第21話
年末年始を乗り越えた私を待っていたのは、建国祭の準備だった。
やることは山積みだが、我が国の官吏たちは大変有能であるため、私が口出しできることは少ない。
というか、私が口出ししても良い結果にはならないため、基本的には回って来た資料に目を通し、気になることについて質問してからサインするだけだ。
そのためもっぱら私の仕事は手紙の処理と、出席する貴族たちの把握になる。
貴族同士は原則、対等。
雑魚伯爵も偉大な公爵も、同じ“諸侯”である以上、テーブルパートナーは父かその代理である私だ。
全員を代筆で対応するならともかく、直筆か代筆で扱いを分けると、一部の貴族の面子を潰すことになる。
だから全員に心を込めてお手紙を書かなければならない。
もっとも、これは「ブドゥーダル公爵家の次期当主はロゼリア姫で確定」と周囲にアピールする絶好のチャンスなのでサボれない。
とはいえ、招待客は家単位でも百を優に超える。
お手紙地獄だ。
なお、男爵に対しては、代筆対応することになっている。
男爵は貴族というよりは大きな騎士家、もしくは貴族ではあるが“諸侯”ではないという扱いになるらしく、格がガクっと下がる。
というわけで、この世界の基本的な身分制度は上から、公爵・伯爵・男爵・騎士・平民(自由民・農奴)になる。
例外として大公とか辺境伯とか侯爵と訳せる爵位もあるが、例外なので考えない方がいい。
「あぁ……!!」
私は思わず伸びをしながら叫ぶ。
凝り固まった筋肉が伸ばされ、ゾクゾクっとした快感が走った。
「姫様。そろそろ、ご休憩された方がよろしいかと」
「うーん、あと少しで終わりそうですが……」
「無理はお体に障ります。スケジュールには余裕がありますから……」
私の体調とスケジュールの管理はデラーウィアの仕事だ。
いつもなら助言に従うところだけど、でもあとちょっとで終わりそうなんだよなぁ……。
「では、社交用のドレスを確認されるのはいかがでしょうか」
仕事人間である姫様から仕事を取り上げるには別の仕事を与えるのが一番。
とか、考えていそうだ。
「では、そうしましょう。服飾屋を呼んでください」
「すでに待機させております」
……準備がいいな。
手紙を片付けさせてから五分もしないうちに、服飾屋がやってきた。
「いかがでしょうか? 姫様。窮屈なところや動きにくいところはございますか?」
「う、うーん……胸が少し、キツいかもしれません」
私はやや憂鬱な気持ちになりながらも、そう答えた。
現在、私は服飾屋が持ち込んだドレスを試着していた。
建国祭で着用するドレスを作るためだ。
今回の目的はサイズとデザインの確認である。
この作業を通じて私に似合うデザインを考え、政治的な意図を含ませたドレスをデザインし、オーダーメイドで作成する……という手順になる。
前段階の前段階、みたいな感じだろうか。
「おや……少し大きめのモノを持ってきたのですが」
服飾屋は私の胸元に指をツッコみながら、うんうんと唸る。
成長自体は喜ばしいことかもしれないが、元男としては非常に複雑だ。
自分が女であることを思い知らされる。
それだけで気分が憂鬱になる。
男に生まれたかった……。
おっぱいは揉まれるよりも揉みたいし、チソチソも突っ込まれるより突っ込みたい。
もっとも、どれだけ思い悩んでも私の小さくて頼りないソレが立派なアレになることはない。
どれだけ努力しても、女を孕ませることはできないのだ。
……涙が出ちゃう。
「このご様子ですと、半年後にはさらに大きく膨らんでいるかもしれません。大きめでおつくりしましょう。デザインの方はいかがでしょうか?」
「……少し背中の露出が多すぎる気がいたします」
私は三面鏡に映る自分の背中を見て、何となく気恥ずかしい気持ちになった。
白い背中には、綺麗な薔薇が描かれている。
入れ墨、タトゥーである。
この世界の貴族は体に入れ墨を入れる文化がある。
これは魔力の獲得方法に関わってくる。
以前に述べた通り、魔力は魔獣の体内から取り出された魔瘴石を摂取することで獲得する。
摂取量が多ければ多いほど、魔力は上昇する。
そしてこれは成長期……おおよそ三歳から十八歳までの間に行われる。
その間でなければ魔力は伸びない。
そして問題は摂取方法であるが、現在では注射のように、針を使って体内に直接注入する方法が一般的だ。
魔瘴石を砕き、いろんな物質と混ぜ合わせて作られた混合液を注入するのだ。
経口摂取だと、量のコントロールが難しくなる。
魔素は生物にとっては猛毒なため、過剰摂取すると体調を崩し、最悪死に至る。
経口摂取の場合は消化器から吸収されるまでタイムラグがあるし、毒性がろ過されて効果も出にくい。加えて胃も荒れる。
だから体内に直接、打ち込んだ方が安全かつ効率的なのだ。
まあ、あれだ。モルヒネとか、麻酔(麻薬)を注射するのと理屈は同じだ。
とはいえ、この方法だと胃はあれないが、肌は汚くなる。
ヤバそうな注射痕が皮膚に残ってしまう。
これは大変、見栄えが悪い。
だからそれを隠すためにタトゥーを彫るのだ。
そしてどうせ彫ったなら、見せびらかしたい。
そのような理由からか、女性は背中に彫り込んだタトゥーを見せびらかすために、大胆に背中が空いたドレスを着る。
今まで私は子供で、タトゥーが中途半端だったこともあって背中を開けていなかったが、この度共同統治者就任と合わせて、背中を御開帳することになった。
なお、余談だが、そのような経緯からか背中フェチ(正確には背中のタトゥーフェチ)はこの世界ではかなりメジャーな性癖らしい。
タトゥーと背中が綺麗だとモテるんだそうだ。
この世界では普通でも、私にとっては異常性癖である。
タトゥー彫られるのも嫌なのに、それを公開しなきゃいけないのはかなり憂鬱だ。
「しかしこれくらいは露出させないと、せっかくお綺麗な魔力刻印が見えません」
「美しい魔力刻印は、姫様の神威と、そして強靭な忍耐の証です。隠すのはあまりに勿体ないかと」
服飾屋に続くように、デラーウィアは私に言った。
私は背中の露出が恥ずかしいのではなく、このタトゥーが恥ずかしいのだが、伝わっていないようだ。
この世界ではタトゥーは恥ずかしいものではない。
むしろその勇気と強靭な精神性を示すものとして、称賛の対象となる。
というのも、この魔力刻印の彫刻作業はめちゃくちゃ痛いのだ。
魔瘴石が毒物だからだと思う。
傷口にハバネロを練り込まれたような、煙草の火を何百本も押し付けられるような痛みがある。
そしてこれは魔瘴石の量が増えれば増えるほど、増していく。
と、そういうわけでタトゥーが綺麗ということはそれだけ「動かずに耐えきった」ことであり、また莫大な魔力量は根性の証にもなるわけだ。
魔力量が少ないと、クーランベル伯爵みたいに「根性なし」と馬鹿にされる。
だから私は十八歳まで、あと六年間はこの拷問に耐えないといけない。
十代の女の子の背中に拷問した上にタトゥー彫りこむとか、児童虐待どころの騒ぎじゃないと思うんだが。
いや、今更だけどさ……。
「それに下手に隠すと、いらぬことを勘ぐられます」
「……それもそうですね」
隠れてる部分が実はすごく汚いんじゃないか、と思われてしまうようだ。
これでは拷問に耐えた意味がない。結局、私は背中とタトゥーを露出公開することを選ぶしかなかった。
「何かお好み等はありますか」
「いえ、特には。いいように計らってください」
その後も私は何着もドレスを着せられ、いろんな人に見られ、あれこれ感想を言われ……。
最終的にかなり露出度の高いドレスを着ることになってしまった。
姫様はお年よりも雰囲気や見た目が大人っぽいので、これくらいの方がお似合いです……というのが服飾屋の言葉だった。
正直、恥ずかしいのだが、嫌と言える雰囲気ではなかった。
着たい服も着られず、着たくない服も着なければならないとは、難儀な話だ。
こうして私のドレスの採寸は終わった。というわけで、お次はデラーウィアの番になる。
「おぉ……似合っていますね。イメージ通りです」
「ご自分のドレスの時よりも、嬉しそうですね」
手を叩いて喜んだら、デラーウィアに皮肉を言われてしまった。
とはいえ、デラーウィア本人も気に入ってくれたらしい。珍しく、頬を綻ばせている。
彼女が着ているのはいわゆる、メイド服だ。
ファンタジーと言えばメイドさんのイメージがあるが、残念ながらこの世界にメイド服はなかった。
では使用人たちは何を着ているのかと言えば、ドレスだ。みんな、思い思いにお洒落をしているらしい。
服装自由とは、うらやましい限り……と思っていた私であるが、どうやら使用人たちにとってはあまりハッピーな話ではないらしい。
第一にドレスは自分で購入しないといけない。これが経済的な負担になる。給与には服飾代も含まれているが、近年は物価上昇が続いており、それに給与の改定が追いついていない。この世界、日本みたいに頻繁に給与を上げたり下げたりしないのだ。
第二にデザインや素材の選定が大変。公爵家に勤める使用人である以上、下手なドレスは着られない。つまりお洒落センスが求められるが、誰しもセンスがあるわけじゃない。加えて、上司よりも目立ってはいけないという縛りもある。人間関係悪化の要因にもなっているらしい。
第三に社交でのドレス選びの問題。当然だが、特別な時は特別な、ワンランク上のドレスが求められる。これに第一と第二が重なっていくわけだ。
何だろう……就活での服装自由(自由とは言っていない)みたいな? 聞いてるだけで蕁麻疹が出てきそうな話だ。
そもそも服なんて何着ようが、裸だろうが仕事の能率は変わらない。こんなことで頭を悩ますのはアホくさい。
もう、いっそのこと制服でも導入したらどうだろうか?
と、私はダメ元で父に提案してみた。
ダメ元というのは、父はもちろん、この世界の人が全体的に保守的だからだ。
新しいことを始めるならともかく、既存のルールや慣習を変えるには大きな抵抗がある。例え一定の合理性があったとしても、だ。
しかし私の考えはあっさり通った。
どうやら私が企画書に記した「規則で定めることで、過度な奢侈を抑制する」「職務に応じてデザインを変えることで、その地位を一目でわかるようにする」という部分が、父の琴線に触れたようだ。
この世界の人が好きな言葉は第一に伝統、第二に秩序だ。
父は「最近、女性使用人の秩序が乱れてる(服装が派手すぎる)」と気になっていたらしい。
男である自分が口出しするのはなぁと躊躇していたところで、女である私が具体的な解決策を示してくれたのは、渡りに船だったようだ。
まあ、私の中身は男なのだが。
とはいえ、いきなりガラっと変えるのは抵抗もあるし、何より自由にお洒落したい人もいるだろう。
だから社交など、特別な時にだけ統一する程度に留めることになった。
社交時は強制だが、それ以外は支給された制服を着ても、自分のドレスを着ても自由というわけだ。
なお、今回の制服支給について、男性は対象外となっている。男性の服装はみんな似たり寄ったりだからだ。
服が面倒くさい問題は女性に限られているようだった。
「背中も見せてください。おぉ……!」
色合いは白黒、正面から見ると清楚で落ち着いて見えるメイド服だが、背中はガバっと大胆に開いている。
そして白い背中には美しい花柄(おそらく、金蓮花)のタトゥーが入っていた。
自分のは恥ずかしいけど、他人のものを見ると……ちょっとエッチかもと思ってしまった。私も変態の仲間入りだ。
ちなみに背中空きデザインはデラーウィアやシークのような騎士身分、つまり魔力を持っていて、背中にタトゥーが入っている女性に支給されている。平民の下級使用人はもっと露出度控えめな服装だ。
また地位によってリボンの色が違う。
例えばデラーウィアは紫色だが、シークに与えられるのは赤色になる予定だ。
「このドレスに相応しいご奉仕ができますよう、一層の努力を重ねます」
デラーウィアは満足そうな表情で私に礼を口にした。
彼女はドレスのことをあまり考えたくない派の人間だったらしい。意外……ではないな。
ドレスの確認が終わり、ようやく一段落……することはない。
建国祭の準備も重要だが、通常の業務もある。主に裁判とか。
ブドゥーベル市は人口も多ければ、言語や文化も複雑で、利権も絡み合ってるので、訴訟の数も多いのだ。
そしてそうこうしているうちに、手紙の返信が返ってくる。
中身を確認しないといけないし、内容によってはまた返信を書かなければいけない。
「……踊れる日を心待ちにしています、か」
トール君から来た手紙を読み終えた私は思わずため息をつく。
別に彼と踊る分はいいのだが、彼に私の背中に入った魔力刻印を見られるのが憂鬱だ。
私も彼も年齢的には中学一年生くらいだが……もしクラスの気になっている女の子の背中に気合いの入ったタトゥーが入っていたら、どう思うか。
私だったら、ドン引きである。
だからといって褒められたら嬉しいかと言われると、複雑だ。私にとって背中の魔力刻印はコンプレックスな部分なので、きっと恥ずかしい気持ちになるだろう。
「姫様。……思い詰めているご様子ですね」
「え? あ、あぁ……そうですね」
デラーウィアに話しかけられ、私はとっさに手紙を折りたたんだ。
いや、別に見られて恥ずかしいものでもないんだけど……。
「明日ですが……休暇にするのは、いかがでしょうか? スケジュールには余裕がありますし、休息も重要です。……何より、明日は姫様のお誕生日です」
「誕生日……あぁ、そうでしたね」
西大陸において、誕生日は特別、大事な日ではない。プレゼントをもらったり、お誕生会が開かれたりはしない。
「おめでとう」と祝いの言葉を贈られるだけの日だ。
「しかし、わたくしだけ休むのは……」
「私たちは交代で休みをいただいています。それに姫様がお休みになられないと、下の者が休めません。何より、私たちと異なり、姫様の御身はお一つです。ご自愛くださいませ」
「あ、はい……」
論破されてしまった。
「お誕生日、おめでとうございます。姫様」
「「おめでとうございます」」
翌朝、日が昇る前に起き、朝食を食べ終えたタイミングで、デラーウィア含めた従者一同から口々に祝われた。
誕生日とか、どうでもいい派の私であるが、祝ってもらえると嬉しいし、成長したんだなという気持ちになる。
さて、十三歳になった私だが、問題は何をして過ごすかだ。
私の趣味は読書(古文書や歴代の公爵の日記、過去の判例や勅令が書かれた行政文書など)や書き物(日記や海外・古代の書物の翻訳作業、自分用の辞書作成)、言語習得(最近はガルザァース語)だが、これをやると「休みの日に仕事や勉強をしないでください」とデラーウィアに怒られてしまう。
ゴネるとブランシュまで現れて、私に説教してくるので、上記の趣味はできない。
趣味も満足にできないなんて……貴族は本当に不自由だ。
だから選択肢は一つしかない。
「姫様。ここの景色はいかがでしょうか? ブドゥーベル市を一望できます」
「良い眺めですね。では、ここにしましょう」
ブドゥーベル市近郊にある小さな山を登った先、その展望台に私はいた。
薄く雪の積もった大地、大理石で作られた建物、エメラルドグリーンの海、そして大小様々な船が港に浮かんでいるのが見えた。
丁度、朝日が昇る瞬間で、海が輝いて見える。
……綺麗だ。
景色を眺めているうちに、使用人たちが椅子とキャンバス、絵の具を用意してくれた。
もうおわかりだと思うが、私に許された趣味とは絵を描くことだ。
この世界に写実的な風景画はない。もしかしたらあるかもしれないが、見たことない。
そして私にはそれを描く技術がある(いや、褒められた出来ではないが……)。
なら、将来、失われてしまうだろうこの景色を絵画として残しておこう……と、私は考えたのだ。
なお、写実的な風景画がない理由は、技術がないから……というのもあるが、それ以上に需要がないからだと思う。
この世界で「絵」と言えば、紋章か魔力刻印だ。
ここで重要なのは精巧で緻密な絵ではなく、素人でも判別できる抽象的な図表である。
山羊と松かさの杖、あれはブドゥーダル公爵家の紋章。そしてその横に添えられた薔薇の図表は一族の長女であることを示す。だからあの旗を掲げている馬車に乗っているのは、ロゼリア姫だろう……みたいな。実物を見たことがなくとも推察できる。
芸術というのは実用物から派生した“遊び”であり、ゼロからは生まれない。そのため写実的な絵を描こうとするものはいないし、その技術も発展しない。
だから風景画を書かせると、のっぺりとして、遠近感がグチャグチャな酷いものができあがる。
なお、逆に実用性の高いタトゥーについては、手放しで賞賛できる。日本の和彫りに優るとも劣らない域に達していると思う。
ちなみに人物画については可もなく不可もなくと言ったところだ。
お見合いや犯罪者の指名手配で使うから多少の需要はあるのだろう。
「少し休憩します」
太陽が頭上で輝き出したタイミングで、私は筆をおく。
一先ず、線画は書き終えたので、後は色を塗るだけだ。
使用人たちが作ってくれたホットワインを飲んでいると、デラーウィアが絵を覗き込んできた。
「……せっかく、お上手なのですから、公開すればいいのに」
「こんな奇妙な絵……どんな噂を立てられるか、分かりませんから」
私の絵は例えるなら、「何かよく分からないけどスゴそうに見える大道芸の絶技」である。
素人目にスゴいことは分かるし、おひねりくらいなら出す価値はある。でも正直、興味はないし、一回見たら満足かな。というか、どうしてそれを習得しようと思ったの? 何の役に立つの? ……みたいな枠である。
父やデラーウィア、ブランシュは褒めてくれるが……他の貴族たちがどんなリアクションをするか、分からない。
どのみち、私のような社会的に影響力がある人間が描いた時点で、適正な評価はされないだろう。
なので私の私室に飾るだけにとどめている。
後世の歴史家とかに「ロゼリア姫は優れた教養があるだけでなく、芸術的な才能もあった、スーパー美少女だったんだ!」と評価されるのを期待している。
キャスターのクラスで現界させてくれ。
休憩を終えてから、今度は絵に色を塗っていく。
色を塗るには絵の具が必要不可欠だが、この世界には現代日本ほど鮮やかな絵の具はない。
特に緑を作るのは、とても苦労した。
鮮やかな緑を人工的に作り出すのは、実は結構難しいのだ。
あったとしてもヒ素とか……私は長生きしたいので、毒性があるのは論外である。
幸いにもコバルトブルーはあったので、これに亜鉛を合わせて、コバルトグリーンを作り出すことには成功した。
父はこのコバルトグリーンの顔料で染めた絹織物を外交戦略で用いようとしているようだが、上手くいくのだろうか?
めちゃくちゃ、色落ちしそうだけど。
海を塗り塗りし、建物を塗り塗りし……気が付くと夕方になっていた。
夕日に照らされた海が、黄金色に輝いている。
……こっちにしておけば良かったかもしれない。少し後悔する。
「……美しいですね」
嫌な事、嫌いな事はたくさんある。
それでも、私はブドゥーダル公国が好きだし、愛している。
「父祖バークスが見た景色とは、似ても似つかないのでしょうね」
かつて大昔……今では古典時代と呼ばれる頃。
西・東・南の三つの大陸全土を支配した強大な帝国――統一帝国が存在した。
父祖バークスはその建国者の末裔であり、元老院に議席を持つ貴族だった。
しかし彼は政争に敗れ、当時は未開の地だったこのブドゥーベル市に配流された。
文献によれば、当時は小さな漁港しかない小規模な集落の一つだったらしい。
その気になれば、本土に帰ることもできただろう。
しかし父祖バークスはこの地に留まり、ブドゥーベル市の発展に尽力した。
彼が没した時には小さな村が小さな町くらいにはなっていたらしい。
「千年前も、海と夕日の美しさは変わらないのではないでしょうか」
「ふふ、確かにそうですね」
それから千年の歳月が経過した。
五百年前の統一帝国の崩壊。
それから続く三百年の暗黒時代。
そして二百年前のカルテマ帝の台頭。
彼の死後に起きた帝国の分裂。
王国の建国。
帝国の内乱。
言葉を変え、屈辱に耐え、謀略を張り巡らし、この地と血を守って来た。
そして今、私はここにいる。
「わたくしの代で……バークスの血による、ブドゥーベルの地の支配は終わります」
この世界の家系図は父系で表される。
大事なのは父親であり、母親は子を産むための胎盤に過ぎない。
子供は母親ではなく、父親の姓を継ぐ。
私の家柄がどれだけ良くても、意味がない。
それがこの世界の慣習。
記されるのは夫の名前。
続くのは夫の家系。
だから私が分家の男子と結婚しない限り、生まれる子供はバークスではなくなる。
もちろん、分家は存在するが……。
本家が絶えた以上、長くは続かないだろう。
先細り、消えていき、歴史に埋もれていく。
カルテマ帝の血筋と同じように、数を減らし、衰退していくだろう。
父祖バークスが、このブドゥーベル市から始めた千年の歴史が終わる。
私で絶える。
いや、私が絶やすのだ。
私が千年の歴史と伝統を終わらせてしまう。
私が千年の末だ。
「……姫様」
私が、女に生まれたことを気に病んでいると思ったのだろう。
慰めようとしてくれたデラーウィアを、私は手で制した。
「ですがこの地と意志は、必ず次代に繋ぎます。それがわたくしの使命です」
この美しい景色を守るためなら、悪魔とだって、添い遂げよう。
それが女として生まれた私に課せられた責務だ。




