第3話:排除プログラム・天使の襲来
「管理者権限を持った敵」と戦うというのは、例えるなら、ルールブックを自由に書き換えられる相手とチェスをするようなものだ。こちらがどんなに完璧な手を打っても、相手は「その駒は動けないというルールに変更した」と宣言すればいい。
王都の中央広場。灰色の静寂に包まれた空間で、俺は鼻から垂れる血を袖で乱暴に拭い、空中に浮かぶ三体の「エージェント」を睨みつけた。
鏡面のボディ、顔のない頭部、光ファイバーの翼。それらは生物としての生々しさが一切ない、完璧にプログラムされた「削除実行ファイル」の集合体だった。
「……エリナさん。……無闇に突っ込むなよ。……あいつらは、この世界の物理法則そのものを盾にしている」
「……でも、このままじゃジリ貧です!……それに、サトウさんの体が持ちません!」
エリナが、左半分だけ鮮やかな色彩を取り戻した鎧を鳴らし、聖剣を構える。俺が無理やり彼女の「キャッシュ」を固定した反動で、俺の脳は今も焼け付くような痛みに悲鳴を上げている。デバイス『Link』のバッテリー残量も、危険域に突入していた。
『……対象の抵抗を確認。……「初期化」プロセスを中断し、「物理排除」フェーズへ移行します』
中央のエージェントが、抑揚のない合成音声で宣言した。
その右手が再び持ち上がり、今度は空間そのものを切り裂くような「不可視の斬撃」が放たれた。それは物理的な刃ではなく、「その空間の座標データを空白にする」というコマンドの実行だ。
「――させませんッ!!」
エリナが反応した。彼女は以前覚醒させた、虹色の魔力奔流を聖剣に纏わせ、迫りくる不可視の斬撃に向かって全力で振り抜いた。
王都の空を焦がすほどの、極大のエネルギーの衝突。
だが。
――シュンッ。
衝突音さえしなかった。
エリナの放った渾身の魔力斬撃は、エージェントの体に触れる直前で、まるで最初から存在しなかったかのように「消失」した。
「……え……? ……嘘、私の全力の魔力が……」
「……やっぱりか。……相棒、今のエラーログを表示しろ」
『了解。……攻撃実行時のシステムレスポンスを解析。
……エラーコード:Permission Denied(権限がありません)。
……エリナ・ルミナスの攻撃パケットは、管理者のファイアウォールによって「不正な書き込み」として破棄されました』
「……クソったれな仕様だ。……こちらの攻撃は全て『書き込み禁止エラー』で弾かれ、向こうの削除コマンドだけが一方的に通るってわけか」
俺は奥歯を噛み砕かんばかりに強く噛み締めた。
これが「神」の力。システムを作った側の絶対的な優位性。
エリナがどれほど強くても、この世界の住人である以上、彼女はシステムの「内側」の存在だ。内側のルールに縛られている限り、管理者を傷つけることはできない。
「……グルルルルゥ……ッ!!」
だが、ここに一匹だけ、例外がいた。
俺の隣で、低い唸り声を上げながら、エージェントたちに敵意を剥き出しにしている伝説の神獣、フェンリルだ。
「……そうか。……お前は、違うんだな?」
俺は、フェンリルの純白の毛並みに触れた。
こいつをデバッグした時、俺は気づいていた。こいつの魔力回路は、この世界の他の生物とは根本的に構造が異なっていた。
「……相棒。フェンリルの『製造年』を推定しろ。……こいつは、現在の世界のOS(女神のシステム)が稼働するより前から存在していたんじゃないか?」
『……推測を肯定します。……フェンリルの構成データは、現在の「管理システム」のデータベースに登録されていません。
……彼は、この世界が管理される以前から存在する「原始のハードウェア(レガシー・デバイス)」です』
「……やっぱりな。……要するに、こいつは管理者の『想定外のドライバ』で動いてる古い周辺機器だ。……最新のOSの制御コマンド(削除命令)が、こいつには認識できない!」
勝機が見えた。
エンジニアの勘が、錆びついた回路の中で火花を散らす。
ルールが通用しないなら、ルールブックの外側から殴ればいい。
「……フェンリル! 俺を乗せろ! ……エリナさんは俺たちのバックアップを頼む!」
俺はフェンリルの背に飛び乗った。
デバイスを操作し、フェンリルの魔力リミッターを強制的に解除する。
「……相棒! フェンリルの身体能力を『オーバークロック』状態に移行! ……安全装置は全部切れ! ……熱暴走すれすれまで出力を上げろ!!」
『了解。……危険な領域ですが、承認します。……フェンリル、身体強化パッチ、強制適用!』
「――ガアアアアアアアアアッ!!」
フェンリルが、大地を揺るがす咆哮を上げた。
その全身から、灰色の侵食を跳ね返すほどの、眩い白銀の魔力が噴き出す。それは、管理された色彩ではない、原始の、荒々しい力の奔流だった。
『……警告:未登録デバイスによる、異常な高エネルギー反応を検知。……直ちに排除します』
三体のエージェントが同時に手をかざし、三重の「削除コマンド」をフェンリルに向けて放った。空間が歪み、触れたものを虚無へと帰す死の領域が迫る。
だが、フェンリルは止まらない。
「……行けえぇぇぇッ!! ……お前の牙は、あいつらの『ルール』じゃ止められない!!」
ドォォォォンッ!!
フェンリルが、削除コマンドの嵐の中へ真正面から突っ込んだ。
空間を削り取るはずの攻撃が、フェンリルの「規格外の肉体」に触れた瞬間、バチバチと火花を散らして霧散していく。
『……エラー。……対象デバイスのドライバが認識できません。……削除コマンド、実行失敗……』
エージェントの合成音声に、初めて焦りのようなノイズが混じった。
次の瞬間、オーバークロックした神獣の巨大な顎が、先頭のエージェントを捉えた。
「――食らい尽くせッ!!」
ガギィィィィンッ!!
硬質な、ガラスが砕けるような音が広場に響き渡った。
フェンリルの牙が、エージェントの鏡面の装甲を――いや、「絶対防御のプログラム」を、物理的な暴力で噛み砕いたのだ。
砕け散ったエージェントの体は、血を流すこともなく、無数のポリゴンの破片となって空中に拡散し、そのままデジタルの塵となって消滅した。
「……はっ、……ざまあみろ。……古いハードウェアを舐めるからだ」
俺はフェンリルの背中で、荒い息を吐きながら獰猛に笑った。
残りの二体のエージェントが、一度距離を取り、空中で静止した。彼らは学習したのだ。この「規格外の獣」には、通常の削除プロセスが通用しないことを。
「……エリナさん、見たか! ……あいつらは無敵じゃない! ……『物理』で殴れば壊れる、ただのプログラムだ!」
エリナが、希望を取り戻した瞳で強く頷く。
だが、これで終わりではない。
空を見上げれば、灰色のロールバックの発生源である「巨大な瞳」の紋章が、まだ俺たちを見下ろしている。
あそこが、この世界の「サーバーールーム」への入り口だ。
「……相棒。……次の目的地をセットしろ。……ターゲットは、あの上空の『管理コンソール』だ」
『了解。……佐藤。……あなたの「反逆者レベル」が、最高ランクに更新されました。……もう、後戻りはできません』
「……上等だ。……ここからは、俺たち現場のエンジニアによる、とびきり荒っぽい『サーバー保守』の時間だ」
俺は、まだ熱り立つフェンリルの首筋を撫でた。
地上の防衛戦は終わった。
次なる戦場は、管理者が住まう、あのはるか上空の「虚空」の中だ。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
第3話は、管理者権限を持つ「エージェント」との初戦、そして突破口の発見でした。
「こちらの攻撃は権限エラーで弾かれる」という絶望的な状況を、おじさんはフェンリルが持つ「レガシー・デバイス(古い規格外のハードウェア)」という特性を見抜くことで打破しました。
最新のOSが古い周辺機器を認識できずにエラーを起こす……そんなITあるあるを、神獣の圧倒的な物理攻撃として描写しました。
次回、第4話「伝説の神獣、管理者権限を拒絶す」。
フェンリルの背に乗り、いよいよ上空の「管理コンソール」へと攻め込む佐藤たち。
しかし、空の彼方には、物理法則すら歪曲した、管理者のための「迎撃システム」が待ち受けていました。
おじさんと神獣の空中の大進撃、どうぞお楽しみに!
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佐藤さんのデバイスのバッテリーが、皆さんの応援で少し回復します!
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