エピローグ
本日、四つ目の投稿になります。
森の外、少し開けた場所に呆然と座り込む男たちの姿があった。
森に足を踏み入れ、地面に引きずり込まれた者たちだ。
彼らは皆、なぜ自分がここにいるのか理解できず、キツネにでもつままれたような面持ちで座り込んでいる。
そんな彼らの姿を見つめる二対の目があった。
男たちがいる場所からは距離のある森の中、最も背の高い木のてっぺんで、二人はその様子を見下ろしていた。
そのうちの一人、赤いドゴール帽を被った小男がつぶやいた。
「殺さなかったんだな」
「殺せとは言われてないからな」
それに応えたのはスラリとした男性だ。
はじめ、地上に立ったとき、他の選択肢はなかった。
森がある程度ととのった今、別の選択ができた。
無闇に奪うのは、彼らの性質からはかけ離れている。だから、そうしたまでのことだ。
グリードは、隣に立つ青年の横顔を眩しそうに見上げた。
「今、ここにいるのがアンタらでよかったよ」
多分、アイツらならそう言うね、と囁く。
グリードが言う“アイツら”とは、奥にいる連中のことだろうか。
「だったら端から、こんなことにならないようにして欲しかったよ」
そう言って、ニースが向けた視線の先には、大きな木があった。その下には、ここへあがったとき、やむなく手にかけた村の人たちが眠っている。
隣からキシシという乾いた笑い声が聞こえた。
ニースは眼だけをグリードに向ける。
「下に戻るのか?」
「うーん。まあ、こっちの事もひと段落したし。とりあえずな」
グリードはそう言うと、さっさと木を降り始める。
その途中でぴたりと止まると、ニースのことを見上げてきた。
「まあ悪かったよ。謝ってすむもんでもないけどな」
文句はちゃんと伝えておいてやると言われ、ニースは慌てて余計なことはするなと返しておいた。グリードはわかったんだかわかってないんだか、その白い歯をのぞかせると、手をひらひらと振って行ってしまった。
一人、木のてっぺんに残ったニースは、あらためて地上を見る。
これで全てが終わったとは到底思えない。
塔の立った場所が場所だけに、今後も色々とあるだろう。
それでも、と思う。
地上に人がいる以上、折り合いはつけていかなければならない。
その辺のことは、奥の連中も心得ているだろうから、どうするかは自然と決まっていくだろう。
「穏便にすめばいいな――」
最初にやらかしている手前、それは限りなく難しいように思う。
それでも、双方が望むなら、叶うことだとも。
ニースは地上に満ちる陽光に目を細くした。
* * * * *
「――私、思うんだけどさあ」
地上の者たちを追い返した翌日――カンナ、ヴァイオレット、カリムの三名は森の中にある地上の家で過ごしていた。
カンナたちは今、お昼を食べ終え、食後のお茶を楽しんでいる。
「カリムが仇を討つっていうなら、私にじゃないの?」
カンナたちが地上にあがったとき、カリムのそばにいた男を手にかけた。カリムに親がいるとするなら、あれがそうだったのではないだろうか。
そんなカンナの話を、テーブルを挟んだ向かい側にいる二人は全く聞いていなかった。
片や、少年の上衣を剥ぎ取ろうとする少女。
片や、それをなんとか阻止すべく、必死で抵抗する少年。
まだお日様も中天に鎮座しているこの時間――とはいっても、森の木立が邪魔をして、陽の光は全く届いてはいないのだけど。この状況だけ切り取れば、ヴァイオレットはまごうことなき痴女だった。
「カンナ!」
衣服を剥ぎ取られそうになっている少年が、うっすら涙目になりながら、カンナの名前を呼んでいる。その顔から、助けてほしいと訴えているようだ。
こういうとき、言葉が通じないのは痛い。
せめて何をするか説明できれば、少年もまだ納得するのではなかろうか。
カンナは、楽しそうにカリムの服を引っ張るヴァイオレットと、真っ赤になったカリムの顔を見比べた。
「うん。まあ、助けてあげたいのはやまやまなんだけど……」
ヴァイオレットがしようとしていることを考えたら、ここはひとつ、カリムに耐えてもらうしかない。
カンナは椅子から腰を上げると、少年の背後に回り込んだ。
一瞬、希望に満ちた目をした少年だったが、すぐに絶望の色へと変わる。
「ゆるしてね、カリム」
カンナは一言だけそう告げると、少年の上衣をはぎとって、逃げられないよう羽交い絞めにした。
これでカンナも共犯である。痴女が確定した瞬間だった。
カリムは助けがないことを悟り、声にならない悲鳴をあげた。
「ちょっと、ヴァイオレット。やるんならさっさとしてくれない? なんか、とってもいたたまれないんだけど……」
腕の中で暴れるカリムを固定しつつ、顔をしかめる。このままだとあらぬ扉を開けてしまいそうだ。しかし、“常識人”を自負するカンナとしては、全力で拒否したい。
ヴァイオレットはひとつ頷くと、カリムの胸元、心臓のある辺りに口づけた。
カリムはその状況に、激しく動揺したらしい。
ひときわ大きく声をあげると、魂が抜けたようにぐったりしてしまった。
「うわあ……ちょっと、大丈夫かな? 生きてる?」
カリムのその様子に、さすがに少し罪悪感が芽生える。
カリムの胸元に顔を埋めていたヴァイオレットが、そっと少年から口を放した。
そこに現れた彼女の印。それを見たヴァイオレットが満足そうに目を細めた。
「うん、うん、きれいについたー」
なんだかちょっと前にも聞いたセリフである。前回よりも嬉しそうに聞こえるのは気のせいだろうか。カンナも上から覗き込むようにして確認した。
少年の肌に、くっきりと、スミレの花が咲いている。
昼日中から少年の服を剥ぎ取った理由がコレだった。
「ここなら、服着ちゃえば見えないでしょ?」
ドヤ顔で見上げてくるヴァイオレットに苦笑を返すと、カンナは手早くカリムに服を着せ、ねぎらうように少年の頭をぽんぽんとなでた。そのままにしておくのは、あまりに少年が気の毒だ。
そうして改めてカリムを見れば、ヴァイオレットが刻んだ印は服に隠れて見えなくなっている。
カンナはカリムの肩に手を置くと、すっかり魂の抜けてしまった少年を椅子に座らせた。
「目立たない場所っていうんだったら、額とかでもよかったんじゃないの? 布でも巻けば見えないじゃない」
そうカンナが言えば、ヴァイオレットは可愛らしく首を傾げた。
「布が外れたら見えちゃうでしょ? それに、巻けないような状況だったら、どうしようもないし……」
それはそうだが、憔悴しきったこの少年の姿を見ていると、そこでなくともよかったのではないかという気がしてくる。
なんでこんなことになっているかと言えば、カリムがここに残ることを決めたからだった。
あのあと。ヴァイオレットが一旦、森の外までカリムを連れて行くところを、カンナは見ていた。
てっきり、ヴァイオレット一人で戻ってくるかと思っていたのに、その隣にはカリムがいた。二人の手が互いに離れないよう、しっかり繫がれていたから、そういうことかとカンナは何も聞かなかった。
そしてつい先程のやりとりである。二人が戻って来てからすぐ、カリムの頬にあった印が消えていることには気がついていた。食事中、それとなくヴァイオレットに話を振ったところ、ここから出て行くんだったらもう必要ないだろうからと、消してしまったのだと説明された。
「やっぱりつけ直した方がいいかなあ」
フォークを振り振り、ヴァイオレットが聞いてきた。
「そりゃあね。そろそろモルタヴォールトから誰か来るだろうし。しばらくは地上の人たちと揉めるだろうし……。カリムの安全を考えたら、ないよりかはあった方がいいでしょ」
そこで、前回同様、頬にでもつけ直せばいいとカンナは思ったが、ヴァイオレットがそれを拒んだ。
新しくつけるなら、目立たない場所がいいと言って。
ヴァイオレットは、カリムが連れ去られたときのことを引き合いに出してきた。
そうでなくとも、今後、カリムが自らの意志で地上に行くこともあるかもしれない。そうなったとき、目立つところに印があれば、いらぬ誤解を招くかもしれないから、と。
それに、モルタヴォールトの住人であれば、印が見えずとも、その気配は感じ取れる。であれば、見えない場所にあった方が何かと都合がいいのではないか、ということだった。
しかし、カリムに印をつけ直したヴァイオレットの楽しそうな様子を見るに、そこにつけたのはそれだけが理由ではないような気がした。
――絶対、面白がっている。カンナは確信した。
ヴァイオレットが少年の髪を梳く。
その眼に宿るものがなんであるか、カンナはうっすら気づいていたけれど、あえて指摘はしなかった。
当面の問題は――お邪魔虫であろう自分は、気を利かして塔で過ごすのか。それとも、しばらくはヴァイオレットが暴走しないように、お目付け役として二人のそばで過ごすのか――。
「まさかこんなことに気をもむ日が来ようとは……」
「ん? 何か言った?」
「なんでもない」
まあ、少年がもう少し大きくなるまで、二人の時間をせいぜい邪魔してやろう。
カンナはこっそりそう決意すると、その目元を綻ばせた。
完結です。ここまで読んでいただき、ありがとうございました。