女たち
「いいぞ、こっちだ」
誰もいない夜の庭を三つの陰がよぎる。
先頭を行くのはグリードだ。この暗闇の中だというのに、進める歩に淀みがない。そのあとをカリムが追い、更にその後ろから、髭の小男がついて来ていた。
邸の庭には辺りを照らす灯りのようなものはなく、前を行くグリードの輪郭が、闇にぼやけて判然としない。
明るいところであれば、難なくついていけそうな早さなのに、こう暗いとそれも難しい。カリムは遅れないようにと懸命に足を動かした。
そうして歩き出してから間もなく――突然、グリードが足を止めた。
そのことに気づかず、カリムはぶつかりそうになる。ぶつからずにすんだのは、後ろを歩いていた髭の小男が寸前で止めてくれたからだ。
「すみません」
「気を付けろ」
髭の小男が鼻を鳴らした。それを見たグリードから、笑うような気配が伝わってくる。
「お優しいこって」
「うるさいっ」
グリードはひとしきり髭の小男をからかうと、前方を指差した。
「こいつでいいか?」
カリムはグリードが示した方に視線を向けると、目をこらした。
ようやく慣れてきたのか、一台の荷馬車がカリムの目に映る。幌が張られたその荷馬車には、まだ馬はつながれていなかった。
「最初に話した通り、送ってやれるのはここまでだ」
悪いな、とグリードがささやく。
「いえ、助かりました」
カリムはお礼を言うと、馬車の荷台へよじ登った。そこには所狭しと木箱が積み上げられていた。真っ暗で、何が入っているかまでは確認できない。カリムは身を隠せるような場所はないかと、奥の方を覗き込んだ。
「待て待て! 帽子は返せ!」
グリードの慌てた声に、カリムは未だ帽子を被ったままであることに気がついた。身体を荷台のへりに寄せ、帽子を脱ぐ。
すると、被ったときと同じように、強い眩暈がカリムを襲った。「あっ」と思う間もなく身体が傾ぐ。そこを、予期していたのかグリードが支えた。そうでなければ、荷台から転げ落ちていたところだ。
カリムはグリードの肩に身体を預け、眩暈が収まるのを待った。
「***か?」
「大丈夫です」
グリードの気遣うような声音に、平気なところを見せようと、グリードに掴まりながら上体を起こす。
微かに揺らぐ視界を制し、カリムは手にした帽子をグリードに渡した。
帽子を受け取ったグリードは、カリムの身体に添えていた手をそっと放す。ふらつく様子のない少年を見て、その両肩を軽く叩いた。
グリードは荷台から離れると、少年に短く声をかけた。
しかし、やはりというべきか。帽子を脱いでしまったカリムには、その言葉の内容は聞き取れなかった。しかし、ニュアンスは伝わってくる。カリムには、グリードが「じゃあな」と言ったように聞こえた。だから、カリムもグリードの言葉を真似て返した。
――あれ? 間違えたかな。
グリードの驚いた顔に、一瞬、不安になったカリムだったが、どうやらあっていたらしい。グリードは白い歯をのぞかせると、ひらひらと手を振って闇に溶けていった。
カリムは二人の姿が見えなくなるまで見送ると、今度こそ、その身を荷台の奥――木箱の隙間へと滑り込ませた。
* * * * *
「カーくん、そっちはいいから、こっちに来て、先にご飯食べちゃいな」
「はあーい」
あれから、三度目の夜を迎えた。
川から水を汲み、大きな寸胴に布を被せ、水を濾過していたカリムはその手を止めた。一緒に作業していた女たちが、華やいだ声をかけてくる。
「いってらっしゃーい」
「あとはやっておくから、ゆっくり食べておいで」
「食べ終わったら、また手伝ってねえ」
カリムは彼女たちの折り重なる声にうなずくと、声のした方へと足を向けた。
――結局。
カリムは荷馬車に乗り込んだ、その日の夕刻には見つかってしまった。
身を隠した荷馬車には、芋や寸胴、食器などが積み込まれていたらしい。
配食担当の女たちが積み荷を降ろそうとしたところ、その隙間に挟まるようにして寝ていたカリムを見つけたのだ。
村を出てから一日の距離。
てっきりイエーガーの邸に戻されると思ったカリムだったが、そんなことにはならなかった。
というのも――……。
「お父さんのために偉いわねえ」
「……えっと」
「まだこんなに小さいのに」
「はあ」
彼女たちの“話し好き”がいかんなく発揮され、そこに“妄想力”が加わり、瞬く間にカリムの身上が組み立てられてしまったからだ。
思えば、カリムが住んでいた村の女たちも“おしゃべり”が大好きだった。頻度こそ稀であったが、一度つかまると、とにかく長い。
一人につかまった時でさえそうなのに、小人数に囲まれたらどうなるか。自明の理というやつである。
「亡くなったお母さんの代わりに、ついてくるなんてねえ」
もちろんカリムはそんなこと、一言も口にしていない。
「あらあ? でも、お父さん、ちっとも顔見せないわねぇ」
「こんな小さな子に従軍させたってんで、怒られたくないんじゃないの?」
「怒られたくないって……子供かっ!?」
女たちがどっと笑う。この状況で口を挟めるほど、カリムの肝は据わっていなかった。
止める者がいないため、彼女たちのおしゃべりは止まるところを知らない。
「あっ、もしかして、お父さんじゃなくてお兄さん!?」
どうやら“子供”からの連想で、今回の出征に参加しているのは、カリムの父ではなく、兄ということになったらしい。
「ああ」
「じゃあ……」
そこでなぜか、彼女たちの視線がカリムに集まった。
「お兄さんのことが心配で、黙ってこっそりついてきたのね」
「えっ?」
「だから、あんなところに隠れるように紛れ込んで――……」
そこで、その場にいた女たちの声が重なった。
「なんてけなげっ!!」
「ええ……と?」
どこから訂正したものか。いや、そもそも訂正していいものか。困ったカリムの眉がハの字を描く。
それを見た女たちは、さらに勘違い――という名の妄想――を加速していった。
「いいの! わかってるからっ!」
「見つかったら帰されちゃうものね!」
「お姉さんたち、秘密は守るわっ!!」
拳を握った女たちは「うんうん」とうなずき合っている。
確かに帰されたくはなかったが、その理由は彼女たちが考えていることから、随分とかけ離れていた。しかし、イエーガーの邸に戻されなければなんでもいいと思ったカリムは、曖昧にうなずいておく。
「そういえば、キミ、名前は?」
はたと気付いた女の一人が訊いてきたので、「カ――」リムですと答えようとしたら、別の女に遮られた。
「ダメよ! だめだめ!」
何がどう駄目なのか。カリムが口をパクパクさせていると、さらに別の女が神妙な顔つきで口元に手を当てた。
「あっ、そうか! うっかり名前で呼んだりしたら、キミがいること、お兄さんにバレちゃうかもしれないもんね!」
「そうよ! そうよ!」
女たちが声を揃えて同意する。
げに恐るべき、彼女たちの雰囲気トーク。
カリムは全然しゃべっていないのに、すっかり話ができあがってしまっている。
そうして気づけば、「カーくん」という呼び名まで、しっかり定着したのだった。
次回の更新は、2/26㈫の予定です。




