2話 再会と初めての友達
私は、その声にそっと手を引かれるように、ゆっくりと顔を上げる。
そこには天使がいた。
絹のように長い黒髪を携え、こちらを見つめる黒い瞳は優しく温かい。輪郭は綺麗な卵型で、白い肌が春の陽光に反射して、煌めいている。
トレーニング後なのか、一筋の雫が首筋に沿って流れ落ち、紺色のジャージ服の裏側へと姿を消す。
「し、ずく、さん……?」
かすれる声で名前を呼ぶと、彼女はわずかに目を細め、やわらかな微笑みを浮かべる。
「私のこと、覚えていてくれたんだ」
「忘れるはず、ありません」
そう、忘れるはずがない。
命を救われた恩人――それだけではない。半年前のあの日からずっと、雫さんは私の胸の奥で静かに輝き続ける、”憧れ”そのものなのだから。
「ふふふ、ありがとう。それにしても、たった半年しか経ってないのに、光ちゃんったらまた一段と可愛くなって」
「ふえ!? か、かわいい!?」
不意にかけられた言葉に、私は理解が追いつくより先に、顔の温度が一気に跳ね上がった。
きっと今の私の顔はリンゴのように赤くなっているに違いない。
憧れの人からストレートに『可愛い』と告げられて、嬉しくならない人なんているはずもない。少なくとも、私は口元が緩みそうになっていた。
ただ、それを表に出すことはしたくなかった。
だって、そんなみっともない姿を憧れの人に晒すわけにはいかないから。
「し、雫さんも、えっと、半年前よりも、大人っぽくなって、さらに美しさに磨きかかったというか、かっこよくなったというか……」
私は意識を誤魔化すために、雫さんの容姿を褒め称える。
しかし、さっき受け取った言葉がまだ熱を持っているせいで、思考がかき乱されてしまい、伝えたいことを上手く形にならず、途切れ途切れになってしまう。
「ふふ、ありがとう」
しどろもどろの私の言葉を、雫さんはバカにしたり、からかったりすることなく、真っ直ぐに受け取ってくれる。
「光ちゃん、髪伸ばしてるんだね。あの時はショートだったから、声をかけるとき、ドキドキしたよ。人違いだったらどうしようって」
「そこまで覚えているんですか!?」
思わず声が裏返る。
たった一度の出会いだ。
それも雫さんに至っては、私以外にも数えきれないほどの窮地を救い、多くの人と関わってきてはずだ。
そんな中で、私の顔も名前も、ひいては髪型まで覚えているなんて――とんでもない記憶力だ。
「助けた人と今まで会話こそあれど、自己紹介なんてしたことがなかったから、ちょっと新鮮でね。だから、光ちゃんのことは印象に残ってたんだ」
「そ、そうだったんですか……!」
ゴーストとの戦闘後に、雫さんに名前を聞いたことが、幸運にも印象付ける決定打になっていたらしい。
あの時に勇気を出してほんとによかったと心の底から思う。
――よくやった、私!
「なんか、光ちゃん凄く嬉しそうだね?」
「はい! だって憧れの人に私を覚えていてくれていたんですから!」
さっきまでみっともない姿を晒けだすのを躊躇していた私はどこへやら。
覚えていてくれた喜びが堰を切ったようにあふれ出し、自制が効かなくなっていた。
「憧れ? 光ちゃんは、私に憧れてるの?」
「はい! 半年前、雫さんの戦いを見て、それで……ここに入学したのも、そのお、雫さんに憧れて。それで、その……」
私は自身の黒い髪をくるくると指で巻きつけながら、言葉を続ける。
「髪を伸ばし始めたのも、少しでも雫さんに近づけたって、そう実感したくて……」
「……そう、なんだ」
雫さんの歯切れの悪い返事を聞いた私は、ふと顔を上げる。そこに映るのは表情が曇る雫さんの顔が。
「あ……、わ、私……!」
それに気づいた私は、今の発言を頭の中でなぞり、ようやく自分がどれほど気持ち悪いことを口走っていたことに遅らばせながら気がつく。
私は、羞恥と後悔が一気にのしかかり、息が詰まりそうになる。
「ご、ごご、ごめんなさい! 私、凄く変な事口走りましたよね! えっと、その、あの……! そ、それじゃあ、わ、私、入学式があるので、そ、その、失礼しまああああす!」
「え、あ……!」
完全にパニック状態に陥った私は早口でまくしたてて、雫さんの返事を待つ前に脱兎のごとく退散するのであった。
*
「うぅ……雫さんに絶対変なやつだと思われたよお」
つい先ほどのやり取りが、何度も頭の中で繰り返される。そのたびに胸の奥がじわりと羞恥を帯び、私は一人、小さく身悶える。
「次、雫さんと会ったらどんな顔をしたらいいんだろう……」
投げかけた言葉に返事があるはずもなく、空気に溶けて消えていく。もしも時間を巻き戻せたなら――
そんな叶いもしない"たられば"に縋りながら、私はしばらく後悔の底でもがいていた。
やがて、逃げ場のない現実に観念して、「はあ」とため息を吐く。
「それにしても……えへへ、こんな初日に雫さんと再会できるなんて運がよかったなあ」
三つ葉女学院は全寮制だ。
いずれ再会する日が来るだろうと思っていたけれど、それが入学初日だなんて、さすがに予想外だった。
半年前よりも大人びた雫さんは、その魅力も相まって、また一段階、美しさが磨きかかっていた。
半年前でも十分な美しさだったのに、まだ美しさを磨けれる余地があるなんて、人間という種族の秘めたる凄さに感銘するばかりだ。
また次、会えたら今度はたくさんお話したいな、と思いつつ、別れの仕方があれだったから、まずは私の印象を正すところから始めないと、私の心が持たない。
「次、雫さんと話す機会があれば、今度はまともな自分でいるようにするぞ!」
私はぐっ! と、小さく握り拳を作りながら、自分に決意表明を課した。
「あ、あのお……」
「ひゃ、ひゃい!?」
完全に思考の底へ沈んでいた私は、不意に背後から差し込んだ声に、心臓がドクン! と跳ねた。
「いいきなり、は、話しかけて、す、すす、すみ、ません……!」
私の耳に届くその声は、まるで風に揺れる葉が触れ合うように、か細く震えていた。
声の主の方へと振り向くと、身を縮こませるように肩をすくめた茶髪の少女が申し訳なさそうに眉を下げていた。
「う、ううん。えっと、私に何か御用ですか?」
「え、えっと、そのお、と、隣の席、あ、空いてますか?」
少女は左右の指を互いにちょんちょんと当てながら、恐る恐る聞いてくる。私はちらっと横を見て、誰も座っていないことを確認。
「はい、空いてますよ」
「よ、よろしければ、と、隣、い、良いですか?」
「あ、はい、いいですよ」
そう言って私は少女が通りやすいように、椅子から立ち上がる。
座面が自動的に跳ね上がり、少女一人が通るには余裕な幅が確保された。立ち上がると少女の小柄さがより顕著に現れた。
私自身が身長、百五十センチほどに対して、茶髪の少女は、私の約頭一つ分低く、子犬のような小動物然とした愛らしさがあった。
「あ、ありがとう、ございます」
少女は頭を下げてお礼を言い、私の隣の席へと腰を落ち着かせた。少女に倣い私も席に着く。
考え事に没頭していた為、周りの状況を見てなかったが、講堂内には、百を優に超える新入生たちが集結していた。
講堂内は広大で、幾列にも連なる座席が視界の奥まで続いている。正確な数は分からないが、目測でも千は下らないだろう。
三つ葉女学院に入学する生徒数は年によって多少の差はあるものの、おおよそ二百人前後と聞く。今年も例外ではないはずだ。
それだけの人数であれば、この講堂において座席が不足することなどあり得ない。むしろ、二席、三席と間隔を空けたとしても、なお余裕が残るほどだ。
にもかかわらず、新入生たちは示し合わせたかのように左右の列へは足を向けず、中央の列へと集まっている。
彼女たちが左右の列に座らない理由は、いたって単純だ。
この室内へ入る前、入口脇に置かれていた座席案内図――その中央列にだけ、あらかじめ印が付けられていたのである。おそらくは、中央のステージを最も見やすい位置へと導くための、学院側の配慮なのだろう。
中央列だけでも、詰めれば余裕で、新入生全員が収まるほどの座席数はある。
ただ、入学初日ということもあってか、多くは一人で座り、自身のテリトリーを誇示するかのように一席、あるいはそれ以上の間隔を空けて腰を落ち着かせていた。
その結果、空席は点在しているにもかかわらず、どこか満たされたような、不思議な密度が空間に生まれていた。
三つ葉女学院の制服は白を基調としているため、様相が深い赤で染められているこの講堂内には良く映えていた。それはまさに、紅一点ならぬ、白一点のようであった。
――魔法少女キズナ!
講堂内の様子をそれとなく観察していた私の耳に、はつらつとした元気のよい声が届いた。
隣を見ると、茶髪の少女が慌てた様子で携帯の音量を調節していた。
幸いにも、音量はかなり小さめだったため、周囲の人たちの耳には届いてないようだった――私を除いて。
少女は携帯を胸に抱え、肩をすくめるようにして恐る恐る周囲を見渡す。
やがて、その視線が私とぶつかった。
「っ!? あ、あああ、あの、あのあの」
少女は慌てふためくあまり思考がまとまらず、壊れた機械のように、同じ言葉を繰り返す。
「っ~」
にっちもさっちもいかなくなった少女は、最終的に顔を真っ赤にし、両手に持つ携帯電話を盾にして、一生懸命に顔を隠す。
――か、かわいい!
少女の一挙一動があまりにも愛らしくて、私の中の母性本能をくすぐってくる。
「えっと、魔法少女キズナ、好きなの?」
「ふえ? あ、えっと、それは、そのお……」
少女は言い淀みながら瞳を右往左往と動かすと、何かと葛藤するように眉間に皺を寄せながら、ぎゅっと目を瞑った。
そこから、少女は唇をプルプル震わせるだけでそれ以上の言葉はなかった。
てっきり好きなのかと思ったのだが、どうも違うかったらしく、気まずい沈黙が二人の間に流れる。
「ご、ごめんね。てっきり好きなのかと思って、今の忘れて」
気まずくなった私は少女に今の質問を忘れるように促す。
私はこの空気から、いち早く脱したい思いで、携帯を取り出して、曲を聞こうと行動する――
「あ、あの……!」
よりも先に、隣から声が飛んでくる。
私は視線をブレザーのポケットから取り出した携帯から、少女へと移す。
私と目が合った少女は、恥ずかしそうに顔を少し俯かせ、茶色の瞳をきょろきょろと何度か動かす。
携帯を持つ両手に力を込めて、抱える緊張を放出し。やがて、意を決したのか、上目遣いで私を見つめながら、
「ま、まほ、う、しょ、少女、き、キズナ、す、好き……なんで、すか?」
と先程、私が少女にした質問を逆に今度は少女から私に向けられた。
「えっと……私は昨日のリメイク版の第一話が初めてだったんだけど、戦闘もストーリーも映像も凄くて、一話しか見てないけどハマっちゃって、公式のSNSもフォローしちゃった……て、あはは、ごめんね、好きかどうかの質問なのに、一人で脱線して語っちゃって」
今更ながらに恥ずかしくなってきた。
魔法少女キズナは、二千九十年、五月頃(私は当時四歳)に初めて放送が開始され、二千百二年に完結した作品。
国民的子供向けアニメで、当然、子供にとても人気があった。
しかし、それ以上に大人にも人気で、グッズなどが販売されたときは、店内には子供よりも大人の割合を占めていたというほどで、放送が終了しても、魔法少女キズナの人気は衰えることなかったという。
――完結から時が経ち。
昨日――二千百十五年、四月七日にリメイク版が放送され、SNSは熱狂に包まれた。
だが、その熱の理由はアニメ本編だけでなく、主題歌もその一端であった。
それを担当したのは、国民的アイドルグループ――『ginios』
この名前が火に油を注いだ。
作品を知らなかった人間ですら、『ジーニアスが主題歌なら』と視聴し、そのまま沼に落ちていく。そんな投稿を、私は何度も目にした。
実を言うと私もそのタイプだった。
私は五歳の頃からジーニアスのファンで、これを機に軽い気持ちで魔法少女キズナを見てみたら、気づけばこのアニメの沼にどっぷりと浸かってしまっていた。
「ぼー」
茶髪の少女は呆けたようにぼーっとしていた。
――しまった。つい楽しくて、勢い任せで語りすぎた。
「ご、ごめんね。ぺらぺらと。な、何言ってるか分からなかったよね!」
「あ……い、いえ。ち、違うんです。そ、その……さ、さっきは、はぐらかしちゃったんですけど、わ、わたしも魔法少女キズナが、す、好きで、今の話凄く分かるなって思って」
「そ、そうなんだあ。よかったあ」
あっけにとられていた理由を聞いた私はほっと一息を吐く。幸いにも気まずい空気が流れる事態は阻止できたようだった。
「そ、それで、そのお、よよかったら、入学式が始まるまで、い、一緒にま、魔法少女キズナについて、か、語り合いたいでしゅ! あ……っ~」
茶髪の少女は最後の最後で噛んだせいで、恥ずかしくて悶えていた。
「かわいい……」
「ふぇ?」
「あ、ううん。何でもない、こっちの話だから気にしないで」
可愛さのあまり無意識にこぼれた言葉を、自分で慌てて蓋をした後、私は、わざとらしく、こほん! っと咳ばらいをする。
「あ、そうだ! 自己紹介、自己紹介がまだだったよね? 私、神崎光。気軽に光って呼んで」
「あ、はい。わ、わたし、は、水無月凜ってい、言います。わ、わたしも、凜って呼んでくれたら、それで」
「うん。分かった。よろしくね、凜ちゃん。後、同じ一年生なんだし、敬語は不要だよ」
「あ、う、うん。わ、わかった……よ。ひ、ひか、り、ちゃん」
こうして入学初日に友達が出来たことで学院生活を好スタートで切ることに成功した私は、入学式が始まるまで凜ちゃんと仲良く魔法少女キズナについて語っていた。
その時突然、講堂内に、ブー!! っと警報のような音が鳴り響いた。
いよいよ入学式が、そして、私の学院生活が幕を開けようとしていた。




