第4話:伝説の神獣、管理者権限を拒絶す
「物理法則」とは、この世界における最も低層で、かつ強力な「基本ライブラリ」だ。
重力があれば物は落ち、摩擦があれば熱が生じる。エンジニアにとって、これらの定数はプログラムの挙動を予測するための絶対的な前提条件だ。
だが、今俺たちが突き進んでいる上空は、その前提すらも「管理者」によって書き換えられた、極めて不安定な実行環境へと変貌していた。
「……サトウさん、見て! 雲の色が……!」
フェンリルの背にしがみつくエリナが叫ぶ。
王都のはるか上空。そこにあるはずの白い雲は、もはや雲の形をしていなかった。それは、以前俺が王都で見たデジタルノイズそのものだった。幾何学的な四角いブロックが空中に固定され、本来の空の青さを無機質な「背景データ」として透過させている。
「……空間の『物理演算』が切られているんだ。……相棒、周囲の重力定数を確認しろ。……この高度でフェンリルが走れる『足場』は残っているか?」
俺の声に応じ、左腕のデバイス『Link』が網膜上に極彩色のスキャン結果を展開する。
『警告:高度3000メートル以上において、重力ベクトルが不規則に変動中。
……佐藤。この領域の物理エンジンは管理者の「意図的なデバッグモード」に入っています。
……通常の生物の飛翔は不可能です。……しかし、フェンリルは「レガシー・ハードウェア」としての特性により、空間の座標データに直接干渉して「踏みとどまる」ことが可能です』
「……重力を無視して、空の裂け目を踏み台にするってわけか。……よし、フェンリル! あの『空の穴』まで一気に駆け上がるぞ!」
「――ガアアアアアアアアッ!!」
フェンリルが咆哮した。
かつて辺境の雪山で彼をデバッグしたとき、俺はその並外れた身体能力の秘密を「空間へのグリップ力」だと定義した。彼は、空中に浮遊する「バグ(歪み)」を、あたかも頑強な岩場であるかのように力強く蹴り上げ、垂直に近い角度で上昇していく。
ドォォォォンッ!!
フェンリルが空中の一点を蹴るたびに、空間に虹色のひび割れが走る。
そのひび割れから漏れ出すのは、管理者がひた隠しにしてきた「世界のソースコード」の一部だ。
「……見えてきたな。……あそこがこの世界の『コントロール・パネル』への入り口だ」
空を覆う巨大な「瞳」の紋章。
以前はただの模様に見えていたそれは、接近するにつれて、無数の複雑な回路図を組み合わせた巨大な「浮遊要塞」であることが分かった。
その周囲には、前回俺たちが退けた「エージェント」の同型機が、数十体、数百体という規模で編隊を組み、こちらの接近を待ち構えている。
『侵入者を検知。……フェーズ:広域排除に移行。
……物理法則を「絶対零度」および「重力反転」に再定義します』
無機質な合成音声が空に響き渡った瞬間。
――ッ!?
視界が歪んだ。
フェンリルを支えていた重力が消失し、同時に俺たちの肺の中の空気が一瞬で凍りつくような冷気が襲いかかる。
[Latex for thermal stability and gravity fluctuation:]
$$G_{eff} = G_0 \times (1 - \alpha) + \vec{\nabla} \cdot \text{Mana\_Field}$$
「……くそっ! ……環境変数を直接いじってきやがったな!!」
俺は激しい目まいに耐えながら、デバイスを操作した。
「……相棒! フェンリルと俺たちの周囲に『局所プロトコル・シールド』を展開しろ!……周囲の物理法則を無視して、内部の環境だけを『正常(正常値)』に固定するんだ!!」
『了解。……魔力リソースの80%を環境維持(サンドボックス化)に割り当てます。
……佐藤、これが限界です。……今のあなたは、世界のルールに従わない「不正な空間」そのものとして浮いています』
俺たちの周囲数メートルだけが、鮮やかな色彩を保ったまま空中を突き進む。
そこへ、エージェントの群れが一斉に襲いかかってきた。
彼らの光ファイバーの翼から放たれるのは、空間を「初期化」する光の矢の雨。
一発でも触れれば、俺たちの存在そのものがシステムからデリートされる。
「……エリナさん! ……あいつらの光の矢を『パリティ・チェック(整合性検査)』で弾け!! ……君の聖剣なら、管理者の偽物の光を切り裂ける!!」
「……はいッ!! ……行きます!!」
エリナが、半分だけ高彩度な光を放つ聖剣を、円を描くように振り抜いた。
かつて、王都の広場で彼女が覚醒した時の、あの「虹色の軌跡」。
それが今、空中のノイズを切り裂き、迫りくる削除コマンドの光弾を次々と「不正なデータ」として打ち消していく。
「……サトウさん、道は作りました! ……そのまま、突っ込んで!!」
「……よし! ……フェンリル、フル・オーバークロック!! ……あの管理コンソールの『アクセス・ゲート』を物理破壊するぞ!!」
フェンリルが、光の翼を広げたエージェントたちを、その巨大な前足でなぎ倒しながら突き進む。
管理者のルールに縛られない「レガシー・ハードウェア」の牙が、エージェントたちの鏡面のボディを次々と粉砕し、デジタルの破片に変えていく。
目前に迫る、巨大な「瞳」の中心部。
そこには、半透明な魔力の膜で守られた、巨大な「コア」が剥き出しになっていた。
『……致命的な不具合を確認。……システム保護のため、全リソースを「侵入者の削除」に集中させます』
瞳の中心から、かつてないほど巨大な光の柱が放たれようとしていた。
それは世界のすべてを「再インストール」し直すほどの、超高出力の初期化パルスだ。
「……相棒。……あいつの『チャージ時間』を計算しろ。……衝突まで、あと何秒だ?」
『残り5秒。……佐藤。この出力を正面から受ければ、フェンリルといえどデータの霧散は避けられません』
「……5秒か。……十分だ。……「バックドア」を一つ、強引に開くにはな」
俺はデバイスを掲げ、以前、女神像の再起動時に抽出した「管理者用暗号化キーの残骸」を全展開した。
「……相棒、聞け。……この初期化パルスを『受信』するんじゃない。……パルスの波形をハックして、俺たちのデバイスの『送信アンテナ』として逆利用するんだ!!」
『……正気の沙汰ではありません。……しかし、論理的には……可能です』
「――行け、フェンリル!! ……あいつの懐を、物理でハックしてやれ!!」
フェンリルが、放たれた巨大な光の柱に、真正面から突っ込んだ。
視界が真っ白に染まる。
耳を劈くような電子音。
俺の体は、数万ボルトの電圧を受けたように激しく痙攣した。
だが、その刹那。
俺の指先は、デバイスを通じて、世界の「管理コンソール」の奥深くにある、一つのディレクトリに触れた。
『――アクセス承認。……ようこそ、管理者(佐藤)。……プロジェクト「Luminous」の管理画面を表示します』
「……取った。……取ったぞ、……ルート権限の『端っこ』を……ッ!!」
爆発的な光が収まった時。
俺たちは、以前見たこともないような、真っ白で、無機質な「データ空間」の中に立っていた。
そこは、空の上でも、地上でもない。
この世界というシステムの、ちょうど「裏側」に位置する、真っさらなサーバー・ルーム。
フェンリルが、荒い息を吐きながら俺たちの横で立ち上がる。
エリナが、不思議そうに周囲を見渡す。
そして。
俺たちの目の前には、巨大な「キーボード」のようなコンソールと、その前に座る、一人の「人間」の姿があった。
正確には、人間の形をした、白髪の少年。
彼は、感情のない目で俺を見つめ、静かに呟いた。
「……遅かったね、不正なプロセスの管理者。……世界のロールバックは、もう、止められないよ」
くたびれたおじさんの監査記録、第4章。
物語は、ついに世界の「裏側」にあるサーバー・ルームへと舞台を移し、
「偽りの神」と呼ばれる少年の正体、そして世界の真の仕様書を巡る、最終決戦へと加速していく。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
第4話は、空中の「物理法則の歪み」を突破し、ついに世界のサーバー・ルーム(管理コンソール)へと到達する怒涛の展開でした。
「物理演算が切られた空」をフェンリルのレガシーな特性で駆け上がり、敵の最強攻撃を「逆ハックの通信経路」として利用する佐藤さんの戦い方は、まさに現場叩き上げのエンジニアそのもの。
そして、ついに姿を現した「世界管理委員会」の少年。彼が語る「止められないロールバック」とは何を意味するのか……。
次回、第5話「勇者の心と消えゆくキャッシュ」。
管理者の少年から突きつけられる、世界の「真の目的」。
色彩を愛するエリナたちの記憶までもが「不要なキャッシュ」として消去されようとする中、佐藤さんは彼女たちの『存在の正当性』をどう証明するのか。
物語はいよいよ、世界の核心へと迫ります!
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佐藤さんの「特権昇格(sudo)」に必要なのは、皆さんの応援の声です!
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