第15話
狩猟大会、五日目、早朝。
愛用の槍を手入れしながら、トール・エル・ラークノールは呟いた。
「ロゼリア姫は、バルトナ王子と一緒だったか」
「若様」
自分を呼ぶ声にトールはハッとした表情で顔を上げた。
声の主は厳しい表情を浮かべている。
「怒気が漏れています。気をつけなされよ」
「……騎士コートレイル」
騎士コートレイル。
そう呼ばれたのは三十半ばほどの男性騎士だった。
トールの護衛と補佐、教育を任されている男だ。
「若様が傾慕されるお方は、穏やかな湖のようでした。若様には彼女に相応しい男になっていただきたい」
コートレイルの忠言にトールは僅かに眉を上げた。
同時に魔力が僅かに揺れ動く。
が、それはすぐに収まった。
「……諫言、感謝する」
「ははっ!」
トールの言葉に騎士コートレイルは恭しく、頭を下げた。
貴族にとって、感情のコントロール、特にアンガーマネジメントは極めて重要だ。
というのも、魔力には感情が乗ってしまうことがあるからだ。
あ、この人、怒ってるな……と思われるのは外交的には大きなマイナスになる。
外交においてもっとも重要な情報を垂れ流しているようなものだ。
また、そもそもとして怒りの感情は自分に向けられていなくとも、相手を不快な気持ちにさせる。
例えるなら車のクラクションを鳴らしまくるようなものだ。
下品な行為と見做される。
また、一般に歴史が長く、また広大な領地を持つ大貴族ほど、感情や魔力の動きを隠すのが上手い。
なぜなら、感情や魔力のコントロールには幼少期からの徹底的な教育が必要不可欠だからだ。
そして歴史が長い貴族ほど、教育のノウハウが蓄積しているし、大貴族であればあるほど宮廷に優秀な教育係を抱えている。
家柄がそのまま出てしまう。
つまり怒りの感情を漏らすと、“お里が知れる”と思われる。
もっとも、感情や魔力のコントロールは生まれつきの性質にも左右されるため、大貴族であれば必ずコントロールできるというわけでもないが……。
しかしロゼリアは、どこに出しても恥ずかしくない、完璧な大貴族だ。
ロゼリアに相対した貴族はまずその波紋一つ起きない魔力の制御に感嘆する。
そこに西大陸有数の大貴族、“ブドゥーダル公爵家”の威光を感じるのだ。
そしてその微笑の裏に隠された陰謀や策謀をあれこれと想像し、畏怖する。
なお、トールの魔力の制御は褒められるほどではないが、貶されるほどではない。
年齢を考えればこんなもの。頑張ってる方じゃない? と、評されるレベルだ。
もっとも、ロゼリアが絡むと、かなりお粗末になるが。
「……やはりロゼリア姫の婚姻相手は、バルトナ王子で決まりだろうか?」
「最有力候補ではあるでしょう」
「うぐっ……」
「しかし情勢次第でしょう。……ロゼリア姫は巧みに明言を避けています。以前の社交では、カーヴェニル王子とも踊っていましたから」
確かにロゼリアはバルトナとの婚姻に乗り気のように見えるが、その言動には常に予防線が張られている。
つまり「ごめんなさい。そんなつもりじゃなかったんです」と言い訳する余地を残しているのだ。
一方でトールを始めとする他の大貴族たちにも、婚姻の可能性を匂わせている。
「自身の婚姻が大陸情勢を左右することをよく心得ていらっしゃる。彼女は大陸の安定と均衡こそが自家の利益だと理解し、その利益を最大化するように動いています」
コートレイルの言葉にトールは眉を顰めた。
「言われなくとも、分かっている。ラークノール公爵家の利益こそが最優先だ。……恋慕を隠さぬことは、間違ってはいないだろう?」
トールはロゼリアに恋している。
そしてそれを隠さずに求愛しているが、それは恋心百%というわけではない。
これは一種の外交戦略だ。
お前、俺と結婚するって言ったよな? だからこっちは休戦してやったんだけど。え? そんなつもりなかった? いや、俺はそういうつもりだったから。見たら分かるよな? 俺のこと、騙したの? あーあ、傷ついちゃった。休戦破棄するわ。戦争な?
許して欲しかったら、慰謝料払え。
もしくは結婚しろ。
と、主張するための前振りである。
そういう外交戦略と認識しているからこそ、ラークノール派の貴族や騎士たちは、トールのロゼリアへの求愛行動を咎めていない。
実際、ロゼリアやブドゥーダル公爵はトールの恋心の取り扱いに関して細心の注意を払わなくてはならなくなっているので、一定の効果を上げている。
……もっとも、どちらかと言えば“外交戦略”の方が建前になっているが。
「はい……ぜひ、外交圧力を加え続け、最大の利益を引き出してください」
「ああ、もちろん」
最大の利益とは、即ちロゼリアとの結婚である。
ロゼリアと結婚すれば、広大な領地が手に入るのだ。
それを狙うことは貴族としては正しい行動だ。……もっともトールが本当に欲しいのは領地ではなく、ロゼリアの方だが。
「そのために一つ、進言をしてもよろしいでしょうか?」
「聞こう」
「カーヴェニル王子と親交を深めてください」
五日目にトールが組むのはカーヴェニル王子だ。
次期当主同士、次期国王と次期ラークノール公爵同士、友誼を深めたいという……という王家の意図は明白だ。
トールも王家と敵対したいと思っているわけではないため、前向きな気持ちでいる。
わざわざ進言してもらうことではない。
「……理由を述べよ」
「ロゼリア姫とバルトナ王子との婚姻の妨害に、役立ちます」
「……噂に惑わされるべきではないと思うが?」
カーヴェニル王子とバルトナ王子は仲が悪い。
というのはあくまで噂に過ぎないとトールは認識していた。
実際、傍から見て二人は仲が良さそうに見える。
何しろ、二人は昨日、共同で巨大な魔獣の熊を仕留めている。
よほど息があってなければ難しい。
「噂ではございません」
コートレイルは静かな笑みを浮かべた。
「私の予測です」
「あまり獲物の数は多くありませんね」
「そうですなぁ。もう少し奥に行った方が良いかもしれません。……この辺りは私とバルトナで、狩り尽くしてしまいましたゆえ」
西王王国第一王子、カーヴェニル・エル・パルテリアは冗談めかした風に笑いながら言った。
トールも笑みを浮かべ、相づちを打ちながら内心で毒づく。
(……やはり仲が良いじゃないか)
トールにも腹違いの兄たちがいる。
カーヴェニルとバルトナのように嫡出同士ではなく、嫡出と非嫡出の――つまりロゼリアとデラーウィアのような――関係性だが、周囲から仲が悪いのではないかと噂されることは多い。
特にトールの母は、彼らがトールが継ぐべき公爵位を簒奪しようと目論んでいるのではないかと、疑っている。
トール自身はそんなことはないと思っているが、彼の母親の疑念は強い。
通常、嫡出と非嫡出の間には絶対的な壁がある。
非嫡出の子供は、認知されていたとしても、領主の子供として公的に扱われることはない。
だから領地を継ぐことはできない。そもそも継承権を持たないからだ。
……が、その辺りは地域や文化によっても多少の差がある。
ガルザァース人の間では、非嫡出の子供の地位は比較的高い。
公的に兄や姉を名乗れる。
そして何より、トールの父であるラークノール公爵が“悪い前例”を作ってしまっている。
トールの母が警戒するのも当然のことだった。
なお、トールの兄たちは逆にトールの母を疑っている。
彼らからすると、トールの母とその家族はいわゆる“外戚”だ。
まだ若く経験の浅いトールを裏から操り、一族の家財を奪おうとしているのではないかと疑念を抱いている。
このような一族の不和に加えて、ガルザァース系の貴族・土着の貴族、古参の家臣・新参の家臣、地方騎士・都市騎士、武官・文官といった領内の各勢力が既得権益の争いを行っているのが、ラークノール公爵家の現状である。
トールはそんな領内対立の板挟みになり、胃が痛い思いをしていた。
それ故にカーヴェニルに対しては同情的な気持ちでいる。
勝手に弟と仲が悪いことにされ、家内の派閥争いに利用されているという点に、共感を抱いていた。
「しかし……随分、奥へと進まれますね」
「実はよい場所があります」
カーヴェニルの案内の下、トールたちは森の奥深くへと進んでいく。
果たしてこんな奥深くまで入って大丈夫なのか?とも一瞬思ったトールだが、「側仕えの騎士たちもいるし、問題ないだろう」と片付ける。
ここでビビって足を止める方が侮られるし、何よりもカーヴェニルに対して失礼な振る舞いになる。
付け加えるのであれば……トールは自分の武力に自信があった。
暗殺者の刃が自分の体に突き刺さるよりも、自分の拳がカーヴェニルの頭蓋骨を砕く方が早い、と。
「いかがですか? トール殿。壮観でしょう?」
「おぉ……これはまた、見事ですね」
カーヴェニルに案内された先は、大きな滝だった。
この森に走る川の、水源に当たる場所だ。
二人は馬から降りて、雄大な景色を楽しむ。
「この滝が、この森の魔素の噴出口になっております。だからこの辺りは大物も多い。……多くの貴族たちは、トール殿のように勇敢ではありませんから、ここまでは来ません」
バルトナにも見せたかったのですが、残念でした。
カーヴェニルは全く残念ではなさそうな笑みを浮かべながら、呟くように言った。
「ほう、そうですか? ……確かに魔素が濃いせいで感知は効きづらいですが」
「それに音も。……声も、届きにくい」
カーヴェニルはそこまで言ってから、クククと楽し気に笑った。
それから小さく手を上げる。
するとそれを合図に、カーヴェニルの側仕えの騎士たちがその場から離れ始めた。
この場に残るは、トールとその側仕えの騎士、そしてカーヴェニルただ一人。
「人払いをお願いしたい」
「いいでしょう。……聞いたか? 下がれ」
「……はは」
トールの命で、コートレイルを始めとするトールの側仕えの騎士たちは、その場から距離を取った。
剣の柄に手を置いた状態で、百メートルほど距離を取る。
トールとカーヴェニル、二人きりになる。
「トール殿は実に勇敢であらせられる」
「それで本題は?」
「……ロゼリア酒を飲んだことは?」
「休戦の折に、いただきましたが?」
ロゼリア酒を飲んだことがある貴族は、決して少なくない。
というのも今回の社交で、何度か振る舞われたからだ。
ブドゥーダル公爵家の天幕へ、客人として訪れた貴族たちは皆、一口二口程度、飲んでいる。
もっとも、土産として贈られたのは王家とラークノール公爵家だけだ。
そういう意味では、ロゼリア酒は王家とラークノール公爵家が、ブドゥーダル公爵家との外交方針を話し合う際に、話の枕として相応しい代物と言える。
「ほう、そうでしたか。あれは良い酒ですな。香りも色も美しく……名前に恥じない酒だ」
「……そうですね」
「ただ、見た目の美しさに惑わされ、痛い目を見ました。お恥ずかしながら、初めて飲んだとき、咽せてしまいまして。……私には少々、強すぎました。お湯で割って飲む方が、香りは楽しめますな」
ロゼリア本人は全く自覚はないが、彼女は周囲の貴族から“気の強い女性”と認識されていた。
必ず“言い返す”からだ。
ロゼリアは見た目と雰囲気、そして初対面の印象はお淑やかで「深窓の令嬢」という印象であるため、実際の気の強さに面食らう男性は少なくなかった。
なお、これは貴族社会、特に男性貴族からはどちらかと言えば高評価になる。
男性貴族が妻に求めるのは恋愛対象としての魅力ではなく、同盟相手として、また共同経営者として頼りになるかどうかだ。
いざという時に頼りにしたいのに「王子様、助けて!!」というシンデレラ願望丸出しでは困る。
もっとも、恋愛対象としては、弱々しい方がモテたりはするが。
「……直接、そのまま。その方が香りを楽しむには相応しいと勧められたので」
カーヴェニルの意図が読めなかったトールは、ひとまずロゼリアのことではなく、ロゼリア酒の話題であると考え、そう返答した。
するとカーヴェニルは感心した様子で、わざとらしく大きく頷いた。
「実に剛気なことだ。さすがはトール殿。私の父と弟も強がって、割らずに飲んでいたが、無理をしている様子であった」
「……何がおっしゃりたいので?」
いい加減、イライラしてきたトールはカーヴェニルに対して単刀直入に訪ねた。
その慇懃な態度にカーヴェニルは不快そうな様子を見せることなく、むしろ好ましそうな表情すら浮かべた。
「私は、あなたこそ、彼女に相応しいと考えている」
「……!」
カーヴェニルの言葉にトールは目を見開いた。
動揺から、魔力が僅かに揺れ動く。
「私とあなたは、共通の問題を抱えている。共に利益を分かち合うことも可能だろう」
「……あなたは何の利益を得るので?」
「王国を守る盾となり、また私の背中を支えてくだされば良い」
「……」
どう答えようか、熟考するトールに対してカーヴェニルは笑った。
「なに……今すぐ、答えを出せなどとは言いません。よくよく、考えてから、決断してください。ただし……」
カーヴェニルはトールの耳元で囁いた。
「私は待ちますが、彼女がいつまで待ってくださるかは分かりませぬ。努々、お忘れなきように」
「……」
トールの魔力が激しく揺れ動く。
激情を包み隠せていない、若い少年に向かってカーヴェニルは微笑んだ。
「狩りを再開しましょう。……バルトナに負けるわけには、いきますまい?」
名前:コートレイル
性別:男
身分:騎士(父親は元海賊)
年齢:30半ば
性格:冷笑的・野心的・嘘つき・非情
趣味:魚釣り、星空を眺める、星語り
特技:航海術、拉致、暗殺、拷問、窃盗
好きな異性:健康であれば誰でも
結婚相手に求めるもの:元気な子供を産んでくれること
一言:若様、いいですか。女を口説くコツは……。




