8話 指導
振り返ると、刀を抱くようにして少女が佇んでいた。
チョコレートを思わせる柔らかな髪は、訓練所を照れす光を受けてしっとりとした艶を帯びている。
頭の後ろで結ばれた大きな青いリボンは、まるで猫の耳のように軽やかに揺れ、その下の瞳は澄みきった青空をそのまま映したかのように透き通っていた。
入学してまだ一日。
クラスメイトたちの顔立ちも名前も、記憶の中では輪郭が曖昧なまま漂っている。
それでも、凜ちゃんほどの華奢な体格なら、印象深く記憶に刻まれるはずだ。
少なくとも、彼女はクラスメイトではない。
ただ、それ以上は分からなかった。
他クラスなのか、そもそも同じ一年生ですらないのか。
制服姿なら、リボンの色で学年を教えてくれるのに、少女もまた私と同じジャージなので、その判別すら不可能だった。
「あ、水を差してしまいすみません。つい、気になってしまって。その、悪気はなかったんです」
少女は言葉を探すようにあたふたしながら早口でそう告げた。
先程までの落ち着きのある佇まいから打って変わって、取り乱している少女に、
「あ、いえ。気にしてないので大丈夫です」
私がそう言うと、少女は少し安心したように肩の荷が下りる。
「そのお、私の太刀筋ってそんなに変でしたか?」
「え? あ、それは、えっと……」
気にしてないと言いつつ、蒸し返すような質問に少女は視線を彷徨わせる。
「すみません。蒸し返すつもりはなくて、ただ、純粋に教えてほしいと思って……だめ、ですか?」
周囲に剣道などの経験者はおらず、雫さんの振るった太刀筋を想像しながら、一人で手さぐりに素振りを行っていた。
そのため、自分の動きや太刀筋がどういった形なのか知る術がなく、だから、こうやって客観的に指摘してくれる人は私にとって凄く貴重だった。
目の前の少女が私よりも強者なのは明白。
それは、今日の模擬戦での出来事が何よりの証拠だ。
私は一年生の中で動きが拙く、太刀筋も素人同然の不格好だった。
両方が致命的だからこそ、私はぶっちぎった弱さを誇っている。
一年生の中で一番弱いなら、二、三年生に至っては比べることすらおこがましい。
今日の模擬戦を見て思ったが、強い人は皆、洗練された軌道の太刀筋を描いている。
雫さん然り、凜ちゃんも、その他の全員も凄く綺麗な太刀筋だった。
強さと太刀筋の美しさは必ずしも成立するとは限らない。
けれど、少なくとも自分より強い者たちは、例外なく無駄の削ぎ落とされた軌道を描いていた。
強くなるためには、強い人にアドバイスを貰った方が、自分にとって凄く有益だ。
私が考えもしなかった視点から指摘してもらえれば、壁にぶち当たったとき、もしかしたらそれが壁を超える手助けになるかもしれない。
「……分かりました。あなたが、そこまで言うなら」
「ありがとうございます! 言葉は選ばなくていいので、ズバッ! とお願いします!」
「そう、ですね。さっき言った通りあなたの太刀筋はブレが激しいです。あなたの素振りを少しだけ拝見させていただきましたが……すみません失礼を承知で言わせてもらいますが、どこか"雑"に見えました」
「ざ、つ……」
「す、すみません。強い言い方をしてしまって……」
「あ、良いんです! 言葉を選ばなくていいと言ったのは他ならぬ私ですから。むしろ、その方が助かります」
そうは言ったものの、少女から飛び出るとげとげしい言動は、私の心をぐさぐさと刺さしてきて、私のハートポイントを容赦なく削っていた。
「……」
少女は手首にある青いミサンガを優しく撫でながら、どこか遠くを見るような目でこちらを見つめる。
「? どうかしましたか?」
「あ、いえ、何でもありません」
我を取り戻した少女は軽く咳払いをし、「それでですね……」と指摘を続ける。
「その……、"雑"と言いましたが、ただ手を抜いているようには思えませんでした。むしろ、回数を重ねようとする必死さは、はっきりと伝わってきました。ただし、意識の全てをそこに注ぎ込んでいたからか、太刀筋に異常な乱れが生じてしまっていましたが……つかぬことをお聞きしますが」
少女は一度言葉を切り上げると、その澄んでいる青い瞳を私に向けてきた。
「あなたは今、何かに焦っているのではありませんか?」
「ど、どうしてそれを!?」
思わず声が裏返る。
胸の奥に沈めていたものを、不意に掬い上げられたようだった。
技だけでなく、心まで見透かされたようで、私は動揺を隠せない。
まさかこの人、他人の心を読む特異な力が――そんな考えさえ頭をよぎる。
「四季、一応剣道を嗜んでいまして。多くの人たちの素振りをこの目で見てきました。焦りが募っている人ほど、質より量に偏るんです。あなたの素振りもどこか似たような印象がありました。なので、そうかなと思ったまでです」
淡々とした説明に私の疑念が晴れていく。
心を読める特異体質ではなく、積み重ねた観察力がなせる業であった。
「剣道をやってたんですか?」
気付けば私は少女の話から剣道という単語をピックアップしていた。
「はい。七年ほどやってました」
「七年も、それっていつ頃からやり始めたんですか?」
「五歳の頃から習い始めました。時代劇に出てくる侍がかっこよくて、それで」
五歳ってことは、小学六年生頃までやっていたことになる。両親に習わされたわけではなく、時代劇がきっかけって中々に渋い理由だ。
「時代劇ですかあ。私、一度も見たことないかも」
「えええ!?」
一度も見たことないとカミングアウトすると、少女はここにきて初めて大きな声を張り上げた。
「それは、絶対に見た方がいいです! 人生の半分、いや、人生全てを無駄にしてますよ!」
「人生全ては大げさじゃないですか!?」
「いいえ、大げさじゃありません。四季、時代劇系のDVDをたくさん持っているので、今度貸してあげましょうか?」
「え? ああ~じゃ、じゃあ、もしその時が来たら、お願いしよう、かな?」
「分かりました! その時が来たら四季に教えてください。おすすめを提供します!」
「あ、ありがとう、ございます?」
覇気迫る少女に私は腰を引きながら頷くと、少女は満足げに微笑む。
今の会話だけで少女の熱烈な時代劇愛が、頭の随所まで叩き込まれた。
「っと、すみません。話が脱線しましたね」
少女は昂る気持ちを落ち着かせ、脱線していた話題を元に戻す。
「あ、いえ、元はと言えば私が剣道の話題を振ったからなので。あ、それより、すみません。私のために時間を割いてもらって、あなたも、鍛錬しに来たんですよね? 指摘はしてもらえましたので、どうぞ、自分の鍛錬に時間を当ててください」
彼女の身なりは訓練のためのそれであり、ここに居る理由は私と変わらないはずだ。
指摘もしてくれたことだし、これ以上引き留めるのは、気が引ける。
「最初に鍛錬の邪魔をしたのは四季の方ですから、気にしないでください。それに、指摘だけしといてアドバイスはしない、はむず痒いので、よろしければ、四季が出来る範囲ではありますが、アドバイスを、と思うんですが、どうでしょうか?」
「むしろ、その申し出は私にとって凄くありがたいのですが、本当にいいんですか?」
鍛錬の邪魔をしたとはいえ、私にとっては指摘を貰えただけでもそれに見合う対価、は支払ってもらっている。
「全然かまいません。とは言っても、四季の実力が不明のままでは、言葉の重さに欠けます。指摘そのものは誰でもできますが、アドバイスには、それに見合う裏付けが必要だと四季は思います。ですから、ここは一つ、素振りを披露します。それで、四季の言葉がどれほど信に足るものか、あなた自身の目で量っていただければと思います」
そう言って、彼女は抱えていた刀から刀身を露にすると、流れるように構える。
剣道経験者は伊達じゃなく、構えからしてただ者じゃないと思わせてくる。
ひゅー。
一筋の風が少女の横をよぎった。
「っ!」
そのわずかな気配に少女の身体は応じる。
「はあ!」
勢いよく振り下ろされた白刃は綺麗な半月型の軌跡を描いた。
斬られた風は抵抗する間もなくほどけるように霧散した。
「凄い……」
少女の一太刀をこの目で見た私は、圧巻の一言だった。
それは私が初めて雫さんの戦いで見た一振りに匹敵するほどの美しさを誇っていた。
「……どうですか? 四季はアドバイスをするに足る相応しい人間でしょうか?」
少女は不安げな眼差しで私の方を見つめてくる。
私は学院内で誰よりも弱いという自負があるので、彼女じゃなくても、この学院内の生徒全員はアドバイスを足るに相応しい人間ばかりだ。
だから、彼女が実力を示さなくとも、彼女は既にアドバイスをするに相応しい。
だけど、それにしても、無駄を削ぎ落された洗練された太刀筋は驚嘆するばかりだが。
「それはもう、相応しすぎる程、相応しいです! 是非ともアドバイスのほどよろしくお願いします!」
「任せてください。鍛錬の邪魔をした分、しっかりと返させていただきます――あ、そういえば、自己紹介してませんでしたね。私は、一年Cクラスの嵐山四季と言います。以後、お見知りおきを」
「あ、同じ学年だったんですね。私は、一年Aクラスの神崎光です。こちらこそよろしくお願いします!」
互いに自己紹介をした後、私は少女のアドバイスを受けながら、太刀筋の矯正をしていったのだった。




