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白い一輪の花。
白いリボン。
それが意味するところを、シャレルもエルフィードも…その場にいた全員がよく知っている。
差し出されたその花を、シャレルはどうすれば良いのか分からずにただ黙って見つめていた。
「受け取って。一夜の相手でも、愛人でも無い。僕の思いはこれだよ」
シャレルの手にそっと花を握らせ、ヴェスアードが告げた。
受け取った花を、どうすれば良いか分からない。
本当にこの花を贈って欲しかった人は…ヴェスアードでは無い。
シャレルは不安げな顔で隣にいるエルフィードを見た。
「…エル」
今朝、白い花を贈ってくれると、言ってくれた相手を見て、シャレルが震える声でその名を呼んだ。
その名に、ヴェスアードもエルフィードを見た。
エル、という名。
夜会で泣いていたシャレルがずっと口にしていた名前だ。
フェイル男爵のことは、ヴェスアードもよく知っている。
若いながらも、実力のある騎士で、王都の武芸大会に参加した際は、素晴らしい成績を修めた。
地方に赴く際、自分の警護をしてくれたこともある。
だが、彼のことは「フェイル男爵」としか知らなかった。
「エル、って…」
シャレルを引き取った騎士、ぐらいにしか認識していなかった。
養父というより、兄と妹のような関係なのだと。
シャレルが恋焦がれていた相手だと分かり、ヴェスアードは複雑な思いになった。
「エルフィード、喜ばしい話だろう。シャレルが王太子殿下に見初められるなんて」
暫く続いた沈黙を破ったのは、やけに明るい声をしたハーヴェイだった。
何とも言えない表情で、エルフィードはハーヴェイを見る。
シャレルは黙って白い花に視線を落としたままだ。
「シャレル嬢も。フェイル男爵家としても本当に喜ばしい話だ。時間はそう掛けられないかもしれないから。準備を早めに進めてくれ」
ポンポン、とハーヴェイがエルフィードの肩を叩いた。
エルフィードは曖昧に小さく頷くだけだった。
「シャレル嬢…」
花を渡した時のシャレルは、困惑した表情でエルフィードを見た。
昨日はあんなに泣いていたけれど、二人の様子を見ると、上手くいったのだろう。
ヴェスアードはシャレルの肩にそっと手を置いた。
「困らせたいんじゃないんだ。気持ちを伝えたかっただけだよ」
それだけだよ、と続けたヴェスアードの口調は相変わらず柔らかなものだった。
その笑みはどこか寂しそうではあったが、何かを強要したり、責め立てたりしない穏やかさがあった。
「…殿下、私は」
「ヴェスアード殿下。そろそろ戻らなければ」
何かを言いかけたシャレルの言葉を遮るように、ハーヴェイが口を開く。
震えるシャレルの声は、ハーヴェイにかき消されてしまった。
「そうだな…それじゃあ、シャレル嬢。元気で」
帰りを急かすハーヴェイに、ヴェスアードも素直に従う。
どうしようもないこの空気から、逃げ出したかったからだ。
これ以上、何を言っても、シャレルは困惑する一方なのだろう。
誰も皆、王太子である自分に媚びてくる。
皮肉な話で、そうじゃない相手を好きになってしまったらしい。
あれほど彼女を泣かせた相手は、同じだけ彼女を笑わせることが出来るのだろう。
きっと自分には無理な話なんだろう。
ヴェスアードは屋敷から去る時、一度だけ後ろを振り返った。
寄り添って何かを話すシャレルと、シャレルの肩を抱くエルフィードに少しだけ胸が痛んだ。




