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 グリードは床をコンコンと叩いた。間を置かず、ぽっかりと穴が開く。

 そこから、グリードと似たような背格好の小男が顔をのぞかせた。違いをあげるなら、その顎に蓄えられた豊潤な髭だろうか。


「なんじゃ、どうした?」


 怪訝そうに顔をしかめたその小男も、赤い帽子を被っていた。

 グリードが手を軽く左右に振って答える。


「ここはダメだ。場所を変える」


 そう言うが早いか、髭の小男を穴に押し込んで、自らも飛び込んだ。

 それを見たカリムが慌てて穴のそばに寄った。淵に手をついて覗き込む。穴の下ではグリードが、「お前も早く来い」と手招きしていた。

 それほど高さがあるようには見えない。

 カリムは意を決すると、思い切って飛び込んだ。


 すぐに地面に着くと思っていたカリムは、それが間違いであったことに、飛び込んでから気がついた。いや、正確には一度地面についた。しかし、その先は急な斜面になっており、尻餅をついた姿勢のまま斜面を滑り落ちていった。

 自らの悲鳴を聞いたような気もするが、実際に声に出したかはわからない。


「いたっ!」


 長いような短いような。胃の中味がせり上がるような浮遊感から解放されたカリムは、打ちつけた尻をさすりながら、周りがどうなっているのか確かめた。

 アーチ状の天井が連なる回廊がどこまでも続いている。壁自体が青く発光していたが、その光量は微弱で、どちらかと言えば暗い。ところどころにランタンが設置してあり、通常、風よけの役割を果たすガラス製の筒の中には、火ではなく、黄色っぽい緑色の光がふわふわと浮かんでいた。

 地下にこのような場所があることなど、聞いたことがない。

 カリムは床に座ったまま、ぽかんと口を開けていた。


「おい、グリード、そいつは?」


 聞こえた声に振り向けば、髭を生やした小男が、怪訝そうにカリムを見ている。


「知り合いさ」


 グリードが簡潔に答えると、小男はふんと鼻を鳴らした。


「立てるか?」

「あっ、はい」


 近寄ってきたグリードが手を貸してくれる。それに捕まって、カリムは慌てて立ち上がった。

 なんとなく、もう一度天井に目をやれば、開いていたはずの穴がどこにもない。


「あれ?」

「どうした?」

「いえ、あの――穴が……」


 天井を指して言えば、グリードと小男も天井を見上げる。


「ああ。あのままってわけにもいかないだろ」

「ちゃんとふさいどいたぞ」


 小男は当然とばかりに目を細め、その豊かな髭をなでた。


「ふさいだ……」


 カリムは自分たちが落ちてきた天井――穴のあった場所を、まじまじと見つめた。グリードが床から這い出してきたときも、今みたいに穴が開いていたのだろうか。

 カリムは床に生首が生えていた時のことを思い出して、身震いした。あのとき、床に穴なんて開いてたっけ。正直、覚えていない。そんなところまで気にしてる余裕はなかった。てっきり、すり抜けたのかと思っていたのだけど……。だとしたら、今頃はきれいに塞がってるのかな――カリムがそんなことを考えている間に、二人の小男はどうするか決めたらしい。「行くぞ」と言って歩き出したので、カリムもそのあとに続いた。


 カリムは少し歩いたところで、ふと気になっていたことがあるのを思い出した。


「グリード……さん」


 名前を呼んでみる。

 グリードはちらりと視線を向けてきた。こちらを見たのは一瞬。それでも話を聞く気はあるらしい。「なんだ?」と声だけ寄越してくる。

 カリムは、グリードの後ろについて歩きながら尋ねた。今日の昼間、デフェルには聞けなかったことだ。


「ぼくは何か、変わってしまったんでしょうか」


 その言葉にグリードが立ち止まった。急に足を止めたので、カリムは危うくぶつかりそうになった。グリードはくるりとカリムに向き直ると、少年のてっぺんからつま先までをじろじろと眺め回した。次いで、呆れたような声を出す。


「お前――それ、いま自分がどうなってるのかわかってて、聞いてんのか?」


 カリムは「あっ」と浅黒くなった自分の両手を見た。

 そう言えば、自分の身体は常とは違うそれになっているんだっけ。


「えっと……」


 どう説明したものか、困ってしまう。

 グリードが肩をすくめ、再び歩き出したので、仕方なくカリムも歩き出した。

「……まあ」グリードが前を向いたまま話し出す。


「姿形の話じゃなくて、以前のお前と変わったかって話なら――」


 ちらりとカリムを見て、言葉を続ける。


「お前の昔なんて知らないからなあ。聞かれてもわからねえ、としか答えようがないな」

「……そうですよね」


 言われてみれば確かにそうだ。けれど、聞きたいのはそういうことじゃない。

 うまく説明できないもどかしさに、カリムの足が自然と遅くなった。

 グリードが、そんなカリムに合わせて歩調を落とす。


「なんでそんなこと思う?」

「ここに来たとき、いわれたんです。」


 カリムはジェイダの顔を思い浮かべた。


「『怖い思いをしたんでしょう?』って。ほかの人も――」


 イエーガーもデフェルも、こちらを気遣うような面持ちを見せていた。


「ふつうは怖いと思うはずなんです。でも、ぼくにはそう思えなくて……」


 あれから何度も考えてみたが、どうしてもそんな風には思えなかった。


「ビオレの血をのんだから――怖いと思わなくなったのかなって」


 そういう風に変わってしまったのかが知りたかった。

 気づけば、前を歩いていた二人は足を止めて、カリムのことを見ていた。

 グリードは“ビオレの血”と聞いて、思い当たることがあったらしい。


「そういや龍石水、渡したんだったか……そうか。坊主に使ったんだな」


 そう言って、カリムのことをしげしげと見つめてきた。


「えっと……」

「安心しな。あれは身体を癒すためのものであって、作り変えるようなもんじゃねえ」


 それを聞いてカリムはホッとした。


「まあ、地上のやつで飲んだのは、お前が初めてだろうから、確かなことは言えないがな」


 などと、人の悪いことをつけ足して、キシシと笑う。

 二人の会話を黙って聞いていた髭の小男が、グリードの肩を叩いた。親指で上を示す。

 グリードはうなずいて返すと、カリムの目をじっと見据えた。


「自分は何か変わったと思うか?」

「……わかりません」

「お嬢ちゃんたちのことはどう思う?」

「怖いとは……思いません」


 それを聞いたグリードは、満足そうにうなずくと、カリムの肩をぽんと叩いた。


「じゃあ、それでいいんじゃないか? 坊主が変わったかどうかなんて知ったこっちゃないが、その気持ちは確かなんだろ?」


 カリムはグリードに肯定してもらえたことで、どこか救われたような気になった。ヴァイオレット達のことを怖いと思えない自分は、どこかおかしいのではないかと思っていた。だが、誰かに「それでいい」と言ってもらえたことに、確かな安堵を覚えていた。


「で?」

「え?」


 カリムは首を傾げた。

 グリードが確認する。


「さっきも言ったが、オレもそんなにのんびりしてられないんでな。今ならまだ、さっきの部屋に戻してやれるけど。」


 ――お前はどうしたいんだ?


 カリムは迷わなかった。

 今、決めることはひとつだけだ。

 行くか、行かないか。

 この気持ちが作り物でないのなら、答えは出ている。


「行きます」


 カリムは、はっきりと口にした。

次回の更新は、明日2/19㈫の予定です。

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