10話 一枚の張り紙
「あ、ひ、光ちゃん!」
寮のラウンジにある噴水付近に佇んでいた凜ちゃんは私を見つけるや否や、まるでご主人様を見つけた犬のようにこちらへと小走りで駆け寄ってきた。
「お、おはよう、ひ、光ちゃん」
私の目の前で立ち止まった凜ちゃんは、アホ毛を犬の尻尾のようにぶんぶんと揺らしながら、照れくさそうに挨拶をする。
その愛くるしさのせいで衝動的に頭を撫でてしまいそうになるも、私はその欲をぐっと抑え込む。華奢な体格に引きずられそうになるけど、凜ちゃんだって同い年の高校生。
ここで下手に頭を撫でて子供扱いすれば、凜ちゃんからのお叱りが降りかかるかもしれない。もしかしたら、身長に対してコンプレックスを抱いてるかもしれないし、そこを刺激して心の傷口に塩を塗る真似して、距離が出来るのは嫌だった。
「おはよう、凜ちゃん」
「? ひ、光ちゃん。わ、わたしの顔を見て、な、なんでニマニマしてるの? わ、わたしの顔って、そ、そんなにへ、へ変かな?」
凜ちゃんに指摘された私は思わず顔に手を当てる。
自分ではいつも通りにしてるつもりだったが、無意識下で表情が緩んでいたらしい。
ニマニマする私に、凜ちゃんは自身の顔がおかしいのかと思い込み、瞳が不安げに揺れる。あらぬ誤解が生じているようなので、私は否定の意味を込めて、首を振る。
「あ、違う違う。その、ね。凜ちゃんがあまりにも可愛くて、それで……」
「か、可愛い!?」
誤解を解くためとはいえ、面と向かって「可愛い」と言うのは、思っていた以上に気恥ずかしい。
私の言葉を受けた凜ちゃんは、弾かれたように見開いた。もともと赤かった顔がさらに深くなり、熟れたりんごのように赤くなっていた。
「か、わいい……」
凜ちゃんは小さく零してから、 同じ言葉を飴玉を転がすみたいに何度も何度も復唱した後、俯き黙りこくる。
ラウンジには私たち以外の多くの生徒がおり、楽し気な会話が行き交っていた。けれど、その喧騒から切り取られたみたいに、私たちのあいだだけは妙に静かで、それがかえって気恥ずかしささを助長させていた。
「り、凜ちゃん。そろそろ朝食に行こっか! あはは~ 私、お腹ペコペコだよ~」
「う、うん、そ、そうだね」
気恥ずかしい空気感に耐えきれず、私はわざとらしく弾んだ声で朝食に行くように凜ちゃんに呼びかける。その提案に凜ちゃんは小さく頷くと、私たちは並んで寮にある食堂へと歩みを進めた。
*
寮の食堂はバイキング形式で、色とりどりの料理がずらりと並んでいる。湯気や香りが入り混じり、食堂にいる者達の空腹を多方面から刺激してくる。その術中にはまり、私のお腹がぐ~っ、と小さく鳴った。
食事に関して三つ葉女学院では、必ずしも寮の食堂で取らなければいけないという掟はない。
自炊する者もいれば、敷地内の商業エリアで済ませる者もいる。ただ、寮の食事と違って自己負担だが。
昨日、初めて寮の料理を食したが、どの料理も絶品で、頬が落ちるくらいに美味しかった。例え、散財したとしても、この美味しさの料理が絶対に食べれる保証があるのは、それだけで、心にゆとりを持たせてくれる。
まあ、だからと言って、散財していいわけではないけど。
私はトレイに料理を取り終え、凜ちゃんと向かい合うように席に着いた。
食事を摂ろうと手を付けようとした刹那――
「神崎さん、隣よろしいですか?」
私の背後から静かな声がかかる。視線を声元のほうへと向けると、料理の品々を乗せたトレイを手に持つ師匠の姿が。
「あ、師匠。全然かまいませんよ、どうぞ」
「ありがとうございます。では、失礼して……」
断る理由もないので私は頷く。
「し、ししょ、う……!?」
私の正面から裏返った声が響く。
見ると、凜ちゃんは目を丸くしながら、水面から顔を出した魚みたいに、ぱくぱくと口を動かしていた。
遅ればせながら気づく。
凜ちゃんの前で、師匠のことを「師匠」と呼ぶのはこれが初めてだと。
友達の口から、いきなりそんな単語が飛び出してきたのだから、何事かと混乱するのも無理はない。今の凜ちゃんにとっては、状況がまるで繋がっていないはずだ。
そう思い、私は軽く息を整えると、紹介も兼ねて、昨日の経緯をかいつまんで話すことにした。
「えっと、紹介するね」
私は右手をすっと持ち上げ、まるで店員さんが来客を案内するみたいに、柔らかく手首を返した。
「こちらは、一年Cクラスの嵐山四季さん。昨日の夜、訓練所で出会ってね。その時に色々指導してもらって……それで、私の方からお願いして、今も指導を続けてもらってるの。だから、その……私にとっては、師匠って感じで……」
凜ちゃんは相変わらず目を丸くしたまま、数秒固まっていたけれど――やがて、ぱちぱちと瞬きを繰り返しながら、ようやく言葉を取り戻す。
「へ、へえ~ そうなんだ……」
口では納得したように相槌を打っているものの、その表情はどこか引きつっていて、いまいち理解しきれていないのがありありと伝わってくる。
「神崎さん、この方は?」
「あ、えっと、私のクラスメイトの水無月凜ちゃんです」
私がそう紹介すると、師匠は凜ちゃんに軽く会釈する。
「水無月さん。よろしくお願いします」
「あ、う、うん。よ、よろしく、ね」
どこかぎこちないながらも、凜ちゃんもぺこりと会釈する。
そうして挨拶を交わし終えると、私たちはそれ以上その話題に触れることもなく、朝食に手をつけたであった。
*
朝食を食べ終え、校舎に着いた私達三人は凄まじい光景が飛び込む。
「な、なんか凄い人だかりだけど何かあったのかな?」
「皆さん、掲示板を見て騒いでいるようですが」
私たちが目にしたのは、溢れんばかりの群衆。皆が皆、興奮しながら見つめる場所には掲示板がある。
皆が何に興奮しているのか気にはなるが、この人だかりの中、掲示板までの道のりを掻い潜る勇気を持ち合わせていない。
よっぽどのことがない限りは。
「みんなが何を見て興奮しているのか気になるけど、この人ごみだし後でにした方がいいかも」
「そうですね。それは懸命な判断だと思います」
「う、うん。そうだ、ね」
二人共私の意見に賛成らしく、逡巡することなく素直に首肯する。
私達は皆が興奮している様子を横目に、通り過ぎる――
「え、この内容マジ!? 神崎雫先輩のパートナー選抜が行われるの!?」
その内容が耳に届いた刹那、私の足は歩みを止めた。
「ひ、光ちゃん?」
「神崎さん?」
急に歩みを止めた私に二人共、眉を顰める。
「ごめん、凜ちゃん。師匠。私、やっぱり気になるから、先に行ってて」
「あ、光ちゃん!」 「神崎さん!」
私の名前を叫ぶ凜ちゃんと師匠に目もくれず、一目散に人ごみの海に飛び込んだ。
「ぐっ、ぐるじい……」
飛び込んで早々、前途多難だった。
目的地は明確なのに、私の身体はそれに相反して、右往左往と彷徨っていた。
身体のあちこちが押しつぶされたり、他の人の肩や肘が身体や顔に当たり鈍い衝撃が迸ったり、足を踏みつぶされたり、と災難の連続で。
それでも私は荒波に抗い、ゆっくりと一歩ずつ目的地までの距離を縮めていき――
「っ、ぷは!」
ついには海底から這い上がり、私は盛大に息を吸い、呼吸を整える。
顔を上げた先、一枚の用紙が目に飛び込んだ。そこには達筆な文字で、
”白雪雫のパートナー選抜のお知らせ”
と見出しにデカデカと、こう書かれていた。
急いで詳細を眺めたいが、この人だかりではじっくりと内容を咀嚼することが困難だと思い、ポケットから自分のスマホを取り出し、パシャリと一枚。
画面をのぞき込み綺麗に撮れていることを確認した私は、再び身を荒波へと投じた。
行きの経験が活きたのか、帰りはすんなりで、気づけば私の全身は新鮮な空気に触れていた。
「ひ、光ちゃん。だ、大丈夫!?」
荒波から生還した私に凜ちゃんは心配そうに駆け寄ってくる。
目はほんのり赤く、目頭には少しだけ涙が浮かんでいた。
「もう、水無月さん過剰に心配しすぎですって。ただ人ごみの中に身を投じただけなんですから」
凜ちゃんの心配性に師匠は呆れたため息を零す。
その表情は疲労が蓄積されたように少しやつれていた。
「神崎さん、あなたのお友達、心配性が過ぎます。ずっと子供みたいにあわあわして、と思ったら、急に泣き出すし、正直、対応に困りましたよ。はあ」
私が荒波にもまれている間に、二人の方も色々とあったみたいだった。
私が飛び出したせいで、凜ちゃんには心配かけ、師匠はそんな凜ちゃんの心のケアに疲労困憊気味になってしまっていた。
「師匠、凜ちゃん。ごめんなさい、私のせいで、二人に迷惑をかけてしまって……」
「四季的には、水無月さんからその言葉が欲しいですがね。水無月さんが取り乱したりさえ無ければ、四季も疲労一つもせずに済んだのですから」
師匠は凜ちゃんを猫のように訝しげに睨みつける。
その強い視線に凜ちゃんはびくっと肩を震わせ、私の後ろへとそそくさと身を隠す。
「あ、あ、あの、えっと……その……ご、ごめん、な、さい」
「そんな身を潜めながら言われても誠意が伝わりませんよ。謝罪するなら、ちゃんと――」
「し、師匠! あ、あまり凜ちゃんを責めない上げてください。もともとは私が飛び出しのが原因です。なので、責めるなら私にしてください」
二人の溝が深まるのを危惧した私は、慌てて割って入った。
これ以上、凜ちゃんが責められるのを見過ごすわけにはいかなかった。
さっきも言った通り、私の愚行のせいで、凜ちゃんにも師匠にも迷惑をかけてしまった自負がある。
だから、根本的に責められるべきなのは、私だけだ。
「はあ、もういいです。こんなことにエネルギーを使うのもバカらしくなってきたので、この件は水に流します。水無月さん、人には性格があるので、仕方ない部分もありますが、それでも、感謝とか謝罪とかはしっかりできた方がいいと思います。人として」
師匠は凜ちゃんを諭すような言い方で人としての教養を伝える。
それを受けた凜ちゃんは落ち込むように顔を俯かせた。
その様子を見た嵐山さんは、やれやれと言う風にため息を吐くと、視線を私に向ける。
「では、神崎さん。四季は先に教室に向かいます。夕食後の鍛錬で会いましょう」
「あ、はい、師匠。その、迷惑かけて本当にすみませんでした」
「もう十分に神崎さんの謝罪は頂けたので、もう結構ですよ。それに、憧れの人の話題なら気が引いてしまっても仕方ないですから」
師匠はそう言って私達に背を向ける。
「さて、四季は行きます。神崎さん夕食後に、また」
「はい、また」
別れの挨拶をした師匠は、私たちの前から去って行った。
「凜ちゃんごめんね、私のせいで色々……」
師匠が去ったことを機に私は傍にいる凜ちゃんに改めてもう一度、謝罪をする。
「あ、う、ううん。そ、そんなことは……」
凜ちゃんはそういうものの、声に覇気はない。
おそらく、師匠に言われたことが尾を引いている違いない。
「あ……」
何とか元気づけようと頭で考えるよりも先に私の右手は勝手に凜ちゃんの頭を撫でていた。
「え、えへへ~、ひ、ひか、りちゃん……えへへ~」
撫でられている凜ちゃんは、気持ちよさそうに頬が緩み切っている。
そこから、私に抱き着くと、顔を私のお腹辺りに埋め、甘えるように身体を預ける。
どうやら、凜ちゃんの元気は回復したらしく、甘える凜ちゃんの姿があまりにも愛らしく、私は思わず笑みが零れる。
「さて、凜ちゃん、私達もそろそろ――って凜ちゃん?」
「ま、まだ、ひ、光ちゃんに、撫でてもら、いたい。だめ、かな」
「っ!?」
凜ちゃんは上目遣いで私にそうおねだりする。
その破壊力に、その反則級の愛らしさに、私は脳に電撃が走ったような衝撃が走る。
――か、可愛すぎる!!
「だ、ダメじゃない。わ、分かったよ。凜ちゃんが満足するまで、いいよ!」
「え、えへへ~ ひ、光ちゃん。だ、大好き~」
凜ちゃんは甘え声でそう言って、さらに、ぎゅ~っと私にしがみつく。
私は、もう一度、凜ちゃんの髪に手を乗せて、なでなでを開始。
手に伝わる凜ちゃんの髪は、さらさらふわふわしていて、凄く心地いい。それは、もう、ずっと撫でていたいくらいに。
そうして、私たちは騒がしい空間の中、人目も気にすることなく、各々の欲求を堪能するのであった。




