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夜会が行われたあの日。
エルフィードとシャレルを見送った後、ダンスホールに戻ってきたハーヴェイをある人物が待ち受けていた。
「レンフェスト卿、何かありましたか?」
ハドリー・レンフェストは、ハーヴェイに穏やかな微笑を浮かべてゆっくりと近づいてきた。
その両脇に控えるのは、博識で有名な国王の侍従と、王太子付きの侍従だった。
「クラーク卿にいくつか御伺いしたいことがありまして」
ハドリーはヴェスアード王太子一番の側近で、若いながらも有能で有名だ。
それだけでなく、その周囲に控える人物もよく名の通った侍従たち。
何か、あったのだろうか。
ハーヴェイは笑顔でハドリーに騎士として、頭を下げて挨拶したが…その心中には不安が混じっていた。
「そう構えないで下さい、クラーク卿。あなたが連れてきた女性…シャレル・フェイルさんについてですよ」
「…シャレル嬢について?」
「ええ、少し調べてみましたが…ベリアルの元王女で、あなたがフェイル男爵家に養子として引き取らせた。それで合ってますか?」
「その通りです。シャレル嬢が何か?」
夜会にも参加することが出来ず、バルコニーで過ごしていたシャレルのことを、どうして王太子の側近が知っているのだろう。
バルコニーで一人、泣いているだけだった彼女のことをどうして。
今更、ベリアルの王女だからどうの、という話は無いだろう。
ベリアル王族でも疎まれていた末の王女に、何か用がある者なんていないはずだ。
なら、一体…何があったのだろうか。
ハーヴェイは少し難しい顔をして、じっとハドリーの言葉を待った。
「実は、ヴェスアード王太子殿下が彼女のことを気に入りましてね」
「…王太子殿下が?」
「ええ。こっそりバルコニーに隠れていた時に彼女に出会ったそうで」
ああ、あの時。
ハーヴェイがシャレルを迎えに行った時、確かに話し声が聞こえていたが、あまり気にも留めていなかった。
それがまさか、王太子だったなんて。
しかも、その王太子がシャレルを気に入った。
そのことにハーヴェイは口を押さえて驚いた。
「ヴェスアード王太子は、イシュメル国王陛下の血を継ぐ唯一の王子です。イシュメル国王も長年の戦で体が疲れており、その座をヴェスアード殿下にお譲りしたいと仰っております」
その話は、耳にしたことがある。
ハーヴェイはハドリーの言葉に頷きながら、大体の話の結末が予想できた。
「ヴェスアード殿下がご結婚されたら、王座を譲ると仰っておりました。それが…女性の理想が高いのか。殿下は中々、気に入る女性がいらっしゃらなくて」
ヴェスアード殿下は、他国の姫も、国内の有力貴族のご令嬢も、どれも好みではないと、断り続けているという話だ。
国王が夜会を主催するのも、王太子の気に入る女性を探す為だと言われている。
だが、ヴェスアードは挨拶が終わるとすぐにどこかへ消えてしまい、まともにダンスホールで誰かと踊っているのを見た事が無い。
「そんなヴェスアード殿下が気に入った女性が、シャレル嬢だそうで。まあ、自分の父…国王陛下が滅ぼした国の王女に恋をするなんて、おかしな巡り合わせだとは思いましたが」
ハドリーが一歩ハーヴェイに近づいた。
ぐい、と顔を近づけ、ハドリーは真剣な眼差しで真っ直ぐハーヴェイを見る。
「それでも、私は殿下の意志を尊重したいのです。シャレル嬢に取り次いで頂けませんか?」
そう言われた時、ハーヴェイの顔は自然と笑みが零れていた。
貴族にでも嫁がせれば良い、と思っていたが…王族から、しかも王太子から気に入られるなんて…夢のような話だ。
「もちろんです」
「ありがとうございます、クラーク卿。それで、早速ですが…善は急げと言いましょう。明日にでも王太子殿下をシャレル嬢に会わせたいのです」
「ええ、それが良いでしょう。城に呼び寄せましょうか?」
「それにつきましては…殿下に決めて貰いましょう。今からお時間、よろしいでしょうか?」
ハドリーの言葉に、ハーヴェイは満面の笑みで頷いた。
この話が上手くいけば、シャレルは王太子妃…いや、すぐにでも王妃になる。
未だに信じられない、夢のような話にハーヴェイは興奮していた。
一方のヴェスアードは、先ほど、ハドリーが調べ上げたシャレルについての資料に目を通していた。
自分の父が滅ぼした国の王女であることに、何とも言えない気持ちになった。
「…恨まれている、かな」
もしかすると、親の仇と思われているかもしれない。
こんな巡り合わせがあるなんて、信じられない話だ。
はあ、と深い溜息をつき、ヴェスアードは手に持っていた資料を机の上に置いた。
その時、
扉に勢いの良いノックが響いた。
「…ハドリーか」
「ええ、殿下。お邪魔しますね」
入れ、との言葉を待たず、ハドリーはノックした直後に扉を開けた。
遠慮なしに入ってくる腹心に、ヴェスアードは苦笑いを浮かべた。
そんなハドリーに続いて入ってきた人物…ハーヴェイを見た瞬間、ヴェスアードの表情が固まった。
頭を下げてお辞儀をするハーヴェイに、暫く反応出来ないぐらい、ヴェスアードの表情も思考も固まってしまっていた。
「殿下。クラーク卿が、シャレル嬢を城にお連れしようかと言ってくれてますが。どうしますか?」
呆然としているヴェスアードの意識を引き戻すかのように、ハドリーがコンコン、と軽く机を叩きながら話す。
徐々に夜も更けていく。
明日、会うのだと決めているハドリーは、少しの時間も惜しくてたまらないらしい。
「…ああ、そうだな…」
「白い花を持って行くのであれば、殿下が自ら赴くべきでしょう」
白い花。
その言葉の意味するところに、ヴェスアードが一つ深い溜息を漏らす。
「…彼女には、誠意を見せる意味でも…白い花を持って行きたいのだけれどね。でも、彼女は…ベリアルの王族だろう?父が滅ぼした国の…」
そんな相手に、結婚を申し込むという意思を込めて花を贈るなんて…
ヴェスアードは出来ない、と首を小さく横に振った。
「…僭越ながら殿下。シャレル嬢は、ベリアル王妃に随分酷い扱いを受けていたと聞いております。彼女はベリアルが滅んだことを恨んでおりませんよ」
ハーヴェイがハドリーの少し後ろから、一つ手を上げて声を発した。
夜会に来る途中でシャレルに、それとなく聞いたことを告げる。
「彼女は言っておりました。ベリアルでの暮らしは幸せでは無かった、だからラベルトのことも何とも思っていない、と」
ですから、ご心配には及びませんよ、とハーヴェイが続けた。
それに対して、ハドリーも笑顔で頷いてみせる。
「…なら、白い花を持って…彼女に会いに行こう」
恨まれていないのなら、大丈夫だろうか。
少し不安もあるが、それでも、心の中を占めているのは…月夜に照らされたシャレルの姿だった。
不安よりも、会いたいという気持ちが大きくなる。
それはもう、抑えることが出来ないぐらいにヴェスアードの中で膨らんでいた。
「では、明日。私めがご案内致します」
恭しくハーヴェイが礼をする。
ヴェスアードは小さく、ありがとう、と呟いた。
白い花に白いリボンを結んで…
彼女に誠意を伝えよう。
一夜の相手では無い、愛人でも無いんだと。
断られてもいい。
ただ、会いたい。
会って伝えたい。
ヴェスアードはシャレルのことを思い、柔らかな笑みを浮かべた。




