい……また、明日!」
私の言葉にトール君は目を輝かせた。
……何だか、ちょっと罪悪感が湧いて来た。
でも、仕方がない。
だって、これ、外交だから。
私はゆっくりと、名残惜しむようにトール君から離れた。
すると待機していた侍女が私の側に近づいて来た。
「……姫様。後でお話が」
「まあ……! お顔が怖くなっておりますよ?」
冗談だって。そんなに怒らないでよ。
それから私は毎晩、トール君からダンスの誘いを受けるたびに、一、二曲ほど踊った。
なぜこんなことをしているのかと言えば、戦いでは敗北したが、戦争全体の趨勢はブドゥーダル公国が優勢であると周囲に印象付けるためだ。
実際には膠着状態に何とか持ち込んでいるような状態だが……。
「ブドゥーダル公国が防戦一方になっている」のではなく、「ラークノール公国が攻めあぐねている」ように見せたい。
声を掛ける側と掛けられる側では、前者の方が必死に見えるのは言うまでもない。
もちろん、水面下では我が家の騎士たちが、和平交渉を行っている。
私がやっているのはその援護射撃だ。
政治や外交の舞台では、この手の印象というのは意外と大事だったりする。
そして一週間が経過した。
「ふぅ……少し疲れてしまいました。一息入れてもよろしいでしょうか?」
「……もちろんです」
今回、踊った回数は三曲。今までで最多だ。
回数そのものに意味はないが、三曲を超えると「義務で踊っているわけじゃなさそう」感は出てくる。
私はトール君から少し距離を取り、息を整える。
その間に侍女が前に進み出て、タオルで私の汗を拭った。
彼女が拭き取りやすいように髪をかきあげると、熱い視線を感じた。
トール君と目があったので、私はとりあえず恥ずかしそうにはにかんでおいた。
するとトール君は慌てた様子で目を逸らした。
運動して、ちょっと汗ばんで肌が紅潮している女の子が魅力的に見えるというのは分からないでもない。
もっとも、自分がそういう目で見られるのは複雑だが。
「トール殿」
「はい」
汗を拭き終えた私達は、互いに向き直る。
普段ならここからお別れの挨拶だ。トール君もきっと、そのつもりだろう。
「今宵は楽しいひと時をありがとうございました」
「……私も楽しかった。ありがとうございます、ロゼリア姫」
そういうトール君は名残惜しそうだった。
私は別に名残惜しくはないが、名残惜しそうな表情をしておく。
「……もう少し、落ち着いてお話ができればと思っていたのですが」
本来であれば「じゃあ、さようなら」となるところを、私はずるずると会話を引き延ばす。
できるだけトール君と会話を続けたがっているように。
何かを伝えたがっているように。
「私もロゼリア姫とは、月の下ではなく日の下で語り合いたいと思っています」
「まあ! それでしたら……」
取っ掛かりを得た私は手を叩き、トール君に飛び切りの笑顔を浮かべた。
「もしご都合がよろしければ、明日の昼。食事を共にしませんか?」
それから恥ずかしそうに目を伏せ、小さな声で呟くように続ける。
「……二人きりで」
私の言葉にトール君は大きく目を見開いた。
それから大きく頷き、元気よく答えた。
「ぜひ!」
釣れた。
翌日の昼頃。
「ようこそ、お出でくださいました。トール殿」
「お招きくださり、感謝いたします。ロゼリア姫」
私は王都の屋敷にやって来たトール君を門前で出迎えた。
トール君だけではなく、その護衛、侍従、そして書記官などの文官の姿もある。
今回の昼食会の目的は「和平交渉」である。
私とトール君が仲良くお食事をしてお話をしている間に、文官同士で交渉を行うのだ。
だから私が夜会でトール君に「お昼一緒に食べよう」と誘ったのは最後の一押しであって、事前に文官同士で予定のすり合わせがなされていた。
トール君にも私が一緒に食事をしたがっているという情報は伝わっていただろう。
だからこそ、彼も「日の下で語り合いたい」と言ってくれたわけだし。
「本日はお天気も良いですから……日の下で存分に語り合いましょう」
私は雑談を交わしながら、トール君を屋敷の庭にセッティングされた食事会場へと案内した。
彼が席に着いてすぐ、給仕が私と彼の前にグラスを置き、発泡酒を注いだ。
「それでは……月明りの導きに感謝を」
私はそう言ってグラスを掲げてから、悪戯っぽく笑ってみせた。
トール君は僅かに考え込む様子を見せてから、グラスを掲げた。
「我らの未来に太陽のご加護があらんことを」
これで正解だよな?という顔をするトール君に対して私は満面の笑みを浮かべた。
月とは今までと過去の関係。日とはこれからと未来の関係。
つまり戦争が切っ掛けの出会いだけど、これからは平和にやりましょうという意味だ。
「「乾杯」」
私たちはグラスを傾け、お酒を口にした。
私は二口だけ飲んでから、グラスをテーブルに置いた。
「ふふっ……それにしても、私たちの未来だなんて。情熱的ですね」
私は少し口調を崩しながら、冗談っぽく笑ってみせた。
するとトール君は咽返り、少し咳き込んでから、顔を真っ赤にした。
「先ほどの言葉は……両家の友好関係を祝してであって……」
「両家!? まぁ……」
「ち、違う! 両国だ……です」
「うふふ、分かっていますよ」
と、場を和ませてから私たちはお酒と料理を口にしながら会話を楽しむ。
トール君は最初は緊張していた様子だったが、お酒が進むにつれてどんどん饒舌になっていった。
それにしても、お酒強いなぁ……。
「……ところでロゼリア姫。この後は、その、何かご予定はありますか?」
それは唐突だった。
まさかトール君の方から「会合延長」の申し入れがされるとは思っていなかったので、私は少し驚くと同時に警戒する。
「いえ、何も……」
「では、この後……私にダンスを教えていただけませんか? 上達、したいので……」
トール君は少し恥ずかしそうにしながらも、私の目を見つめながら言った。
な、なるほど……練習という名目なら、私と好きなだけダンスを踊れるというわけか。
考えたものだ。
「はい、喜んで。構いませんよ」
こうして食後、私たちはダンスの練習をすることになった。
お互いに夜会用のドレスを着て、手を取り合い、ステップを踏む。
「いかがでしょうか? ロゼリア姫。前よりも、その……上達したと思いますが」
「はい、さすがです。……速度を上げてもよろしいですか?」
「もちろん」
二人きりだし、多少失敗しても問題はならないだろう。
そう判断した私はダンスの難易度を高めていく。
最初こそ、トール君は私に上手く合わせていたが……しかし段々とタイミングが合わなくなっていった。
もしかしたら、お酒の酔いも回って来たのかもしれない。
四曲目を踊り終えたタイミングで彼は足を縺れさせ、私に倒れかかって来た。
「あ……」
「きゃっ」
そして私はそれをあえて受け止めず、そのまま押し倒された。
お互いの鼻先が触れ合う。
胸にゴツゴツとした手の感触。……これはちょっと予想外。
「ま、まぁ……大胆、ですね」
「し、失礼しました!!」
私が恥ずかしそうな顔をすると、トール君は慌てて飛び退いた。
それから青い顔であたふたし始める。
「い、今のは事故で……ど、どう、お詫びしてよいか……」
「わかっていますよ」
私はそう言ってトール君の手を取ると、体を密着させた。
胸の膨らみを彼の胸板に押し当て、顔を見上げ、微笑む。
トール君の顔が青から赤へと変わる。
「二人きりなのですから。気にせず、楽しみましょう?」
厳密には二人きりではなく、互いの従者に見守られているし、楽器の演奏者もいる。
護衛たちも暗器で武装していて、互いに牽制し合っている。
だが貴族の価値観としては、彼らは対等な存在ではなく、人数に含まれない。
だから今の事故の目撃者は誰もいない。記録には残さない。外交問題にするつもりもない。
全員に聞こえるように私は宣言した。
騎士たちが発していた緊張が薄れるのを感じた。
「……は、はい!」
再び私たちはダンスを始める。
今度はゆっくりと、丁寧に、確かめるようにステップを踏む。
「トール殿」
大きく足を前に踏み出したタイミングで、私はトール君の耳元に顔を近づけた。
そして小さな声で囁く。
「貸し一つ、ですからね?」
こうして私とトール君の昼食会は無事に終わり……。
交渉の結果、休戦の前段階として、我が国の元帥が返却されることになった。
おっぱい揉まれた甲斐があったというものだ。




