目前
カリムは声のした場所までやってくると、辺りを見回した。
そこはすでに多くの人でごった返している。その中から目的の人物を見つけると、人をかき分けてそばに寄った。
「エマさん」
カリムに“エマ”と呼ばれた恰幅のいいその女は、鍋の前でスープを配っていた。
「今日はなんですか?」
「豆のスープだよ。コンフィがあったから、それに豆と水を足して煮込んだんだ」
エマはそう言うと、おたまで器によそう。
「コンフィ?」なんだかわからず尋ねれば、エマが手を休めることもなく答えてくれた。
「要は肉と脂だね。それ自体にハーブと塩で味が付けてあるから、適当に具材と炒めて水を足して沸かせば、スープの出来上がりさ」
「熱いから気を付けな」と、器を差し出しながら説明してくれる。カリムはなるほど、とうなずくと、湯気の立った器を受け取った。
エマの元には、あとからあとから食事欲しさに人が押し寄せる。
カリムは邪魔にならないよう、後ろにいた人に場所を譲ると、スープをこぼさないようしっかりと両手で持ち、その場から離れた。
――この辺でいいかな。
カリムは近くに座れる場所を探して、腰を下ろした。
器に盛られたスープは、温かそうな湯気を立てている。
カリムはスプーンで掬うと、息を吹きかけてから口へと運んだ。
しっかり煮込まれたスープは、胃まで落ちると冷えた身体を温めてくれる。出征中にも拘らず、温かいものが食べられるのはありがたかった。
「エマさーん、俺ちょっと多めに……」
聞こえた声に顔をあげると、軽装備に身を包んだ男がエマに話しかけていた。
「はいはい。足りなかったら、その辺の木箱漁りな。野菜の酢漬けくらい入ってるだろ」
「げえーっ、俺、アレ苦手……」
「贅沢いってんじゃないよ」
邪魔邪魔と言いながら、やってくる人たちを次々にさばいていく。
カリムはその様子を見ているのが好きだった。エマの元を訪れる人たちが、二言三言、言葉を交わすのを眺めながら、口と手を動かす。気づけば、いつの間にか器が空になっていた。物足りなさに、あいた器をじっと見つめる。
本音を言えば、もう少しエマたちのことを見ていたかった。しかし、水場に残った女たちのことを考えると、いつまでもこうしてはいられない。女たちは交代で食事をとることになっていて、カリムが戻らない事には食事にありつけないのだ。カリムは名残惜しさを振り払うと、重い腰を上げた。
そのとき、エマたちのいる場所からまたもや声がした。
「エマさん今日もおいしかったよ。ごっそーさん」
「そりゃどーも! ああ、ちょっと! 食器はちゃんと洗っといてね」
「へーへー」
使い終わった食器をその辺に置いて行こうとしたんだろうか。そのやりとりに自然と笑みがこぼれる。
カリムは洗い場までやってくると、用意された水で食器を洗った。
「大分よごれてる……一度換えたほうがいいかな」
カリムはたらいに張られた水を確認した。あとから使う人のことを考えたら、そろそろ交換しておいた方がいいかもしれない。どのみち水場に戻るわけだし――。
カリムは汚れた水を捨てると、そばにあった大きな木桶の取っ手をつかんだ。
すると、横から手が伸びてきて、つかんだ木桶を取り上げられてしまう。
突然のことにびっくりしたカリムは、手が伸びてきた方を見上げた。そこには木桶を肩に引っ掛けるようにして、男が立っていた。
先程エマに、食器を洗うよう注意されていた人だろうか。
カリムが見上げていると、男は使い終わった食器を押し付けてきた。
「お前にはちょっと重いだろ。代わってやるから、それ頼むな」
男は明るい声でそう言うと、返事も待たずに行ってしまう。
ひとり、その場に取り残されたカリムは、辺りを見回した。
――ここから近い洗い場って、どこにあったっけ……。
そんなカリムの目が、ある一点で止まった。
陽が落ちたばかりの空に、黒い影が一筋、天に向かって伸びている。
もうすぐだ。あともう少しでカリムのいた村につく。
カリムはその時のことを想って、青藍に染まった空を見上げた。
* * * * *
ヴァイオレットは、そのとき地上の家にいた。
寝台の上で枕を抱くようにして丸くなっている。その後ろでは、カンナが寄り添うように横になっていた。
ヴァイオレットはなかなか寝付けず、目を閉じたまま、昼間に血を撒いていたときのことを思い出した。森は着実に広がりを見せている。新しく撒いた場所は、育つのにまだ時間がかかるだろうが、最初に撒いた場所の芽は、すでに大きく枝葉を伸ばしている。
ヴァイオレットは閉じていた目をうっすらとあけた。
――近付いて来ている。
ヴァイオレットがはっきりとそれに気づいたのは、昨日の昼のことだった。
それまでは確信がもてなかった。
最初、遠くにあったカリムの気配が、日を追うにごとに、こちらに向かってきている。
ヴァイオレットは藁の詰まった枕を抱きしめた。
「ヴィオレ?」
かけられた声に目を開けると、背後で眠っていたはずのカンナが、心配そうにのぞき込んでいる。眠っていたとばかり思っていたのに、そうではなかったらしい。その眼が「何かあったのか」と、物言いたげに問いかけていた。
ヴァイオレットは枕に顔を埋めると、首をゆるく左右に動かす。
「なんでもない」
カンナはしばらく、そのままの体勢でのぞき込んでいたようだったが、ヴァイオレットが動かないのを見て訊くのをあきらめたのか、またごそごそと布団にもぐっていった。
ヴァイオレットはカンナに聞こえないよう、小さく息を吐いた。
はたして、少年はなんのために戻ってくるのか。
カリムがここへ戻ってくれば、自ずと答えは出る。
それがどんな理由であれ、自分は受け止めるだけだ。
ヴァイオレットはそっと目を閉じた。
次回の更新は、未定です。




