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ゴーストバスターズ  作者: そら
第一章 ようこそ、地獄へ
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9話 師匠

「明日も授業があるので、ここまでにしておきましょう」


「はあ、はあ、はあ、ありがとう、ございました」


 私は呼吸を整えると、傍にある水筒に口を付けた。


 干からびた身体は口から入ってきた水を猛スピードで吸収し、十分に潤いを満たしていった。


「あなたは中々に素質があります」


 水分補給をし終えた私に嵐山さんはそう言う。


「そう、なんでしょうか……その、自分的には、あまりあなたのアドバイスにうまく応じれなかったので、とても素質があるようには……」


 約二時間ほど、私は嵐山さんのアドバイスに従って素振りを行ったが、中々アドバイス通りにいかず、悪戦苦闘。


 頭では理解しているのだが、体がついて行かず、何度も同じ指摘を受けてしまった。

 だからこそ、嵐山さんの素質があるという発言に私はいささか疑問を抱いてしまう。


「そう悲観しないでください。神崎さんは十分に素質があります。確かに上手く四季のアドバイスに適応出来なかったかもしれません。でも、それは、仕方ないことです。人は誰しも言われた通りにすぐできません。だからこそ、時間をかけて、順応させていくのです。でも、四季が言いたいのは、そんなことではなく、神崎さんが四季のアドバイスを素直に聞き入れたこと、その素直さを四季は評価しました」


「……どうして、その素直さが素質の有無と結びつくのか私にはわかりかねます。せっかくアドバイスをしてもらえるんですから、素直に聞き入れるのは当然では?」


「それが、そうでもないんです」


 小首を傾げる私に彼女は、ゆっくりと左右に首を振りながらそういうと、少しだけ遠くを見るような目になる。


「四季のいた道場には、かつて世界一位の座についた先生がいました。その先生は何よりも基礎を重視する人で、稽古の大半は繰り返しのような基本動作に費やされていました。ですが、その単調さに耐えきれず、もっと実践的な稽古をしたいと、先生に抗議する人も少なくありませんでした。先生はその不満を持つ門下生たちに基礎の大切を唱えましたが、それも徒労に終わり、先生の話に納得できなかった門下生たちは、一人、また一人と、道場を去っていったのです。その光景を四季は何度も、何度も見てきました」


 嵐山さんの語りの端々《はしばし》には、当時の道場に満ちていた空気が、かすかな残り香のように滲み出ていた。


「道場には四季を含んだ、先生の教えに素直について行く人たちだけが残り、皮肉なことに、その人たちは、あらゆる大会で結果を残していきました。四季に至っては全国優勝をするまでになったのです。四季が全国で優勝した際に、先生はこう言ってくださいました。『君が優勝したのは、私のお陰ではない。君の素直さが優勝まで導いたのだ』と。裏を返せば、素直でなければ、そこには辿り着けなかったということです。そのときに四季はふと気づいたのです。道場に残っている者達は、例外なく、教えを受け入れることにためらいのない人ばかりだと。そして、こう思いました。素質と言うものは、何かを疑わず受け入れられる”素直さ”が形作っているのではないか、と。そう意味では、あなたは――」


 嵐山さんは、言葉を小さく断ち切り、その切れ目に生まれる沈黙を抱くようにして視線を私に向ける。


 嵐山さんの澄み切った水面のような瞳に映しだされた私は、それに触れた瞬間、悲観に濁っていたはずの心が、洗い流されていく感覚に陥った。


「素質がある側の人間だと、四季は思います」


 嵐山さんは経験談を踏まえて、素直さと素質の関係性を私に語った。


 先ほどまでの私は、胸の奥によどんだ悲観に塞がれて、その言葉をまともに受け取ることができずにいた。


 だが今は違う。


 同じ言葉であるはずなのに、それはまるで別の響きを持ち、私の心は嬉しみで広がる。


「少し話過ぎましたね。夜も更けてきましたし、そろそろ寮に戻りましょうか」


 私としてはもう少しだけ鍛錬がしたかったが、嵐山さんの言う通り、明日のことも考えてここで切り上げておくことが賢明だ。


 それに、また夜更かしして、今日のようなトラウマを受けるのは避けたい。


「あ、あの!」


 私は踵を返す嵐山さんを呼び止める。


「何ですか?」


 嵐山さんは歩行を止めると、こちらに顔を向けて小首を傾げる。


 その仕草に合わせて大きな青いリボンが緩やかに揺れる。


「また、私に鍛錬を施してくれませんか?」


「……すみませんがそれは出来ません。今日はあくまでも神崎さんの邪魔をしてしまった罪滅ぼしみたいなものです。四季は本来誰かに鍛錬を施すことは滅多にありません。あるとしたら、今日のような四季側に非があったときだけですので」


 嵐山さんにきっぱりと断られてしまった。


 本来であれば、先ほど受けた助言だけでも過分と言えるほどだった。むしろ、こちらが礼を尽くしても足りないくらいだろう。


 これ以上は、等価ではなく、過剰な要求であることは理解できた。


 だけど、それでも、周囲に出遅れている私にとって今は猫の手も借りたいほどに切羽詰まっていた。


「私、周りの誰よりも弱いんです。だから、少しでも強くなって周囲に追いつきたいんです。自分勝手で無茶な要求なのは承知してます。それでも、お願いします! 私に鍛錬を施してください!」


 私は頭を下げて、嵐山さんに懇願こんがんする。


 自分に強さがあればこんな厚かましくお願いすることもなかったのに、と私は弱い自分をうらめしく思ってしまった。


「……では、神崎さんの尊厳を全て四季にください。それで手を打ちましょう」


「そ、そん、げん?」


 嵐山さんが示した条件を、私はすぐには理解できなかった。


 意味を咀嚼そしゃくするよりも早く、ただその言葉の形だけをなぞるように、反射的にオウム返しをした。


「ええ。四季は四季で鍛錬を重ねたいし、時間も有限です。人に教えるということは、その時間を相手に預けるということ。言い換えれば、自分の命を削って渡しているのと同じです。分かりますか? あなたは今、四季に命を差し出してほしいと頼んでいるのですよ。それなら、相応の対価を支払ってもらわないと困ります」


 私は軽い気持ちで鍛錬を見て欲しいと頼んだが、その言葉の奥深くに潜む意味にまるで眼中になかった。


 自分の時間を誰かに捧げることは、すなわち、自分の命を誰かに捧げること、ぐうの音も出ない程の正論に、息を呑んでしまう。


 その理屈を前にすると、自分の頼みがいかに軽薄で、身勝手であったかを否応なく思い知らされる。


 けれど、同時に――それでも、なお、という思いが消えなかった。


 今日の鍛錬を経て、嵐山さんのアドバイスはどれもが過不足なく的を射ていた。


 わずか二時間ほどのやりとりに過ぎないけど、自分の太刀筋が目に見えて洗練されていくのが分かった。

  

 その変化は偶然ではなく嵐山さんのお陰があったからこそだ。


 だからこそ、確信した。


 嵐山さんに鍛錬を施してもらえれば、私の実力は右肩上がりに急成長する、と。


 ――だったら、もう、尊厳でも何でも私は、強さが手に入るなら、私は!


「わかり、ました。その条件を飲みます」


 予想外だったのか、嵐山さんの目がわずかに見開かれる。


 だがその刹那、その瞳は鋭さを取り戻した。


「……それ、本気で言ってます?」


 嵐山さんの冷ややかな声色に、鍛錬で纏った身体の熱が急速に引いていく。


 私よりも華奢な体格であるはずなのに、その佇まいから滲み出る剣呑けんのんな気配は、まるで形を持たぬ重圧のように周囲の空気をわずかに歪めていた。


 細いはずの輪郭は、しかし視界の中で妙に膨張して見える。


 実際の大きさとは無関係に、その存在だけが場の比重を変えてしまっているかのようで、気づけば私は、自分よりも遥かに大きなものと向かい合っている錯覚に囚われていた。


「もし、一時の気の迷いでおっしゃったのなら、今だけ、撤回を許します」

 

 言葉には圧があった。けれど、その奥にはわずかな慈悲が潜んでいて、逃げ道の選択肢を、そっと私の足元に差し出している。


 だが私は、その誘いに応じることはなく、小さく首を振り、差し出した“退路”の切符を、自らの手で破り捨てた。


「いいえ、気の迷いではありません。本気です。強くなるためなら――尊厳などくれてやります」


 私の覚悟に嵐山さんは、何を言うわけでもなく、相も変らぬ鋭い眼差しでこちらを射抜きながら、こちらに歩み寄ってきて――








 ぱしんっ!







「え……?」


 乾いた音が空気を裂いた。


 頬に走った衝撃はあまりに唐突で、痛みよりも先に、現実感のほうが揺らいだ。


 打たれたという事実が、どこか遠い出来事のようにぼやけている。

 だが、遅れて滲み出す熱が、それを否応なく引き戻す。


 じん、とした痛みが、ここにあるのは夢ではないと告げていた。


 私は右頬に手を添え、痛みの熱を冷ましながら、わずかに息を整える。


「尊厳を四季に委ねるということは、あなたに非がなくとも、四季の機嫌ひとつで、このような理不尽が下されるということです。あなたの意思とは無関係に、唐突に」


 声はあくまで静かだった。だが、その静けさの底に沈んでいるものは、先ほどの一撃よりも、なお深く、重く、逃れようのない質量を帯びていた。


「このような理不尽がこれから先、日常として繰り返されるかもしれません。今、身をもって感じているこの不条理に、耐え難いと感じるのなら、撤回を勧めます」


 わずかな間が落ちる。


 言葉と沈黙のあいだに、見えない天秤てんびんのようなものが揺れていた。


「……これが最後です。本当に、よろしいのですか?」


 無慈悲な一撃に、心は大きく揺らいだ。


 理屈よりも先に、本能が逃げ道を探し始める。

 その隙間に差し込むようにして、嵐山さんは、尊厳を手放すということの冷酷さを、容赦なく刻み、私を退路へと誘導していく。


 尊厳を失うことで自分に降りかかるものを、彼女は最も分かりやすい形――暴力という、誰もが理解できる非人道で示した。


 数十秒が過ぎても、頬の奥ではじんじんと鈍い痛みが脈打ち続けている。

 今はまだ、彼女が完全に私の願いを受け入れたわけではないので、それ以上は何も起こらない。


 だが、もしこの先を踏み越えれば、その保証はどこにもない。


 暴力はほんの入口に過ぎずその先には、言葉にしきれない別の理不尽が待ち受けて別の角度から私の心を抉るかもしれない。


 それもこれも全て、嵐山さんの機嫌次第で運命が決まる。決まってしまう。


 ただ「はい」と肯くだけで、それらすべてが日常として降りかかる、可能性が秘めている。


 想像しただけで、身体がかすかに震えた。


 ここで引き返せば、私はいつまでたっても周囲との差は縮まらず、それでいて、憧れには決して届かなくなってしまうだろう。


 この学院を出れば、私はただの一般人に戻る。

 その先に、憧れへと続く道は残されていない。


 なのであれば、私は今、全てをかけてまでそのわずかな光に手を伸ばすのがいいのではないか?


 嵐山さんに教わったからって必ずしも憧れに届くという保証はない。


 そこあるのは可能性だけ。


 ――でも、それでも、少しでも可能性が秘めているならば、私はその可能性に全てをかけたい!


「撤回しません。強くなれるなら……憧れに届く可能性があるなら、私は――尊厳を捨てる覚悟です!」


 言い切ったあとも、視線だけは逸らさなかった。


 嵐山さんの瞳が、ゆらりと不規則に揺れた。


 内に沈めていた何かが、わずかに波立ったようにも見える。


 それと重なるように、左手が静かに持ち上がり、導かれるように右手首のミサンガへと触れると、指先で、そっと優しく撫でる。


 ためらいにも似たその動きは、すぐには言葉にならない感情をなぞっている気がした。

 

「……神崎さんは、おかしな人です。ただ、強さを求めるだけ、いや、違いますね。憧れのために全てを捨てるなんて、本当に意味が分かりません。狂っています」


 とつとつと零す言葉には先程のような冷淡さは失われ、代わりに、穏やさが押し出されていた。


 剣呑だった顔つきは、少しだけ柔和な表情になっていた。


「神崎さんの覚悟を試すとはいえ、いきなり暴力を振って申し訳ありませんでした」


「い、いえ! 私も意味深く理解してないで、軽率な頼みごとをしてしまったので、む、むしろ、喝を頂いてありがとうございます!」


「くふふ。本当に神崎さんはおかしな人です。叩いた四季の非をとがめず、それどころか、叩かれたことまでも自分の非に対する鉄槌のように受け止めてしまうなんて」


 嵐山さんはわずかに口元を緩めながら、そう零した。


「……わかりました。神崎さんの頼みごとを聞き入れましょう」


「ほんとですか! ありがとうございます!」


 嵐山さんから見事に欲しい言葉を聞くことが出来た私は、歓喜に打ちひしがれる。


「それと、今回は非道な行いをしてしまったこちらに非があるので。尊厳云々《そんげんうんぬん》は無しで、あなたの頼みごとを全面的に受け入れます」


 その言葉を聞いたとき、ハッとした。


 そういえば、尊厳云々の話をすっかり忘れていた。


 もし嵐山さんが今それを口にしなければ、この喜びの最中に、思いもよらぬ理不尽が私に降りかかっていたかもしれない。


 目の前のことに意識を奪われ、肝心な部分を見落とす――昔からの悪い癖だ。


 これを機に、少しでも改めなければと、心の中で強く言い聞かせる。


「一生懸命頑張りますので、びしびしと厳しく指導のほどよろしくお願いします――《《師匠》》!」


「し、しょ、う?」


 しまった、と思ったときにはもう遅い。

 思わず口をついて出た呼び名に、嵐山さんは戸惑いを隠せない様子だった。


「ああ、すいません! 今のは、その、言葉の綾というか……! 嵐山さんに指導していただいたせいか、なんだか弟子になった気分になってしまって……。次からは、ちゃんとお名前でお呼びしますので!」

 

 私は慌てて取り繕う。


 これまで名前で呼ぶ機会がなかったこともあり、敬語でのやり取りが続いていたせいか、いつの間にか師弟していのような関係だと錯覚してしまっていたらしい。


 慌てふためく私をよそに、嵐山さんはふっと柔らかな笑みを浮かべた。


 その表情はどこか懐かしさを帯びていて、ほんの一瞬、遠い記憶に思いをせているようにも見える。


「嵐山さん?」


 思わず声をかけると、嵐山さんは、はっと我に返ったように瞬きをし、浮かべていた笑みを静かに引っ込め、小さく咳払いをひとつ。


 それから、どこか落ち着かない様子で視線をちらちらとさせながら、こちらを見つめてくる。


「もし……よろしければ、ですが。今後も四季のことを師匠と呼んでいただけますか? その……神崎さんが、嫌でなければ……」


 言葉の端々に、かすかなためらいが滲んでいた。


 嵐山さんは、言動の一つひとつに隙がなく、常に冷静沈着。


 その印象があまりにも強く根付いているせいか、今こうして見せる控えめな遠慮や、わずかな照れが混じった仕草は意外性が伴い、そのギャップが私の心の中を萌えで埋め尽くす。


「全然嫌なんかじゃありませんよ。分かりました。では、今後とも”師匠”と呼ばせていただきますね!」


「はい、ありがとうございます。神崎さん」


 こうして、私は嵐山さん――もとい、師匠に鍛錬を施してもらえることが決定し、また一歩、私は憧れに近づいたのだった。

もしかしたら、もう一話、投稿するかもしれません。あ、でも、あくまで可能性なので、なにとぞ……

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